第一部
お久しぶりです。長らく失踪してしまい申し訳ありませんでした。普段は相撲小説ですが、今回は本気でストーリーを考えて書いてみました。なるべく第二部を早く出せるように努力いたします。
私の名前は佐野志帆
私は、小学4年生になった3ヶ月後ににがんになってしまい、入院生活を送ることになってしまった。私は、絶対に6年生の修学旅行には参加したいと思っていたが、病状はかなり重く。治るのは早くても中学一年生の頃になると言われた。私はすぐに手術できないか聞いてみたが、いきなり手術をしてしまうと、かなり時間がかかってしまい、もしかしたら私の体が耐えきれないと言われた。そのため、まずは入院しながら治療を開始して、じっくりとがん細胞を減らしてから、手術をした方がいいと言われた。私はその言葉を聞いた瞬間に絶望した。このままでは、修学旅行に参加できないからだ。
不安が残る中、私の入院生活が始まった。
そして、入院生活が始まって一週間後、
「久しぶり!体調どう?お見舞いに来たよー!」と、元気な声が部屋に響いた。
その声の正体は、私の幼稚園の頃の友達の加藤花だった。私は、「久しぶり!そっちこそ元気だった?」と、笑顔で返した。その言葉を聞いて安心したのか、花は笑顔を見せ、綺麗な花がたくさん入ったカゴを置いてくれた。その後は1時間くらい、思い出話をした。そして私は、花と、がんが治ったら一緒にテーマパークに遊びに行く約束をした。そして、花は帰った。
あれから月日は流れ、1週間後、私のがんは治る気配があまり無い。私は少し不安になった。さらに1週間後、再び検査をしたが、全く治らない、がんだからそんな簡単に治らないとわかっているのだが、流石にそろそろ回復の兆しぐらい無いのかと思っていた。そして、4ヶ月がたち、私は5年生になった。あれから、回復の兆しは全く見えない。そこで、今入院している病院の看護師さんが、もっと高設備の病院に移らないかと言われ、家族と相談し、「お願いします」と移ることにした。病院を移したさ後は、前の病院と同じ感じの治療をしながら入院していた。そして、2月、もうそろそろ6年生になった時の修学旅行の日程が出るはずだ。そして2日後、日程をもらった時に、私は絶望した。
なぜなら、初日のスタートが、7月の16日となっていて、完全に今のままでは間に合わなかった。リハビリも考えると、今年の修学旅行はかなり絶望的になってしまった。
そこで私は覚悟を決めて、医者に相談することにした。「今から1週間後に、手術を受けさせてもらえませんか」と。それを聞いた医者は、「ダメだ」と即答。理由は予想通りで、まだがん細胞はかなり残っていて、全て取り除くと考えるも時間がかかり、その前に私の体がダメになると言われた。それでも私は「お願いします。受けさせてください」と必死に頼み込んだ。そして医者は、「分かった、今から1週間後に、うちの中で一番凄腕の医者に手術をさせよう」と言ってくれたのである。正直不安もあるが、もうこれしかなかった。
そしていよいよ手術の時、私は覚悟を決めて、部屋に向かった...
私は志帆の母、今か今かと志帆の手術が終わるのを待っていた。そして、結局その日は終わらず、2日がたった。そして実は手術前に、「娘さんは、もしかすると...」と言われていて、体が震えた。そして、手術が終わったと電話を受け、私はすぐに車に乗り、病院に向かい、志帆の部屋へ向かった。まだドアを開けるのが怖く、とりあえず部屋の音を聞いてみると、
静かだ、私は余計に不安になり、冷や汗をかいた。そして私は勇気を振り絞りドアを開けた。そこには、信じられない光景が待っていた......
志帆は、目覚めていなかった。
がんと言われた私の人生日記 第一部
完
お読みいただきありがとうございました。このような形の小説は初めてでしたがいかがだったでしょうか。第二部もお楽しみに〜