最終章
5―1
「田島先生、ここ最近SNS中毒じゃないですか?」
昼休み時間に常滑先生から心配そうに声をかけられた。
「え? そんなことないですよ」
と答えたものの、確かに一日に何度もSNSをチェックしていた。
見ていたのはゲーミング杯の運営のアカウントだ。
3人には回線不良のせいだと言い聞かせはしたものの、俺は運営側の不備を疑っていた。
訂正なり謝罪なり、何らかの発表があるのではないかと考えていた。
しかし運営のアカウントは大会以降、ずっと沈黙していた。
当日の動画を後日アップするという告知があったはずだが、それさえ不自然に放置されていた。
あの日以来、部員たちも覇気がなかった。
大会の後に気が抜けてしまうのはどの動部活でもよくあることだ。
元気づけたい気持ちはあったが、下手に干渉するのは逆効果な気がした。
下手に触れずに、時間の流れが解決してくれるのを待つしかない。
実際、俺も仕事に追われるうちに大会のことは徐々に忘れていった。
――でも、本当はもっと気にかけておくべきだったのかもしれない。
大会の一週間後、千夏が無断で学校を休んだ。
編入してから初めてのことだった。
気にならないわけではなかったが、誰だって体調や気分を崩すことくらいはある。
裏社会の人間だって例外ではないだろう。
放課後、俺は部室に足を運んだ。
千夏の休みを知らない鳳と聡明が心配しているかと思ったのだ。
ところがどちらの姿もなかった。
気になって出欠を確認してみた。
七ツ森高校では生徒の出欠を学内のデータベースで管理している。
昇降口の入館ゲートを通過する際に、電子パス付きの学生証をタッチさせることで登下校のログが残る仕様だ。
仕事用のノートパソコンからアクセスしてみると、鳳も聡明も朝から欠席していた。
要するにパソコン部の3人全員が同時に休んでいることになる。
果たしてただの偶然か、示し合わせたものなのか。
気にならないと言ったら嘘になるが、だからといってどうすることもできない。
そもそも3人の連絡先を俺は誰一人として知らないのだ。
例外的に品子のものだけは把握しているが、一日だけの無断欠席で保護者に連絡を入れるのは過敏な気がする。
もしかしたら3人は俺が思っているよりもずっと仲良くなっていて、一緒に学校をサボっているだけかもしれない。
それはそれで千夏の情操教育は上手くいったと言えるんじゃないだろうか。
二ヶ月前まで友達は一人もいなかったのだから。
教師は生徒に寄り添わなければいけないが、立ち入りすぎてもいけない。
俺は深く考えずに仕事に集中した。
5―2
翌日、千夏は朝の教室にいつもと変わらない様子で座っていた。
今日も来なかったらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。
とはいえ無断欠席をしたことに変わりはない。
ホームルームの後、俺は千夏を廊下に呼んで訊ねた。
「昨日は学校に連絡を入れずにどうしたんだ?」
「すみません。休む際の手続きを把握していませんでした。以降、気をつけます」
「別にまともな理由があるなら休んだってかまわないんだ。体調不良とかな」
「昨日は出かけていました」
「3人でか?」
「はい」
「どこに?」
プライベートに少々立ち入りすぎかもしれないと思ったが、千夏は意に介さずに答えた。
「小休憩中ではゆっくり話せないと思います。放課後でもいいですか?」
「わかった。部室で聞こう」
ちゃんと説明してくれるならそれに越したことはない。
俺はいったん職員室に引き上げた。
とりあえず普通に話してくれるようなので安心した。
後ろめたいことなら自分からは言わないはずだ。
ただ、なんとなく引っかかるところはあった。
一昨日まで沈み込んでいた千夏が、今日は妙に健やかに見えたのだ。
放課後になり、仕事を一区切りつけた俺は職員室を出た。
パソコン部には部員全員がそろっていた。
「来たな、タジセン。ちょっと遅いんじゃねえか」
「待ちくたびれたのよ、センセー」
