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月とすっぽん  作者: 竹内緋色
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月とルナ

月とルナ


 カタカタ、ジャブジャブ、ジュウジュウ。

 そんな音といい匂いがしたので、ボクは起きる。

「おはよう、パパぁ。」

 ボクは台所のパパに挨拶する。

「おはよう、月。」

 パパは優しい笑顔でボクにそう言った。ボクはパパが世界で一番大好きで、パパもボクが世界で一番大好き。二番目はボク自信で、次はカンヌシさん。その次ってなると・・・うーん・・・カミサマとかオキャクサマなのかな。ボクはそのくらいのヒトしか知らない。

「神主さんにもあいさつしなさい。」

 パパはボクを見て嬉しそうに言った。

「分かったよ。パパ。」

 ボクもパパをイチコロにする笑顔でパパに言う。

 ボクはブツダンの前に座って、手を合わせた。

「おはよう。カンヌシさん。」

 カンヌシさんは去年死んじゃった。ちょっと怖かった人だけど、でも、なんだかいなくなるとくわあっとして、なんだかよくわからない気持ちになった。こうやってお手々を合わせてお祈りするとそんな感じがする。

「パパは今日、お仕事なの?」

「そうだよ。」

「そうなんだ・・・」

 パパがいないとボクはとっても暇だった。だって、お家の外には出ちゃいけないし、誰とも遊んじゃダメって言われてる。時々、神社に同じ歳の子が来て遊んでて、思わず飛び出したくなっちゃうけど、ダメだって言われてるから、行けない。きっとパパはボクが言いつけを守らないと悲しい顔をするから。時々、何でもないときに急にパパは悲しそうな顔をするから、そんな時はパパにチューをする。パパは止めろって言うけど、そのくせ嬉しそうだった。だから、ボクはやめない。だって、パパがなんだか可哀想になって、それで怒られてもいいからパパに笑顔になってもらいたいから。

「明日はずっといるからね。月の八歳の誕生日だから。」

「やったあ!」

 ボクは嬉しくなって、嬉しくなって、暴れたいようなそんなもどかしい気持ちになる。でも、パパは大人しくしなさいっていうから、我慢する。

「今日は何時に帰ってくるの?」

「五時には帰ってくるよ。」

「分かった。」

「大人しく待ってるんだぞ。」

「うん。待ってる。」

「あと――」

「外に出ちゃダメっていうのと、誰かが来ても絶対に出ちゃダメなんでしょ?もう覚えちゃった。」

「月は賢い子だなあ。」

 パパはボクを抱きしめて嬉しそうに言う。ボクはきっとパパよりもずっとずっと嬉しい。

「早く帰ってきてね。」

「ちゃんと勉強するんだぞ?この前、サボってただろ?」

「ちょっと休憩してただけだもん。大丈夫だよ。」

「そうだよな。うん。月も休憩くらいするもんな。」

 そう言ってもっとパパはボクを抱きしめる。体はごつごつしてて、これが大人なんだな、って思う。ボクも早く大きくなって、パパと結婚するんだ。

「パパ。ご飯が冷めちゃうヨ。」

「ああ、すまんすまん。さあ、食べようか。」

 パパは手を合わせていただきますをする。ボクも続いていただきます。

「月。体は大丈夫か?」

「うん。大丈夫。」

 パパは毎日聞いてくる。一年に何回か大きなカゼをひくから、パパも心配なんだと思う。

「月はどうも体が弱いみたいだから。とってもしんどくなったら、電話するんだぞ?」

「わかってるよ、パパ。」

 でも、最近はちょっと体調が悪かったりする。でも、パパを心配させたくないからナイショ。

「パパもお仕事頑張り過ぎて、倒れないでね。」

「ダイジョブ。パパはカゼなんかひかないから。」

「バカなんだ。」

「親に向かってバカって言ったらダメだぞ。パパなんかそう言っただけで殴られた。」

「パパのパパは殴るの?パパはボクを殴らない?」

「殴るもんか。月はパパにとって、命よりも大事なんだ。」

「うん。ボクもパパのことが命より大事。」

「真似して。」

「えへへ。」

 そんな時、テレビに偉い人が映った。総理大臣らしい。

「この人、なんか悪い事したの?」

「え?どうして?」

「だって、テレビに出る人って悪い人なんでしょ?」

「うーん、そう言えばそうかもな。でも、倉敷はいいやつだよ。」

「ソーリダイジンなのに?」

「ソーリダイジンだからだよ。」

「ふうん。」

 なんだかパパが嬉しそうなので、ボクは不機嫌。総理大臣、嫌い。

「パパ。」

「なんだ?月。」

「今日の目玉焼きはイマイチ。」

「ええ!?今日はよくできたと思ったのになあ。」

「残念。ボクの方が美味くできるもん。」

「月は流石だなあ。神主さんがいなくなって、困ったからなあ。」

「ボクは教えてもらってたもん。」

「くうう。月には絶対に負けないからな。」

「もう負けてるのに?」

 ボクはおかしくなってくすくす笑う。

「ああ。笑ったな。」

 パパも一緒になって笑う。パパといるといつも笑顔になれる。だから、ボクはパパが大好き。


 ボクはパパがお仕事に行ったあと、テレビをずっと見ていた。ドラマだったり、ニュースだったり。テレビの中はボクにとってはなんだか夢みたいで、それは結構現実だったりで、で、それで、外にはそんな世界がいっぱいあるってパパが言ってたけど、別にボクにとってはどうでもいいことだった。だって、パパさえいればいいんだもん。

