第一章
プロローグ
2人の少女と1人の少年が雑居ビル内の非常階段を駆け上がっていく。
マウンテンパーカー姿の少女はギターケースのような荷物を背負っている。
かなりの大きさにも関わらず、前の二人にまったく遅れずについていっている。
先頭の少年が階段を上りきった先で足を止めた。
振り返ってもう一人の眼鏡の少女に声をかける。
「おい、もじゃ髪。セキュリティをさっさと外せ!」
「うるさいのよ。すぐやるから無駄吠えしないのよ」
メガネの少女はスマホを取り出し、ドアの横のセキリティにケーブルをつないだ。
素早い指さばきでタップしていくと、数秒とかからずにロックが解除された。
冷たい風が吹き込んでくる。
ドアの外は屋上だった。
「ターゲットの部屋は?」
少年が周囲を見回しながら言った。
辺りは暗闇に覆われていて建物の輪郭しか見えなくなっていた。
「大丈夫です。把握してあります」
マウンテンパーカーの少女が荷物を下ろした。
中から取り出した部品を慣れた手つきで組み立てていく。
あっという間にスナイパーライフルを完成させた。
少女は方角を見定めてからスタンドを固定し、腹ばいになった。
スコープを覗き込んで真向かいにあるマンションの一室に狙いをつける。
「ターゲット、確認です」
「こっちも準備できたのよ」
メガネの少女がマウンテンパーカーの少女にヘッドセットを被せた。
「通信と盗聴器をつなげておいたのよ」
「ありがとうございます。先輩」
少年がマウンテンパーカーの少女に声をかけた。
「ここまでついてきておいてなんだけど、本当にいいのか?」
「いいです」
少女の返事に迷いはなかった。
「なら、オレはもう何も言わねえぜ」
3人はそのまま屋上で待機した。
15分後、2発の弾丸が屋上から発射された。
1―1
ゲームでチートに手を出したら殺し屋に狙われるようになった。
何を言っているのかわからないと思うが、当事者である俺が一番わかっていない。
ひとまず落ち着いて事の始まりを振り返ってみよう。
高校教師になって4年目の春のことだった。
「教師は公務員だから気楽でいいよな。学校は定時で終わるし、夏休みや冬休みもあるんだろう? 子供を相手にしているだけで給料もらえるなんて最高じゃん」
たまに学生時代の友人に会うと、決まってこんなことを言われる。
もはや一種のお約束みたいなものだ。
でも、もちろん実際はそんなものじゃない。
授業を普通にできれば御の字で、実際には生徒の数だけ問題が起こる。保護者ともモメる。他の先生ともコジれる。メンタルだってヘラる。
自分は教師に向いていないと思うことは日常茶飯事で、三日に一度は退職を考える。
一向に上達しない綱渡りをしているようなものだ。
そもそも俺は教師になりたかったわけではない。
大学在学中に唯一取れた資格が教員免許だけで、それを活かすしかまともな就職先を見つけることができなかったのだ。
そんな弱々な俺でもどうにか今日までやってこられたのは、ひとえにゲームのおかげだ。
俺は学生の頃からゲームが趣味で、特にオンラインでのバトルロイヤルゲームが好きだった。
一度に複数のプレイヤーが舞台となるフィールドに降り立ち、最後の一人になるまで戦い抜くアクションシューティングだ。
ルールはシンプルだけど、試合ごとにプレイヤーが入れ替わり、運の要素も強いため、一度だって同じ試合にはならない。毎回新鮮でナラティブなゲーム体験ができる。
ちなみに今やっているのはTPSの【フォースバウンス】。
ちょうど俺が教師になった3年前からサービスが開始され、今では全世界で一番有名なバトルロイヤルゲームだ。
どんなに仕事がきつくても、週末にフォースバウンスをやることで俺は正気を保っていたのだった。
ところが最近、フォースバウンスの様子がおかしい。
前に進んでいるはずなのに後ろに戻っていたり、敵に攻撃を当てたはずなのに当たっていなかったりと、まるでスタンド攻撃でも受けているかのように奇妙な出来事が頻出していた。
噂では3月に行われた大型アップデートのせいで致命的なバグが出ているとか。
このままでは安心してプレイできないじゃないかと心配していた4月の中旬の週末、決定的な出来事が起きた。
チーターと遭遇してしまったのだ。
新学期のバタバタで心が荒んでいた俺は、この日のフォースバウンスでは絶対にビクトリーファイナル(バトルロイヤルで最後の一人まで勝ち残ること。最高の栄光)を取ろうと心に決めていた。
チャンスは10回目のトライでようやく巡ってきた。
すべて最高ランクの武器で身を固め、安全地帯の高所に陣取り、残った敵は1人だけ。
ビクトリーファイナルは目前。いや、もう獲得したも同然だった。
敵の姿は見つけられずにいたが、これならどんな相手でも勝てるはずだった。
瞬間、真上から攻撃が降り注ぎ、体力があり得ない速度で削られた。
俺は訳がわからないままダッシュでその場を離れた。
さっきまでいた場所に次々に攻撃が着弾していく。
射線を目でたどると、太陽の中に人型のシルエットがあった。
フォースバウンスには基本的に空を飛ぶ能力はない。
例外としてバウンサーという跳躍をするアイテムはあるが、あくまでも一時的な効果しかない。
またバグかと思いながらも俺は走り続け、資材置き場の建屋に滑り込んだ。
雨のように降り注ぐ攻撃を屋根でしのぎながら、窓から敵の位置を補足する。
そいつはまだ太陽の中に留まっていた。
俺はスナイパーライフルで渾身の一撃を放った。
大口径弾が重力に逆らって急上昇し、頭部を貫くヘッドショットの音が響いた。
スナイパーライフルは当たればダメージが100。ヘッドショットなら2倍の200になるので、敵の体力がMAXだったとしても一撃必殺となる。
ビクトリーファイナルだ!
