2. わたしだけが知っているお姉様
夢にまでみた王都での生活であり、お姉様の存在もあって学園生活はとても楽しかった。
生徒たちは良家の子女らしく、皆、礼儀正しく穏やかな気性の方がばかりだった。
しかし、ここは貴族ばかりが通う学園だけあって、貴族同士のしがらみを切り離すことはできなかった。
なんといっても、一番目立つのは次期国王である王太子殿下であった。次に、公爵令嬢であり王太子殿下の婚約者であるパトリシア・グランシエル様が、女子の取りまとめ役として周囲から認知されていた。
わたしといえば、特に中央に影響もない田舎の弱小貴族なので、同じような地方出身の方々とお付き合いしていた。
お姉様もわたしたちのグループに参加するようになると、異国からの留学生ということもあり、皆が親切にこの国のことを教えるようになった。『サクラ様、ご存知ですか?』という言葉を皮切りに話題が広がり、その中心にはいつもお姉様がいらっしゃった。
穏やかな微笑を浮かべ、相手の話にコロコロと笑い声をあげ、時に口に手を当てながら驚く様を皆が見入っていた。
学友たちとの交流という微笑ましい光景であったが、他の方にお姉様をとられたようで少し寂しさを感じていた。
夜の自室で、わたしは机に向かって教本を開き文字を目で追っていた。
領地で家庭教師からある程度の教養は教わっていたが、この学園での勉強は難しく授業内容に追いつくのに必死だった。
お姉様といえば、授業中でも教師からの問いかけに的確な答えを返す才媛ぶりを発揮していた。
「アンジェリカ、湯浴みにいってきますね」
着替えをいれた布袋を手に、お姉様が部屋から出て行くのを見送った。
寮には大浴場が備え付けられ、毎日の楽しみの一つであった。できれば、お姉様といきたかったけれど、もうすこしで切りのいいところまで終わりそうだったので、もうすこし机に向かうことにした。
「ふう、終わった」
ようやく授業の復習が終わり、本を閉じながら首をほぐした。
まだお姉様が風呂場から戻ってらっしゃらないようで、まだ間に合うかもしれいないと、風呂場に向かう準備を始めた。
そんなとき、ふと視界の端にお姉様のバスタオルが目に入った。
「まあ、お姉様ったら忘れ物ね」
きっとお風呂から上がったお姉様が困っていると思い、急いで風呂場まで届けることにした。
湯気の漂う風呂場内を見渡したが、そこには探している姿はなかった。
丁度出てきた女子に聞いてみたが、来ていないということだった。
部屋を出てから既に小一時間たっていて、どこにいったのだろうかと、その姿を探して寮の中を歩き回った。もうそろそろ、消灯時間ということもあって人の姿はすくなかった。
そして、上級貴族専用の個室が並ぶ廊下で、部屋から出てくるお姉様の姿を見つけた。
「お姉様!! 探しましたわ」
ようやく会えた喜びのあまり小走りになって近づくと、扉をしめたお姉様は驚いたように目を見開いた。しかし、すぐにいつもどおりの微笑を浮かべた。
「アンジェリカ、どうしてこちらに?」
「お姉さまがバスタオルをお持ちになっていらっしゃらないようでしたので、届けに参ったのですわ」
「そう、ありがとうね。でも、少し用事があって、お風呂にはまだいってないのよ」
「そうだったのですか……。すいません、余計なことをしてしまいました」
しょんぼりと肩を落としていると、お姉様がステキなことを言ってくださった。
「もし、よろしければ、これからご一緒しませんこと?」
「は、はい!! もちろんです」
お姉様の隣を歩きながら上機嫌で風呂場に向かっていると、途中でさきほど風呂場で会った女子とすれ違った。
「さきほどはありがとうございました。おかげでお姉様を見つけることができましたわ」
「そう、お役に立ててよかったわ。それでは、ごきげんよう」
笑顔で別れ、その背中を見送っていると、彼女が入っていった先は、さきほどお姉様が出ていらした部屋だった。
「あの、お姉様……」
「どうしたの? アンジェリカ」
いつもどおりの微笑を浮かべるお姉様の顔を見ながら、のど元まででかかった疑問を引っ込めた。
お姉様が留守の部屋に入っていたのは、何か用があったからだろう。わざわざ、そんなことを聞くのは無粋に思えた。
風呂場に入ると、消灯時間も近いということもあって他の女子の姿はなく、お姉様と二人っきりだった。
体を洗っていると、お姉様が手招きをしていた。
「アンジェリカ、こちらにいらっしゃい。背中をあらってさしあげますわ」
「そ、そんな、お姉様のお手みずからだなんて」
「いいから、ほら」
お姉様に背中を向けて座ると、優しげな手つきでお姉様のもつタオルがわたしの背中を滑った。
その絶妙な手つきは、きっと、王都の有名なマッサージ師でも再現できないだろう。
心地よさに目を細めていると、やがて温かいお湯がタイル張りの床に広がり泡が流されていった。
「はい、終わり。アンジェリカの肌はきれいでうらやましいわね」
「そ、そんなことありませんよ。お姉様の滑らかな珠の肌に比べれば、わたしのものなんて石畳のようなものです」
「そんなことないわよ。それに、あなたの髪って、光の当たり方で茶色から黄色に変わってとてもきれいね。初めてみたときから好きになったわ」
「え、えっと、そうだ!! お礼に、お姉様の背中もお流しいたしますわ」
特徴もないありきたりな髪を褒められたことが気恥ずかしくなり、急いでお姉様の背中に回った。
風呂で温まって桃色に色づくお姉様の背中に、しっとりと濡れた薄桃色のウェーブのかかった髪がかかり、いつもの神秘的な魅力とは別の艶っぽさを感じた。
お互いの体を洗い終えると、お姉様と並んで湯船に身を沈めた。暖かさが体にじわりとしみこみ、ほぅとため息が漏れた。
「アンジェリカは、褒められるのは苦手かしら?」
「うちは兄が優秀なのですが、わたしはどうにもぱっとしなくて、あまり褒められるようなところがないものでして……。ああ、でも、ちっちゃいころに『しつこさに関しては誰にも負けない』って褒められたことがありました」
おや? お姉様がかわいそうなものを見るような目を向けていた。
「褒められて照れてるアンジェリカってとてもかわいらしくて、なんだかいじめたくなってくるわね」
「えぇっ、お姉様ったら、そんなご冗談を」
お姉様は普段見たことのないいたずらっぽい笑みを浮かべていた。きっとこの表情はわたしだけしか知らないのだと思うと、胸の内に何かが満たされていった。
部屋に戻ると、お姉様がまたあの男の子のようなやんちゃな顔をしながらわたしの髪をいじり始めた。
ドレッサーの鏡越しに、わたしの髪がお姉様の白く細い指に絡みついているのが見えた。
「女は自然に生まれたままの姿ではキレイにななれないの。だから、ドレスや宝石で着飾って、やっと殿方からキレイだっていわれるようになる」
わたしを見つめる宝石のような瞳が優しげな光をともしていた。お姉様の指がすいと髪を梳き、結い上げていった。
「キレイだって褒められたら、それはあなたの努力のたまもの。誇っていいのよ、アンジェリカ」
いますぐパーティーにいけそうなほどきれいに結い上げられた髪の女の子が鏡に映っていた。
「お姉様、ありがとうございます。ずっと、このままでいます!!」
「ふふっ、寝る前にはちゃんとほどかないと癖がついてしまいますよ」
吹き出すように笑うお姉様の笑顔は、いつもとは違う歳相応な少女のものだった。
わたしだけが知っているお姉様がそこにいた。