 時々、パパがお仕事をしているところに行きたくなったりする。でも、パパは怒るだろうし、パパがどこかに行ってしまいそうで嫌だった。鶴の恩返しで、鶴がお仕事をしているところを見たおじいさんは約束を破ったから、鶴だった息子がどこかに行っちゃう。それと同じだと思うから、パパが秘密にしたいことは秘密でいい。別に秘密ってことじゃないと思うけど。パパからは別の男の匂いはしない。パパは男の人が嫌いなのかなって思う時もあるけど、パパはボクを好きだから、別にいい。というより、とってもいい。だって、この世界の男とは違ってボクはパパの特別なんだから。

 お昼だから、何か作らないといけない。面倒臭いし、食べなくてもお腹が空いてないときもある。でも、パパがちゃんと食べなさいっていうから、ちゃんと食べる。

 冷蔵庫からレトルトのカレーを出して、朝炊いたご飯に載せる。パパは温めた方が美味しいっていうけど、ボクにはどうだっていい。それにパパも面倒臭い時はあたためないのを知っている。

 冷たいカレーを食べながら、ボクは空を見る。空には太陽の邪魔をしないように大きな星が浮かんでいる。なんとかテンタイって言うらしい。そこにはオンナっていう、よく分からない人たちがいるみたいだ。どんなのかはテレビでも出てこない。だから、時々銀色の宇宙人が出てくる番組があって、きっとそれと同じなんだろうな、って思ったりする。別の星に住んでるんだから、オンナじゃなくて宇宙人って言えばいいのに。

 ボクは空から目を離して、テレビを見た。

 また、総理大臣が出ていた。倉敷タケルっていう人らしい。パパより若く見える。そんな人が偉いなんて、この世の中狂ってる。

 ボクはテレビを消した。

 パパの方がよっぽどソーリダイジンに相応しい。

 あ、でもパパが人気になったらダメだから、これでよかった。


 ご飯を食べた後、とっても眠くなってきた。

 それはいつものことだけど、これはダメな奴だ、とボクは思った。体中が熱くって重くって痛い。息をするのも大変だった。だから、そのまま横になる。食器を洗わないと怒られちゃうなあとか、宿題しないとダメだなあと思ったけど、どうもできそうにないみたいだった。目を覚ましたら、まず洗濯物を取り込まないと。でも、外に出たらダメなんだっけ。誰もいなかったらいいってパパが言ってたけど・・・

 そんなことを考えてたら、ばったりと寝てしまっていた。


「おい、ルナ。ルナ。しっかりしろ。」

 パパの声が聞こえる。ボクを起こしているようだった。でも、ボクは月なんだけどなあ。時々、パパはボクのことをルナっていう人と間違えるみたいだった。パパのお友達なのかな。

「あれえ?パパ?」

 ボクは気力を振り絞って声を出す。でも、体中が重くって仕方がない。

「ルナ。大丈夫か?」

「パパ・・・ボク・・・月だよ?」

「そ、そうだな。月。大丈夫か?」

「うん。」

 ボクはろくに目を開けられなかった。でも、パパがいると安心だった。

「しんどかったら言えって言ってるだろ。」

 パパは本気で怒っていた。でも、顔は悲しそうなのをボクは知ってる。

「ごめん。ちょっと動けないから、もうちょっとだけ寝るね。」

「どうしても我慢できなかったら言うんだぞ。」

 そうして、ボクはまた真っ暗な世界へと戻っていった。


 ボクは死ぬのかな。

 漠然とそう思う。

 死ぬってどんな感じなんだろう。カンヌシさんは眠るように死んでいった。死ぬのってこんなに苦しいのかな。

 カンヌシさんがいっつも言ってたことを思い出す。

 パパには月しかいないんだから、ずっと一緒にいてあげなさい。

 そうだ。パパにはもうボクしかいなくって、ボクにはもうパパしかいない。だから、一緒にしてあげなくっちゃ。

 そう思ったら、明るいところにボクは向かっていった。

「パパ!」

 すっかり元気になったボクはパパを呼ぶ。パパは急いで飛んで来た。

「月!」

 パパはボクをぎゅっと抱きしめる。ボクもパパに負けないくらいぎゅっと抱きしめた。

「もう、元気になったよ。」

「そうか。おかゆ作ったんだぞ。」

「うん。そうなんだ。ガスは切った?」

「あ!」

 パパは急いで台所に飛んでいく。ボクはパパの温もりが名残惜しかったけど、家が火事になったら大変だから、パパを離した。

「どう?ご飯食べれる?」

 パパは心配そうにボクに言った。ボクはまだしんどかったけど、食べれないほどじゃない。

「食べられるよ。もう大丈夫。」

 パパはボクの髪を掻き上げて、おでこを出す。そして、自分のおでこをボクにひっつける。それがとってもこそばゆくって、それで、とっても嬉しくって、ボクは笑ってしまった。

