5. 日陰
部屋に招くなり彼は驚いたと言った。戸惑い半分、喜び半分みたいな顔をして、のそのそを辺りを片付けるその動作を待っている暇など私にはなく。
「冬樹さん」
手早く包装を剥き、苛立ち半分で呼びかける。
「あーん」
「いきなり!?」
「だって溶けます」
本当はあの渦状のクリームが良かったのだがな。あれが冷却の施されたアイスクリームの類と考えるならば、公園からここまでとなるとあまりに距離がある。いくら口実とは言え形ひとつ保てないのでは意味が無いのだよ。
色付きの氷といった風なアイスバーに噛り付いた彼がきゅっ、と眉を寄せる。頭に響いたのだろうか、すまないな。
「もう、ナツメは急なんだから。僕が居なかったらどうする気だったの?」
「……どっちも食べようかと」
「馬鹿だね、お腹壊すでしょ」
原型のあるうちにと互いに慌てていたものだから、椅子の用意も間に合わず腰を下ろしたのは結局ベッドの上。共に並んで噛り付く。さりげなく肩を寄せたりなんかする。こんなのも……いいものだ。
「おいし?」
「うん、おいひぃ」
今度は舌が痺れたか。
「冬樹さん。この間、圭吾くんが……」
「圭吾くん? あぁ、荻原くんかな?」
「…………」
「荻原くんがどうしたの?」
「冬樹さんのこと、ドジだって」
「ええぇぇぇ!? 酷い!」
肝心な部分は、外した。
他にも挙動不審とか、よく噛むとか悪戯に笑いながら伝えてあげた。大丈夫、圭吾くんの名誉は傷付かない。だって私にはそれが出来るのだから。
「僕ってそんな風に思われてるんだぁ……」
ちょっぴり萎れてしまっている貴方も……大丈夫。
ちゃんと無かったことに、してあげる、から。
――ナツメ?
やがて彼の弱々しい声が届く頃、私の頰を一筋が伝う。
「泣いてるの?」
「冬樹さん……」
目の前に在るのは心配そうな貴方の顔なのに、こんなときに限って執拗にリフレインする。
そう、本当は誰に悪びれることもなく。
――シュウちゃん、シュウちゃん!――
――はいっ、あーん――
…………っ。
「ナツ……」
「冬樹さん……!」
あんな時間を過ごしたかった。
たまらず痩せた腰へ縋り付くと、間髪入れずに彼の冷たい唇が上気した私の頰を這っていく。流れが定まるのには十分だった。きっとまた剥がれていく。“普通”が許されない私たちは、今日もまた隠れて、潜めて、声を殺して交わるくらいしかないんだ。
「どうしようもないね、僕ら。こんな、昼間から」
彼の口調が変わり始めるとそこに君を探した。ほら、カナタ。ここに居るぞ、と。更に引き出すべく、あえて追い詰められたような上目遣いなんかをしてみたのだが。
――ねぇ、ナツメ。
潤んだ優しい眼差しに息が止まった。確かに“私”を見ている。そんな彼が声を詰まらせながら。
「もう……終わりにしよう」
息が、
息が、出来ない。
何故だろう。元よりそのつもりだったのに。覚悟だって決めていたはずなのに。
息の一つも吐けないまま、こぼれていくのは雫ばかり。痛みに悶えるナツメはついに目を伏せる。
縋り付いていた手の力が抜けていった、そのとき。
――――!
「それからまた始めよう?」
「冬樹……さん……」
思わぬ形で息が戻った。引き寄せられる強い力とへし折れそうな痛みによってだ。
決して格好良いなんて言えない、鼻声の決意によって、だ。
「今のうちに言っておくよ。僕は君が思っているような人間じゃない」
なんだ? 聞かせてもらおうじゃないか。震える彼の腕の中で、震える声に耳をすます。
「君の全てが欲しくなって、絶対的な規律さえ見失った。真っ先に君を助けた荻原くんを羨ましいと思った。ちょっとだけ……彼を妬んだ」
そんなのは気付いていたよ。
「泣いている君の姿にさえそそられた。自分がこんなに酷い男だなんて思わなかった」
それも知っているよ。
「軽蔑するなら今のうちだよ? だけど、それでもナツメがいいって言うなら、許される時が来るまで待っていてくれる、なら……」
「冬樹さ」
「迎えに行くから! 例え弟と同じことになったって、君だけは絶対幸せにする。この命に代えても、僕は」
“もう、失いたくない”
…………っ!
「傍に居て……ナツメ!!」
再び強く抱きすくめられたらもう何も言えやしない。だって全てが覆されてしまった。雪肌の胸元で嗚咽をこぼすナツメが恨んだのは天と君。
今この場に、この私に、優しさなど要らなかった。私が聞きたかったのは、こんなのじゃあ、ない。