聡明も鳳も朗らかな表情で俺を迎え入れた。
3人とも何か浮足立っているような気配があった。
俺はパイプ椅子に座って訊ねた。
「で、昨日は仲良く3人でサボってどこに行ってきたんだ?」
「ミシックゲームズの本社に行ってきました」
「……ミシックゲームズ?」
どこかで聞いたことのある名前だ。というか、かなり馴染み深い気がする。
「何の会社名かわかりますか?」
千夏がやたらと俺の表情を伺ってくる。
まるでクイズに正解してほしいと言わんばかりだ。
「もしかしてフォースバウンスを作ってるところか?」
「正解です!」
「そんなところに行って何をしてきたんだ?」
ミシックゲームズの住所を俺は知らないが、少なくとも気軽に立ち寄れるほどの近所ではなかったはずだ。
「もちろん大会での不正行為についての調査です」
「……気づいていたのか?」
「もちろんです」
はっきりした証拠が出てこない限り伝えないつもりでいたのだが、とっくにおかしいと思っていたようだ。
詳しく聞くと、大会のラストに納得できなかった3人はずっと独自に調査を進めてきたという。
まず初めにゲーミング杯を企画した会社に問い合わせたそうだ。
もちろんまともな返事はもらえなかった。
そこで鳳がハッキングを開始した。
侵入は簡単だったが、運営会社が行っていたのはイベントの企画であり、フォースバウンスの内部データは保持していなかった。
次にミシックゲームズをターゲットに変更した。
世界的に普及したオンラインゲームの会社だけあり、セキリティが厳重で、ハッキングだけでは覗けないデータがあったという。
そこで3人は現地に赴いて潜入を試みた。
警備は厳しかったが、3人が協力したことで無事に目的を達成できたという。
「ま、オレが守衛を気絶させなければ詰んでただろうがな」
「そもそもわたしでなければサーバーから情報を引き出せなかったのよ」
「ぼくが監視カメラを壊さないと、侵入すらできませんでしたが?」
3人とも武勇伝のように和気あいあいと昨日のことを話している。
「……そ、それで何をしてきたんだ?」
「あの日、チート行為で参加していたユーザーがいないかどうか調べてきたんです」
「そんなことが……」
できるわけない、と言いたかったが3人の顔を見ると結果は明らかだった。
特に千夏が最も顕著だった。
ずっと頬に不敵な笑みを浮かべている。
「それでですね、先生。なんと大会のあった日、チーターがうちの高校からアクセスしていたことが発覚したんです。つまり犯人は七ツ森高校に通っている誰かだったんですよ」
「そうなのよ」
鳳がしたり顔で頷いている。
説明をしているのは千夏だが、情報を解析したのは鳳なのだろう。
「今日、これから鳳先輩に学校のデータベースにアクセスしてもらうんです」
「………………」
「ぼくたち以外にフォースバウンスをプレイしていた人が犯人です」
「……い……す……」
「あと一歩です。犯人はすぐそこです。絶対に見つけ出してやります」
「今すぐやめるんだ!」
俺は声を荒らげていた。
千夏は驚いたように目を大きく見開いた。
彼女に罪悪感はなかったのかもしれない。
育ってきた環境では当たり前でありきたりな行いだったのかもしれない。
千夏の家は特殊だし、他人の家の方針に口を挟む気はない。
だけど、ここは学校で、俺は教師だ。
もちろん俺だって大会で不正を働いた人物は見つけたい。
やったことを反省させたいし、憂さだって晴らしたい。
とはいえ目の前で個人情報が漏洩するのを見過ごすわけにはいかない。
だってそれは犯罪だからだ。
「鳳、今すぐパソコンを切るんだ!」
俺はパソコンの前に座っていた鳳に指示した。
ちょうど今から学校のサーバーにアクセスして解析を始めようとしていたのだろう。
鳳はしばらく躊躇していたが、俺の剣幕に圧されて電源を落とした。
「タジセン。それはちょっと酷くないか?」
聡明が眉を吊り上げて抗議してきた。
「千夏はあの大会の日からずっと犯人を追ってたんだぜ?」