と思いきや勝利を称えるエフェクトは現れなかった。
直後、建物の周りで爆発が巻き起こった。
グレネードによる攻撃だったが、爆風が連鎖して止まらない。
明らかに通常の所持数ではなかった。
建物は外側から破壊されていき、俺はとうとう丸出しになった。
また真上から撃たれる、と警戒したものの何も降り注いでこなかった。
太陽を見上げるとシルエットがなくなっていた。
視線を地上に戻すと目の前に【ゴールデンエンパイヤー】が立っていた。
それは目撃できたらラッキーと言われているほどの激レアスキンだった。
が、俺はその姿を見て確信した。
こいつは違法行為をしているプレイヤー、いわゆるチーターだ。
敵は武器を構えずに直立不動のままで立っていた。
俺も動かずに相手の出方を伺った。
動いたかと思うと、手首をクイクイと内側に動かして手招きをしてきた。
普通、敵と至近距離で向かい合っている時にそんなエモートはやらない。
隙が生じるからだ。要はなめられている。
俺は武器を瞬時に切り替えてアサルトライフルを一斉掃射した。
自分で言うのもなんだが、武器の切り替えから発砲までの速度には自信があった。
余裕を見せたのを後悔させてやる。
ところがアサルトライフルの弾はことごとく外れた。
チーターは小刻みに揺れるようにして紙一重で弾を避けていた。
見切られている。いや、そもそも見切ったところでこんな動きができるわけがない。
しかし俺だって伊達に3年間フォースバウンスをやり続けてきたわけではない。
俺は連射をやめ、リズムをズラして撃ち込んでいった。
撃、撃、止、撃、止、撃、撃、撃。
リズムを読めなくなったチーターに攻撃が当たり出した。
一発、二発、三発。ヘッドショットも入った。
いける。このまま一気に畳み掛ける。
思わず体が前のめりになった瞬間、正面から弾が飛んできた。
通常は一発撃つごとに装填が必要な大口径弾がほぼ同時に三発だった。
しかもスナイパーライフルを構えて撃つというモーションが一切なかった。
予備動作がないものには俺も対処のしようがない。
俺は三発の大口径弾に体を貫かれた。
表示されたのは味気ない2位の文字。
画面に残った相手は勝利を自画自賛するダンスを踊っていた。
「なんなんだ。くそっ!」
フォースバウンスでこれほど理不尽な目に遭ったのは初めてのことだった。
頭に来た俺はフォースバウンスを終了させ、すぐにネットで「フォースバウンス チート」と検索をかけた。大量の情報がヒットした。
俺がチーターに出会ったのは今日が初めてだったが、世の中には思った以上にはびこっているらしい。SNS上にも不平不満が溢れかえっていた。
『チーターにやられた。萎えた』
『攻撃が効かないんだけどひどくない?』
『運営、チートをさっさと取り締まれよ』
どうやら3月に行われたアップデートのバグが原因で、チーターが急激に湧いているのだそうだ。
「で、どうすればいいんだ?」
俺が必要としているのは共感ではなく解決法だ。
このままでは次またいつチーターにやられるかわかったものではない。
ストレス発散のためにプレイしているのに、逆にストレスがたまってしまっては本末転倒だ。
俺は躍起になって「フォースバウンス チート 対処法」で検索を続けた。
ページはたくさん出てくるのに、どこもだいたい同じことしか書いていなかった。
『チーターに遭遇したら速やかに運営に通報すること』
それはそうだろうが、俺が求めているのはもっと即効性のあるものだ。
言うなれば目の前で万引きが行われているのに現行犯逮捕ができず、後から警察に被害届を出すようなものだ。歯がゆい。
どれくらい検索結果のページを送っていっただろう。
不意に「毒をもって毒を制す」と銘打たれたサイトが俺の目に止まった。
「……おお」
わずかに目を通しただけで俺は思わず声が出た。
そこはまさにフォースバウンスのチーターを告発するサイトだった。
『チーターはゲームバランスを崩し、ユーザー離れを加速させ、サービス終了を引き起こしかねない害悪であり、絶対に野放しにしてはいけないのです』
「まったくだ!」
俺は前のめりになってサイトの続きを読んだ。
では、具体的にはどうすればいいのか。
『それは対チーター用のプログラムをインストールすることです』
「………………?」
そのサイトの最後にはダウンロード用のリンクが貼られていた。
なんでもこのプログラムをインストールするとフォースバウンスのパラメータを自在に調整することができるようになるという。
例えば体力は通常MAXで200だが、これを1000や2000に上げることもできるし、移動速度や弾倉の数まで任意に変更できるのだそうだ。
『倒したいチーターに合わせて調整しましょう』
どういう原理になっているのかわからないが、本当だとしたらすごい。
