8.ハンナの選択
まさかだけど、そういうことだよね? 違うと言って欲しい。私はもうパンを食べることも出来なくなった。心臓が鼓動をはやめだす。聞くのが怖い。でも聞かないとわからないから直球で聞いた。
「それってエドが死ぬってこと?」
私の言葉にエドが首是する。なんで? うそでしょ? そんなの絶対……
「ダメ!」
私とアマーリエ様の声が重なった。
「ディ、私が願ったことなのだから死ぬなら私だわ。運命を捻じ曲げてまで生きたくはないわ」
「私だって私の代わりにエドが死ぬなんて嫌」
私達は口々に魔術師に訴える。
「でも俺の父上が計画したことなんだよ! だから俺が、責任を取る」
悲痛な顔でエドは叫んだ。エドと大旦那様の間でどんな話があったのかは分からないし、エドもアマーリエ様を直接的に虐めた加害者だ。立場的にも責任は重い。でも、それでも自分の身代わりになるなんて到底認められるとこではないし、……エドが居ない世界なんて私には耐えらない。
……ああそっか。私はエドを愛してるんだ。私は気づいてしまった。確かにいったんは覚めかけた。でも心の奥ではずっと熾火のようにエドへの愛が燃え続けていて、だからこそアマーリエ様にむごい扱いをしたエドが許せなかった。愛している人の嫌なところを見たくなかった。だから嫌いになろうとした。でも、なれなかった。
私は自分がいつの間にか泣き出していることに気づいた。エドが死んでしまうなんて嫌だ。私、エドとこれからもずっと一緒に生きたい。私はどんな嫌なところがあってもやっぱりエドのこと愛しているんだ。一緒に居た年月が、確かに幸せだった日々があって、私も欠点のない人間じゃないから。
あ、それなら。私は涙を自分の袖でふいた。
「……じゃあみんなで責任を取るのはどうかな?」
私の言葉に魔術師が眉をあげてこちらを見る。続けろ、ってことかな? と思ったから私は自分の思い月を話し出す。
「あの、アマーリエ様に意地悪した私もエドも大旦那様も大奥様も屋敷のだれもかれも……全員で背負うことは出来ますか?」
「呪いを誰か一人でなく、分散させるのね?」
アマーリエ様が私の意図を一番初めに理解してつぶやく。エドもアマーリエ様の言葉で私の言いたいことが理解できたみたいだった。私の、「一人なら死んでしまう呪いもみんなで背負えば死なないよね?」作戦だ。
「まあ……面倒だが出来なくはない」
もったいぶった調子だったけれど魔術師が顎に手をやって考えながら答えた。
「お願いします!」
私はがばっと魔術師に向かって頭を下げた。過度に重すぎれば問題だけど、自分のしでかした罪のむくいは自分で受けなければならない。でも誰も死なせたくない。それでも自分も含めて何も罰を受けないままのうのうと生きることは許せなかった。
「ディ、それなら誰も死んだりしないの?」
「そこまで薄まればな。ただな~俺がものすごく面倒なんだよな~」
心配そうにアマーリエ様が魔術師に確かめる。魔術師はちらちらとアマーリエ様を見ながらアピールを続ける。これはアマーリエ様にねぎらって欲しいということなんだろうな、と私は気づいたけれどわざわざそれを言うのが癪だったから黙った。
「でも呪いは均等にはかからないからな! 呪詛返しは首謀者のあんたの親父が一番重くなるが、あんたらだって結構きついの来るからな!」
「構わない!」
エドが食い気味に力強く答える。そしてアマーリエ様にエドは向き直った。そして両ひざに両手をついて深く頭を下げた。
「……昨日、色々父上と話した。アマーリエ、私は思い違いをしていた。本当にすまなかった!」
「え。あ、ええ……え?」
一気にまくし立てたエドに、アマーリエ様は最初うまく言葉を発することが出来なくて、口に両手をあてておろおろと少し固まった。
そのままクシャっと顔をゆがめてまるで小さい子みたいにぽろぽろと泣き出した。貴族らしくない素直で無垢な心を持ったアマーリエ様はどこか危うい。それでも真珠のような涙を零れ落ちるままに流し続けるアマーリエ様は女神のように美しかった。アマーリエ様の心に未だわだかまった呪いの残滓がやっと浄化された気がした。ずっと一人で耐えてきて泣くことすらできなくなってしまったアマーリエ様がやっと泣けたんだ、と思うと私もさっき我慢した涙がまた溢れてきた。
「アマーリエ様、ごめんね。本当にごめんなさい。一緒に帰りましょう! 今までの分、これから私達がアマーリエ様のことを絶対に幸せにしますから!」
私もエドと一緒にアマーリエ様に向かって頭を下げた。後半がなぜかプロポーズのようになってしまったけれど、それでも良い。ムシの良い話かもしれないけれど、私はアマーリエ様と家族みたいに、姉妹みたいな存在で居たい。おとぎ話のエンディングみたいに「めでたしめでたし。みんな幸せに暮らしました」ってなったらいいなと思う。
「ダメだ。アマーリエは帰さない」