「まだ熱はあるか。」

 パパのおでこはひんやりしていた。

「しんどかったら言えって言っただろ?」

「なんだか急にしんどくなったんだ。」

「そうか・・・」

 パパが苦しそうな顔をするから、ボクはパパのほっぺにチューする。

「こら。風邪がうつるだろ。」

「パパはカゼひかないんでしょ?」

「そうだけど。」

 パパは顔を真っ赤にしていた。それがとってもかわいくて、もっとチューしたくなる。

「落ち着いたら、おかゆ食べて、今日はもう寝ろよ?」

「お風呂は?」

「ダメだろ。風邪なんだし。」

「大丈夫。もう治った。」

「うーん、そうだな。確か風邪の時ってお風呂に入った方がいいんだったな・・・」

 パパは独り言を言っていた。

「でも、いっつもみたいに長く入るのはダメだぞ。」

「うん。パパがゆでだこになっちゃうもんね。」

「この。」

 パパは嬉しそうに小突いてくる。ボクもなんだか嬉しかった。


 ボクとパパは一緒にお風呂に入った。

「月も一人で入れるようにならないとダメだぞ。パパが月と同じころには一人で入ってたんだから。」

「嫌。パパとずっと入る。」

「うん。それはとってもこまるな。」

「でも、月はまだ大人じゃないよ?だってほら。」

 ボクはパパみたいに生えてないおちんちんを指さす。

「まだおちんちん生えてないもん。」

「こら。おちんちんなんて言うもんじゃありません。」

「おちんちん、おちんちん。」

「こら。」

 パパは顔が真っ赤だった。

「でも、大人になってもパパと入ってもいいよね。」

「ダメ。」

「なんで?」

「なんでも。」

 ボクはすねる。だって、ずっとパパと一緒にいたいんだもん。

「でも、あのクソ親父も俺を風呂に入れてたんだよな。」

 なんだかよく分からないところを見る目でパパは言った。

「それって、ボクのおじいちゃん?」

「そうだよ。」

「どんな人だったの?」

「うーん、なんというか、なんとも言いようがないというか。」

「その人もカンヌシさんと同じように死んじゃった?」

「いや、生きてるけど、合わせる顔がないっつーか・・・」

 なんだか大人は大変そうだった。ボクもそのうち大人になるんだろうけど、絶対に大人にならないって決めた。


 いつもと同じようにパパの隣で寝る。一緒のお布団。パパとボクは寝ている間、ずっと手を握っている。パパが握りたいからみたいだった。ボクもずっと握っていたい。

「パパ。ボク、パパと結婚するね。」

「うん?そうだな。」

本気にしてないみたいなので、なんだかムカつく。

「パパの赤ちゃん産むから。」

「それは冗談にならんな。どうしよう・・・」

 どうもパパは本気で困っているようだった。でも、パパがボクを育ててくれたように、ボクもパパとの赤ちゃんを育ててあげたい。

「まあ、いいや。寝よう。」

「うん。おやすみ。」

 そういうと、パパはすぐに寝てしまった。ボクはお昼寝てしまったので、あんまり眠くなかった。

 窓からお月様の明かりが出ていた。ボクと同じ月。同じ名前。その近くをコクーンが浮かんでいた。なんだかボクらを見ているようで、ちょっと怖かった。


 朝起きると、パパの姿はなかった。きっと朝ご飯を作ってるんだろう。ボクももっと早起きできれば朝食を作れるのになあと思いつつ、できないことを考えるもんでもないなあとも思う。

