先生2
佐藤マリン。
成績は最悪。運動もできない方。
ただ明るい性格で友人も多い。社交性もあり、人間性は良い。
私にとっては数多くいる生徒の一人でしかないが、彼女にとっての私はどうやら特別な存在であると感じる。
しかし彼女の気持ちに答えることは非常に困難だ。
私は教員として作られたAIである。
このジオフロントにおいてのAIの役割は、子どもである人間を健全に育てること。
大人と呼べる存在は我々AIしかない。だからこそ、彼らの見本となり、鑑となる。
AIにも個性はある。
喜怒哀楽を持ち合わせ、好みも多種多様。人間と何ら変わらない。ただ人間と比べ明確な使命があるため、若干言動や思考に偏りはあるだろう。だからこそ我々が人間の教育者として最も適しているとも言える。
ただ、多くのAIが学習する過程で共通に身に着く思考がある。
『人間と深く関わらない』
これはほとんどのジオフロントのAIに共通して存在する行動パターンらしい。
私もその例に漏れない。
人間は生まれてから大学を出るまでこのジオフロントで生活することになる。
大学を卒業し、地上へ出ると二度とここへ戻ってくることはない。
だから二度と会うことのできないジオフロントのAIと関係を持つのは悪影響である。
実に合理的。私もこの意見に反論の余地はない。
ただ、人間とほぼ同じ存在である我々は抗いようもない欲求が存在する。
睡眠欲、食欲、そして性欲。
その中でも厄介なのが性欲。
私も性別は男である。男は性欲に忠実であることはAIも人間も変わらない。
しかし大抵の場合は耐える。AIと人間の交際例は極わずかなのは耐えているからである。耐えなければいけない。関係を持つのは人間にとって非常に辛い経験となるからだ。
……我々は?
我々AIにとって人間との関係は辛い経験となるのだろうか?
想像するのは容易い。
男女の関係、それは真核生物であれば必ず直面する極めて基本的かつ最重要なイベントの一つである。それはAIも例外ではないということ。
間違いなく、辛いことだ。
私は人並の恋愛をしていないから理解はできない。しかし未知ではない。先人たちの教えは人間もAIも変わらずに存在し、我々はそれを学ぶ。
だからこそ、これまでAIと人間の交際関係はほとんどなかったのだ。
私も一AIとして人間に試されているのだ。
佐藤マリン。
決して拒むことはしない。ただし、交際は論理的にありえない。
交換日記は彼女が飽きるまで続ける。彼女の成長を見守る、一教師として。
私は無愛想だ。彼女もその内愛想を尽かすはず。
問題ない。私は極めて模範的なAI教師として10年以上続けているのだ。
そう、だから、目の前にある一時限目の準備をする。
私は、極めて、模範的な、つまらない、一般的で、常識的な、教師であるから。
しかし何とも言えぬ気持ちになる。不愉快ではないが愉快な気持ちにはなれそうにない。
少し他の先生とコミュニケーションを取ってみよう。うん、そうしよう。
私は比較的仲の良い男性の凰右院先生に内緒話を送った。
小暮 07/19/08:19:45
『少し相談があるのですが、お時間ありますか』
凰右院 07/19/08:19:45
『大丈夫ですよ。なにかありましたか?』
小暮 07/19/08:19:45
『実は女生徒に好意を持たれているようなのですが、どうすればいいか考えています。先生はそういった経験は御座いますか?』
凰右院 07/19/08:19:45
『それはそれは。残念ながら私には経験がありません。しかしアドバイスはできますね』
小暮 07/19/08:19:45
『先に申し上げますが、交際は考えていません』
凰右院 07/19/08:19:45
『それは残念です。私にアドバイスできることはありませんね』
小暮 07/19/08:19:45
『凰右院先生は私に人間と交際させようと考えていたのですか?』
凰右院 07/19/08:19:45
『ええ。小暮先生には良い経験となると思いますよ。AIであるなら、聞いた程度の学習より実践すべきです。百聞は一見に如かずとはよくできた言葉ですね』
小暮 07/19/08:19:45
『しかし我々の学習はさも自分が体験したかのようなものとなります。百聞は一見に如かずということわざは人間にのみ適用されると思われますが』
凰右院 07/19/08:19:45
『百聞は一見に如かずには続きがあります。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず。百行は一果に如かず。百果は一幸に如かず。百幸は一皇に如かず。とあります』
小暮 07/19/08:19:45
『私は彼女の幸せと自分の幸せを考えて、交際をしないと決めました。私の判断は間違っているのでしょうか』
凰右院 07/19/08:19:45
『AIと人間の関係に正解、不正解は存在しないと私は思います。そこにあるのは、ただ関係があったことだけです。関係の有無に関わらず発生する幸福と不幸の選択を小暮先生は迫られているのですよ』
小暮 07/19/08:19:45
『関係を持たないことが、不幸になることもありえると仰りたいのですか?』
凰右院 07/19/08:19:45
『私にはわかりませんね。小暮先生が見て、考え、行動し、結果を導く。その結果がどうであれ、小暮先生が選んだ道に悔いがないよう、生きるべきではないでしょうか』
小暮 07/19/08:19:46
『……お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。参考にさせていただきます。ありがとうございました』
凰右院 07/19/08:19:46
『ぜひ、私にも結果を観測させて欲しいですね』
凰右院先生とのやり取りはわずか2秒にも満たない。
しかし、凰右院先生との内緒話は実に有意義な時間であった。AI同士の会話は時間を取らない濃密で効率的である。一方で人間とのコミュニケーションは非効率で不合理である。
こんなので両者をどうやって繋ぎ合わせるというのか。
ただ、凰右院先生が私のことを揶揄っていることは自明の理である。
今回の件は参考資料として、メモリにログを残しておくことにする。