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第二章


   2―1



 翌朝、七ツ森高校の制服であるジャンパースカートを着た千夏が職員室にやってきた。


 編入の話は聞いていたので心構えはできていたが、ギターケースを背負っていたのには思わず変な声が出た。


「く、梔子。その荷物はなんだ?」


「ギターケースです」


 千夏は悪びれなく答えた。入れ物はそうかもしれないが、問題は中身だ。


 俺はどうにかそれを預かりたかったが、置く場所がなかった。まさか職員室に置きっぱなしにするわけにもいかない。


 結局あっという間にホームルームの時間になってしまい、俺はギターケースを担いだままの千夏を連れて教室に向かった。


 廊下の途中で俺は千夏に訊ねた。


「そんな危ないものを持ってきて大丈夫なのか?」


「問題ありません。基本的に肌身離さずに持ち歩きますので」


「移動教室とかあるんだけどな。あと、誰かに開けられたりしたらどうするんだ?」


「ぼく以外は開けられないように認証ギミックが施されています」


 言いたいことはいろいろあったが、受け持ちである1年A組の教室についてしまった。


 仕方がなく教室に入れて生徒たちに千夏を紹介する。


 言うまでもなくみんなギターケースに注目した。


 一方、千夏は普通で礼儀正しい自己紹介を行った。


「梔子千夏です。家の都合で新学期から一月遅れの転入ですが、よろしくお願いします」


 七ツ森高校は偏差値が高く、基本的に大人しい生徒が多い。


 はやし立てたりツッコミを入れたりする生徒はいなかった。


 とはいえホームルームが終わると好奇心の高い生徒たちが千夏のところに集まってきた。


 ちょうど一限目の授業をすることになっていた俺は、ヒヤヒヤしつつも教壇から様子を伺ってみた。


「梔子さんって前はどこの学校だったの?」


「個人情報の開示は最低限に留めるように言われています」


「どうしてこの時期に転入?」


「転入に相応しい時期というものがあるんですか?」


「そのギターケース、本格的だね。軽音部とかに入るわけ?」


「仕事用なので中途半端なものを使うわけにはいきません」


「えっ? 仕事?」


 いきなり危うい会話になっている。


 俺は慌てて口を挟んだ。


「ちょっと早いが授業を始めるぞ。前回、遅れていたからな」


 俺は教師の立場を使って無理やり話を切り上げさせた。


 授業を始めたら静かになったが、この調子で大丈夫かと心配になった。


 ちなみにギターケース(の中に入っているスナイパーライフル)が机の横に立てかけられた。


 授業中に司令が来て、いきなり撃ったりしないことを祈るばかりだ。


 昼休みになった。職員室の席に戻って一息つくと、隣の席の常滑(とこなめ)先生が話しかけてきた。同期で同い年の数学教師だ。


「田島先生、かなりお疲れじゃないですか?」


「そう見えます?」


「そりゃそうですって。ただでさえ新学期でドタバタしてたのに、急遽、転入生まで追加で受け持たされてるじゃないですか。モンスターエレジーいりますか?」


「ありがとうございます。いただきます」


 俺が常滑先生から栄養ドリンクを受け取ると、職員室のドアが勢い良く開いた。


「お。七傑の一人がお出ましですよ」


 職員室の出入り口を見ると、乱れた髪に黒縁メガネをかけた女子生徒がこちらに向かってくるところだった。


「田島センセー。緊急事態なのよ。早急に解決してほしいのよ」


 七ツ森高校には突出した才能を持つ生徒を【七傑】と呼び習わす伝統がある。基本的には生徒間で使われている言葉だが、便利なので使っている教師もいる。


 今、俺の前にやって来たのは七傑のうちの一人、鳳杏(おおとりあん)だった。


 彼女は台湾からの留学生で、成績が飛び抜けて良い。IQが150あるという噂もある。


 クラスは2年C組。俺は授業を受け持ってはいないが、彼女が所属するパソコン部の顧問を任せられていた。


(田島先生、がんばってくださいね)