「俺だってあの日のことは納得していない。できれば運営に不正があったことを認めてもらって、試合結果を変更するか、大会をやり直してもらいたいと思ってる」
「それを全然やらないからオレたちが直に動いたんだろ。言い出したのはオレじゃなくて千夏なんだぜ?」
いつもは感情を表に出さない千夏が自ら行動したというのは、それだけあの日のことが悔しかったのだろう。
以前までなら黙ってやり過ごしていたかもしれない。
自分の感情を押し殺さなかったことは嬉しい。
嫌なことを嫌と言えるのは心の強さだ。
でも、だからといって犯罪行為を見逃していいことにはならない。
「だいたい犯人を見つけてどうするつもりだったんだ?」
聡明は拳を握って答えた。
「オレは全力でぶん殴るつもりだったぜ」
鳳はメガネを押し上げながら言った。
「わたしは社会的に殺すつもりだったのよ。こういう輩は叩けばいくらでも埃が出てくるものなのよ」
「千夏は?」
「ぼくは犯人の態度をまず確認するつもりです。ちゃんと反省してくれたら許します」
「もしもそうでなかったら……?」
大勢の人間が参加する大会でチートを使うような奴だ。必ずしも聞き分けが良いとは限らない。
「その時は命を奪うまでですよ」
キッパリと断言した。
その言葉は俺に千夏が殺し屋の家で育ったことを否応なく思い出させた。
もはや千夏は危険だ。
そしてその仲間の聡明と鳳も。
俺は3人に向けて言った。
「おまえたち。明日から1週間、自宅謹慎だ」
5―3
本来、教師がその場で生徒に自宅謹慎を言い渡すことはできない。
上に報告して正式な手続きを経るのが普通だ。でないと職権乱用になるからだ。
ただし今回は七傑が2人も絡んでいることから緊急措置として認められた。
七傑は他の生徒に与える影響が強いと考えられている。
もちろん自宅謹慎くらいで根本的に解決できるわけではない。
せいぜい時間稼ぎくらいにしかならないだろう。
千夏たちがその気になればどんなことだってできるだろう。
それこそ学校に侵入することだって容易いはずだ。
それでも何もしないよりはマシだ。
あとは俺が怒ったことを3人がどれくらい気にしてくれているか、だ。
俺はその日のうちに梔子品子に連絡を入れた。
例によって普通の時間帯ではコンタクトが取れず、深夜23時に桂木公園で会うことになった。
いつものように品子は闇の中から現れた。
「先生から呼び出してくるなんて珍しいですね。それで、おいくら必要なんですか?」
「経費の話じゃない」
俺は一連の出来事について品子に語った。
千夏が大会で不正を働いたチーターを探していて、場合によっては大変なことになるかもしれないと伝えた。
「大変なことって具体的にどういうことですか?」
「チーターの命を狙ってるんだ!」
フフ、と品子は口に手を添えて笑った。
心配しすぎだと思われたのかもしれない。
あるいは俺が以前チートに手を出したことを思い出したのだろうか。
実際はそのどちらでもなかった。
「流石は私が見込んだ先生ですね。常に私たちの期待を上回ってくれます。上出来です」
「何を言ってるんだ? まるで良いことのように言うな」
「言いことですよ? まさにこれが私たちの望んでいたことなんですから」
「人の命を狙うことが?」
「前にもお話しましたが、あの子は命令を忠実にこなすことには長けていました。上の人間からの指示には非情に高い能力を発揮するんです。反面、自分から行動を起こすことは苦手でした。自分の意思がないんです。だから先生に情操教育をお願いしたわけです」
「それ自体は全然悪くない。学校に来ることで感情面はかなり豊かになった。ただ、理不尽な目に合ったことで感情に歯止めが効かなくなってる。今はそれをどうにか抑えないといけないんだ」
品子は冷ややかな目をしながら首をかしげた。
「……それが何か問題なんですか?」
ゾクッと背中が冷たくなった。
もしかしたら品子は最初からこうなることを待ち望んでいたのだろうか。
好きなゲームをやらせようとしたのも、学校で友情を育ませようとしたのも、すべては殺意を抱かせることが目的だったとしたら?
