5. まるで人形のように
最近、お姉様と過ごす時間が減っていた。
他の方と楽しげにしているお姉様、わたしはその姿を遠目で見ているだけで十分だった。
お姉様に頼まれた手紙を商業組合まで届けた後、なんとはなしに王都の街中を歩いていた。
ブーツのつま先でこつこつと石畳を叩く音をかなでていると、古物商の店が目に入った。
店先はガラス張りになっていて、店内の様子をのぞくことができた。
真鍮のくすんだ金色のオルゴール、カチカチと針を動かし続ける壁時計、そして、力なく腰かける少女を模したビスクドール。
「奇遇だね、アンジェリカ。買い物かな?」
不意に背後から声をかけられ振り向くと、そこには親しげな笑みを浮かべる女子生徒が立っていた。
彼女はアレクシア・コルヴェ、内務省大臣を父にもつ上級貴族のご令嬢だった。
お姉様を探して風呂場で行き先を尋ねたとき以来、廊下ですれ違ったときなど挨拶を交わす仲になっていた。
貴族の令嬢にはめずらしくうなじがみえるほど短く切りそろえた髪型をしていたが、中性的な雰囲気の彼女に似合っていた。
口調も男性が使うものであるが、彼女が口にすることで不思議な魅力をかもしだしていた。
「ごきげんよう、アレクシア様。めずらしいものがあったので、つい見入っていました」
「へえ、キレイな子だね。人形がすきなのかな?」
人形を見つめるが、その無機質な瞳がわたしを見つめ返してくることはなかった。
「昔、父にねだって買っていただいた子がいたもので、少し思い出していました」
「それはよかったじゃないか。ビスクドールは結構値の張るものだからね。お父上も奮発なさったのだろう」
「ええ、毎日栗色の髪をブラシで梳いてあげて、とても大切にしていましたの。ですが、ある日、無断で兄が家から持ち出してしまい、領地の子供たちに見せびらかしたそうです。ですが、返ってきたときには宝石のような瞳も大理石のような肌も汚れてしまっていました」
「それは、残念だったね」
「子供のしたことですから、仕方ありませんわ」
そういえば、あのあと人形はどうしたのだろうか……。泣き喚きながら兄を罵り、ケンカしているところを母に叱られた場面までは覚えていた。
「それじゃあ、ボクはこのへんで失礼するよ」
雑踏の中にまぎれていく背中を見送り、人形を一瞥したあと帰ることにした。
―――わたしにはもう人形なんていらない、だってお姉様がいるのですもの。
秋が終わりを向かえ冬の気配のただよう中、お姉様の姿を見つけた。
「お姉様!!」
「あら、アンジェリカ、どうしたのかしら?」
「いえ、特に用事というわけではないのですが、これからどちらへ? もし、よろしければお茶でもいかがでしょうか」
お姉様の返答を聞こうとしたところに、「サクラ様」と呼びかける声が聞こえた。
そこにいたのは、公爵令嬢のパトリシア様と親しくしている令嬢方だった。
「サクラ様、帝国から取り寄せました茶菓子をご一緒にいかがでしょうか。最近、サロンにあまり顔をお出しにならなくて皆が寂しがっておりましてよ」
「ごめんなさいね。先に約束がありまして、また誘っていただける嬉しいですわ」
「最近、サクラ様が殿方とお付き合いしていると噂が流れているのですが、もしかして~」
期待に満ちた令嬢方からの質問に対してお姉様はいつもの微笑を返すだけだった。そこから勘ぐった令嬢方は黄色い声を上げた後、姦しいしゃべり声を出しながら離れていった。
「お姉様、もしかしてわたしのために―――」
「アンジェリカ、そういうわけでごめんなさいね」
喜びは落胆に変わり、遠ざかっていくお姉様の背中を見送りながら立ち尽くしていた。
冷たい風が頬にあたり、体も心も冷えていった。
「どうしたの? そこ、寒くない?」
「アレクシア様……」
いつのまにかそばにいたアレクシア様が心配そうにわたしを見ていた。
「ラウンジのほうにいこうか?」
「いえ、あそこは……」
王太子殿下がいるかもしれないと思うと気が引けた。
「それなら、ボクの部屋はどうだろう? お茶の一杯ぐらいはだせるよ」
そこに浮かぶ表情は、どこかお姉様を彷彿とさせる人形のような微笑だった。
学生寮の上級貴族専用の個室は、ベッドの数や家具が一人分なせいか広く感じられた。
「家具は備え付けのものだからね。相部屋用の部屋とほとんど違いなんてないんだよ」