 常滑先生はそうささやくと、席を立って職員室から出ていった。


 話が長くなるのを察して食堂へ向かったのだろう。


 俺は常滑先生の椅子に鳳を座らせて話を聞くことにした。


 鳳は椅子の上に正座で座った。まあ、いつものことだ。


「部活のことでいいのか?」


「うん。それ以外で田島センセーのところには来ないのよ」


「で、何があったんだ?」


「パソコン部の新入部員がみんな辞めてしまったのよ」


「………………」


 俺はゆっくりと頭を抱えてうずくまった。


「……ということは、今、パソコン部は鳳が一人だけってことか?」


「そうなのよ。由々しきことなのよ」


「この前、部活勧誘で新入生が2人入らなかったか?」


「そうなのよ。その節はがんばってもらって感謝が絶えないのよ。だからわたしも驚いているのよ。まさか全滅とはよ。開いた口が塞がらないのよ」


「俺だってビックリだよ」


「田島センセーとは気が合うのよ」


「全然嬉しくないよ」


 鳳の話し方につられている場合ではない。


 俺は頭の中でパソコン部の状況を整理した。


 このままでは廃部になるからと、部活勧誘に駆り出されたのが先月のこと。俺が奔走したことでどうにか2人の新入生を獲得することに成功したのだが、まさか一ヶ月もたたずにゼロになるとは思ってもみなかった。


「そもそも何をすれば部員が同時に2人いなくなるんだ?」


「特別なことは何もしていないのよ。敢えて原因を探すのなら、放課後にリアル脱出ゲームをやったことかもなのよ。部室にスマートロックを設置して、解除プログラムを書けないと帰れないって企画(ハッカソン)をやったのよ。誰も成功できなくて最後は泣かれちゃったのよ」


「明らかにそれじゃないか。1年生どころか、大人だって普通はできないぞ」


「まさか部活からリアルに脱出されるとは思わなかったのよ」


「全然上手いこと言えてないからな?」


 何時までやっていたのかとか、守衛の人をどうやって誤魔化したのかとか、気になることはいくらでもあったが、怖いので訊かないことにした。


「……いろいろ言いたいことはあるけど、今は時間がないから論点を絞ろう。パソコン部が鳳一人だけになって、このままでは存続できないから、また部員探しに協力してもらいたい、ってことでいいんだな?」


「田島センセーは話が早くて助かるのよ。流石なのよ」


 ちなみに学校の規定では部活動として認められるためには3人以上の部員が必要だ。


 最低でもあと2人、どこからか見つけてこないといけない。


 本当は鳳一人にそこまでかまっていられないのだが、七傑の問題は優先的に解決した方がいいという教師間の不文律がある。放っておくと問題が大きくなる傾向があるからだ。


「とりあえず俺の方でもできることを考えておく。部員が定員割れを起こしても、一ヶ月以内なら大丈夫だったはずだ。今はまだそんなに焦らなくていい」


「田島センセーを頼りにしてるのよ」


 鳳はひとまず満足したようで、俺に手を振って職員室を出ていった。


 時計を見ると昼休みは残り10分を切っていた。


 午後一の授業もある。昼食をゆっくり食べる時間もない。



   2ー2



 七ツ森高校は16時にすべての授業が終わって放課後になる。


 といっても自由になるのは生徒だけだ。教員はそこから会議をしたり、それぞれの仕事に追われたりして、定時の17時になってもなかなか上がれない。


 その日も学校を出たのは20時だった。


 帰り道の途中にあるスーパーに寄ると、250円の高級カップラーメンが3つで600円になるセールをしていた。コーヒーに入れる牛乳と合わせて買っておいた。


 アパートに帰り着いた時には20時半だった。最近はずっとこんな生活だ。


 階段で三階まで上がり、ドアの前でポケットから鍵を取り出す。


 ふと気配を感じて振り返った。


 今しがた通過した通路に千夏の姿があった。傍らにはギターケース(に偽装したスナイパーライフル)も置かれている。


 俺は驚きのあまり後ずさった。


「い、いつからそこにいたんだ?」


「ずっとここにいました。先生が気づかずに素通りしたので、気配を表に出してみたんです」


 気配を消していたということだろうか。心臓に悪いからやめてほしい。


「……というか、こんなところでどうしたんだ?」


「今日は先生のところでゲームをしてくるようにと指示を出されていました」


「え、俺は何も聞いてなかったけど?」


 千夏が部屋に来る時には事前に品子から連絡が入るものと思い込んでいた。


「すみません。ぼくが学校で直に伝えればよかったんですが、てっきり先生も放課後になればすぐに帰ってくるものと思っていたんです」


「ああ。教員は17時までが勤務時間なんだけど、だいたい残業があるから平日はいつもこれぐらいになってしまうんだ。……って、もしかして放課後からずっとここで待ってた?」