確かにこれならチーターと対等に渡り合うことができるかもしれない。
俺は早速プログラムをダウンロードした。
保存したファイルをクリックすると自動でインストールが行われた。
パソコンを再起動後、フォースバウンスを立ち上げる。
普段の画面の他に、細かい文字が並んだ別枠のウィンドウが開かれていた。
どうやらここでパラメータを変更できるようだ。
適当にいじっていると、近くを一人のプレイヤーが通りかかった。
目が合った途端に相手は攻撃を仕掛けてきた。
俺はパラメータの閉じ方がわからずに反応が遅れてしまった。
飛んできた弾が頭に当ってヘッドショットが決まる。
ヤバイ。やり直しか、と思ったが、体力は少しも減っていなかった。
相手は攻撃を重ねてきたが、まるで体が金属になったみたいにダメージが通らない。
弾を撃ち尽くしたところを見計らい、俺は反撃に転じてみることにした。
別枠ウィンドウから適当に選ぶとアサルトライフルが出現した。
試しに一発だけ撃ってみる。
最もダメージの低い足に当てたはずだったのに、相手を溶かすように倒してしまった。
「……な、なんだこれ。すごい。すごすぎる!」
下がっていたテンションが一気に湧き上がってきた。
これならチーターに出会っても対等、いや、それ以上に渡り合うことができる。
「待ってろ、チーター! 俺が必ずや見つけ出してやるからな!」
俺はその日から毎日欠かさずフォースバウンスをプレイした。
一週間後、ついにその時はやって来た。
アカウントが凍結されてフォースバウンスに入れなくなっていた。
1―2
違法行為がバレてサービスにログインできなくなることをアカウントバン、俗に垢BANという。
俺はしばらくその事実に気づかなかった。
ログインできなくてもサーバーが混雑しているか、もしくはバグでも発生しているものと思い込んでいた。
しかし数数日たっても入れなかったことから、さしもの俺も現実を受け入れざるをえなくなった。
チート行為が運営にバレたのだ。
俺はチーターを狩るつもりでフォースバウンスをやっていた。
しかしやっていることはチーターと同じだった。
本当は薄々わかっていたのだけど、気づかないフリをしていたのだ。
これからどうなるのだろうか?
このままフォースバウンスに入れないままなのか、ほとぼりが冷めたところで許してもらえるのか。
もしかしたら訴えられたりするのかもしれない。ある朝、急に警察がやってくるとか?
そんな戦々恐々としていたある日のことだった。
『違法行為についてお話があります。本日23時、桂木公園にいらしてください』
そのメッセージが届いたのはフォースバウンスにログインできなくなった翌週の金曜日のことだった。
差出人は不明。件名はなく、本文もそれだけだった。
怪しい。スパムかもしれない。
無視できなかったのは公園の名前が俺のアパートと職場の高校を繋ぐ通り沿いに実在していたことだった。
初めはフォースバウンスの運営会社【ミシックゲームス】からのメールかと思った。
それならそれで会社名を明記するだろう。わざわざ伏せて呼び出す意味がわからない。
結局、俺は22時50分に桂木公園にやってきた。
桂木公園は中央にアナログの柱時計が立っており、周辺を囲うように街灯が並んでいる。
金曜の夜とはいえ時間帯が遅いためか、人の気配はなかった。
俺は街灯が切れて暗がりになっているベンチに腰を下ろした。
ここからならやってきた人間を一方的に観察できるし、ヤバそうだと思ったら会わずに帰ることもできる。少し早めに来たことが功を奏した。
指定された23時になった。
柱時計の前には誰もやって来なかった。
「……悪戯かよ」
肩透かしを食らった気分だったが、ホッとしてもいた。
俺はアパートに帰ろうとベンチから立ち上がろうとした。
その時、後ろから気配が生じて耳元で声をかけられた。
「こんばんは。田島悟先生」
「うわっ!」
俺は思わず飛び上がって街灯の光が届くところへ転がり出た。
距離を取ってから背後を振り返ると、闇に紛れるようにダークスーツ姿の女が立っていた。
「そんなに驚くことないじゃないですか。女性に対して失礼ですよ?」
女性は足音を響かせながら進み出てきた。
街灯の光が顔を照らし出す。
俺と同じくらいの歳だろうか。25~27くらいに見える。
ショートヘアで右目を覆い、左目だけで俺を見てきていた。
口元には笑みが讃えられていたが、どことなく冷たさもある。
「……あんたがメールの差出人?」
相手に気取られないように息を整えながら俺は訊ねた。
「そうですね。申し遅れました。私、こういう者です」
ダークスーツの女は胸ポケットから名刺を取り出して俺に差し出した。
本当は近づきたくなかったが、相手を刺激しないために前に出て名刺を受け取った。
真っ黒な台紙の上に白い文字が刻まれていた。
【クチナシ・ファミリー構成員 梔子品子】
