3. 秘密を覗き見る背徳に酔い痴れる
今日もお姉様は人々の中心にいた。
皆がお姉様の一挙一動に注目し、さながら劇場の花形役者のようであった。
近頃では、有力貴族の子弟で構成されたグループからも声をかけられている様子で、学園内のサロンで楽しげに会話を交わしている様子をお見かけした。
その中には王太子殿下もいらっしゃった。
以前のわたしだったら、お姉様が遠くにいってしまったようで寂しさを感じていただろう。
だけど、お姉様のかわいらしい部分や、すこし意地悪なところなど他の誰にも知られていないことを、自分だけの宝石箱にそっとしまっていることが誇らしかった。
ある日、街への外出する用事があったため身支度を整えていた。
ふわっとしたあまり体の線を強調せず、通気性のよい薄手の木綿の外出着に着替えた。
「アンジェリカ、お出かけかしら? 可愛いドレスね」
「ありがとうございます。両親へ手紙を出そうと思いまして、ちょっと街に出かけて参りますわ」
「親孝行なのね。商業組合まで出向くのは大変でしょう。学園の使用人に頼めばよろしいのではなくって?」
外では夏の太陽が、ギラギラと容赦のない暑さを振りまいていた。手紙を配達してくれる商業組合の建物まで、学園に勤める小間使いさんが定期的に手紙を持って行ってくれている。たいていの生徒はそれで済ませているが、わたしにとっては王都を出歩くという楽しみがあった。
「王都観光もしてこようと思いまして。お姉様も何かお手紙がありましたら一緒にもっていきましょうか?」
「それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら」
お姉様は机の引き出しから、飾り気のない白い封筒を取り出した。
手渡された封筒を両手で押し抱くように受け取ると、お姉様に見送られ学園の外へと出かけた。
日傘を差しながら、王都の往来を歩いていると、故郷の領地では見られない様々な光景を見ることができた。
卒業後、領地にもどったら、再度王都に来る機会はめったにこないため、いまのうちに楽しむつもりだった。
上機嫌で歩きながら、お姉様に頼まれた封筒をちゃんと持っているかと心配になりときどき確認していた。
懐から取り出した白い封筒を見ながら、不意にどんなことが書かれているのか気になってしまった。
お姉様はあまりご自身のことを語ろうとしない方で、いまだにご家族や故郷の話を聞くことができずにいた。
いけないことだとはわかっていた。しかし、行動に移すまでにさほど時間はかからなかった。
誰かに見られていやしないかという不安で、どくどくと頭の中で脈打つ音が響いていた。
空で輝く太陽に向かって手紙を向けると、日の光が透けて中身がわたしの目に入ってきた。
見えたのは断片的な言葉だけだったが、お姉様の秘密を覗き見たようで後ろ暗い喜びが胸の内を満たしていった。
帰ったわたしを見て、お姉様は「ありがとう、おかげで助かったわ」とおっしゃられた。信頼を裏切っているという罪悪感で、その夜はなかなか寝付くことができなかった。
次の月、定期的に送る両親への手紙と一緒に、お姉様から再び封筒を預かっていた。
預かるときに以前のことを思い出してためらっていると、「こんなことはアンジェリカにしか頼めないから」と言われ、わたしの手は封筒を握っていた。
少しだけ暑さの和らいだ日差しの中で、わたしは封筒の中身を空かしてみることに再び没頭していた。
そこには、お姉様の故郷である東の国を示す言葉が見え、暑い日ざしに構わず夢中で目をこらした。
知らない土地のことに興味を感じ、刺激を受けるという経験は、この王都で感じた以上のものだと思ったが、これは言い訳なのだろう。
お姉様の秘密を知ることができたという事実に、自制心を失っていた。わたしにとってお姉様と秘密を分け合うに等しい行為であり、罪悪感に満ちたそれは甘く切ない味がした。
寮の部屋に帰ったわたしを、お姉様がいつもの微笑で迎えてくださった。
「おかえりなさい。暑かったでしょう」
日差しの中で小一時間以上立っていたわたしは汗をかき、ドレスの首元に汗じみができていた。
ハンケチで汗をぬぐいながら、お姉様の表情を横目で見るとその瞳はジッとわたしの姿を捕らえていた。
後ろ暗さに耐え切れずそっと視線をそらすと、お姉様が静かな口調で語りかけてきた。
「あなたの興味を引くことは書いてあったかしら?」
息を飲み呼吸を忘れそうになった。このときの衝撃を生涯忘れることはできないだろう。お姉様はとっくにわたしの浅ましい行為を見破っていた。
「……お姉様、申し訳ありません」
震えながらうつむくわたしに、お姉様は不思議な笑みを向けてきた。そして、一冊の本を差し出してきた。黒革で装丁されたポケットサイズの本で、表紙にはタイトルは見当たらなかった。
「あなたに、この本を貸してあげるわ」
戸惑いながらも受け取ると、お姉様はそれ以上なにも追及してこなかった。
きっとこの本にお姉様の言いたいことが書かれているのだろうと、一人になれる場所でページを繰り始めた。
それは、東の国を舞台にした旅行記だった。東の国出身の筆者が、自分の体験を元に書いたもののようで、実際に見聞きしたような気分になることができた。
その日からしばしば、本の内容を交えて東の国を話題にお姉様と語り合うようになった。
それはとても幸せな時間だった。
「お姉様、卒業後は東の国にお戻りになるのですか?」
「そうね。家からは見聞を広めるために留学を許可されたけれど、帰ったら見合い相手を用意されているでしょうね」
「わたしも似たようなことになりそうです。両親には無理をいって学園にいかせてもらいましたから」
「アンジェリカならいい相手がみつかるはずよ」
「パルガル子爵家のミソっかすなんていわれていて、相手にはこちらから頭を下げることになりそうです」
見合い相手は父が選んだ男性だろうけれど、相手にがっかりされる未来が見えた。
「相手に気に入られようなんて受身じゃあ逃げられてしまうわよ。骨抜きにするぐらいの魅力があなたにはあるのだから、相手にもっとアピールする方法を知ったほうがいいようね」
「アピールですか?」
わたしの体は女性的な魅力からは遠い未成熟なものだった。
「ねえ、キスってしたことあるかしら?」
お姉様がその赤く色づいた薄めの唇に舌を這わせると、ぬめりを帯び得もいえぬ色気を感じさせた。
「キ、キス、ですか。殿方とは手を握ったこともありませんし、キスなど……」
「それじゃあ、いまのうちから練習しといた方がよさそうね」
お姉様の指先がわたしの顎にかけられ、向けられた瞳に魅入られたように体が動かなかった。
指先が妖しい動きで唇をなぞり、ゾクゾクと背筋が震えた。
トロンと溶けた視界の中で、目を細め蠱惑的な笑みを浮かべるお姉様の顔が近づいてきていた。
「……お姉様、わたしは」
「レッスンは終わり。アンジェリカの初めてを奪うわけにはいきませんからね」
いたずらっぽい笑みを浮かべたお姉様が、床にへたりこんだわたしを見下ろしていた。
「さっきのアンジェリカ、とてもかわいらしかったわ。そのまま食べてしまいたいぐらいに」
くつくつという含み笑いを聞きながら、どくどくとうるさいぐらい高鳴る心臓を必死に押さえた。
もしも、聞かれてしまったら自分の気持ちまで知られてしまいそうで怖かった。