「はい」


 高校からここのアパートまで徒歩で15分ほど。寄り道はしていなさそうだから、17時よりも前からここで待っていたのかもしれない。3時間以上か。


「ですがご心配には及びません」


「何が?」


「アパートの住人や通行人などに見られないよう、さっきみたいにずっと気配を消していました。誰にも見られていないはずなので、先生にはご迷惑はかけません」


 まあ、その点は確かに助かる。教師が生徒を自宅に招いていたと誰かに告発されようものなら、良くて減給、場合によっては免職になりかねない。


「ところで夕食はとった?」


「とっていません」


 予想通りではあった。


 千夏と接してみてわかったのは、大人しいけれども融通が効かないということだった。


「とりあえず立ちっぱなしもなんだから中に入るか」


 俺はドアの施錠を解いて千夏をアパートに招き入れた。


 前回と同じくローテーブルの前に座ってもらい、俺は夕食の準備を進めた。


 もしも俺がまともな大人だったら、世間知らずな生徒にしっかりとした料理を振る舞ったりしたかもしれない。


 が、俺がやったことは電気ケトルでお湯を沸かすことと、スーパーで買ってきたカップラーメンを並べることだった。ちなみに味は塩豚骨、赤味噌、油そばの三つだ。


「ここから好きなのを選んでくれ」


「先生が決めてください。好き嫌いはありませんので」


「いや。俺よりも先に千夏が決めてくれ」


「繰り返しますが、ぼくは好き嫌いがないんです」


 育ってきた環境が特殊すぎるというのもあるだろうし、本人に悪気がないのもわかっている。


 ただ、今後の学校生活を考えるともう少し自主性はあった方がいいと思った。


「そんなんだとこれから苦労することになるぞ」


 とりあえずその場は俺が塩豚骨を取り、赤味噌を千夏に与えることにした。


 電気ケトルのお湯を入れて3分待つ。


「好き嫌いについてですか? どういう時にでしょうか?」


 千夏に真顔で訊ねられた。


 いざそう言われると答えが出てこなかった。


「……例えばファミレスのドリンクバーとか、かな」


「ファミレスって何ですか?」


 別にふざけているわけではなく、本当にファミレスに行ったことがないようだ。


「ドリンクバーっていうのは、自分で好きなドリンクを持ってくることができるサービスなんだ」


「自分で好きな飲物を頼むのはお店としては普通のことではありませんか?」


「どれだけ頼んでも定額で飲み放題なんだ」


「ということはたくさん飲まないと損をするシステムなんですね。早食いチャレンジの類なんでしょうか?」


「………………」


 自分の説明が下手なのかもしれないが、いまいち上手く伝わらない。


 そうこうしている間に3分がたった。


 どうしてもドリンクバーについて教えたかったわけでもないのでカップラーメンを食べることにした。蓋を剥がして千夏に差し出す。


「さあ、食べようか」


「ありがとうございます。いただきます」


 俺たちはしばらく無言でカップラーメンを食べた。


 千夏は背が低くて食が細そうだったが、食べる速度は俺よりも早かった。


「食べるの早いな。もう1つあるけど食べるか?」


「いいえ。大丈夫です。不測の事態に対応できるよう、栄養補給は常に速やかに行うように言われてますので」


「ああ。そういうことね」


 確かに裏社会の人間としてしっかりと教育を施されているようだ。


 遅れて食べ終えると、俺はカップラーメンの容器を洗ってプラスチックゴミに分類した。


「……さて、と」


 時刻は21時を回っていた。片付けを終えた俺はリビングに戻って千夏に話しかけた。


「今日はもう遅いからゲームをしないで帰る、というわけにはいかないのか?」


 予想はしていたけれど、千夏は頭を左右に振った。


「今日は学校に通うことと、先生からゲームを教わるようにと言われて家を出てきました。指示には背きたくありません」


 千夏は毅然とした口調で答えた。たぶん説得するのは難しいだろう。


「わかった。じゃあ30分だけってのはどうだろう。こっちも遅くなると明日が大変だからさ」


「ありがとうございます。それでお願いします」


