2. 南風
共に堕ちて以来、許されざる関係に決着をつけられぬままだ。とは言え、来る日も来る日も、毎晩、こんな欲望にまみれた逢瀬を重ねている訳ではない。昨日のあれだって夜で数えれば二度目だった。
今ここで生きている彼は年齢にして一回りも上なのだ。連日求められてはさすがに身が持たぬと言うもの。かつて同じ括りにあった私だからこそまた想像もつく。
ただ、我を忘れて溺れる時の密度がやたらと濃ゆいというくらいで。
眩い星の瞬きも、月の満ち欠けも、もはや見えぬというくらいで。
「秋瀬?」
白昼の大学構内。新緑の騒めきが窓枠を揺さぶる廊下の片隅でもうどれくらい立ち尽くしていたことだろう。
おそらく意味がないのではというくらい存在感の薄い古びた掲示板の元で見つけてしまったそれと、ゆっくり向かい来る彼とを交互に見比べる。そのぎこちない動きに何を感じ取ったのか。
「ああ、これ? 古い作品だけど人気の舞台だよね」
「…………」
「あ、そっか。秋瀬は知らない?」
知らないのは貴方の方だ。胸の締め付けに耐えるナツメの唇にはきゅっ、と小さな力がこもる。
「いつか観に行こうか」
「いつか?」
「あっ、うん。えっと……実は僕、ね、うぅんと……ここでは言えないけれど……」
隣で何やら口ごもっている貴方を見ることができない。だってわかりきっているのだ。それをしたところで貴方は思い出しなどしない。
ポスターのずっと下の方にはいくつかの名が連なっている。問題は役名の方だ。かつての私と、かつての……君。
『春日雪之丞』
これを見たって変わらず目尻を垂らし、えっと、うーんと、と未だに続けている貴方は、この生涯のうちで気付くことなどただの一度も無いはずだ。
――本当は離したくなかった……二度と――
――僕が僕じゃないみたい――
ほんのわずかな光。いや、あの日あの海で、暗黒の潮の中で、私の支えになってくれた遡りの雪のような希望を見た。それだって貴方にとっては無意識なのだ。
私がもう居ないように
君もまた、ここには居ない。
「……! ナツ……っ、秋瀬?」
気が付けば握っていた大きな手から、冷感に似合わぬ汗がじわじわと滲んでくるのがわかった。まぁ無理もないだろう、な。
「だ、駄目だよ、こんなとこで」
「駄目?」
「誰かに見られたら……」
「それを何度も繰り返した結果がこれですよ?」
こうして夜が明けてしまえば、飢えた吸血鬼の面影など何処にも在りはしない。恥ずかしがり屋でそそっかしい、貴方はもう貴方なのだと。そこに君を探してはいけないのだ、と。
言うまでもなく切ない想いだ。それなのにやけに弾む心の私は
「ナッ……秋瀬っ!」
終えた昼休憩の後も
「だから駄目だって」
研究の最中も
「だっ」
後も。
「本当に、悪い子……っ」
貴方それ好きですね。
白衣の生徒たちをしれっと眺めながら大胆に、机の下で手を重ねたりなんかしたのだ。雪肌に浮かぶ熟れた林檎の色が、可愛くて。
「もぉ、うちに来ていいから、後で……ね?」
観念した彼の震える唇からそんな言葉を引き出してほくそ笑む。
駆け足の日々。押し進める南風。そんな中で私はきっと待っていたのだ。
成就のとき?
いいや、違う。
「ナツメちゃん」
「……圭吾くん」
そしてついに訪れる。驚異の滑舌を誇る彼がただこれだけで引き止めたこの日、己の望みに気付いた私は再び形を変える気配に喉を鳴らしたのだ。
――いっそ壊してしまいたい。
いつか君が願った想いの意味を知って。




