7.エドの選択
4話で終わりだって書いたんですが直したらやたら長くなったので5話に分けました(笑)
そして更にハンナの視点からでは絶対書けないシーンを別枠で追加しようかどうか迷ってます。
崩れかけた石造りの水車小屋は生い茂ったつたに覆い隠されていた。長い間放置されているのは間違いないと思う。明らかに人が住める環境じゃない。
「ここだ」
それなのに自信満々にエドは草をかき分けて進んで行く。エドは龍の形をしたドアノッカーを掴むとガンガンと何度もしつこく鳴らした。色褪せて白アリに食べられていくつも穴のあるドアが今にもくだけてしまいそうでドキドキする。人の気配なんてしないし、板の隙間から埃だらけで何もない中の様子が見えてる。
「いるんだろう魔術師! 開けてくれ!」
エド、これはきっと頭おかしくなっちゃったんだよね? 私は心配になった。もう帰ろうと言いかけて、お屋敷には大旦那様が居ることを思い出した。大旦那様には会いたくない。……でもお屋敷には私のお母さんも働いているし、メイドも執事もみんな家族みたいな大事な存在だから帰りたい。
「うっせぇわ! ボケが!」
誰も居ないはずの廃屋の扉が若い男の怒鳴り声と共に乱暴に開いた。エドはドアノッカーを握ったまま倒れ込みそうになりながら中へとなだれ込む。私はその場に立ちすくんだ。
「ディ。そんな悪い言葉を使ってはいけません」
部屋の奥からたしなめる若い女性の声がした。つい昨日の夜も聞いた優しい声だった。
「アマーリエ様!?」
私はエドを押しのけた。屋内は外から見たのとは全く違っていて、何かシチューを煮ているようなおいしそうなにおいがした。私は自分が何も食べていないのを思い出してくらくらしてくる。
もしかしたら何か魔術的な目くらましをしているのかもしれない。明らかに倍以上広い。広いけれど、作り付けの棚や作業台、天井からぶら下がっているたくさんの薬草類の束に、細々としたガラス瓶が並べられた棚や、壁一面の本棚には乱雑に本が詰め込まれているし、広い作業机には変わった実験道具みたいなのが所狭しと積み上げられている。ごちゃごちゃとしていてお世辞にも綺麗と言いがたい。
部屋の奥、大きな暖炉の前のソファから誰か立ち上がるのが見えた。プラチナブロンドの髪に紫色の瞳。昨日の夜、月明かりの中で会ったアマーリエ様、そのままだ。でも透けていない。生きてる?
「ハンナ、こんにちは。具合はいかが?」
少しだけ照れくさそうな顔をしてアマーリエ様は私を見つめた。私は返事も出来ないまま、よろよろとアマーリエ様に近づくとガシッとアマーリエ様の両手を握った。感触がある。暖炉の前に居たからかちょっとホカホカとするくらい温かい。……生きてる! アマーリエ様が生きてる。うん、生きてるって本人から聞いてたけれど、でも何でここに? 何が何だかさっぱりわからないけれど、でもアマーリエ様が生きているっていうことだけはとにかく嬉しかった。あのままアマーリエ様が死んでしまうなんてそんなことは許せなかった。アマーリエ様には生きて幸せになって欲しかった。
「おい愛人! 手を放せよ!」
さっきドアを開けてくれた若い男がつかつかと怒鳴りながら近づいて来た。アマーリエ様の手を握る私の手首をつかんで無理やり引きはがそうとする。
「きゃっ!」
その乱暴さに私はとっさに目をつぶって両腕で頭を守る。暴力を振るわれそうで怖い。
「おい! ハンナに何をする!」
エドが私をかばって若い男の前に割り込んで立った。そろりと目を開けると私の前にはエドの広い背中があった。こういう何か危険なことが起こったとき、エドは昔から躊躇なく私の前に立って私を守ってくれた。身分差を考えれば私が逆に身を呈して守らなければいけない立場で、何をされても文句を言えない立場ではあるはずなのに、エドは私のことを尊重して、ずっと対等に扱ってくれてきた。
そっか、私は自分の罪悪感をエドにも押し付けてたんだ。エドの良いところを忘れて悪いところを見てこの人だって悪人だって思いこむことで、私の背負う良心の呵責と心の重荷をエドを責めることで軽くしようとしてた。そんなの……フェアじゃないよね。
「旦那様もディもおやめください。お茶にいたしませんこと?」
アマーリエ様の柔らかい声が張り詰めた空気を破った。前はもっと無理やり感情を抑えていて、でもどこか張りつめていたような声だったと思った。今は年相応にのびやかで、でもさすが貴婦人らしい落ち着いた声だった。夢で見ていた血の気の引いた元気のない顔じゃない。目も死んでいない。生き生きとした姿に私は嬉しさがこみあげてきたけれど、困惑もしていた。エドはなんで魔術師の家を知っていたんだろう? それにアマーリエ様が生きていることに驚いていない。なんで?