「……クチナシ・ファミリー?」
「知りませんか。業界の中では有名な組織なんですけどね」
「大企業?」
「企業と言ったら語弊がありますが、体裁としてはそうなっております。もっとも知らないのであればそれに越したことはありません。その方が健全です」
「知らない方が健全な組織から俺は今、呼び出しを受けたってことか?」
「おや? そうなりますね。ということは田島先生は不健全ってことでしょうか?」
梔子品子は口元に手を当ててクスクスと笑った。
左目は笑っていたが、隠れている右目はどうなっているのかわからない。
さっきから俺はずっとただならぬ気配を感じ取っていた。
「どうして俺の名前を知っているんだ?」
「それは田島先生が先生だからじゃないですか? 教育者というのは社会的な地位も高いですし、地域では十分に有名人かと」
「……そういう建前っぽいことはいいんで、俺を呼び出した本当の理由を言ってくれ」
俺の質問に対して梔子品子は質問で返してきた。
「どういった用件で呼ばれたのか、心当たりはございますよね?」
「……ゲームでのチート行為だろ?」
「そうですね。先生は電子計算機損壊等業務妨害罪の疑いがあります」
いきなりその罪状を聞かせられていたらビビっていたかもしれない。
が、幸い俺は事前に調べて心構えは用意しておいた。
「でも、あんたはゲーム会社の人ってわけじゃないんだろ?」
普通のゲーム会社なら夜の23時に公園に呼び出してきたりはしない。
「はい。私はさきほどお渡しした名刺の人間です。フォースバウンスを運営している会社の者ではありません。ただ、ミシックゲームズより田島先生の処遇についての権限を譲り受けています。つまり田島先生が行ったチート行為に対して、アカウントを剥奪するか、無罪放免とするか、罪に問うか、私の判断に一任されているのです」
「そんな話、聞いたことがない。社内の判断を別の企業に委ねるなんて。世間知らずな教師でもそれくらい変なのはわかる」
「ところが私の所属しているクチナシ・ファミリーはその手のことを専門で扱う組織なのです」
最初から良い予感はしていなかったけれど、予想以上に厄介な状況に巻き込まれてしまったようだ。
「……結局、俺に何をさせたいんだ?」
「おや? もしかしてこちらの意図を理解していただけましたか?」
「要するにチート行為を周りにバラされたくなければ言うことを聞け、ってことなんだろ?」
「理解が早くて助かります。流石は高校の先生ですね」
よく言うよ、と俺は心の中で愚痴った。
やたらと教師であることを強調してくるのも、社会的立場を意識させて断りにくくしているのだろう。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。先生なら特別に難しいことではありません。私たちは一般人には一般的なことしかお願いしませんので」
「……一般的、ねえ」
言葉通りに受け取れるほど俺は楽観主義ではない。
「先生には私のイトコに教えてもらいたいことがあるんです」
「勉強でも見てやればいいのか?」
「いいえ。田島先生にはゲームを教えてもらいたいんです」
「……は?」
1―3
翌日は休みなのに平日と同じ午前6時に目が覚めた。
本当はもっと寝ていたかったのだけど、気持ちが落ち着かないのでベッドを出た。
人間は寝ている間に頭の中の出来事を整理すると言われている。
だからなのか、未だに昨夜のことが納得できずにいた。
とりあえず気持ちを落ち着けようとコーヒーを淹れることにした。
豆から轢いてドリップし、沸かした牛乳を加えてカフェオレにする。
同僚の中にはブラック一択という先生もいるが、俺にとってのコーヒーはミルク分が多ければ多いほどいい。
カフェオレが出来上がると俺はパソコンを立ち上げ、フォースバウンスを起動させた。
昨日までは何度試してもログインできなかったのに、今日はあっさりと中に入れてしまった。
念のためデータもくまなく調べていった。4年間かけて獲得していったスキンやエモート、トロフィーなどは残っていた。思わず安堵のため息が漏れた。
ちなみにチートプログラムはパソコンから既に消去しておいた。何かの拍子に起動して、再び運営に目をつけられたくはない。
これで昨夜の出来事がなければ、俺はそのままフォースバウンスを再開していただろう。
しかし今日は10時から来訪がある。昨夜、梔子品子が言っていたイトコだ。
15歳ということだけは聞いていたが、それ以外の情報はない。
俺は時間になるまで部屋の掃除をすることにした。機嫌を損ねないように丁重に迎えなければならない。
9時59分になると玄関のインターフォンが鳴った。
俺の部屋の壁かけ時計は1分遅れているので、実際には10時ピッタリの訪問だった。
掃除はまだ少し残っていたけれど、俺は速やかに玄関に行って鍵を外した。