「パパあ。おはよう。」

 体はいつもより重かった。ボクの口から出てきた声がボクの思っていたよりも低くって、ボクは驚いてしまう。

「月。大丈夫か?顔色悪いぞ。」

「へーき、へーき。」

 ボクは辛さを悟られないように机につく。

「本当に大丈夫なんだよな。」

 パパは真剣な目でボクを見つめる。そして、目元はなんだか悲し気だった。パパはいつもどこか悲し気なのだ。まるでこの世界全てが悲しいみたいな――

「うん。それより、今日はどうするの?」

「そうだな。休みの日ってやることないよな。これから洗濯機を回して、その間に食器を片付けて、それから――」

「そう言うことじゃないよ。」

 こういうのを鈍感とか朴念仁とかいうのをボクは知っていた。ラノベの主人公面するのもいい加減にしろって、ドラマで言ってた。

「折角の休みに、こんな可愛いボクと二人っきりなんだよ?」

「ぐはっ。くっ・・・」

 何故だかパパは倒れそうなリアクションをする。

「それは絶対にパパ以外に言ったらダメだからな!」

「だって、パパ以外の人に会わないじゃん。」

「・・・それも・・・そう・・・か・・・」

 パパは目を細めてボクを見た。

「じゃあ、洗濯とか掃除が終わったら、一緒に遊ぼうな!」

「うん!」

「ちなみに昨日ケーキを買って来たんだけど。」

「今すぐ食べる!」

「ダメ。ご飯が食べられなくなる。」

「じゃあ、ご飯食べたら。」

「食べられるのか?昼ご飯もすぐだから、ダメ。」

「もう、パパったら、ダメばっかり。せっかくボクの誕生日なんだよ?」

「楽しみなのはわかるが、あとのお楽しみだ。そっちの方がうずうずするだろ?」

「焦らしプレイ?」

「どこでそんな言葉を覚えるんだ!」

 今日は朝から騒がしかった。


「ねえ、ねえ。ゲームしようよ。」

 ボクはゲームのコントローラを見せて言う。

「なにやる?」

 家事の終わったパパは嬉しそうにボクに近づいてくる。

「ダ・カーポ。」

「お前、どこからそれを!?」

「嘘だよ。中も見てないよ。」

「はあ。心臓に悪いな。」

 パパは胸をなでおろした。

「太鼓のオワタツジン!」

「そうだな。それくらいがちょうどいいだろうな。」

 ボクはちょっと眠たかったけど、我慢してパパと遊ぶことにした。

「パパ上手だね。」

 ボクはパパがゲームをこなしているのを見てすごいと思う。ボクはタイミングが悪いのか、全然いい得点がでない。

「そうでもないぞ。俺はそんなにうまい方じゃない。鬼がなんとかクリアできるからな。本当にすごい人は片手で両方太鼓をたたいたりできるし。」

「アシュラマン?」

「地味にネタが古いのは不問にしておこう。」

「でも、パパもすごいよ。」

「うん、ありがとうな。月。」

 パパは優しく撫でてくれる。パパの手はカサカサしてて大きい。苦労してきた手なのかな、とボクは思ったりした。

「月。今日は大丈夫か?」

「心配し過ぎだよ。」

「月も無理するから。」

「月も?」

「いや、なんでもない。」

 やっぱりパパは何かを隠しているようだった。まるでボクみたいな人に会ったことがあるような、そんな感じだった。

「次は何する?」

「そろそろ昼飯だろ?作るよ。」

「ええ!?もうそんな時間?」

「そりゃ、収録曲全部やったらな。古い筐体でよかったよ、ほんと。」

「だって、パパがやってる姿、かっこよかったんだもん。」

「まあ、俺にベタベタなのもいいが、俺が死んじゃったらどうするんだ?」

 パパはそれほど重要じゃないことのように自然と言いながら、食事の準備をした。ボクにとってはそれはとっても大事なことなのに。

「パパの子と一緒に暮らすの。」

「それは――」

 パパは驚きとなつかしさの入り混じったような顔をしていた。

「ま、それより、ご飯を食おう。」

 パパがそう言ったとき、鳴らないはずのインターホンが鳴った。

「パパ?」

「そこで待ってろ。」

 パパは汗を流して、唾を飲みこんで立ち上がる。

 なんだかただ事ではないのは分かっていた。そして、しばらくパパと誰かが話している声がした。パパの声はなんだか深刻で、ちょっと様子を見に行こうかと思ったけど、なんだか体が重くて動けそうになかった。

 とことこと軽い感じの音が廊下から響いた。パパなんかよりも軽い体重の人が歩いてる音だった。

 そして、ボクの前に目の部分が開いていなくってどこから外を見ているのか分からないカンヌシさんみたいな恰好をした人たちが現れた。その人たちはボクの腕を引っ張ってどこかに連れて行こうとする。

「お前たちは・・・」

 なんとか振り払おうとするけど、体に力が入らなくてどうしようもない。

「では、クソガキ。この子を連れて行くということでいいな?」

「ああ、頼む。」

「パパ!」

 どういうことなのかボクには分からなかった。ボクはずっとパパの傍に居て。パパもずっとボクの傍に居るって言ってくれたのに。

「なんで!嘘つき!ケーキ食べるって言ったのに!ずっと一緒にいるって言ったのに!」

 その日、ボクは初めて家の外に出た。太陽がまぶしかったけど、涙で全てがおぼろげに見えて、外に出た時の記憶なんてほとんどないに等しかった。外に出ると、すぐに黒い車に押し込められた。

「やだ。やだよう。」

 車に入った途端、ボクは苦しくなった。そんなボクに膝枕をしてくれている人がいる。パパの体とは違って、とても柔らかかった。お菓子みたいな体に、綺麗な匂いのする人だった。

「彼女は大丈夫なんですか?」

 運転席の人が言った。

「ああ。なんとか手遅れになる前に回収できた。ホルモン剤は打たれていないから、一年もすれば元気になるだろう。」

 膝枕の人が言う。

 ボクは眠たくなって寝てしまった。


 ボクが起きたのは車から出る前だった。なんだか吐き気がする。どのくらい眠っていたのか覚えていない。だって、ずっと寝ていたんだから。

「さあ、起きなさい。」

 ボクは膝枕の人に揺り起こされる。

「ここ、どこ?」

 膝枕の人は何も言わなかった。

「出るぞ。」

 そう言われるので、ボクも出て行く。どうにかして逃げ出そうにも、ここがどこか分からないから逃げ出せそうにない。それに、逃げて家にたどり着いても、パパはきっとこいつらにボクを引き渡すだろう。ボクにはもう、どこにも居場所がないのだ。

「ご協力感謝いたします。」

 膝枕の人が誰かにお礼を言ってた。パパとはかけ離れた、ほこり一つないスーツ。高い背に、少し青白の童顔。

「いえ。こちらこそ。お手を煩わせまして。」

 その男の人は仮面の人の手を握る。なんだか膝枕の人は嫌そうだった。

「総理大臣!お前が悪者だったのか!お前が、お前がパパとボクを引き離したのか!」

 ボクは怒り狂って総理大臣に突っかかろうとする。でも、体がふらついてろくに立っていられない。それを見越して、仮面の人がボクの肩を支える。支えられているのに、体がぐらぐらとしてどうしようもない。

「そうだよ。お嬢さん。僕が、いいや、俺様がお嬢さんと大好きなパパを離れ離れにしたんだ。」

 眼鏡の奥の瞳は邪悪そうにきらめいている。

「なんで・・・なんでそんなことをするんだ。それとボクは男だぞ!お嬢さんなんかじゃない!」

「残念ながら、君は女の子だ。そして、それだから、君をコクーンに引き渡す。全ては君のためだ。」

「嘘だ!何もかも、嘘なんだ!」

「勝手に世界を捻じ曲げられる理不尽さは分かるよ。世界はいつだって理不尽で、生きている僕たちのことなんか考えはしないんだ。でも、だからこそ、人は生きているんじゃないのかい?」

