表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/180

1. 朧月夜



挿絵(By みてみん)



――若かりし頃。



 いや、まぁわかってはいたのだが、こう口にしてみると尚更月日の流れを実感せずにはいられまいな。再び歩み出す決意を固めてからは一層駆け足の日々であった。



 雨音は慎ましく、慈しむ。生きとし生けるものは時にうずろうしいと顔をしかめたりなどしながらも、乾いた心と身体はしかと欲している。


 やがて訪れる天使の梯子を、梅雨の合間に訪れるこんな瞬間を求めて。今朝のような和やかな五月晴れに出逢っては目を細めるのだ。



 こうして慣れた研究室の窓から新緑の息吹を確かめるのも何度目か。切なく黄昏るなどもはや似合いもしない気がするのだが。



(あと十年……も、ないか)



「何処までやれるだろうか、のう」



 時が迫った今だからこそ想いを馳せる頻度も増える。どれだけ浮こうが沈もうが、やはり立ち止まってなどいられぬな、と。



 ナツメ班長! データ解析の結果が出ました。


 ナツメ班長、こちらも確認を!



 もう今更くすぐったさを感じることもない。実に耳慣れた肩書きだ。



「ああ、ご苦労だった。皆は休憩に行ってくるが良い。私は一通りの確認をしておこう」


「もう、ナツメ班長もちゃんとお昼くらい行って下さいよ。いつ休んでるんですか?」


「確認が終わるまで僕らも待ってますから」



 不満げに唇を尖らせる者に八の字の眉を寄せる者。今年の春で新しく加わった面々もすでに私の気質に気付いているらしい。参ったな。



 銀縁の眼鏡を正したナツメは歩き出す。ピンヒールが奏でる冴えた音色を引き連れ、従順なる彼らの元へ近付いて。


「なぁに、心配は要らぬよ。これが終わったらちゃんと息抜きをさせてもらう」


 涼しげに微笑んで。ほんのり頰を染めたりなんかしている部下たちを慈しむ眼差しで見回していくのだ。



 そう、かつては彼らと同じ特権を持っていた。若者であるがゆえに数々の我儘わがままを許してもらっていた私も今となってはもう見守る立場。そしてこれもまた悪くはないと心から思っているのだ。もとより素直に甘えられる性分でもなかったのだかな。





 一つ良い報告がある。



 この幽体世界アストラルに於いて約十六年程続いていた戦争がついに終結を迎えた。今から数えると三年前の話だ。


 それというのも皆が可能な限りの力を持ち寄り相反する正義を主張する革命軍に屈しなかったおかげだ。こちらにはこちらの正義がある。どちらが正しいかなんて我々には測りかねるが、少なくとも自分がどんな未来を望むかくらいは明確であり迷いは無かった。


 この研究所からも多くの者が参戦していた。特に操縦士パイロットのライセンスを持つ生物保護班の男たちは……



「良い報告がある。貴方の可愛がっていた部下が昇進しましたよ。今年から生物保護班副班長に任命されました」


 今でもはっきり思い出せる豪快な笑顔に相応しき花。“誇り”とか“輝くばかりの美しさ”などの言葉を持つアマリリスの花を暮石の前に手向けたナツメは微笑んで。



「良かったですね、アインさん」



 良い報告、ばかりではない。こんな悲しいことだってある。




 アインことアイドクレース・フォーマルハウトは戦死であった。行き場を無くした稀少生物と住民たちを守る為に身を挺したがゆえのこと。


 最期まで己の任務を全うしようとした。心は優しく誇りは高く、何故これ程の人がこんな目に……とかつての私も随分嘆いたものなのだが。



「あら、ナツメさんもアインさんとお話しに来たのかい?」


「マドカさん」



 初夏の陽射しをいっぱいに反射するとつレンズ……もとい、ふくよかな丸顔を見上げて小さく息を飲む。


 何年、何ヶ月と共に過ごすうちにあの波長に気付いていった。彼女の前世かつてが誰だったのか私はもう知っている。



「ここに来ると悲しいどころか元気付けられているような気分になるのよねぇ」


「はい」


「やっぱり変わらないわね、アインさんは」



「私もそう思います、マドカさん」



 そうだ、変わらないのだ。実体が無くなっても、異なる姿に生まれ変わっても、魂が独自に持つ輝きは消えたりなどしないのだと、今この場にて確かめている。


 陽射しを透かす透明感、それでいて強き情熱の赤色を誇るアマリリスがよく似合う。世話好きな彼の笑顔の残像と、決して衰えぬ麗しき淑女の波長を感じていると、不思議と微睡むような感覚に上半身が傾いで。



「ナツメさん、しっかり」


「すみません」


「ねぇ、あなた……まさか」



 気が付いたらしかと握られている。ぽっちゃりとした大きな手に捕らえられたのは頼りないくらいに細い私の手首だ。そう、こんなに痩せていたって熱く漲る躍動を確かに感じられる部位と言えるだろう。