「アマーリエ様、こちらにいらっしゃったんですね?」
それでも私にとってアマーリエ様が生きていたことは間違いなく喜ばしいことだったから、自然と笑顔が出て同時に涙がこぼれそうになってきた。
「ええ、ハンナごめんなさいね。昨日は時間があまりなくて」
アマーリエ様はそういうとちらっと魔術師にとがめるような視線を送った。魔術師がさっと視線をそらした。魔術師とエドが呼んだ男は確かに魔術師っぽい黒いローブ姿だったけれど、予想外に若かった。勝手に年寄りのおじいさんをイメージしていたけれど私達と変わらないか2、3歳年下のような気がする。黒髪に赤い目の端正な顔立ちをしていてストレートの長い髪を後ろで一つ結びにして束ねていた。剣術が好きで毎日稽古を欠かさないエドに比べたら、ひょろっとしているけどがりがりって感じでもない。
「おい! 違約金も追加料金も持ってきたぞ」
エドが魔術師の胸に乱暴に小さな革袋を押し付ける。袋の中でじゃりっと重そうな音がした。魔術師は受け取るとその場で開いて数を数えて確認し出しす。
「……ふん。いいだろう」
「さっさとハンナにかけた呪いを解け」
仁王立ちしたエドが強い口調で魔術師に命令する。
「ちょっと待って! 誰か説明して! どういうことなの?」
私のことのはずなのに、私を抜きに進む話に、私は我慢できなかった。
「そうよね。仲間外れは嫌よね。ディ」
アマーリエ様は最後に魔術師を呼んだ。魔術師は革袋を自分の腰ひもに結わえ付けながらアマーリエ様に従って近くへ寄っていく。
「ハンナ、髪飾りは持っているのでしょう?」
アマーリエ様に言われて私は慌ててポケットから出して見せた。アマーリエ様はにっこりと頷いてくれた。
「今は髪飾りの魔力で呪いが抑えられているから大丈夫よ。まず座ってお茶にしながら話しましょうね?」
微笑んでアマーリエ様は提案の形をとっているけど有無を言わせない響きがあった。もっと弱弱しいイメージがあったんだけど、本当のアマーリエ様はこうなのかもしれない。アマーリエ様が素の自分を出せる場所に居るなら、少しは良かったかな……私が感傷に浸って何も返事をしなかったからか、私のおなかがぐう!っと盛大に鳴ってアマーリエ様に返事をした。
……ってずっと何も食べてないし! エドのせいだよもう! 恥ずかしさで真っ赤になってうつむいた私に、ぷっと吹き出した人が居た。アマーリエ様だ。
「ハンナには、お茶よりもお食事のほうがよさそうね?」
くすくす笑いながらアマーリエ様が私の手を引いてソファに座らせてくれた。ううう、恥ずかしい。でも魔術師もエドも毒気を抜かれたのかピリピリした空気が少しだけ和らいだ。エドは私の隣に座った。アマーリエ様が棚からお茶の準備をしだすのを魔術師がいそいそと手伝いに行く。
「エド、どういうことなの?」
私はこそっとエドに聞いている。
「昨日の夜、親父を問い詰めて魔術師の呼び出し方を聞いた」
求めていた答えとちょっと違っていたけれど口下手なところのあるエドのことだから、最初から話さないとうまく答えられないのかもしれないと私は口をつぐんだ。
「それで夜中屋敷を抜け出して、ここへ来た。お前を死なせないための再契約をした」
「え?」
今お金を払ったのって私のため? 私はずしっとした皮の小袋を思い出す。結構入っていたよね?
