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4. お姉様のためならば自分の思いなんて

 学園の庭には季節折々の花が咲き乱れ、専門の職人によって手入れがなされた庭木によって箱庭が作られていた。生徒たちの憩いの場所として利用され、時には青空の下で茶会が開かれた。

 その日は、公爵令嬢のパトリシア様主催のお茶会が開かれていた。上級貴族の方々ばかりの華やかなもので、その中には王太子殿下とお姉様のお姿もあった。

 寮の部屋からお姉様の姿を見ていると、いつものサロンのように人々の輪はお姉様を中心に広がっていた。


 王族特有の金色の髪を揺らした貴公子然とした殿下が隣で楽しげな笑みを浮かべ、淡い桃色の髪のお姉様の取り合わせはさながら物語の一幕のようだった。

 

 最近ではお姉様と王太子殿下が一緒にいる姿を見かけることが多くなり、茶会の最中も殿下はもっぱらお姉様に話しかけていらっしゃった。

 茶会の主人であるパトリシア様が殿下に話しかけるが、二言三言だけで次の話題に移っていった。

 このときの彼女の表情が印象的だった。もどかしそうに殿下を見つめる姿を見ていると、どうしてか、彼女に共感を覚えた。


 

 ある日、授業が終わり寮に戻ろうと廊下を歩いているところをパトリシア様に呼び止められた。


「パルガル子爵家のアンジェリカ様ですよね。少しお話がしたいのですが、お時間をいただけるかしら」


 アイスブルーの瞳が、わたしをまっすぐに見つめていた。

 特にこれといったつながりもないわたしに、パトリシア様がどんな用だろうかと疑問に感じながらも、公爵家令嬢からの招待を断れるわけもなかった。

 連れて行かれた先は上級貴族が使用するサロンの中でも特別な場所で、他に人が来ることのないバルコニーであった。


 ただ一つ置かれたテーブルごしにパトリシア様と対面し、秋にはいったばかりのさわやかな風が髪を揺らした。

 夜の闇を思わせる黒髪と、冬の湖畔のようなアイスブルーの瞳に緊張を感じた。


「急に呼び出してしまってごめんなさいね」


「いえ、滅相もありません」


 パトリシア様はふわりと口元を緩め、優しげな表情をした。それは相手の緊張を緩めるためのものであり、ここで彼女への印象が変わった。


「最近、サクラ様と交流を持つようになりましたが、奥ゆかしい彼女はあまりご自身のことを話そうとせず距離を感じていますの。サクラ様の同室のあなたから見た彼女を教えていただけるかしら」


「お姉様、ですか?」


 お姉様の魅力を語ろうとしたら、昼が夜になり鶏がなく時間になったとしても語りつくせないだろう。


「お姉様を例える言葉を探そうとしたら、きっとそれは王都の図書館丸ごと使っても表現しきれないでしょう。まず、その美しさは、妖精のように神秘的でありながら、微笑むと月のような柔らかな光で人をひきつけます。さらに、その知見の広さは大海の水のように底の知れず―――」


 気がつくと、目の前のパトリシア様が驚いたように紅茶入りのカップを手にもったまま固まっていた。


「し、失礼しました。つい熱がこもってしまいました」


「いえ、気になさらずに。あなたにとってとても大切な存在ということが伝わってきましたわ」


 パトリシア様は上品な仕草でカップを傾け、唇を湿らせた。


「彼女は不思議な方ですね。入学したころは、ほとんど交流のない東の国よりきた留学生ということで奇異の目で見られていましたが、いまではほとんどの者が彼女に好意的です。その中には、殿下も……」


「殿下はお優しい方ですから、留学生であるお姉様が孤立しないように配慮なさっているだけでしょう」


「そうね……。殿下はいつでもお優しく、そしてだれにでも平等に接していらっしゃいます。ですが……、殿下の視線の先にはいつも彼女の姿があります」


 パトリシア様は悲しげに目を伏せた。手の中の紅茶はいつのまにかすっかり冷めていた。

 

 

 パトリシア様と別れた後、あのバルコニーで聞いた言葉が頭の中で残響していた。

 殿下にはパトリシア様という幼い頃から決まっていた婚約者がいらっしゃる。彼女の心配は杞憂でしかないはずだ。

 

 放課後になり人気のない廊下を歩いていると、空き教室からお姉様と王太子殿下の話し声が聞こえきた。


「―――キミの国にいつかいってみたいものだな」


「―――そのときは私が案内させていただきますわ」


 廊下からこっそりと中をのぞくと、親しげな雰囲気で談笑する二人の姿が見えた。

 

 ただの学友同士の語らいであるはずなのに、どうしてか身を隠し聞き耳を立てていた。こんな盗み聞きのような真似などするべきではないと思いながらも、やめることはできなかった。


 話題がお姉様の故郷である東の国のことから、家族のことに移っていくのを聞きながら、わたしは不遜にも殿下のことを憎らしく感じた。お姉様と故郷の話をするのは、わたしの役目だったはず。

 あまり他人にご自身のことを話そうとしないお姉様にとって、心を許せる相手が見つかるのはいいことだった。しかし、自分の居場所が取られたようで、足元がぐらついたように眩暈を感じた。

 

 背後から聞こえてくる笑い声がどこか遠いもののように感じながら、ふらつく足取りで寮の自分の部屋に戻った。

 

 

 歪んだ心から血が滴るように瞳から涙が流れ、ベッドの枕に顔を押し付けながら獣のように嗚咽を漏らしていると、部屋のドアが開く音が聞こえた。慌てて泣き声を引っ込めると、足音はベッドの横で止まった。


「アンジェリカ、具合が悪いのかしら? お医者様をよびましょうか」


 寝そべったまま重い頭を動かすと、お姉様が心配そうに眉尻を下げていた。

 いつも微笑みを絶やさないお姉様の表情を崩してしまったことに、罪悪感が生まれ、顔を隠すように枕に押し付けた。


「いいえ。すこしだけ、疲れただけですわ」


「なにか心配ごとがありましたら相談してくださいね。出来る限り協力しますから」


 ベッドで突っ伏するわたしの頭を、慰めるようにそっとなでてくださった。

 その優しさに触れながら、自分のことだけを考える心を恥じた。

 わたしにはお姉様から与えてもらったものが、もう十分すぎるほどにある。これ以上望むことは贅沢なのだろう。

 

 パトリシア様への謝罪を心の中でつぶやきながら、お姉様の恋路を陰からお手伝いすることを誓った。

 

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