ドアを開けたら目の前に黒いモノリスがあるのかと思った。
視線を下げると背の低い女子が立っていた。
形の整ったマウンテンパーカを着込んでいて、フードを頭にかぶっている。背中に担いでいるのはギターケースだった。体が小さいせいでギターケースがモノリスのように大きく見えたのだ。
「梔子千夏です。今日はよろしくお願いします」
深い角度でお辞儀をされて俺は戸惑った。
「あ、ええと、田島悟です。こちらこそどうも」
名字が品子と一緒なので間違いはないだろう。イトコという話だったが、確かに目の辺りに面影がある。
ただ、女子というのは意外だった。教師といえど男の部屋に寄越してくるからには男子だと思い込んでいたのだ。
とはいえこのままドアの前で待たせておくわけにはいかないし、アパートの他の住人がいつ通りかかるかもわからない。
「とりあえずどうぞ」
「お邪魔します」
千夏は会釈をして中に入ってきた。
アパートの入り口は狭いのでギターケースが壁にぶつからないか心配したが、千夏は持ち運び慣れているようで、危なげなく通っていった。
千夏はリビングに入るとギターケースを壁にたてかけた。
それからマウンテンパーカーのフードを外した。
ローテーブルを囲むようにして座る。
「………………」
「………………」
何を話せばいいかわからなかった。
一応、学校ではこれくらいの年齢の女子を相手にしているし、苦手なわけではない。
ただそれは学校で、俺が教師という役割があるからだ。
ここは学校ではなく、俺の部屋だ。
相手のことも全然知らない。とにかく共通の話題がない。
とはいえこのまま沈黙を続けるわけにもいかないので、俺は形だけでも話しかけてみることにした。
「ここまで来るのに迷わなかった?」
「事前に場所は調べてきましたので迷いませんでした」
「朝食は食べてきた?」
「栄養補給は定時に済ませています」
「好きな食べ物とかある?」
「偏食は栄養バランスが崩れるので好き嫌いはありません」
「……それは、いいことだ」
質問にはちゃんと答えてくれるし、一言で済ませるわけでもない。
ただ、いまいち広げようのない返答の仕方だった。自己完結しているというか。
再度、沈黙になる。こちらが黙ると向こうも黙る。
さて、どうしたものか。
考え込みそうになったものの、ふと無理することもないなと気がついた。
そもそも俺が梔子品子から頼まれたことは「ゲームを教えること」だ。
仲良くなることではない。言われた通りのことだけをやればいいのだ。
……が、そもそもゲームを教えるって何だ?
ゲームといってもスマホのアプリからボードゲーム、鬼ごっこ、しりとりなどいくらでもある。遊び=ゲームとさえ言えるくらいだ。
「何かしたいことある?」
念のために訊ねてみたが、千夏は簡潔に答えた。
「やれと言われたことはやりますが、ぼくがしたいことは特にありません」
ないのかよ、と言いそうになったが、この年頃の女子は言葉通りには受け取れないところがある。
俺は少し考えてから立ち上がり、パソコンの前に移って電源を入れた。
確証があったわけではないが、物事の発端となったのがフォースバウンスだったから、これが正解のような気がしたのだ。
案の定、モニタにフォースバウンスが映ると千夏が顔を上げた。
「このゲームに興味はある?」
しばらく間があったが、千夏は意外と素直に頷いた。
「はい」
「やったことは?」
「ないです」
「でも、知ってはいるんだ?」
「スマホから勧められた動画で見たことがあったんです」
「ああ。最近、そういうの多いよな。閲覧履歴から自動でオススメしてくるやつ」
「1つ見たら、次々に同じような動画ばかり出てくるようになりました」
「じゃあ、実際にやってみようか」
俺がそう言うと千夏は立ち上がってパソコンの前へやってきた。
「ちょっと待ってて」
俺はゲームパッドをつなげて千夏に差し出した。
普段フォースバウンスをやる時はキーボードとマウスを使っているのだけれど(いわゆるキーマウ勢だ)、初心者には流石に敷居が高いと思ったのだ。
「ありがとうございます」
千夏はゲームパッドを受け取った。
「あ、上下が逆だよ」
「逆?」
千夏はゲームパッドを裏返した。
ボタンが裏側に行ってしまったのを見て、千夏は不思議そうに首をひねっていた。
ツッコミ待ちなのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「もしかしてゲーム自体が初めてだったりするのか?」
「はい」
数学をやらせようとしたらまず算数から教えなければならなくなった、と数学の同僚が愚痴っていたのを思い出した。
俺は世界史担当なのであまりそういった経験はしてこなかったが、なるほどこういうことかと妙に納得した。