 俺はフォースバウンスを起動させて、千夏をパソコンの前に座らせた。


 基本的には前回と同じように、自由にプレイさせて気になった部分をアドバイスしていくことにした。


 2回目ということもあり、千夏はかなりゲームに慣れたみたいだった。流石に十代だけあって飲み込みが早い。


 が、あくまで初回と比べてということであって、まだまだ初心者の域は出ていなかった。


 俺は千夏のゲームを眺めながら明日からのことを考えた。


 また今日みたいに急に部屋に来られるのは困る。


 土日ならまだしも、平日は厳しい。


 そもそも生徒が教師の部屋に来るというのは望ましくない。


 品子から指示されているとはいえ、本来であればこれくらいの年齢の女子は気の合う友達と一緒にいるのが自然なことではないだろうか。


「千夏は部活に入ったりしないのか?」


 頭に浮かんだことを深く考えずに訊ねた後で、配慮が足りなかったかもしれないと思い直した。


「……って、すまん。もしかして家から禁止されてたりするか?」


「いいえ。特に禁止されてはいません」


 千夏はゲームを進めながら答えた。


「え、そうなんだ? 意外だったな」


「入りたい部活がないんです。好き嫌いがないように、ぼくにはやりたいことがありませんので」


「でも、ゲームはやりたいと思っているんだろう?」


「………………」


 千夏はゲームをする手を止めて俺を見てきた。


 ゲームの中のキャラクターも立ち止まる。


 彼女はしばらく虚を突かれたような顔をしていたが、やがてプレイを再開させた。


「……よくわかりませんが、もしかしたらそうなのかもしれないです」


「じゃあ、もしもゲーム部とかあったら入りたいか?」


「でも七ツ森高校にはそのような部活はありませんよね?」


 確かにない。eスポーツが流行ってきているとはいえ、まだまだゲームを部活にするというのはマイナーだ。


 俺は他に似ている部活がないか頭の中で検索した。


 将棋部? いや、ゲームはゲームでもボードゲームは全然別物だ。


 サバゲー部? うちの高校にはないし、千夏なら部活じゃなくて実際にやってるようなものだ。


 パソコン部? わりと近いかもしれないが、廃部寸前だ。


「………………」


「……先生? どうかしましたか?」


 千夏が俺の顔を見つめていた。


「あ、ああ。ごめん。ちょっと考え事をしていて」


 上手く行く保証はない。それどころか問題と問題を正面からぶつけ合うような荒療治だ。


 が、もしも上手くいけば一度に解決するかもしれない。


 俺は顔を上げて千夏に訊ねた。


「パソコン部に入ってみないか?」



   2-3



 翌日の昼休み、俺は呼び出した鳳に入部希望者がいることを伝えた。


「え? 昨日の今日でもう手配してくれたのよ? 田島センセーは優秀すぎるのよ」


「ちょうどうちのクラスで、まだどこにも所属してない生徒がいたから声をかけてみたんだ。わりと興味があるみたいだったから、今日の放課後に見学に連れていってみてもいいか?」


「もちろんなのよ。いの一番に部室を開けて待ってるのよ」


「ただちょっと条件付きっていうか、確認しておきたいことがあるんだ」


 俺は鳳の様子を伺いながら訊ねた。


「何なのよ?」


「パソコン部でゲームをやるってのは鳳的には大丈夫か?」


「ゲームって具体的にはどんなのよ?」


 後からこじれるのは避けたかったので、今のうちにはっきり伝えておくことにした。


「フォースバウンスとか」


 そんなの家でやればいいのよ、と言われる可能性は十分に考えていた。


 特に鳳は1年生の時に自らパソコン部を立ち上げたほどのパソコン好きだ。部室を自分の居場所のように考えている節がある。


 俺の予想に反して、鳳はあっさりと頷いた。


「別にかまわないのよ? ゲームってとどのつまりはプログラムなのよ。こちらからの入力に対して出力で返してくるわけだけど、それを手段として使うのがアプリケーションで、過程を楽しむのがゲームなのよ。基本的にそこに違いはないと思うのよ。ちなみにわたしもフォースバウンスの心得はけっこうあるのよ」