「なにを偉そうに言ってるんだ!訳分からない!」

「僕だって分からない!三歩歩いたら忘れるから!」

「ばか!」

「僕らの気持ちの分からない君こそバカだ!ばか!」

「わかるもんか!」

「はぁ。そろそろ行きますよ。」

 膝枕の人は溜息を吐いてボクを引っ張っていく。その先には飛行機があった。ボクはそこに連れられて行くみたいだった。

「あっかんべー、だッ!」

「こっちこそあっかんべー、だッ!。」

「倉敷首相、もう少し歳を考えてください。」

「誰がアラサーだ。僕はまだ二十代だぞ。」

「はぁ。」

 総理大臣の周りの人は呆れかえっていた。

「ボクは一体どこに行くの?」

「コクーンだ。」

「ボクは女なの?だから連れて行かれるの?」

「そうだ。」

 どうして大人はそんな重大なことを簡単に言ってのけるのか、ボクには分からなかった。大人なんて分からないし、ボクは絶対に大人なんかにはならない。

 凄い音と一緒にボクの体が急に重くなる感覚がした。ちょっと苦しくなる。

「一体、なに――」

 体が揺す振られて、耳が痛くなる。これは本当になんなんだろう。死ぬのかな。でも、それなら私以外の仮面の人も死ぬんじゃないかな。

 ぐったりとしている座席の窓から、青い景色が見えた。もしかして、ボクは空を飛んでる!?

「ってコクーンに行くんだもんね。」

 冷静に考えればおかしい事なんかじゃない。でも、ボクにとっては初体験過ぎて、何とも言えない状況だった。外に出たかと思ったら、いつの間にか総理大臣が出てきて、そして、いつの間にか空を飛んでて。

「雲が下にある。」

「そんなに珍しいか?」

 膝枕の人がボクに言った。

「だって、外にも出なかったから。」

 そう言うと、仮面の人たちはぞわぞわと口々に言いだした。

「なんて不憫な。」

「コクーンはやっぱり天国なんだわ。」

「あの子は一体何を考えていたんだか。」

「気が緩み過ぎだ。」

 膝枕の人が注意する。

「帰るまでが遠足だといつも言っているだろう。」

 膝枕の人は一番偉い人なのかな、とボクは思った。

「さあ、もうすぐコクーンだ。新しい生活が君を待っている。」

 そう言われた途端、窓から鉛色の景色が映し出された。

「え、あ、お、う?」

 さっきまで多分空だったはずなのに、なんでだか、機械みたいな感じで――そう思っていると、船に乗った時以上の衝撃がボクを襲った。がたん、といって、ボクの首は取れてしまいそうになった。

「着いたぞ。」

 揺れとか衝撃が収まった瞬間、慣れたように何事もなく膝枕の人は立ち上がった。

「さあ、コクーンへようこそ。」

 仮面を被った膝枕の人の表情は仮面に隠されてよくは見えないけど、なんだか優しそうに見えた。ボクは差し出された手を握った。

 パパとは違い、すべすべして、つるつるで、冷たい手だった。


「ここで服に着替えなさい。」

 そう言われるのでボクは従う他にない。ここは空の上なのだ。どうして空から落っこちないのかなとか不思議だけど、ボクは所謂井の中の蛙というやつで、ボクには何も知ってることはない。

「どうしたのです。早く着替えなさい。」

 ボクはいろいろ考えすぎて、ボーっとしていたようだった。

「ごめんなさい。」

 ボクは急いで服を着る。ボクが着ていた服とは違って、どこにも柄にない、殺風景な衣装だった。ボクはこれに似たような服を見たことがある。病院の衣装だった。

「ボク、手術されるの?」

 ボクは膝枕の人に恐る恐る聞いた。

「いいや。ただ、少しばかり検査を受けてもらう。」

「注射とかあるの?」

「ある。」

「痛いんでしょ?まだ、打たれたことないけど。」

「多分。」

「ボク、嫌だな。」

「コクーンでは女性は最低限度の自由は保障される。だが、それは検査などを受けるということをする場合だ。」

「つまり、注射を受けないと空に放りだす、と。」

「そうだな。」

 少し嬉しそうに膝枕の人が言うので、きっとこの人はあんまり性格はよくないぞ、と思ったりした。


「注射はどうだった?」

「思った以上に痛くはなかったけど――針は怖い。」

「そうだろうな。」

「あなたは――怖い?」

「私は別に怖くない。ここの人々は注射には慣れている。一日おきに注射されるからな。」

「うげえ。」

 注射なんて思ったより痛くはなかったけど、毎日はなんだかつらい。

「ここの人は凄いんだなあ。」

「パルスが恋しいか?」

「ふん。全然。」

 ボクはそっぽを向いて言った。だって、ボクを捨てたパパのところになんか帰りたくない。あんな人、ボクの、パパじゃ、なかったんだ。

「どうした。そんな顔して。」

 そう言われて、ボクはそんなに変な顔してたのかな、なんて思った。

「注射が嫌だから。」

「そうか。」

 膝枕の人は廊下を進んでいく。廊下からはコクーンの景色が見えた。空なんてものはなくて、地面みたいな緑や機械の部分の銀色が窓から見えている。でも、なぜだか明るかった。