とはいえこれは授業ではない。時間内に教える範囲が決まっていれば別だが、具体的な指示は受けていないのだ。
俺はまず正しい持ち方をして見せた。
百聞は一見にしかず。最近のゲームパッドは人間工学に基づいているので、一度正しい持ち方をすれば自然と手に収まるようになっている。箸の持ち方よりも覚えやすいはずだ。
「こうですか?」
「そうそう」
「取り扱い方を記憶しました」
次は選択と決定。スティックで好きな見た目を選ばせ、ボタンで決定させる。
千夏が選んだのは黒い格好の殺し屋の【ノワール】だった。梔子品子にどことなく似ている。
ちなみにフォースバウンスのスキンはゲームの難易度には直接影響はしない。見た目を変えるだけのものであり、パラメータが強くなったり弱くなったりは一切ない。あくまでプレイヤーの気分の問題だ。
しかしここからが問題だった。
フォースバウンスは見た目の割にけっこう難しいゲームだ。
チュートリアルはなく、いきなり実践(実戦?)あるのみ。倣うより慣れろという、という仕様だ。
「一応訊いておくけど、他にもっと簡単にできるゲームもあるけど大丈夫か? パズルとかさ」
「パズルというのは何ですか?」
外国語を聞いたみたいに首をかしげられてしまった。
「いや、いいんだ。そのまま続けよう」
こちらが気を回すことでもないと思い直した。
あくまでこれは脅迫されて仕方がなく応じていることだ。
やりたいようにやらせるのがベストだ。
とは思ったけれども、やはり初心者には無茶だったかもしれない。
フォースバウンスは空から飛び降りるところから始まり、フィールドに着地し、自分で武器を集めて、最後の一人になるまで他のプレイヤーと戦い抜くバトルロイヤルゲームだ。一度慣れてしまえばシンプルにも思えてくるが、流れがつかめるまでがけっこう難しい。
まず1回目は崖から落ちて死んだ。2回目は敵に即座に殺された。3回目でようやく武器を手に入れたが、撃ち方に戸惑っている間にやはり敵に倒された。4回目はグレネードで自爆。5回目は……以下、延々とザコ死している。
流石につまらないんじゃないだろうか。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
千夏の返事の仕方は少々不安だった。
彼女は礼儀こそ正しいが、情緒の面はかなり希薄に感じられる。
本当はあまり楽しくないのに、辞めたいと言えないだけではないだろうか。
ここはいっそ俺がフォースバウンスを終了させて、別の易しいゲームをやらせた方がいい気がする。
立ち入らなくてもいいと頭ではわかっているはずなのに、しばらくそんなことを考えてしまった。
「……あ」
黙々とプレイを続けていた千夏がおもむろにつぶやいた。
モニタを見ると、千夏がスナイパーライフルを前にしていた。
どうやらどうしてもそれを使ってみたいようで、たどたどしく武器を入れ替えている。
ただ、スナイパーライフルはバトルロイヤルゲームの中ではかなり扱いづらい武器だ。
他の武器がわりと直感的に的に当てられるのに対して、スナイパーライフルにはスコープがついているのが曲者だ。
遠方を狙える便利な機能なのだが、視野が切り替わるので操作がしづらい。
案の定、千夏は完全にスナイパーライフルに振り回されていた。
スコープを覗き込んだままうろうろしたり、空の一点を凝視したり、やっているうちに訳がわからなくなっているようだった。
俺は見かねてアドバイスすることにした。
「スコープを覗き込んでいる時は動かない方がいい。照準の動きと体の動きがバラバラになってしまうから。逆に動く時はスコープは使わない方がいい」
「………………」
千夏は黙って俺のことを観察するように見てきた。
それから試すようにキャラクターを操作した。
スムーズな動きになり、かなりマシになった。
「詳しいんですね。どこで訓練を受けたんですか?」
「いや、普通に一人でやってただけだけど」
「では次はどうすればいいですか?」
フォースバウンスには一応、自分以外のすべての敵を倒すという目的がある。ただ、品子からゲームを教えろとは言われたが、上達させろとは言われてはいない。
「好きなようにやればいいんじゃないか。わからないことがあったら訊いてくれれば教えるから」
千夏はそこで少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐに「わかりました」と言ってプレイを再開させた。
そうこうしているうちに正午が近づいてきた。
昼食はどうすればいいのだろう。俺が用意してやればいいんだろうか。
そんなことを考えていたら、聞いたことのない着信音が鳴った。
千夏がゲームを中断してポケットからスマホを取り出す。
「出てもいいですか?」
「もちろん」
千夏はスマホを耳に当てて通話を始めた。