「どれくらい?」


「半年くらいなのよ」


「ということは全然かまわないってことか?」


「自分も新入生に逃げられて反省したのよ。パソコン部だからといってパソコンにこだわりすぎない方がいいって気づいたのよ」


 どうやら望んだ方向に転がったようだ。とりあえず第一関門突破といったところか。


 放課後、俺は千夏を引き連れて部室に向かった。


 ちなみに千夏は初日の宣言通り、校内でもギターケースを背負っている。


 周りからはアーティスト志望の不思議ちゃん、という風評が定着しつつあるようだ。


 俺は廊下を歩きながら千夏に説明をした。


「パソコン部の先輩はちょっと癖のある人物だけど、頭がいいやつだから、馬が合えば上手くやっていけると思う」


「了解です。馬を合わせて上手にやるように努めます」


「………………」


 別にふざけているわけではないのだろうが、ちょっと心配だった。


「鳳。連れて来たぞ」


 部室に到着した俺はノックをしてからドアを開けた。


 パソコン部の部室はもともと教材準備室だったところを借り受けたものだ。テーブルとパソコン、配線などでけっこう狭い。


 鳳はこちら側に背を向けてパソコンに没頭していた。


「鳳? おーい、鳳」


「しっ! 今集中してるから話しかけないのよ!」


 振り返りもせずに怒られた。


「……まあ、こういうやつなんだ」


 仕方がなく俺と千夏は手前のパイプ椅子に座って鳳を待った。


 鳳は打鍵音を激しく鳴らしながらタイピングをしている。モニタ上には大量の文字列がスクロールしていくばかりで、何をやっているのかさっぱりわからなかった。


 ッターン、という音を最後に鳳は手をとめた。


「……ふう。EOF(エンドオブファイル)なのよ」


「終わったか?」


「のよッ!?」


 声をかけると鳳は椅子の上で飛び跳ねた。


「た、田島センセーはいつの間にいたのよ? 驚かせないでほしいのよ」


「入ってきた時にちゃんと声をかけただろ」


「そ、そうなのよ? 集中していてよく聞こえていなかったのよ」


「で、何をやってたんだ? ゲームには見えなかったけど」


「ああ、これなのよ? 守秘義務があるから詳しいことは言えないけど、ハッキングを受けてる大手企業から急遽、セキュリティプログラムの書き換えを頼まれたのよ。侵入を水際で防ぎつつ、根幹となるプログラムをリアルタイムで書き変えて、どうにかギリギリで間に合ったのよ」


 どこまで本当の話なのか俺には判断がつかなかった。


 不意に鳳が首をひねった。


「もしかしてセンセーの横にいるのが入部希望者なのよ?」


 ようやく千夏の存在に気がついたらしい。


 千夏は一歩前に出て礼儀正しく頭を下げた。


「はい。1年Aクラスの梔子千夏と申します。よろしくお願いします」


 何も問題のない自己紹介のはずだった。


 それなのに鳳の表情が急変した。


 猫が体毛を膨らますように、千夏の長い髪が総毛立つ。


 鳳は椅子から飛び降りると一気に距離を詰め、千夏の手を取った。


「本当に梔子千夏なのよ!? 光栄なのよ!」


「どうしてですか?」


「クチナシ・ファミリーの秘蔵っ子、梔子千夏と出会えて光栄じゃないわけないのよ!」


 瞬間、千夏の目の色が変わった。


 握られていた手を振りほどき、一瞬で鳳の背後に回って首に腕を回していた。


「よよよよ! な、なんかこれはヤバイのよ!?」


「な、何をしているんだ、千夏!」


「どこで組織名を知りましたか?」


 千夏の声はこれまで聞いたことのないほど冷たいものだった。


「は、話すからその前に腕を緩めよよよ」


「千夏! やめろ!」


 俺が叫んでも千夏は鳳を離そうとしなかった。


「クチナシ・ファミリーを知っているということは、一般人ではない可能性があります。素性が明らかでないうちは拘束を解けません」


「よよよよ」


「まともに話せてないじゃないか! 鳳は大丈夫だ。俺は去年から部活の顧問をやってきたからわかってる。ちょっと変だけど一般人だ。離してやってくれ!」


「……よ、よ、よ」


 鳳はもう変な唸り声しか出せずにいた。


 千夏はそれを見てわずかに腕を緩めた。


「弱体化したので15秒間だけ緩めます。その間にクチナシ・ファミリーを知っている理由を言ってください」


「ぷはあ!」


「鳳! 早く説明するんだ!」


 鳳は息も絶え絶えに口を開いた。


「わたしはハッカーの【ペパーミント・イエティ】なのよ!」


 ハッカ? ペパーミント?