寮で生活する生徒たちは、自分の好みに合うように小物を持ちこみ部屋を飾りつけるのが普通であった。しかし、この部屋はさっき入居したかのように、彼女の人間性を感じさせるものが見当たらなかった。
ドアがノックされ寮の使用人が運んできた紅茶を、アレクシア様がテーブルに置いた。
カップから立ち上る湯気ごしに彼女の顔をチラリと見るが、そこには変わらず微笑みを浮かべていた。
世間話を交えながら、この間街で会ったときの話に移った。
「キミは手紙をよく出しているみたいだけど、けっこう筆まめなんだね。両親あてかい?」
「それもあるのですが、お姉様に頼まれたものもあります」
「お姉様……、サクラ嬢のことかな? たしか君は彼女と寮で同室だったかな」
「ええ、王都にきて一番の幸運は、お姉様と一緒になれたことだと思っています」
脳裏にお姉様と過ごした日々がよぎった。
「楽しそうだね。せっかく個室を用意してもらえたけれど、相部屋にしたらよかったと少し後悔しているよ。サクラ嬢もキミのような友人ができてきっと喜んでいるだろうね」
「そう、だといいですね」
もしも、わたし以外の子が同室になったとしてもお姉様に変化はなかったのかもしれない、という可能性を考えてしまった。
しかし、お姉様の隣に別の人間がいる光景を想像するだけで、背筋が震えた。
「サロンでサクラ嬢のことを見かけることがあるけれど、最近の殿下はサクラ嬢がお気に入りのようだね」
「お姉様も殿下と会ったあとは、楽しげにしていらっしゃますわ」
「他の生徒もみんな彼女を好意的な目でみている。パトリシア様の取り巻きの令嬢たちも、最初は険のある目つきで見ていたというのに、いまでは彼女にしっぽを振っている」
彼女の口から出てきたの言葉は、パトリシア様から語られたものと同じく、お姉様を警戒するものだった。
「ボクとしては一番心配なのはキミだよ」
「わたし、ですか?」
ジッと目を合わせてくるパトリシア様の瞳を、きょとんと見つめ返した。
「キミは子犬のように彼女になつき、彼女の言葉に過剰に反応している。なんというか、キミはまるであやつり人形のようだよ」
「そんなことありません!! わたしはわたしの意志でお姉様のために動いています!!」
声を荒げるわたしを見る目には憐れみが含まれていた。
「君が毎月せっせと届けている手紙だけど、中身は知っているかい?」
「他人の手紙を盗み見るなんてこと……」
「ははっ、別に盗み見ているなんて一言もいっていないよ」
過去の浅ましい行いを暴かれ、頬が紅潮するのを感じた。
「国外に送られる手紙は内務省によって検閲されているのだけれど、彼女の手紙の内容ももちろん確認している。書かれていたことはなんてことのないことばかりなんだけれど、どこか違和感があるのさ」
「なぜ、あなたがそんなことを」
唐突に聞かされた内容に驚くわたしの前に紙の束が置かれた。
「それ、彼女の手紙の写しだよ。見たかったんだろう? いいよ、好きなようにしてくれ。捨てても燃やしてもいい」
拒否の言葉を投げつけたかった。
だけど、わたしの震える手はテーブルの上にのびていった。
「ボクらはそこに何らかの暗号か符丁が使われてると踏んでる。もしも、何かわかったら教えてくれないか。キミも国に仕える貴族の一員としての義務をはたしてくれ」
手紙を手に静かにたちあがると、無言のまま部屋を足早に出て行った。
わたしはお姉様の味方だ。たとえ、捕まって拷問に処されたとしても絶対に口を割らない自信があった。
何度でも我慢できる、わたしとお姉様とだけで積み上げた日々があるのだから。わたしの思いが報われなくて徒労に終わってもいい、わたしのすべてはお姉様のためにあるのだから……。
そうだ!! 全てを話してしまおう。そうすれば、お姉様はきっと笑って許してくださるはずだ。
「お姉様!!」
寮の部屋にもどったが、そこに求めた姿はなかった。
すぐにでも会わないといけないという焦燥感に突き動かされるように、息を切らせながら探し回った。
そして、見つけた。
夕陽に染まる人気のない教室の中で重なるお姉様と王太子殿下の姿を……。
赤く染まる中、二人の姿は一つの影となっていた。
柱の影に慌てて身を隠し息を殺していると、お姉様が教室から出てきた。
お姉様は乱れた襟元を直した後、頬を染めながらそっと唇に触れた。その口元は湿り気を帯びていた。