自分からはほとんど話さず、向こうからの言葉に相槌を打っているだけだった。
おもむろに彼女はスマホを俺に差し出してきた。
「俺に出ろってことか?」
「そのように言われたのでお願いします」
俺はスマホを受け取って耳に当てた。
「もしもし?」
「お世話になっております。田島先生」
案の定、通話の相手は梔子品子だった。
「どうも」
「とても順調のようですね。ありがとうございます」
「言われた通りにゲームを教えていただけで、大したことはやってない」
「ご謙遜を。十分です。千夏も満足しているようでした」
俺はチラリと千夏の横顔を見た。部屋に来た時からほぼ表情は変わっていない。あまり楽しんでるようには見えなかった。
「役に立ててよかった。ところで昼はこっちで用意すればいいのか?」
「それは大丈夫です。今日のところはもう引き上げさせますので」
「そうか。わかった」
「ところで別件で恐縮なのですが、ついでにお願いしたいことがあります。よろしいでしょうか?」
「内容による、としか言えないな」
「あと5分ほどその部屋を貸してもらえませんか?」
「それだけか? なら、別にいいけど」
要するにあと5分で千夏の迎えが来るということなのだろう。
この時の俺は、それくらいにしか考えていなかった。
「ありがとうございます。それでは千夏にOKと伝えてください。通話は以上です」
俺の返事を待たずに品子は通話を切った。
俺は千夏にスマホを差し出しながら「OKだって」と伝えた。
「了解です」
スマホをポケットにしまった千夏はおもむろに立ち上がった。
壁に立てかけておいたギターケースに向かって歩いていくと、床に寝かせて中身を取り出し始めた。
ギターが入っているかと思いきや、どうやら分解された別の楽器のようだった。
筒状のパーツ、グリップ、マガジンなどを千夏は手際よく組み立てていく。まるで銃のような楽器が出来上がった。
いや、違う。これはスナイパーライフルだ。
フォースバウンスでよく目にはしてきたものの、1/1サイズは初めて見た。
たぶんモデルガンなのだろうけれども、なかなか威圧感がある。背の低い千夏が持つと余計に大きく見えた。
なるほど、と俺は納得した。だからフォースバウンスのスナイパーライフルに興味を示していたわけか。
俺が感心して眺めていると、千夏は窓辺に寄っていって銃身を手すりの上に固定した。
ちなみに俺の部屋はアパートの三階だ。正面は背の低い建物ばかりのおかげで、見晴らしは住宅街のわりには悪くない。
千夏はスコープに顔を寄せて覗き込んだ。
その姿勢はかなり様になっていた。サバゲーとかやっているのかもしれない。
いろいろと納得しかけた時、千夏がスナイパーライフルのトリガーを引いた。
爆発が起きたような衝撃が俺の部屋を震わせた。
「ターゲット、着弾確認」
千夏がレバーを引くとマガジンが床に落ちた。
彼女は速やかに銃身を手すりから引き上げると、速やかに解体を始めた。
スナイパーライフルはあっという間にバラバラになってギターケースに収まった。
千夏はギターケースを背中に担ぎ、床に尻もちをついていた俺に深々と頭を下げた。
「本日は大変お世話になりました」
「………………」
千夏は来た時と同じくらい速やかに部屋から出ていった。
俺はとっさに追いかけようとしたが、腰が抜けていて立つことができなかった。
1―4
梔子品子から電話がかかってきたのは次の日の深夜23時だった。
俺は向こうが話し出すより先に問いただした。
「昨日のアレはなんだったんだ!?」
「別件でお願いしたことですよね? 事前に了承してもらっていたはずですが?」
品子は平然と答えた。まるで悪びれというものがない。
「5分だけ場所を貸すって話だったろ? それで何をしたと思ってる? 俺の部屋の窓からスナイパーライフルを撃ったんだ。しかも本物!」
「そんなことわかってますよ。そもそも私が千夏に司令を出しているんですから」
「なんでそんなことを命令しているんだ?」
「仕事ですので」
「いやいや。銃なんて撃っちゃダメだろ。法的に」
「それをするのが私達の仕事なものですから」
「人を殺すのが仕事なのか?」
「殺していませんよ。勘違いしないでもらえないでしょうか」
「車を撃ったのを見たんだ!」
俺は千夏がアパートから出ていった後、恐る恐る窓から発砲された方角を確認した。数百メートル離れた交差点で、窓に穴の空いた高級車が立ち往生しているのが見えた。その後、警察や消防が来て大騒ぎになったのだった。
「それは車の中に持ち込まれていたタブレットを破壊したんです。私たちの主な仕事は情報の物理的な破壊、もしくはそれに伴う威力業務妨害です。安易に殺しと混同しないでもらいたいですね」
「いや、それだって立派な犯罪だろ」