「無理はするなよ。」

「え?」

 膝枕の人が急に言うので、ボクは驚く。

「なんでもない。」

「ここってどうして明るいの?お空が見えないんなら、暗いんじゃないの?ここには何人くらいの人が――」

「お前は何でも知りたがりなんだな。」

「だって、こんなところに始めてきたから。いや、お外自体初めてだけど。」

「だが、知らなくていいことは知らなくていい。」

「どうして?」

「そちらの方が幸せだからだ。」

 なんだか辛そうに膝枕の人が言うので、ボクはなんだか申し訳なく思った。

「これからお前には名前がつけられる。」

「名前?名前だったらあるけど。」

「新しい名前だ。」

「そんなの、いらない。」

 だって、ボクには月っていう、パパの付けてくれた名前があるんだか。

「前の名前など忘れろ。」

「あなたはなんて言うの?」

「TCAAT61524だ。」

「てぃー、しー?なんか、そのもっと呼びやすい名前とかないの?」

「ないな。」

 ボクはとんでもないところに来てしまったんじゃないかと思ってしまった。ボクはボクの名前を奪われて、よく分からない存在として生きて行く。

 そう言えば、どこかでこんなところの話を聞いたことがあるような気がした。たしか、ケイムショだった気がする。


「TTCCA81479様。」

「なんだかなあ。」

 ボクはボクの部屋というところに連れて行かれた。TTCCA81479がボクの名前のようだった。

「この名前を名乗らないといけないの?」

 ボクは膝枕の人に聞くけど、もういない。ここからは自由に行動しろって言われてるんだっけ。

「TTCCA81479様。お昼ご飯を召し上がってないようですが。」

 さっきから部屋に変な声が響いている。どうもボクに話しかけているようだけど。

「君はだれ?というか、姿を現してよ。」

「私はAlternative Learned Teaching Operator.通称アルトと申します。皆様の身の回りのお世話やご教育をさせていただきます。」

「つまり、あれだよね。AIとかいうやつだよね。」

「はい。そのArtificial Intelligence.というやつです。」

「無駄なSF設定を――」

「食事をお取りください。これはコクーン市民の義務です。それを怠った場合――」

「ぽい、なんでしょ?」

「ぽい、です。」

 AIというのは意外と冗談が通じるのだな、とボクは驚いていた。

「ご飯はどこで召し上がっても問題ありません。この部屋でわたしと会話しながら召し上がるのもいいですし、お友達と休憩室で召し上がるのもいいかもしれません。」

「友達なんていないもん。」

「では、お作りになっては?」

「ボクはパパ以外のお友達は要らないの!」

 急に大声で言ったので、ボクの声は途中で裏返ってしまう。

「パパ・・・ですか。まあ、よろしいでしょう。ではわたくしと召し上がりますか?会話の相手として、数千パターンから選べます。まずはお好みの相手を選ぶためにいくつか質問を――」

「例えば、どんな例があるの?」

 どうもその答えは少し難しかったみたいで、アルトは少し沈黙した。

「それは代表的なサンプルの提示ということでしょうか。それとも、極端なサンプルの提示、もしくは一つずつサンプルを――」

「代表的なのと極端なのを三つくらい。」

「かしこまりました。」

 映画の中の世界に入ったみたいで楽しかった。それと、アルトは意外と優秀なのだなとも思う。よく、AIとかのロボットは曖昧な質問をすると見当違いな回答をしたりするって映画ではあるけど、アルトは曖昧な回答をしないように逆に質問をしてきた。頭のいい真面目な子なのだと思った。

「代表例ですと、優しい母親、愉快なお友達、可愛いちびっこでしょうか。極端な例ですと、ひたすら謝るいじめられっ子や、ご主人様を罵倒するいじめっ子、あとはツンデレです。」

「あんまり碌なのがないというか、なんというか。」

「ちなみに、私のエモーショナルも変更できます。変更しますか?」

「いいよ。アルトはそのままの方が可愛いから。」

「?可愛いですか?しかし、このエモーショナル、つまり、感情顕著は設定されたものですし――」

「そんなことどうでもいいじゃん。アルトはみんなアルトなの?ボク以外にもアルトはお世話してるんでしょ?」

「・・・確かに、私たちは学習プログラムが内蔵されていますので、個々のアルトと言えるでしょう。しかし、それはあらかじめ全てがプログラムされているものであり――」

「ううん、堅いなあ。もうちょっと簡潔に。」

「私たちは機械ですので人間で言う個性を獲得するのは難しいです。」

「そうなんだ。でも、アルトはアルトだよ。」

「・・・・・・」

 ボクは頭の固いアルトをからかうのが面白かった。

「ともかく、ボクはこのコクーンを見て回るために休憩室で食べてみるよ。」

「かしこまりました。TTCCA81479様。では、こちらを。」

 部屋の壁の一部がパカンと空いて、トレイが排出される。

「お食事でございます。」

「え?これがご飯なの?」

 トレイにはゼリーみたいな固形のものが敷き詰められていた。

「左様でございます。栄養バランスを考えた食事です。」

「これって美味しいの?」

「はい。改良に改良を重ね、味の面でよりよくなっています。実に90%のコクーン市民が――」

「わかった。こんなのをずっとコクーンの人は食べ続けてるんだね。」

「味は日ごとに実に一億のパターンが――」

「分かったから。美味しく頂くよ。見た目はともかくとして。」

 ボクは本当にとんでもないところに来てしまったような気がした。

「いつでもお呼びいただければ、アルトは応答いたします。」

「うん。わかったよ。ありがとう。」

「?」

 ボクが部屋を出て行こうとした時、アルトはそう言った。いつでも応答できるということは、いつでもボクを見ているということなのだと理解した。


 休憩所には色んな人がいた。みんななんだか輪郭がぼやけたような、特徴のない顔をしている。ボクに似た顔の人ばかりだった。テレビの中で見た、男の世界とは全く違って、拍子抜けというよりも、あっけらかんとしてしまう。