 何を言っているのか俺にはわからなかったが、千夏は既に鳳の拘束を完全に解いて体を離していた。


「存じ上げていなくてすみませんでした」


 千夏が深々と鳳に頭を下げていた。


 一方、解放された鳳は涙目になりながらも両手を振って答えた。


「いいのよ。いきなり組織名を口にしたわたしの不注意だったのよ」


 俺は呆然としながら二人に訊ねた。


「……悪いけど全然話が見えてこないんだ。どちらか説明してくれないか?」


「あれ? 田島センセーもいたのよ?」


「いたよ! どれだけ俺の存在感が薄いんだ。というかまずペパーミント・イエティって何だ?」


「先生には秘密にしていたけれど、わたしは裏社会でサイバー関係の仕事を請け負う、いわゆる凄腕ハッカーなのよ」


「……自分で凄腕って言うのか」


「事実、凄腕です」


 千夏が鳳の話を引き継いで言った。


「ペパーミント・イエティさんにはクチナシ・ファミリーの業務委託をやってもらっています。うちはサイバーやデジタル関係に詳しい人が少ないので、とても助かっているんです」


「それはお互い様なのよ。わたしもクチナシ・ファミリーから仕事を回してもらって大助かりなのよ。ウインウインなのよ」


「ハッカーって企業のシステムに潜入して情報を盗んだり、暴走したAIを食い止めたりするやつか?」


 俺は映画でよく見聞きするイメージで訊ねてみた。悲しいかな、それくらいの知識しかない。


「流石に自我に目覚めたAIと戦ったことはないけど、概ねそんな感じなのよ」


「………………」


 もしかして俺がフォースバウンスにチートプログラムを入れたことがクチナシ・ファミリーにバレたのは、鳳が関与していたのではないだろうか。


 しかしすぐに考えるのをやめた。わざわざ自分の恥をさらしかねないことを口にする必要はない。


「とりあえず鳳も裏社会の人間だってことはわかった。でも、お互いの顔は知らなかったのか?」


「クチナシ・ファミリーから仕事をもらう時はいつも品子さんとやりとりしていたのよ」


「ああ。あの人が営業窓口ってわけか」


「ただ、千夏はクチナシ・ファミリーの秘蔵っ子として裏社会では有名だったから、名前だけはよく見聞きしていたのよ。だから急に出会えて思わず興奮しちゃったのよ」


「……裏社会の人間にも有名とかあるのか」


「あるに決まっているのよ。クチナシ・ファミリーは三大組織のうちの一角なのよ。一般人にわかるように言うなら、ジャンプ、マガジン、サンデーのうちのジャンプなのよ。要するに千夏はジャンプ編集部の期待の大型新人みたいなことよ」


 例えが適切なのかはともかく、鳳の言いたいことはわかった。


 一時は校内での暴力事件になったかと思ってハラハラしたが、どうにか丸く収まりそうだ。


 さておき、本来の目的を進めなければならない。


「で、話が反れてたけど、千夏をパソコン部に入れても大丈夫か?」


 鳳は長毛を上下に振るようにして頷いた。


「当然なのよ。千夏さんと同じ部活にいられるなんて願ってもないことなのよ。是非ともよろしくお願いします」


 いきなりの敬語だった。よほど千夏と一緒にいられるのが嬉しいようだ。


「こちらこそ改めてよろしくお願いします。ところでどう呼べばいいですか? 鳳さん? それとも杏さん? それともペパーミント・イエティさんですか?」


「口汚くもじゃ髪って罵ってもらいたいのよ」


「何を言ってるんだ、おまえ」


 ともあれどうにか俺の試みは成功し、パソコン部が2人になった。


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