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6.誰が呪いをかけたのか


 そのままお互いに何も言葉を発することが出来ないまま、随分長い時間走った。たてがみを掴む指先に馬の汗がにじむ。いくらエドのお気に入りの軍馬とはいえ、二人乗りだ。馬の首の汗が白い泡になって飛んでいくのを私はぼおっと見ていた。規則的だった呼吸音がかすれて乾いた咳が混じりだす。馬がちらりとこちらの様子をうかがいながら速度を落とそうとする。エドが容赦(ようしゃ)なく拍車(はくしゃ)を入れる。馬の限界が近いのに。こんなふうに動物に無理させる人じゃないのに。いったいエドはどうしたんだろう?


「エド」

「ハンナ」


 私がたまりかねて話しかけようとしたら同時にエドも口を開いた。気まずい沈黙が産まれる。ちょっと前だったらこれでお互いぷっと吹き出して笑いあって喧嘩は終わりだった。ずっと一緒にいてお互いの気持ちは自分のことのように何でもわかってた。今、私はエドが何を考えているのか全然分からない。無言で話の主導権を譲り合ってエドが口火を切った。


「具合は大丈夫なのか?」

「……は?」


 あまりにいまさらな言葉に私はエドの頭がおかしくなったんじゃないかと思った。それかこの人はやっぱりエドじゃない偽者なんだと思う。エドだったら、ずっと病気でベッドから出られなかった私をこんな風に無理やり外に連れ出したりしない。いままで本当に具合が悪かったことはエドが一番よく知っているんだから。


「いや良くないよな。ごめん。でも急がないと」


 言葉が胸につかえてうまく出てこない。一人で納得してごちゃごちゃとした独り言めいた言い訳をするエドに私はすっと冷めていく。このまますきを見て馬から降りて一人で屋敷に戻ろう、そう考えてからエドが最後に叫んだ言葉を思い出した。大旦那様に向かってエドは「私を絶対に死なせない」って言ってた。死なせないってことは死ぬって思っているということでしょ? じゃあなんで大旦那様とエドは私が死ぬと思っているんだろう? 


 確かに私はずっと具合は悪かったけれど、アマーリエ様のことで落ち込んでいるせいで、病気じゃない。……でもアマーリエ様も私が命を狙われているって紫の髪飾りをくれた。みんな私に命の危険があると思っているのに私一人だけ何も知らない。


 なんで? 


 愛の冷め始めた胸の中に小さく(とも)ったのは怒りだった。やっぱりどう考えても私には殺されるほど恨まれる原因を思いつかなかった。アマーリエ様がもし恨んでいるなら、それはもう仕方ないと思うし許してもらえるまで何でもする。


 でも、違う。アマーリエ様は私を恨んでなかった。むしろ巻き込んだことを泣いて謝っていた。もしアマーリエ様に同情して、アマーリエ様のために私を亡き者にしようなんて考える人間がアマーリエ様の傍に居たら、アマーリエ様は絶望なんかしなかったし、魔術師に頼もうとなんてしなかった。


 魔術師? そうだ、魔術師だ。私はすっかり忘れていた存在を思い出した。アマーリエ様が気にしていなかったから私も流してたけれど、どう考えても怪しい。アマーリエ様があったという魔術師は、アマーリエ様のお父様が遣わしたってアマーリエ様は聞いてたみたいだった。でも何のために? それが本当なのか、アマーリエ様のご実家の侯爵家に問い合わせればすぐわかることだとは思う。


 だけど仮にアマーリエ様のために愛人の私を呪いで殺そうとして失敗したとする。アマーリエ様が死んでしまった時点で侯爵家にはエドのうちからの援助があてにできないし、もう私を殺す必要はないと思う。それにいまさら? 貴族は愛人を囲うことが普通なのに、今までアマーリエ様のことを放置していたのに、なんで今、何もないこの時期にアマーリエ様のために動く? こんな中途半端なやり方で? いくら何でも杜撰(ずさん)過ぎる。


 じゃあ、もし侯爵家からじゃなかったら? 侯爵家からって言うのはアマーリエ様を油断させるための嘘で、本当の依頼者は別にいたら? 誰かがアマーリエ様に死の呪いをかけるつもりで近づいて、アマーリエ様を眠りにつかせて殺そうとしたら? それにもしかして……もしかしてだけど、私の身体にアマーリエ様の精神が乗り移ったってことは、アマーリエ様が私を殺そうとしているように見せかけるつもりだった? アマーリエ様も私も誰かから死ぬほど恨まれていたってこと?


 後から後から出てくる疑問が燃料となって怒りが燃える。何のために? 誰が? 理由なんてさっぱりわからないけれど、誰かがアマーリエ様と私を殺そうとしていた? ……アマーリエ様が可哀そうすぎる。何で何もしていないアマーリエ様がこんなひどい目にあわされるの? 許せない。


 エドは私に魔術師に会いに行こうって言ってた。少なくともエドは魔術師の居場所を知っている? 大旦那様とエドはどこまで何を知っているの? エドは味方なの? ……それともアマーリエ様と私の敵なの?