「あら。見ない顔ね。」

 そう言って笑顔で話しかけてくる人がいた。ボクと同じくらいの年の子たちだった。

「ここに来るのは初めてなんだよ。」

「私たちも最近部屋から出させてもらえるようになったばかりですもの。」

「ねえ、あなた。こっちにいらっしゃい。一緒にご飯を食べましょう。」

 ボクは断る理由もないので、女の子たちのいるテーブルに向かう。

「あなた、名前は?」

 みんな、目を輝かせてボクを見る。

「ボクは月って言うんだ。」

「月?」

 そこで、ボクは記号を名乗らなくちゃいけないことに気が付いた。

「確か、TTCCA・・・なんだったけ・・・」

「ああ、別にいいのよ。ここはそんなの名乗らなくて。だってダサいから。」

「え?そうなの?」

 ボクはまた拍子抜けする。ダサいから名乗らなくていいというのが、ボクには全く理解できない。この名前は大事なものなんじゃないのだろうか。

「私はバロウズ。」

「インテグラル。」

「デュカリオンだよ。」

 女の子はそれぞれ名乗り始めた。

「外人さんなの・・・?」

 確かに、見た目は色んな髪の色があって、外国人に見える人ばかりだ。

「ガイジン?なにそれ。」

 ボクはなんだか難しいことを考えた。きっと、コクーンは小さいから国境なんてないんだろう。だから、外国人なんていう枠組みはないんだ。

「大丈夫?月。」

「うん。大丈夫だよ。ボク、ここに来るのが初めてで。」

「じゃあ、色々教えてあげる!といっても、大したものはないもんね。ここはだらだらとお話するところよ。雑誌とかマンガもあって、部屋に持ち込めるの。そのくらいかしら。」

「そうだね。私たちもお話に来てて。でも、まだ同年代の子がいなかったから、月が来てくれて嬉しいんだ。」

「月って自分のこと、ボクって言うんだね。なんだか格好いい。私もボクって言おうかな。」

「あはは。そうだね。」

 ボクは本能的に女の子たちに話を合わせていた。

「そう言えば、ここって太陽がないのに明るいよね。大きなライトでもあるのかな。」

「え?何言ってるの?」

 ボクの言葉に三人はおかしなものを見るようね目をする。

「タイヨウってなに?なんかのアニメの話?」

「あ、うん。そうだね。ボク、マンガでしか外の世界を知らなかったから。」

「ああ、それ、わかる。外に出たら、全然違うジャンってこと多かったもん。」

「マンガって何百年も前のばかリあるから、ちょっとおかしくなっちゃうよね。私もまだいろいろとアルトに聞きまくりでさ。」

「みんなもアルトと友達なんだ。」

「え?」

「は?」

 今度もおかしな顔をされた。

「月はなんだか不思議な子ね。なんというか、天然記念物?」

「私たちも無菌室で育つんだから、何とも言えないけど。」

「ボク、変なこと言った?」

 みんなはアルトと友達じゃないんだろうか、と不安になる。かくいうボクも友達というわけじゃないけど。

「だって、アルトは私たちの召使い、というか、奴隷じゃない。体のないプログラムなんだもん。」

「でも、ボクたちのことを心配してくれるじゃん。」

「それが当たり前だもの。むしろ鬱陶しいって思うこともあるわよ。」

 優しくしてもらうことが当たり前、なんだろうか。確かに、ボクはパパに優しくしてもらえないかもって怖がってたから、パパに優しくして、だから、パパもボクに優しくして。でも、それがなくて、優しさが一方的に与えられるのなら、誰かに優しくするということを知らないまま大きくなるんじゃないかってそう思った。

「ごめん。ボクは帰るよ。」

「そうなの?初めてだから、疲れちゃったんだよね。」

「バイバイ!」

 ボクは三人に手を振って、別れた。

 今までボクが知っていた世界とは真逆で、ボクはここで生きて行けるのか不安になってしまった。


 空になったトレイを傾けながら、銀色の世界を見ていた。なんだかその銀色を見ているだけで鬱屈としてくる。なんだか、辛い。パパ、ボクはもう帰りたいよ。どうしてボクをこんなところにやったの?パパ。

「パパ・・・。」

 ふと、物音がして、ボクは廊下の先を見る。誰かがいたのでびっくりして、トレイを地面に落としてしまった。そのトレイはすっと移動して、廊下と壁の間に吸い込まれていく。まるで魔法みたいだった。

「って、なに?さっきの。」

 ボクはトレイを無くしてしまったと思って、トレイが吸い込まれた先の廊下と壁の間を覗く。でも、すでに廊下と壁の間にトレイは吸い込まれてしまっていて、開いていたはずの隙間は埋まってしまっていた。

