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悪霊

作者: 京本葉一

 少年の家で飼われている犬は、よく吠えるそうだ。

 庭に出すとガレージに待機して、家のまえを誰かが通るたび、テレビの音が聞きとりにくくなるレベルで吠える。

 どれだけ「吠えるな」と叱っても伝わらない。むしろ褒められていると感じているらしいアホ犬である、と少年は語っている。


 不審者対策の番犬としては優秀であるが、近所迷惑であることも間違いなく、あまりに長引くようだと、誰かが家のなかに回収するしかない。

 だいたいは少年の仕事になっていた。

 少年がドアを開けて庭に出ると、気配に敏感な愛犬は吠えるのをやめる。勢いよく走ってきて、勢いを落とすことなく家のなかへ飛びこんでゆく。

 いつもなら、そうなるはずであった。


「……誰かいるのか?」


 ずっと吠えつづけている。だれか来ているのかとおもい、外の様子を確認してみるものの、誰もいない。誰もいないはずなのに、ずっと吠えつづけている。

 少年がガレージで吠えつづける愛犬を迎えにいくと、名前を呼ぶまでまったく気配を感じていなかったらしく、ビクッと身体を震わせたそうだ。

 興奮しすぎておかしくなったのか、少年にむかって吠えはじめる。

 玄関まで走ると家のなかに向かって吠える。

 家のなかでも興奮はおさまらず、階段の下で、二階に向かって吠えつづけた。



 これは少年と雑談するなかで、愛犬のエピソードとして語られたものである。この出来事について、少年自身は興味をもっていない。ついでながら、二階には少年の部屋があり、事件を起こすまで、彼が毎夜そこで過ごしていたことも、ここに記録しておく。





 ひとつの店舗が全焼し、放火事件の犯人として、ひとりの少年が逮捕された。


 少年をよく知るクラスメイトなどに取材したところ、誰もが一様に驚きを隠せず、「あいつが!?」「信じられない」「ちょっと様子はおかしかったけど……まさか」などと口にしている。


 なぜ少年は事件を起こしたのか。


 取り調べを行なっている警察関係者によると、少年は「耳もとで『燃やせ』とささやかれた」といった趣旨の犯行動機を語っており、精神鑑定が必要であるとみなされていた。


 世のなかには悲惨な出来事があふれている。ひとりの死者も出ない事件は、かるく流されて終わる。取材を重ねたところで利益にはならないが、「耳もとでささやかれた」という点に個人的な関心をおぼえ、取材をつづけることにした。





「このまえ話を聞いたとき、最近、彼の様子がおかしかったといっていたよね?」


 少年の友人でもあるクラスメイトたちは、言葉を濁して立ち去ろうとした。少年の尊厳にかかわることなのだろう。犯罪者となってしまっても、友人でありつづけている。好感のもてる相手には敬意をはらう。


「安心してほしい。彼をむやみに非難して、おとしめるつもりはない」


 嘘ではなかった。

 この情報を記事にするつもりもない。

 場所をかえて話をきいた。


「……あいつ、わりと真面目な奴だったのに、いつのまにか授業中に寝るようになって、起きてるときも、ぼ~っとするようになったんです」

「不眠症?」

「いや、しっかり寝てるとはいってたんですけど……」

「けど?」

「女子がパンツをはき忘れたらいいのにって」

「……ん?」

「いや、だから、強く願えば世界が変わるから、毎晩寝るとき、すべての女子がパンツをはき忘れるようになればいいのにって、願いながら寝るようになったらしくて……」

「……それで?」

「それで、ちっとも願いが叶わないのは、女子のパンチラをみたいって考えるエロいやつがいっぱいいるからだって、なんか俺らが逆ギレされたんですよ」

「……ちょっとなにをいってるのかわからないんだが? いや、相反する願望があると願いが叶わないという理屈はいいんだが、エロの定義が、ちょっと」

「いや、俺らもわからなかったですけど、あいつがいうには、女子が恥じらう姿をながめたいだけで、エロい気持ちはまったくないって」


 純度100%としか思えないのだが、本気でエロくないと考えていたことは、のちの面談でもはっきりしている。


「テレビでは報道されなかったけど、事件があった店って、ランジェリーショップですよね? なんであいつがって、納得できる気がしないでもなかったけど、やっぱり、そんなやつじゃないのにっておもうんです。もともとそんなにエロい奴でもなかったはずで、なんかおかしいっておもうんです」


 まるで何かに憑りつかれていたようだったと、少年たちの表情は物語っていた。





 少年とは何度も面会している。

 放火事件をおこすような人間にはみえず、彼自身も、どうして事件をおこしてしまったのか理解できていない様子だった。

 悪いものに憑りつかれている印象はなく、それはすでに少年のもとを去っていると考えられた。


 面会をくり返すことで、ご両親の面識をえた。

 彼の家を訪問して、ご両親からも話を聞かせてもらっている。


 彼のご両親は、息子のことで心を痛めていたが、彼の姉のことでも苦しんでいた。明るく活動的であった彼女は、事件が起こる前から家に引きこもるようになり、まったく外に出なくなったという。

 ご両親の許可をいただき、彼女にも話をきいてみることにした。


 二階へ上がり、本人の同意を得て、彼女の部屋に入る。

 パジャマ姿の彼女は、寝不足なのか、ぼ~っした表情をしていた。


「外に出たくない理由でもあるの?」

「……いっつも、パンツ、はき忘れるから」


 ご家族の許可をいただき、二階の部屋中に、表現しがたい苛立ちをこめて天然の塩をぶちまけた。

 大人しかった犬が、一階で激しく吠えはじめて、やがて静かになった。

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