アマーリエ様が答える前に魔術師が口を挟んだ。私もエドも顔をあげてアマーリエ様を見つめる。アマーリエ様はハンカチで涙を拭きながら、魔術師を上目遣いでちょっとだけ睨む。でもそんなに怒っている感じじゃない。
「……旦那様、ハンナ。ありがとうございます。謝罪は受け入れました」
アマーリエ様はまず貴族らしく丁寧に私とエドに返礼した。それから腕を組んでそっぽを向いた魔術師をちらっと見た。そしてまた私をしっかり見つめた。
「ハンナ、ごめんなさい。私ね、一応死んだことになっているでしょ? だからね、戻らないでここで暮らしたいの。ここでディと一緒に居るがとても幸せなの」
頬をリンゴ色に染めて目を潤ませながら話すアマーリエ様は、もう恋する乙女という雰囲気を全身から醸し出していて、つられて私も赤くなってしまう。
「ほらな! アマーリエは俺と居るのが幸せなんだ!」
もうあからさまに嬉しそうで勝ち誇った魔術師の顔に私はイラっとする。この男で本当にアマーリエ様は幸せになれるんだろうか? 地雷臭と言うかエドとはまた違うタイプの面倒な性格をしている気がして心配でしょうがなかった。だからいつでもアマーリエ様が戻れるようにお屋敷のアマーリエ様の部屋を常に整えておこうと心に誓った。
「でも! 一緒に暮らせなくてもお茶をしたり一緒にピクニックに行ったり仲良しの友達になりたいんです!」
「そうね」
にっこりとアマーリエ様が嬉しそうに微笑んだ。私と同じように、アマーリエ様も私との関係を切りたいわけじゃない、そう思うと私も少しだけがっかりした気持ちが慰められた。私にはアマーリエ様が本当に幸せかどうか確かめる義務があるし、アマーリエ様が魔術師と暮らすのが幸せならそれでもいい。定期的にチェックしていけばいい。
「話は決まったな! 呪いの改変をするぞ」
いまいち話を聞かない魔術師が私達を急かす。
「分かった! 一思いにやってくれ!」
それじゃ、何か殺してくれって言ってるみたいだって私は突っ込もうと思ったけれど次の瞬間には真っ白い光で何も見えなくなってしまった。「ディ! 本っ当に大丈夫なんでしょうね?!」ってアマーリエ様が叫んだ声が聞こえたけれどだんだん声が遠くなって私はそれきり意識を失った。
*****
あの魔術師の家からどうやって帰ったかいまいち覚えていない。死の眠りの呪いが形を変えて大小様々な不幸になって私達に何度も襲い掛かってきた。
一番大きかったのは大旦那様の商売の不正がばれて爵位降格処分が下ったこと。身分が平民へと戻されて、大旦那様の悲願だった貴族社会でのし上がる夢は完全に潰えてしまった。大旦那様はショックで寝込んでしまってめっきりと腑抜けたようになってしまったけれどエドは全然へこたれていなかった。これで問題なく私と結婚できるとむしろ喜んでいたくらいだった。
そんなエドにとっての不幸は大旦那様に代わって店の仕事に出ていた時、倒れかけてきた材木から子供をかばって利き手の右腕に大きな傷を負ってしまったことだった。生活には支障はないけれど、大好きだった剣術ではもう活躍することのできない深い傷だった。でもエドはアマーリエにおわせてしまった心の傷に比べたら何でもないと笑い飛ばした。
私にはどんな不幸が襲うんだろうとドキドキしていたけれど今のところ何もない。アマーリエ様はもう私は死にかけたことで罰を受けたんだと言っていたけれど何となくアマーリエ様の髪飾りをずっと持っているおかげじゃないかなとも思っていた。
アマーリエ様とは月に2、3回会っていて、私はそのたびにアマーリエ様にお料理を教えたり、一緒にお掃除を教えたりする。最初私はアマーリエ様がいままでする必要のない家事をすることを可哀そうだと思った。でもアマーリエ様は案外楽しそうにしているから私もほっとしているところもあった。アマーリエ様は貴族のご令嬢というより、こういう普通の女の子で居たいのかもしれない。
私には偉そうでほとんど話もしない魔術師だけれど、アマーリエ様とはとても仲が良さそうに見えるから、まあ今のところはアマーリエ様を無理にお屋敷に連れ出すことはしないけれど、もしアマーリエ様が少しでもつらそうなそぶりを見せたら絶対に連れて帰ろうと毎回目を皿のようにして二人の様子をチェックする。
……だからアマーリエ様が魔術師には本当に心を許していて、天使みたいな清らかで眩しい笑顔を向けることも知っているんだ。アマーリエ様、やっと幸せになれたんね。本当に良かった。ちょっと複雑な気分もするけど私はほっと安心した。……二人のこの距離感からすると、まだそれほど深い関係じゃないなということにもさらに安心してる。アマーリエ様にはゆっくり愛をはぐんで行って欲しい。
今までずっと幸せを得られなかった女の子がやっと得られた幸せだから。
ハンナ視点では書けない、①アマーリエ様と魔術師の二人きりの生活(3話くらい?)と、②エドと父親との長い夜の話(1話)を書こうかなどうしようなと迷いつつ、これにて一応完結でございます。
お読みいただきありがとうございました。