「依頼したのは父上だと言っただろ。父上が期待するほどアマーリエの実家の侯爵家が貴族社会の橋渡しにはなってくれなかった。なのに、お金だけ要求する。父上は侯爵家を、アマーリエを見限ったんだ」
大旦那様の判断は商売人としては合理的なのかもしれないけれど人としてどうなんだろう? 私は大旦那様とは決して分かり合える気がしなかった。
「俺はハンナ、お前しか要らないし、アマーリエと別れてハンナと結婚したいと常々言っていた。父上はすでに次の商談相手を見つけたからな。アマーリエとお前の二人が邪魔になって手っ取り早く始末するために魔術師に依頼したんだ」
エドの答えは貴族としては失格で、貴族としての判断は大旦那様のほうが正しいのかもしれない。でも大旦那様は他人のことを自分の野心を叶えるためのコマにしか考えてない。それぞれの気持ちを置き去りにして、自分の息子ですらも愛情をもって接する相手として見ていない。そんなのって、ない。
「ひでえ男だよな」
会話に突然割り込んできたのは魔術師だった。どさっと勢いよく対面に座った。私はちょっとエドに身を寄せて隠れる。粗雑な感じが怖い。
「ハンナ、どうぞ召し上がって?」
アマーリエ様がシチューとパンを私の前に出してくれた。私は空腹だと自己主張の激しいおなかに従い、ちょっと無作法だとは思いつつもありがたく食べ始める。
アマーリエ様は当たり前のように魔術師の隣に座った。アマーリエ様は怖くないのかな? と思ったけど、魔術師のことをアマーリエ様はディって呼んでいることを思い出した。それって愛称だよね? んん? ちょっと待って欲しい。どういうことなの? 食べながらも私はこの二人の関係が気になり始める。そういえば何でアマーリエ様は魔術師の家に居るんだろう?
「私に一目ぼれしたんですって」
「はえ?」
私の視線に気づいたアマーリエ様が、大切な秘密を打ち明けるように私に囁いた。私は驚きすぎてどこから出たのか分からないような間抜けな声が出た。アマーリエ様はくすくすと笑いながらも、ほおを染めて恥じらっていた。もしかしたらアマーリエ様もまんざらじゃないのかもしれない。というか何だか恋人同士みたいな甘い雰囲気を漂わせている。え? 何それ? アマーリエ様と魔術師を交互に見比べると魔術師が真っ赤になって、吠えた。
「マジでドンピシャの好みのタイプだったんだよ! 悪いか!」
「えぇ……逆切れ?」
そんな理由で、アマーリエ様を殺さなかった? と思わないでもなかったけれど、それでもアマーリエ様が生きていて幸せならそれに越したことはないと私は納得しようとした。……でもその気まぐれが無ければ私もアマーリエ様も生きていなかったとから私はその綱わたりの危うさにぞっとした。私もアマーリエ様も邪魔だって言うだけであっさり殺されていたところだった。それに疑問は残った。
「でもアマーリエ様は倒れたよね? 眠りについちゃったし、私の身体に入っちゃったよね?」
「ちゃんと依頼人の指示通りっつーかさ、せめて愛人はちゃんと殺した証拠がないと報酬もらえないだろ?」
そんな理由で私は殺されるところだったのかと私は唖然とした。こんな猟奇的な男と一緒に居てアマーリエ様は大丈夫なんだろうか? 私はとても心配になってきた。アマーリエ様、騙されているよね?
「ディ! ハンナを助けないともう絶対口をきかないって言ったわよね?」
私を助ける気がなかった魔術師の言葉にショックを受ける間もなくアマーリエ様が叱り飛ばす。少し気が抜ける。
「わかってるってばよ! お姫様の仰せのままにすっから!」
アマーリエ様が冷たく睨むと、魔術師は敬語とごちゃ混ぜのスラングで平謝りする。アマーリエ様には弱いんだな……と私は二人の力関係を察した。何か魔術師にお願いするときはアマーリエ様を通そう。
「……解呪は出来ないんだ。お前がハンナと代わるんだな?」
魔術師は猫背気味にソファに座ったまま、エドを指さした。代わるってどういうことだろう? 私はぼんやりとパンをかみながら魔術師の言葉を聞いていた。
「ああ、ハンナが死ねば俺は生きていけないからな。同じことだ」
軽く答えたエドに私はぎょっとする。それってつまり私の身代わりにエドが死ぬって言うこと?