6. 裏切り者
「どうだい、何かわかったかな?」
「……いいえ」
あれから、お姉様が手紙を出すごとにその複写をアレクシア・コルヴェから手渡されていた。
書かれていたことはいつもと変わらず時節の挨拶や、近況についてだった。
受け取った複写は、自室の机についている鍵付の引き出しにつめこんでいた。
この日も、人気のない廊下で複写を受け取ると自室に戻った。
「おかえりなさい、アンジェリカ」
珍しくこの日はお姉様が先に部屋にお戻りになっていた。
手に持ったままだった手紙の複写を、さっと背中に隠すが、視線が向けられていた。
「誰かからの手紙かしら?」
「ええ、まあ……」
いまだにアレクシア・コルヴェのことを話せずにいた後ろめたさから言葉を濁すと、お姉様の口元が横に広がり、目にいたずらな光がともった。
「もしかして、殿方からの恋文? お相手はだれかしら」
「ひ、秘密です」
「あら、残念。アンジェリカと恋の話で盛り上がれたらステキだと思ったのに」
慌てて鍵をあけて机の引き出しにしまいこむわたしを見ながら、お姉様がいつもの微笑みを浮かべていた。
「あなたに貸した旅行記にも、ステキな女性との出会いが描かれていたわね」
主人公は旅先で財布をすられそうになるが、逃げられる直前で捕まえる。しかし、捕まえた相手からは自分の財布を見つけることはできず、自分のポケットに入っていたことを気づく。疑ってしまったことを謝り、そこから奇妙な縁が生まれるというエピソードだった。
「彼女はいつも陽気で屈託のない笑顔を見せて、人生に疲れていた主人公を癒してくれました。あの旅行記の中でも好きな登場人物の一人ですわ」
「でもね、アンジェリカ。彼女は本当に何も盗んでいなかったのかしら?」
お姉様の質問に首をかしげた。主人公はすぐに財布を確認し、他の貴重品も大丈夫だと書かれていたはずだった。
「彼女が最初にしたのはただのきっかけ作りで、そのあと主人公とつながりを持つのが目的だとしたらどうかしら」
「えっと、彼女は主人公とお話をしたかったということでしょうか? あっ!? つまり、心を盗んでいったってやつですね」
「アンジェリカはなかなか詩的な表現をするのね」
わたしの思いつきに、お姉様は満足そうな笑みを浮かべていた。
その日は、お姉様が部屋になかなかもどってこなかった。もしかしたら、今日も王太子殿下との逢引をなさっているのかもしれない。
戻ってきてもなんでもない顔をして出迎えよう。きっと大丈夫だ。
気をまぎらわせようと、お姉様から貸していただいた本のページを一枚一枚大事にめくった。
何度読み直したかわからないが、この本だけがお姉様との唯一のつながりだった。
ふと、気になる一節を見つけた。手紙に出てきた地名が本の中に出てきたのだが、そこに違和感を感じた。
『東の国の首都であり、なつかしき故郷トウキョウに戻った私の目で色鮮やかな花びらが舞い散った。いつのまにか旅にでてから1年がたったようで、桜の季節を迎えていた』
お姉様の話では、東の国には“桜”という木があり、春になるとそれはそれは見事な花を咲かせるそうだ。
あまりにも綺麗なその花の下には人間の死体が埋まっているという逸話を聞かされ、お姉様におどかされたものだった。
違和感の正体を知るために、鍵をあけ奥にしまいこんでいた手紙の束を取り出した。その中の一つに目を向けた。
それは、最近送られたものであったが、時候の挨拶に桜という言葉が使われていた。いまはまだ冬だというのに、桜は7分咲きという言葉が書かれていた。
よく見ると、これまで送った手紙の中には必ず“桜”という言葉が使われていた。手紙の日付が進むごとに、つぼみが花を広げ始め、まるでそれは物事の進行段階を示唆しているかのようだった。
手紙を広げ、考えに没頭するわたしは気づいていなかった……。
「アンジェリカ、アンジェリカったら」
「っ!? お、お姉様」
いつのまにか部屋に入ってきていたお姉様が後ろに立っていた。
「まあ、たくさんのお手紙ね。相手の方、よほど熱心な方のようね。ちゃんと応えてあげないと失礼よ」
まるで気づいていないかのように、いつもの微笑を浮かべていた。
お姉様の立っている位置からは、本当に手紙の内容まで見えなかったのだろうか。その真意がわからないまま、震える指先で手紙をしまっていった。
「す、すいません、少し考え事をしていたので」
「そうなの、ごめんなさいね、邪魔をしちゃって」
「いいえ……。それで、何の御用でしょうか?」
「あなたにこれを差し上げようと思って。もうすぐこの学園から卒業して別れてしまうから、記念に受け取ってもらえないかしら?」
お姉様の手からスティックタイプの口紅が手渡された。黒くつややかな表面をしたフタをはずすと、中からは落ち着いた赤色が見えた。
「本当にいただいてよろしいのですか? わたしには少し大人びた色に見えます」
「アンジェリカに似合いそうな色だと思って選んだものよ。ここぞというときに使うと相手の目を惹きつけられるわよ」
「大事に使わせてもらいます」
あ、まただ。
お姉様はいつもの微笑とは違う、満足気な笑みを浮かべていた。
お姉様の考えていることがわからなかった。
その日から、次の日も、その次の日も、お姉様の手紙を読み込んでいった
見つかることが度々あったが、何もいってくることはなかった。
そして、わたしは知った。
「お姉様の、裏切り者……」
手紙を読み解いた結果、お姉様の秘密を知った。そして、わたしという存在がどういうものとして捉えられていたかを理解してしまった。
卒業式、前日のことだった。