「通俗的には犯罪ではありますが、ライセンスを所持しているので問題ありません。ニーズがある以上、それをビジネスとする者がいます。それが私たちクチナシ・ファミリーなのです。そしてそれを許可する為政者もいるということですよ」
「法治国家でそんなことあるはずない」
「その辺りはあまり首を突っ込まない方が賢明ですよ? 今回の仕事はクリーンな方法を取りましたが、常にそうとは限りませんので」
要は殺しにも手を染めている、ということだろうか。
「……冗談、なんだよな?」
「どのように受け取るかは先生の方の問題だと思いますが?」
「……………………」
俺はしばらく黙った後、意を決して言った。
「……もうあんたたちとは関わりたくない。連絡はこれっきりにしてくれ」
「え? それは困りますね。実はもう少し千夏の教育を継続してお願いしたいと思っていたところなんです。先生も昨日、千夏と接してみてわかったと思うんですが、あの子、喜怒哀楽に欠けるところがあるじゃないですか。身内の中では資質が期待されてエージェントとしての英才教育を施したんですが、そのせいか過度に内向的な性格になってしまったんですね」
今になって思えば千夏の感情の薄さはいかにも裏社会のエージェントっぽさがあった。
「一昔前なら殺人マシーンみたいな感じでも問題なかったんですが、これからは情報、そして交渉が重要になってくる時代です。要はコミュ力ですね。そのために情操教育を施そうとしたのですが、自分を殺すことに長けてしまったのか全然周りに関心を払わない。好きも嫌いもない。ところが例外的にゲームにだけは興味を示したわけです。ただ、あいにく身内にはゲームに詳しい人間がいませんでした。そんな時、白羽の矢が立ったのが先生だったというわけなんですね」
白羽の矢が立ったといえば聞こえはいいが、たまたま脅迫できそうな奴が近くにいた、ということなのだろう。
「悪いけど断らせてもらう」
「本当ですか? 大変な目に遭うかもしれませんけど?」
「ゲーム会社に訴えさせてもらっていい。小さな犯罪を隠すために、より大きな犯罪に加担させられるなんて馬鹿げてる」
「………………」
品子は黙り込んだ。
俺を警察に突き出すかどうか考えているのだろう。
しかし品子が再び口を開いた時、その口調は意外にも優しげなものだった。
「うーん。昨日までならそれも可能だったんですけど、もう無理ですね」
「昨日までなら?」
「はい。昨日までなら教育係は誰でもいいと思っていたんですよ。探せば他にもいるだろうと。ところが昨日、帰ってきた千夏に話を聞いたら、先生でないと嫌だっていうんですね。さっきも言ったように千夏が自己主張するのは珍しいことなんです。だからもう無理です。先生にお願いするのはクチナシ・ファミリー全体の意向として決定してしまいました。これは私でも覆えせません」
「どうして千夏は俺でないといけないんだ?」
「さあ。私にもわかりません。ゲームの教え方が上手かったんじゃないですか?」
「特別なことはしてない。基本的には放っておいただけだし、ちゃんと教えたのって、せいぜいスナイパーライフルの扱い方くらいだ。他に適任者はいくらでもいるはずだ」
「そのスタンスが絶妙だったんじゃないでしょうか。干渉するでもなく、放っておくわけでもない匙加減が。まあ、私はゲームがさっぱりなのでわかりかねますが」
「それでも降りるって言ったら?」
「先生の部屋には壁かけ時計がありますよね?」
急に話題が飛んで俺は混乱した。
「は?」
「いつも1分遅れているようですが」
「それが何だっていうんだ?」
そう答えた後で背中が寒くなった。
俺の部屋の時計は確かに1分遅れている。部屋に上がった千夏が伝えたのだろうか。
いや、わざわざそんなことを報告するとは思えない。ということは品子は俺の部屋を外から見ているということになる。
千夏はスナイパーライフルを持ち歩いている。保護者である品子が扱えないと考えるのは順当ではない。
クスクスと品子の笑う声が聞こえてきた。
「そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ。言ったじゃないですか。今は情報、そして交渉の時代だって。もっとも、荒っぽいことも必要があれば辞さないですけどね」
「………………」
俺は何も答えられなかった。そもそも俺には選択の余地など最初からなかったのだ。
「ところで今日、私が連絡を返すのがこんなに遅かった理由はわかりますか?」
「……いや、わかるはずないんだけど」
「ですよね。特別に教えてあげます。高校の編入手続きをしていました」
「……高校?」
「七ツ森高校って知ってます?」
知っているもなにも、それは俺が勤めている高校だった。
「先生の受け持ちって1年Aクラスでしたよね?」
品子は保護者のような口ぶりで言った。嫌な予感がした。
「明日からうちの千夏をよろしくお願いしますね、先生」