俺は知らずにその準備をさせられていたのかもしれない。
「先生は何も心配しなくていいんですよ」
品子は俺の気持ちを見透かしたように左目を細めて微笑んだ。
「あの子のことを信用してあげてください」
今、信用できないのは目の前の品子だった。
5―4
千夏を人殺しにさせるわけにはいかない。
たとえそれがクチナシ・ファミリーの意思だったとしても。
そのために俺がやらなければならないことは、千夏よりも先に校内のチーターを見つけることだった。
今のところ千夏は謹慎を守っているようだが、いつ行動してもおかしくはない。
幸い七ツ森高校のサーバーは外とのつながりがほとんどない。
学校に入らないと犯人を特定するのは難しいのだ。
俺は日々の仕事に追われながら、空き時間でデータベースを調べていった。
チーターはこの学校の人間ということなので、大会当日に入出のログのある生徒を探せばいいはずだ。
アクセスしてみると、思ったよりも多くの生徒が学校に出入りしていることがわかった。
部活動、図書室、忘れ物、個人指導など、休みであっても学校の利用者は意外と多い。
全員の行動履歴を聞いて回るのは時間がかかりすぎるので現実的ではない。もっと情報を絞る必要があった。
内部データをさらに調べていったところ、インターネットの利用にもログが残っていることがわかった。
パソコンルームと職員室の周辺には無線LANが飛んでおり、生徒は学籍番号を入力することで利用が可能になる。
その結果、1人の男子生徒に行きついた。
1年D組、アカザワケンジ。
世界史を授業で教えに行っているクラスだが、特に印象に残っていない生徒だった。
まあ、暗記モノの世界史では生徒と交流することがあまりないわけだけど。
大会があった日、彼が学校に来てネットを利用したログが残っていた。
利用時間もちょうど大会の開催時間と重なっていた。
しかしその後に何かがあったようで、二日前から学校に登校してきていない。
状況からしてほぼ間違いないだろう。
俺はその日の放課後、すぐさまアカザワケンジの家を訪問することにした。
いきなり担任でもない教師が家に行くのはおかしいだろうが、今は一刻を争うのだ。
千夏よりも先に話を聞き、場合によっては警察に保護してもらわないといけない。
データベースで住所を調べて家に向かった。高級住宅街の一戸建てだった。
インターホンを押すと本人が出た。ひょろりとした細身の男子だった。
俺の顔を見ると彼は「あっ!」と言って青ざめた。
少し迷ってから、近所の公園で話したいと言ってきた。
移動すると彼は気まずそうにしながらも自分から話を切り出してきた。
「フォースバウンスの件ですよね?」
話が早くて助かった。俺が頷くと彼は地面に手をついて頭を下げた。
「すみませんでした! すべてはぼくの軽はずみな行動のせいです!」
チーターに会ったら謝罪させたいと思ってはいたが、それにしても事の運びが早すぎる。
俺はアカザワケンジを立ち上がらせた。
詳しく話を聞くと、彼がレッド・ジェネシスのリーダーで、ラストに千夏と戦ったチーター本人であることがはっきりした。
「本当はチートはダメだってわかってたんです。でも家以外ならバレないんじゃないかと思って、学校のパソコンルームからつないで参加してみたんです」
ネットで違法行為をする時、公衆無線やネットカフェで足がつかないようにするのはよくあることだ。
大会の運営も面倒事を避けようとしたのか、フェードアウトを狙っていた節がある。
案外、千夏たち3人が相手でなければバレなかったかもしれない。
もっともアカザワケンジは大会の後、違法行為をしたことが怖くなってしまったのだそうだ。
後悔したけれどもどこに言い出せばいいかわからなくて、ずっと気に病んでいたという。
俺は犯人はもっと狡猾で開き直っている人間かと思っていた。
だけど実際には、魔が差してしまっただけの普通の気弱な少年だった。過去の自分とも重なるところがあった。
ちょっと拍子抜けしてしまったが、根っからの悪人でなかったのは良いことだ。
「謝る相手は俺じゃない」
俺はまず大会の運営会社に謝罪の連絡を入れるようにアカザワケンジを諭した。
どういう対応になるかはわからないが、正直に謝って然るべき償いをすれば、許されないことなんてないはずだ。
