7. サクラの下には死体が埋まっている
サクラという自分の名前がキライだった。
私にこの名前を与えた男は、髪の色が桜の花に似ていたからという単純な理由だと言っていた。
しかし、皮肉にもその名は私にピタリとあてはまっていた。
桜はその艶やかな花を咲かせるために、その下に埋まっている死体から養分を吸い取るという。
自分の下にもこれまで手を下してきた様々な人間の死体が転がっていた。
物心ついたときから、自分を生んだ親の顔を知らず路地裏のゴミをあさる生活を続けていた。そんなとき、妙な男に声をかけられた。
ごはんをたべさせてくれるというので警戒しながらもついていくと、四角い無機質な建物に同じような境遇の子供が集められていた。
そこがイロイダ機関と呼ばれる諜報員養成所だと知ったのは、外に出た後だった。
様々なことを体に叩き込まれた。おぼえるごとにごはんが与えられ、落ちこぼれはいつのまにか姿を消していた。
覚えることは多く、武器の扱い方から宮廷での作法まで、何に使うかわからないまま技術と知識を体にしみこませていった。特に教え込まれたのは他人の意識を誘導し、あやつる洗脳術だった。
教官役の男は私に言った『自分を人間などと思うな、執着心を捨てろと。感情に引きづられると隙ができる』と。そのためにか、生まれてきたときの名を捨て、諜報員としての新たな名をつけられた。
つらい訓練から逃げ出した先に行く当てもなく、大人たちはそれがわかっているからか、特に監視の目を光らせることもなかった。
次は誰がいなくなるのだろうかと子供たちが無表情でいる中、感情をむき出しにして大人に食って掛かる少女がいた。
罰としてごはんを与えられず、腹を鳴らしながら横たわる少女を放っておけず、パンを分け与えた。
笑顔で『ありがとう』と言われ、それは生まれて初めて他人に感謝された瞬間だった。
それがチエリとの出会いだった。生きる理由のなかった私達はお互いの存在にそれを求めた。
『いつか自由になったら一緒に暮らそう』と約束を交わした。
1年に及ぶ訓練が終わると、機関に与えられた任務をこなしていった。
たくさんの人をだまし、傷つける罪悪感から目を背けるようにチエリのことだけを考えていた。
チエリとのやりとりはいつも手紙でのものだけだった。彼女も別の場所で任務にあたっているらしく、詳しい話は機密事項となるため書かれていなかった。
あるとき、偶然にも次の対象と彼女の任務地が近いことを知った。
本部からは諜報員同士での接触は避けるように言われていたため、彼女に少しだけでも会えたらいいと思い身を隠しながら訪ねることにした。
しかし、彼女の姿を見つけることはおろか、その痕跡すらなかった。
急な指令ですれ違いになったのだろうと、がっかりと落ち込みながら帰っていった。
3日後、本部からの手紙とともに届いた彼女からの手紙には、まだあの場所にいることが書かれていた。
わけがわからなかった。
私は徹底的に彼女について調べ上げていった。
そして、行き着いたのは、チエリという少女など存在しなかったという真実だった。
感情が不安定な子供を諜報員として使う際に、心の拠り所をつくることで安定した運用を目指す実験の一環だったらしい。
候補対象の子供と友達となるように仕向け、その後は機関の名も知らぬ誰かが書いた手紙をエサのように与え続けていたようだ。
なにもかもが馬鹿らしくなった。
周囲の人間を操り続けていた自分が、実はただの人形だったという事実に笑いすら出てこなかった。
なにもかもを放り出して国外にでも逃げ出そうと思った。しかし、すでに着手していた作戦が佳境段階に入っていた。
王立学園への留学生という身分を用意され、王国の王太子を篭絡して内部から混乱させるという任務だった。
同室には手ごまとして洗脳しやすそうな女子生徒も用意されていた。
名はアンジェリカ・パルガル。子犬のように懐いてきてとても扱いやすい少女だった。
その様子は、チエリを心の拠り所にしていた自分と重なり胸が痛んだ。もしも、普通に出会っていたら……と思うこともあったが、いまさらだった。
彼女を使って本部との手紙のやり取りを行うことで、王国内務省からの注意を分散させていった。
既に王国の内務省からマークされているようで、もしも私が姿を消せば疑いは深まるだろう。
そして、手紙を出していたアンジェリカに共謀の疑惑が残る……。
既に時間があまりなかった。何を優先するべきか決めなければならなかった。
自分か、それとも哀れな操り人形の少女か。
もしも、計画の初期段階だったなら、ただの留学生としてそのまま卒業を迎えればよかっただろう。
しかし、既に内部の生徒たちへの仕込みを済ませ、王太子と婚約者である公爵令嬢との間に亀裂も出来ていた。
私にできることといえば、アンジェリカ、この子だけを救うことだけだった。採れる方法は数少なく、下策といえるものばかりだった。
それでも、やるしかなかった。
内務省からの監視役として学園に派遣されていたアレクシア・コルヴェがアンジェリカに接触を始めた。おそらく、私への揺さぶりのつもりだろう。
もしも、私が本国のために動いていたとしたら、それは邪魔となるものだったが、むしろ今の私にとっては助けとなった。
アンジェリカを誘導し、私に疑惑の目を向けるように仕向けた。
そして、卒業式前日、とうとう彼女は本国宛に出していた手紙の暗号を読み解く。
手紙に書かれていたとおりに、現地協力員の処分のためにあの子に毒物入りの口紅も渡したおいた。
あの子の性格からいって、使わずにずっとしまい続けるだろうから、危険はないはずだ。
これが証拠となり彼女への疑惑も薄くなるだろう。
さあ、準備は整った。
後は舞台に赴くだけだ。