 いつだって只者ではなかった彼女だ。きっと感じ取ったに違いない。いや、もしかするとすでに……



「マドカさんには全てお見通しですね」



 麗しき淑女は微笑みを崩さない。それでも伝わって来る物悲しさに、私は気の利いた言葉の一つも返せやしなかった。




 そしてまた一つ、時が迫る。



 今年で二十九歳を迎えた私の元へ、足音は密やかに、それでいて確かに。



 密やかなる涙に濡らされじんわり染みて滲んだような、それでも優しさを保っている朧月の宵に訪れた



――ナツメ。



 朧げな声色、それでも優しい彼女だ。



 半開きのドアの隙間から受けた沈んだ声色で容易に結び付く。昼間、マドカさんが口にしたあれが確かであったのだと。



――私だけじゃないわよ。いつだって一途にあなたばかりを見ていたんだもの――


――彼女だって、きっと――



 いつか言わねばとは思っていたのだ。



 今年で二十三歳を迎えるヤナギは外見こそさほど変わりないものの、受け継ぎし妖力、そして鋭い直感力は、以前とは比べものにならないくらいに磨かれている。



(いや……)



 ふと理解に至って苦笑した。関節照明がぼんやりと滲む自室にて、ベッドの上のナツメは歩み来る彼女に手を伸ばす。


「おいで、ヤナギ」


 それはあの昭和の世、二人きりでひっそりと繰り返してきた夜に似ている。こうやって手招きしたなら彼女は実に従順に私の元へと歩み寄ってくれるのだ。それは今でも変わらない、しかし。



 ものも言わず近付いてくる彼女の表情は、睨んでいるようにも見える琥珀の瞳は、能力云々の問題ではないと反論しているかのようだ。


 これまで歯向かわれたこともない私は怯んで然るべきなのだろう。しかしそんな気も起きぬのだよ。こんな顔をされたってすぐにでもこの腕の中へ迎え入れたくなる。微睡みそうな安らぎなんかを覚えている私をどうか許しておくれ。



「ナツメ、どうして」


「知ってしまったのか?」


「私、ナツメと、一緒……に……っ」



「……すまないな」



 小さな肩が震え出すともうたまらずに抱き寄せた。触れ合うとごく自然に互いの全てを受け取っているのがわかる。彼女の涙を肌に受けたばかりの私もまた、湧き上がってくる目の奥の痛みに耐えきれずに零すのだ。



 それは前世から。夏呼と夏南汰の頃からだ。



 もはや自分の一部であるかのような彼女にこんな想いをさせてしまう己の判断が正しかったのかは今でもわからない。




 ただ、それでも。



――唯一無二の存在。片割れ同士の魂――



「私にとっては自然なことだ」



 去年の秋頃に巡ってきた新月の夜に誓った。今から九年前の長月、ユキの後を追って死のうとしたときと同じあの断崖絶壁にてようやくあの者との再会を果たしたのだ。



「そして全ては選べなかった」



「ナツメ……ッ」



 予感ならすでにあったものだから覚悟の上で申請を託した。それは運命を大きく動かす引き金に他ならない、ゆえに代償もまた大きかったのだ。



「どれだけ私を責めてもいい。だけどこれだけは聞いてくれんかの……?」


 共に身を横たえるとあれからのほとんどを眠って過ごしてきた私の中のカナタが息を吹き返し、いじらしく胸元に縋る彼女の頭を撫でたりする。


「はい、夏南汰様」


 同じように蘇っていく彼女……夏呼は、細い声を震わせながら、それでも聞き入れる覚悟を決めてくれたようだ。




 じんわり溶け込む闇夜の中に我ながら年甲斐もないと思えるくらいの我儘わがままが零れ出す。



 時折啜り上げる彼女の頷く気配を胸に感じる。彼女は呟く。


「そうですね、全ては選べないことでしょう」


 この世はそんなに安易な仕組みではない。それでも私は貴方を選ぶなどと言うものだから、私の胸の疼きも治るところを知らないのだ。



「もしやと思っておりました。ナナコはまだか、まだかと、近頃よくおっしゃっていましたから」


「叶うならばな。一目逢いたいと思ってしまうんじゃよ」



 ふふ、と短い笑みを零したのは己の願望の多さに呆れたからだ。



 尊いものを片っ端から焼き尽くす戦争の終結を願っていた。これ以上の犠牲を出すことなく終わらせたかった。アインさんにも生きていてほしかった。


 この世界でヤナギやブランチと共に、ナナコの生まれ変わりが訪れるのを待ちたい。その頃にはもう児童教育班など無くなっていれば良いと思った。全ての幼子が迷うことなく生きられる世が実現したならおのずとそうなるはずだからだ。



 そして……



 “来世、また同じ世に生まれ、同じ試練を背負う”



 あのような代償を背負ってしまった君が今度こそ自由を手に入れる瞬間が見たい。


 そこに私が居なくとも、君の……ユキの笑顔がもう一度見られれば満足なのだから。



 一つ一つは決して欲張りなどではないつもりだったが、こう並べてみると容易ではないとわかるのだから滑稽だ。良く言えば人間らしい、されど実に欲深いと気付いたからこその決断だった。



「私は私を見捨てた訳ではない。ナツメの人生をないがしろにはしないよ」



 今はきっと慰めにしかならないこんな言葉を本物に出来るかどうかは私の今後にかかっている。いいや、嘘になどするものか。



――ヤナギ。




「……生きたいよ」




 おのずと喉元が震えたのはこの尊い存在があるからこそ。我が身一つならきっとためらうことも無かったのだろう。




 ★補足★


 アイドクレース・フォーマルハウト(アイン)の死の真相は同シリーズ作品【ASTRAL LEGEND】にて掲載されております。


【ASTRAL LEGEND】の重大なネタバレにあたる為、又、本作品に於いては幽体世界アストラルの戦争の件についてあまり掘り下げない方向である為、詳細は控えさせて頂いております。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