「わかりました。そうします」
アカザワケンジは素直に頷いた。
これだけまともな人間ならきっと千夏にも謝ってくれるだろう。
俺は大会の最終決戦で敗れた相手が同じ七ツ森高校の生徒であることを伝えた。
「梔子千夏という子なんだけど、たぶん後から訪ねてくるかもしれない。今日と同じようにちゃんと説明して謝ってほしいんだ」
俺がそう言うと、アカザワケンジは「え?」と驚いたように首をかしげた。
「その人にはもう謝りましたよ?」
「……は?」
「昨日、三人で来たんです」
「……だ、誰が?」
「梔子千夏さんが。あと一緒に七傑の無藤さんと鳳さん」
「それは……許してもらえたのか?」
「はい」
「何もされなかったのか?」
「特には。あ、でもチートプログラムの入手経路は聞かれましたね」
「ネットからダウンロードしたんじゃないのか?」
「前はそうしてたんですが、フォースバウンスがアップデートされたら使えなくなってしまったんです。パソコンルームで困っていたら画面を覗き込んで話しかけてきた人がいたんです。最新版のチートプログラムをあげるよって」
「それは誰が?」
「担任の常滑先生です」
5―5
俺はアカザワケンジと別れ、常滑先生のマンションへと向かって走っていた。
学校に電話をしたところ、常滑先生は既に帰宅したと言われた。
彼の住所は何度か飲み会の後で立ち寄ったことがあったので知っていた。俺のアパートからもそんなに離れてはいない。
しかし今はとても遠くにあるように感じられた。
さっきまでまだ夕方だったはずなのに、辺りはもう暗くなってきている。
本人のスマホに電話をかけても出てくれなかった。メッセージも既読がつかない。
単に気づかないのか、それとも……。
嫌な予感を振り払うようにして俺は走り続けた。
常滑先生のマンションに到着した。階段で一気に五階まで上がる。角部屋のインターフォンを連続で鳴らすと内側からドアが開いた。
「あれ? 田島先生じゃないですか。血相変えてどうしたんですか? もしかして仕事で何かやらかしちゃいました?」
顔を出したのは常滑先生本人だった。
俺は疲労と安堵で長いため息を吐いた。
どうにか千夏よりも先に来れたようだ。
「……電話に出ないから心配してたんですよ」
「え、鳴らしました? ずっと部屋にいたけど、気づきませんでしたよ。急用でしたか?」
「いや、何もないならそれでいいんです」
「せっかく来てもらったんですから、とりあえず中に入ってください」
「お言葉に甘えます」
俺は靴を脱いで常滑先生の部屋に入った。
とりあえず俺がこの場にいれば千夏も急に何かをしてきたりはしないだろう。
「それでいったいどうしたんですか?」
「えっと、生徒の中に……」
裏社会の人間がいて、常滑先生の命を狙っています。
なんていきなり言っても信じてもらえないだろう。
それどころか無駄に危険性を高めることになりかねない。
パソコン部の3人は素性を隠して学校に通っている。
情報を漏洩させたらクチナシ・ファミリーや庭から目をつけられてしまうかもしれない。
俺は話の角度を変えることにした。
常滑先生の部屋の中を見回す。物が少なくてシンプルな部屋だが、タワー型のパソコンが強い存在感を示している。
「常滑先生はパソコンがお好きなんでしたっけ?」
「はい。一番の趣味ですね」
「プログラムを作れたりするんですか?」
「大学でそういうサークルに入ってましたから」
「ゲームのチートプログラムを作って配布したりしてますか?」
「はい。そうですね」
誘導尋問のつもりだったが、あまりにもあっけらかんとした返事だった。
逆に俺の方が言葉に詰まってしまった。
「ど、どうしてそんなことをしたんですか?」
俺が追求すると、常滑先生は嬉しそうに顔をほころばせた。
「もしかして田島先生も僕のプログラムを使ってくれたことがあったんですか? だったら嬉しいなあ。どうでしたか? 良く出来てるでしょう?」
まるで褒められたみたいにはしゃいでいる。
責めるつもりで言ったことが全然通じていないようだった。
仕方なく俺はすべてを打ち明けることにした。
「常滑先生は今、そのチートプログラムが原因で裏社会の生徒から狙われているんです」