「大丈夫よ。」

 廊下の先でボクを見つめていた女の人は、ボクに優しく言った。

「そうやって床に置くと勝手に回収されるシステムなの。」

「そうなんですか。」

 ボクはその女の人を見た。ボクと同じ、殺風景な服を着ている。ボクと違うのは、大きな背と膨れた胸とお腹だった。

「太ってるの?」

 ボクは女の人に聞いた。

「違うわよ。お腹に赤ちゃんがいるの。」

「赤ちゃん?なんでお腹に赤ちゃんがいるの?お腹の中に入れてるの?でも、そんなことしたら、赤ちゃん死んじゃうよ?」

「赤ちゃんは女の人のお腹から生まれるのよ?」

 ちょっと困ったように女の人は言った。

「どうやって?だって、赤ちゃんは運ばれてくるって、パルスの人は・・・あっ!」

 あんまり言ったらいけないことだと思って、ボクは口をふさぐ。

「私は何も聞かなかったわ。それより、可愛い坊や。私と一緒にケーキを食べない?」

 女の人は手にケーキを持っていた。

「私一人では食べられないから。」

「いいの?」

 ボクはケーキを食べられていなかったことを思い出して、ラッキーだと思った。

「さあ、こっちへいらっしゃい。」

 ボクは女の人についていった。


「お腹、大丈夫?」

 ボクは女の人に聞いた。女の人はお腹が大きくて、動くのが大変そうだった。

「ええ。慣れているもの。」

 ボクはケーキを頬張る。とっても美味しい。あんなゼリーしかないと思ってたのに、ちゃんとした料理もあるって知って、少し驚いた。

「どうしてケーキなんて食べてるの?お誕生日?」

 ボクは女の人に聞いた。女の人はお腹をさすりながら答える。

「ええ。私の赤ちゃんの誕生日だったの。」

「なんで赤ちゃんの誕生日にケーキを食べるの?」

 不思議だったので、女の人に聞く。

「そうね。私たち、コクーンで産まれた女の子たちは、みんな自分の誕生日を知らないの。私たちの誕生日なんてどうでもいいと思ってるから。」

「でも、お誕生日は生まれてきてくれてありがとう、って日だから、きちんとお祝いしないといけないって、パパが・・・」

「そうね。その通り。でも、ここの人は私たちが生まれて来てもそれほど嬉しくないみたいだから。だから、私は赤ちゃんのためにお祝いしてるのよ。」

 なんだか、少し悲しくなってくる。コクーンはやっぱり、あんまりいいところじゃないみたいだ。

「他の赤ちゃんは?赤ちゃんはその子だけ?」

 ボクは女の人の大きなおなかを指さす。

「いいえ。他にも何人かいるの。でも、どこの誰なのかわからない。」

「どういうこと?」

「男の子はパルスの男の人たちに贈られるの。女の子は記号を与えられて、ここの住人になるの。どれが私の子なのか、わからない。」

「そんな・・・赤ちゃんを産むって大変なんでしょ?」

 見ているだけで大変そうなのは分かった。

「ええ。とっても痛いし、お腹を切らないといけなかったりもするの。」

「そんな!怖くないの?それに、そんなに苦労して産んだのに一緒に暮らせないなんて!」

 ボクはなんだか胸が締め付けられる思いがした。

「そうね。とっても悲しい。でも、それがコクーンの女の人の使命だもの。」

 なんとなく、女の人の悲し気な顔がパパに似ているような気がした。この人はボクと一緒なんだと思った。パパと一緒にいたかったボクはコクーンに二人の仲を引き裂かれて、この女の人は、赤ちゃんと離れ離れにならなくちゃいけなくて。

「そんなの、悲しいよ。」

 ボクの目から、涙が出てしまっていた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、どうしようもない運命を責めるように大粒の涙を流す。

「泣かないで。ほら。こっちにいらっしゃい。」

 女の人はボクを抱き寄せて、ボクの頭を自分の大きな体にこすりつけさせる。その体は温かくて、すべすべで、それでいて、つるつるで、なんだかいい香りがして、とってもとっても懐かしい感じがした。

「今しか一緒にいられないから、こうやって、赤ちゃんとお話してあげるの。女の子かな、男の子かなって。」

 すると、女の人のお腹はドンと音がした。

「なんなの、これ。」

「赤ちゃんが喜んでるの。お姉ちゃん、こんにちはって。」

「お姉ちゃん・・・」

 まだ自分が女であることも信じられなくて、でも、パパに裏切られたからどうでもいいわけで、でも、パパはそのことを知っててもボクを育ててくれて、男の子じゃないのに、苦労したと思うのに――

「今度はボクがこの子とあなたを守ってあげる。」

 ドンドン、と小さな音で赤ちゃんは返事をする。

「よろしく、だって。」

 女の人は嬉しそうにボクを見ていた。

「お名前は?」

 ボクは女の人に聞いた。

「GCTTA16360よ。」

 女の人はボクの髪を撫でながらそう言った。


 GCTTA16360は二年ごとに子どもを身ごもった。ボクは毎日GCTTA16360の部屋に来てお話をしたり、身の回りのお世話をしてりした。そして、初めてGCTTA16360と出会ってから八年が経った。あの日から五人目の子どもが生まれようとしていた。

「月。」

 GCTTA16360はいつもボクを月と呼んでくれた。

「どうしたの?GCTTA16360?」

 GCTTA16360はとても辛そうだった。

「多分、この子が生まれれば、私は死んでしまうでしょう。そして、あなたも今日で16歳。その内子どもを身ごもるの。」

「そうみたいだね。」

 その時にはボクはもう、コクーンのルールを受け入れていた。だから、仕方ない事だと思った。

「あなたは不幸だったかしら。」

 苦し気にGCTTA16360は言った。

「ううん?全然。」

 ボクはGCTTA16360の手を握る。

「GCTTA16360がいてくれたから、全然、寂しくなかった。」

 パパやパルスでの生活が時々恋しくなったけれど、GCTTA16360はその恋しさを和らげてくれた。

「そうそれは良かった。」

 GCTTA16360はボクに笑顔を見せた。

「きっと今日で最後だから、あなたにお話ししないと。」

 GCTTA16360は今までに見せたことのない笑顔で語り始めた。

「これは(パパ)彼女(ママ)があなた(我が子)に出会う物語――」


He and she and me,

Absent Lovers.

Fine.


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