「……エド、ちゃんと説明して欲しい」


 どう転ぶかは分からないけれど、私はエドに正面からぶつかることにした。私には回りくどい聞き方とか、誘導尋問みたいなのは出来ない。それに私の好きだったエドは不器用なくらい真っすぐな人で、だから貴族社会になじみ切れなくて私を選び続けた。愛している私をないがしろにするのは嫌だからとアマーリエ様を受け入れることが出来なかった。


 エドの思考の幼稚さと貴族として致命的に危ういのが、今ならわかる。例えばもしアマーリエ様が私達が誤解していたように、わがまま放題に甘やかされた貴族のご令嬢だったら? 大事にしてくれない身分がはるか下の夫とその愛人を生かしておくだろうか? ぞっと背筋が冷えた。私達は貴族社会を甘く見すぎていたんじゃないか? とやっと思い当たった。本当はあちこちに私もエドも消されてしまう可能性があったんだ。


 私を後ろから抱きかかえていたエドがびくりと震えたのが分かった。大きくため息をついて駆け足から徐々にスピードを落としていく。エドは馬を止めると地面にひらっと飛び降りてから、私が降りやすいように私に向かって手を差し伸べてくれた。私はその手を取ることが出来ず、無言で馬から飛び降りる。


 エドは左手で握っていた手綱を落とすと馬を放した。行き場のなくなった手をぎゅっと握り締めるとうつむいて何か少し迷ったように顔をしかめた。そしてエドは地面に額をこすりつけるようにして土下座した。


「は? 何? ちょっと待って?!」


 さすがに予想外だった。エドが望むから身分差にも関わらず気安い口調で話しているけど、エドは貴族で私は平民。ありえない。


「すまない! ハンナ、本当にっ!」


 ただ謝るエドに私はどうしていいかわからなくて、おろおろと辺りを見回した。幸い、森の木立に隠れて誰からも見られていない。


「エド! お願いだから立って!?」


 こんなところを誰かに見られたらまずい。外聞が悪すぎる。何を言われるか分からない。領主を土下座させた愛人として街の喜劇の題材にされたらお母さんになんて怒られるか分からないし、大旦那様と大奥様にも申し訳が立たない。爵位自体はエドに譲ったとはいえ、大旦那様はまだまだ商売は現役で働いている。大旦那様はいつもニコニコと笑顔で時々お土産にお菓子を差し入れしてくれる優しい人で、みんなからとても好かれている。私ももちろん尊敬していた。


「父上の仕業だったんだ」

「……は?」


 エドは毒を飲んだ人みたいに苦し気に言葉を吐き出した。そのまま、出口を見つけた感情のままに、こぶしで何度も地面を叩きだした。何それ? エド、頭おかしくなったのかな? そんなわけないでしょう? 仕業って何のこと? 私は、これ以上考えることを拒否したかった。


「父上が、魔術師を手配して、アマーリエとハンナを、殺そうとしたんだ」


 エドがゆっくりと区切りながら私が拒否した答えを教えてくれた。……止めてよ。信じられるわけないでしょ? お見舞いの花だって贈ってくれた。普段お菓子もくれる。エドとずっと家族みたいに育ってきた。そんな相手が私を殺す? なんで? 


「嘘でしょ? 大旦那様が私を殺す理由なんてないでしょ?」


 視界が大きくにじんできてよく見えない。鼻の奥が熱い。声が震えてしりすぼみになる。そんなのあるわけない。


「俺がハンナと結婚するって言ったんだ」

「……どういうこと?」

   

 今だって夫婦みたいな生活をしているけど、愛人じゃなくて正式にって言うことなのかな? だって身分差があるし、それは無理だって私にもわかる。


「昨日、父上が、次はこの女と結婚しろとって釣り書を渡してきたんだ」


 大旦那様がエドを別の誰かと結婚させようとした? そんな話は初耳だったけれど、昨日の日中ならまあ知らなくてもしょうがない。


「俺は父上の提案を断った。次こそハンナと結婚する。今度こそは愛を貫くと父上に宣言した」


 エドは顔をあげて私のことを熱く見つめてきた。その瞳には確かに愛が籠っていて、私は目を(しばた)かせた。そこまで愛されていることが嬉しい、嬉しいはずなのに、喜べない。変わってしまった私が悪いのか、変わらないエドが悪いのか分からない。

 

「父上と言い争いになって、そのときハンナがもうすぐ死ぬと父上が口を滑らせたんだ」

「……うそ。大旦那様がそんなこと言うわけない」


 私はエドの言葉を信じたくない。大旦那様エドが私と結婚したいって言ったから邪魔になったの? ううんそれだとつじつまが合わない。もっと前から計画していないとそんな言葉は出てこない。


「……父上はとても野心的で、俺とは違う」


 エドもいつの間にか今にも泣きだしそうなくらい顔をゆがめていた。こんな顔子供の時以来だ。エドは昔から剣術は好きだったけど勉強は苦手で不器用で腹芸は全くできない。生き馬の目を抜くような商売ができるタイプじゃない。でも大旦那様は伝説の商売人で一代で成り上がったエドのおじい様の血を色濃く引いていて本当は辣腕の勝負師だ。私達に見せる顔と違う顔を持っていることくらい街の噂で知っていたのに、それでも私は自分で見ている良い面だけ信じていた。


「何のために?」


 エドは良くも悪くも素直だ。嘘がつけない。私の目の前に居るこの人が本当にエドなら、この話はきっと本当。だからこそ、私は大旦那様がなぜ私とアマーリエ様を殺そうとしたのかが恐ろしかった。

  




 

 

  

 

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[良い点] 『私達は貴族社会を甘く見すぎていたんじゃないか?』 このセリフ、いきなり作中の温度が下がったようでいい感じだと思いました! 面白いです!
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