「裏社会? 殺し屋ってことですか?」
「正確には殺し屋の家系で育った生徒です。本人に殺しの経験はないはずですが、高いスキルを持っています」
「じゃあ大丈夫なんじゃないですか?」
「普段は冷静な子なんですが、先日参加したeスポーツの大会でチーターに出会い、不正行為を激しく憎んでいるんです」
「ははあ。話が見えてきました。そのプログラムが僕が作ったものだったというわけですね?」
「そうです。ゲーム会社に潜入して個人情報を引き出し、常滑先生のところまで辿ってきたんですよ」
「怖いですねえ。まるで漫画のような世界だ」
「常滑先生はどうしてチートプログラムを作ったんですか?」
彼はしばらく顎に手を当てて考え込んだ。
せめて止むに止まれぬ事情があるのなら、情状酌量の余地もあるだろう。
常滑先生は悪びれない顔で言った。
「世の中やってらんないことばかりじゃないですか。だからスカッとしたかったんですよ」
「チートプログラムを作ることで?」
「ルールってがんじがらめで息が詰まるじゃないですか。何でもいいからルールを壊したかったんです。ゲームって要するにルールの塊ですからね。部分的にいじるだけで全体がめちゃくちゃになる。それが面白いんですよ」
「……………………」
俺は言葉を返せずにいた。
そんなのただの愉快犯ではないか。
千夏がこんな浅はかな理由を聞いたらどうなってしまうだろう。
そう思った矢先、俺のスマホから着信音が響いた。
「あ、鳴ってますよ。僕のことはかまわず、どうぞ出てください」
画面を見ると番号は非表示だった。でも俺は相手の予想がついていた。
「……もしもし」
「もしもし。先生ですか?」
向こうから聞こえてきたのは千夏の声だった。
「やりとりはすべて聞かせてもらいました。先生。今からその部屋を出てください」
盗聴機でもしかけていたのだろう。驚きはしなかった。俺よりも先にアカザワケイジに行き着いていたのだ。既に何らかのアクションを起こしていても不思議ではない。
「俺が出ていった後はどうするんだ?」
「一般の人は聞かない方が身のためです」
「馬鹿なことはやめるんだ!」
「ぼくも状況によってはやめようと思っていたんです」
千夏は冷ややかな声で続ける。
「昨日、大会に参加したチーターの人と会いました。その人は反省していたし、ちゃんと謝ってくれたので許すことができました。でもこちらの人は無駄だと思いました。さっきからずっと他人事みたいな反応ですよね。こんな人のせいでみんなと戦った大会がダメにされたかと思うと悲しいし、怒りが抑えられません」
「気持ちはわかる。でも今はいったん落ちつくんだ」
俺が必死に千夏をなだめようとする一方で、常滑先生はヘラヘラと笑っていた。
「え? もしかして今、殺し屋の生徒さんと話をしてるんですか? 本当だとしたら面白いですよね。そうだ。七傑の一人に加えましょうよ」
「殺し屋じゃない。そういう家系で育っただけだ」
「だったらゆくゆく殺し屋ってことじゃないですか。人間の未来ってだいたい家の環境で決まっちゃいますからね」
俺は教師としてそこまで高い志を持っているわけではない。
でも、教育なんて意味がないと言っているようなその発言ばかりは許せなかった。
俺は常滑先生につかみかかろうとした。
その時、窓ガラスが割れて部屋の真ん中のテレビに穴が開いた。
「……え?」
常滑先生が虚を突かれたように目を瞬いている。
俺と窓とテレビを交互に見て、急にオロオロし始めた。
「……も、もしかして今まで話していたことって本当なんですか? 今のが殺し屋の生徒さんの攻撃ですか? ハ、ハハハッ! ほ、本物のスナイパーじゃないですか」
常滑先生が笑い出したのはたぶんおかしかったからではない。理解が追いつかなくて、平常心を失ってしまったのだろう。
普段から同僚として接してきた俺にはわかったが、傍目にはどう映るだろうか。
嘲っているようにしか見えないかもしれない。
「常滑先生! 早く謝ってください。今ならまだ間に合います!」
「ほ、本当に僕のことを撃つんですか? 冗談ですよね? ねえ!」
スマホの奥からスナイパーライフルのマガジンを入れ替える音が聞こえた。
千夏は次も撃つ気でいる。
「今の一発だけで十分だ。千夏、もうやめろ!」
聞こえているだろうが、返事はなかった。
俺はさらに声を張り上げて向こう側へ訴えた。
「鳳! 聡明! 近くにいるんだろ!? 千夏を止めろ!」
これもまた返事はなかった。
俺は部活の顧問だが、3人はお互いに友達だ。
どちらの言うことを聞くかなんて考えるまでもない。
俺は弾が飛んできた窓辺に立って両腕を広げた。
「撃つな!」
手にしたスマホから千夏の戸惑った声が聞こえてきた。
「……どうしてかばうんですか? そんな人、どうなったっていいじゃないですか」
一応、同期なので数年間の付き合いはある。
ただ、命をかけて守るに値するかどうかはよくわからない。
チートプログラムを作った理由を聞いた時は正直、見限りたいと思った。
でも俺はここをどくわけにはいかなかった。
俺がかばっているのは常滑先生ではない。
「俺が守りたいのは千夏の方なんだ!」
「何を言っているのかわかりません!」
「俺はおまえに人を殺させたくないんだ!」
「ぼくの家ではそれが普通のことなんです!」
「今まで殺したことはなかったんだろ!?」
「クチナシ・ファミリーの一員である以上、いつかは殺すことになります!」
「だとしても!」
教師はしょせん生徒が学校に通っている間だけの付き合いだ。
家のことまで根本的には関われない。
でも、せめて俺の生徒である間は普通の人として暮らしてほしい。
「殺すな!」
「どいてください!」
「絶対にどかない!」
「どうしてですか!」
「人を殺したらゲームが楽しめなくなるだろ!」
自分でも何を言っているのかわからないことを口走っていた。
でも、ここで言い淀むわけにはいかない。
「ゲームはゲームだから楽しめるんだ。人を本当に殺したら、人を殺すゲームを楽しめなくなる。みんなとゲームで楽しく遊びたいんだろ? だったら殺すな! 殺すならゲームでやれ!」
「………………」
千夏からの言葉が途絶えた。
スマホからは微かな息遣いが聞こえてきた。
「……そんなこと」
声が小さくて俺はスマホを耳元に引き寄せる。
「……そんなこと言われても、今さらどうすればいいかわかんないですよ!」
瞬間、スナイパーライフルの発射音が響いた。
正面にあるビルの屋上で何かが光った。
弾がスローモーションで飛んでくるのが肉眼ではっきり見えた。
どうやら感覚が研ぎ澄まされて、時間がゆっくりに感じられているのだろう。
スナイパーライフルの弾は俺の横を通り抜けて後方に向かっていった。
手で食い止めようにも、俺の体は弾以上にゆっくりだった。
俺の視界から弾が外れた瞬間、引き伸ばされた世界は終わり、背後で着弾音が響いた。
俺は振り返って常滑先生を見た。
彼は白目を剥いて壁にもたれかかっていた。
口から泡をふいて気絶している。
スナイパーライフルの弾は常滑先生ではなく、顔の真横にあったパソコンに着弾していた。
「……のせいで」
スマホから千夏の嗚咽混じりの声が聞こえた。
「先生のせいで失敗してしまったじゃないですか」
「それでいいんだ」
俺は正面の屋上を見つめながら答えた。
エピローグ
俺は桂木公園のベンチに座っていた。
時計の針は11時をさしている。深夜の23時ではない。昼間の11時だ。
「先生。お待たせしました。報酬をお持ちしましたよ」
梔子品子は公園の入り口から姿を現した。ダークスーツではあるが、昼間なので闇に紛れることもない。
「俺は依頼を失敗したんじゃないのか?」
訝しげに訊ねたが、品子は意に介した風もなくベンチの隣に座った。
「いいえ。すべて完璧に依頼をこなしていただきましたよ」
「よくわからない。あんたたちは千夏に人を殺させたかったんじゃないのか?」
「私どもが計画していたのは、感情をコントロールする力を養わせることでした」
「……感情をコントロール?」
「千夏は今後、クチナシ・ファミリーを率いていく存在になります。そのためにも強い感情に駆られた時、自制できる心の強さが必要でした。いわゆるアンガーマネジメントというやつです。そこで大事にしていたものを踏みにじられるという体験が必要だったんです」
「やっぱり俺を騙していたんじゃないか」
「いいえ。騙したわけではなく、計画を最後まで言わなかっただけですよ。必要がないことは言わない。オッカムの剃刀というやつです」
「ということは俺が千夏を止めに入ったのは……?」
品子のことだから、あの日の出来事はどこで見ていたのだろう。
「それを含めて良き情操教育でした。心の強さは一人だけでは成り立ちません。人の意見を聞き入れてこそ、感情をコントロールできたことになります」
俺はため息をついた。
品子の計画を阻止したつもりが、結局のところ手のひらの上で踊らされていただけのようだ。
「お約束していた報酬です」
品子は胸ポケットから一枚の封筒をとり出した。
「……正直、受け取りたくないな」
「なぜでしょうか?」
「受け取ってしまうと、裏社会の人間と正式に取引したみたいになるじゃないか」
これまでは弱みにつけ込まれて利用されてきただけだが、報酬を受け取ったら俺も裏社会の一員ということになってしまわないだろうか。
もちろん品子は聞く耳をもたなかった。
「そちらの都合なんて存じませんよ、先生。こちらは仕事の対価を払うだけです。嫌ならご自分で処分してください」
それはそれで面倒だ。仕方がなく俺は封筒を受け取った。期待していたわけではないが、思ったよりは薄かった。
「足がつかないように電子マネーでご用意させていただきました。中の紙に番号が印字されていますので、先生がいつも使うショッピングサイトに入れてください。なお、入力期限はございません」
期限切れで受け取れない、ということにもできないようだ。
とりあえずこの場はあきらめて俺は封筒をポケットに入れた。
「そういえば先生の同僚の常滑先生、学校をお辞めになったみたいですね」
「そうなんだ。マンションもすぐに引き払ってしまって、あいさつもできなかったんだ。一応、同期だったのに」
「ここだけの話、彼が退去する際に少しだけお手伝いしました。あの人から先生のことは漏れません。もちろんパソコン部の生徒に関しても。そこは保証させていただきます」
「……要するに口封じをしたってことか?」
「大丈夫ですよ。荒っぽいことはしていません。黙っているようにあくまで穏便にお願いしただけです」
「穏便、ねえ」
品子はベンチから立ち上がった。
「それでは先生。また何かありましたらお願いしますね」
「またがないことを祈っているよ」
品子は不敵に微笑んで公園から立ち去っていった。
「……さて、と」
俺は公園の時計を見上げた。
ちょうど約束の時間だったので、公園を出て駅前に向かった。
大会の後にできなかった打ち上げを、パソコン部の部員たちと今日やることになっていた。
約束していたファミレスに到着すると、入り口の前に聡明と鳳が立っていた。
「中で待っていてもよかったんだけど」
「もし先生が来なかったら自腹になっちゃうのよ。それはごめんなのよ」
「そんなに信用がないのか、俺は?」
「本当は聡明と店の中で待ちたくなかったのよ。まかり間違って誰かに見られてデートしてると勘違いされたら恥なのよ」
「なんだと、もじゃ髪! それはこっちのセリフだろうが!」
相変わらず鳳と聡明はいがみ合っていて、なんだかんだと仲が良い。
俺は周囲を見回した。
「千夏はまだ来てないのか?」
「あと5分くらいで到着するってメッセージが来てたのよ」
いいタイミングだったので俺は二人に訊ねた。
「事件のあった日、おまえたちも千夏と一緒にあの屋上にいたんだろ?」
「そうなのよ」
「そうだぜ」
「あの時、もしも千夏が本気で犯人を撃とうとしてたら、どうしてた?」
二人は顔を見合わせ、先に鳳が答えた。
「千夏っちゃんは一般人を撃ったりしないってわたしはわかってたのよ」
聡明はフンと鼻を鳴らして言った。
「オレはあいつが人を殺す覚悟をまだ持ってないことくらい見抜いていたぜ。それにもしも当てようとしたって、オレなら先に動いて止めるくらい訳もないからな」
俺は2人の言葉を聞いて安心した。
結局、俺が出しゃばらなくても千夏は大丈夫だったのかもしれない。
千夏は良い友達を持ったな、と俺は思った。
「あ、来たみたいなのよ」
鳳が歩道橋を渡ってくる千夏の姿を指さした。
俺たちが手を振ると千夏も気づいて振り返してきた。
「先生!」
千夏は表情をほころばせて走ってきた。
裏社会で育った人間とは思えないほど明るい笑顔だった。
おわり