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1. 走馬灯



挿絵(By みてみん)



 それは十六を迎えて半年程のある日。頑なに閉じた瞼の裏にまで伝わる点滅と、宙を切り裂く轟音の深夜。



――――!



 震える窓が泣き濡れた神無月。


 私の目覚めは、遅かった。



 物心ついた頃から雷が嫌いだった。ゆえに秋であるにも関わらず、さながら蝉の幼虫の如く羽毛の地中にて丸まっていたのだが。


 次第に浅くなっていく呼吸にどうにもたまらず布団を跳ね除けた。わずかばかりでも楽になりたい。そんな一心で起こしたこれが、皮肉にも私の軌道を更に塞ぐことに。



 ……いや……あ、あぁ……



 仰向けの身体が向く先、そこに在るのは住み慣れた自室の滑らかな天井だったはずだ。しかしいっぱいに見開かれた漆黒の双眼には、荒れ狂う獣のような濁流がありありと映るのだ。彷徨う手で生ぬるいシーツを握るも、後ずさるも、逃れられない。



 傾く感覚、地に着いてもいない足が滑りそう。為すすべもなく見渡すそこかしこで雪崩れる積荷。


 振り落とされる身体、身体、人、


 人、人、人。



 一際巨大な波が容赦もなく牙を剥いて



 そこへ。




「あああぁぁぁぁーーーーーッッ!!」



 獰猛な海の獣の雄叫びかと思ったそれは紛れもなく己の喉を突いて沸いた。せわしなく踏み鳴らす音がこちらに近付いていたが、それを足音と認識したのはだいぶ後だった。いつだったのかも覚えていないくらい。


「ナツメッ!?」


「どうしたんだ、ナツメ! しっかりしろ!!」


 きっと血相を変えて飛び込んで来た、その二人が両親だと思い出したのはどの時点だったろうか。



 無理もない。暗がりの自室の片隅でどうしようもなく疼くまっていたこのときの私は“かつて”。ナツメ、ナツメ、と繰り返さられるそれにさえ滅茶苦茶にかぶりを振った後は、どちらかへ縋り付いて確かめようとした。



「ジンさんは? ミコトさんは、何処だ!?」


「ナツメ、何を言って……」


「ナツコは居ないのか!?」


「しっかりするんだ、ナツメ! お前は“ナツメ”だ!」



 “ナツメ”?




 違う……



「違う……っ、そんなはず、は……」



 体温の伝わる布地を引きちぎらんばかりの強さで握っていた。何が薄れていく。鎮まっていく、虚しく。そんな私を見下ろす両親は戸惑いを滲ませつつも、実に落ち着いた響きの“何か”を交わし出す。



 あなた、これって……


 ああ、覚醒。しかしあまりに急速だ。



 ぴくりと眉が反応したのはおそらく不穏な二文字のところだ。一体何を? 恐る恐る問いかけようとしたところへ、再び訪れた戦慄の音に貫かれ。



 まるで時が止まったみたいだった。音など感じなかった。ただいつまでも、いつまでも在り続ける白光の中に、一際冴える……青い、花、が、見えて。





――ユキ。



 しん、という、粉雪のと共に、君が、振り返る。



「……ユキは、何処じゃ?」



 口にするなり実感に蝕まれた。現在の記憶はほんのいっとき見失っただけだ。


 今、私の中には“二人”居る。ナツメ、それから……



――嘘だ。


 嫌だ。



 こんなの、こんなのって……



「ナツメ! お願い、落ち着いて!」


「やむを得ない。お前、猿轡さるぐつわと鎮静剤を……!」




「何処に居るんじゃ……! ユキーーーーッッ!!」





 かつて無い程の混沌から目覚める頃、私が居たのは静かな静かな場所だった。宙を舐めれば苦味が伝わりそう……これは、消毒液の匂いだろうか?


 化学者の両親の元に生まれた“ナツメ”にとって、それは慣れたもののはずだった。それなのに。


(病院、か)


 ベッドの上で半身を起こして五感をすませる。それだけで白衣に身を包んだ君の姿なんかが容易に浮かんできてしまって、数分おきに不揃いな雫が頰を伝ったりした。



 急速な覚醒によって引き起こされる精神崩壊の寸前。このまましばらくは入院だと医師に告げられた後、ただ二人取り残された病室で母が尋ねた。



――ねぇ、あなたは、誰?



 しばらくの後に答えると、母は神妙な面持ちでやっぱりと呟いた。そっと優しく私の手を握って。


「珍しい例だわ。男の子だったのね」


 うん、と小さく頷く私もすでに知っていることだった。大前提とも言えるこれが転じるなど、そうそう起こることではないと。まさか自分が、と。



「さっきも呼んでいたわよね。何度も、何度も」


「ユキ……」


「そう、ユキちゃん。あなたの大切な人、なのね?」



 慈しむ眼差しで見つめる母はどうやら何かはき違えているようだったが、すっかり枯れ果てたと思った雫が再び溢れ出す頃には、もうどっちでもいいとさえ思ったのだ。



「好きなんじゃ。もう一度……逢いたい……っ……」



 これさえ叶うのならば。




 泣き疲れてぐったりと横たわる私の手を、窓があいの色を示すまで握り続けてくれた母は、柔らかな音色の子守唄に一つの魔法を添えてくれた。



――願いなさい――


――信じていなさい――


――その子に再び出逢えることを――



――きっとこの世界の何処かに居るのだから――




 そうして微睡みの中へ落ちていった私は。




 …………メ。



「ナツメ」



 三年の時を経た今、欠かさず望み続けた“その子”……もとい、君の腕の中で目を覚ますのだ。



「ユキ」


「え?」



「……冬樹さん」



 しれっと今へ正してみせるも時すでに遅しと知った。照れくさそうな笑みを浮かべた彼は乱れた私の長い髪を撫でながら。


「それ、何度も呼んでた。僕のことだったの?」


 何を嬉しそうにしているんだ。


「そんなに泣いて……僕は、君に何をしたの?」


 だから。何が嬉しいのだ。涙目のナツメの眉間には険しい縦皺たてじわが刻まれる。



 やがて冷たい指先が頰から瞼へ、瞼から頰へと行き交う頃に。



「こういう、こと」



 腕を絡ませこちらへ導いたのは、今更とも言える予感を確かめる為だ。



 重なったが最後、時を遡る波長が“かつて”を連れて来る。飢えた吸血鬼の目の色に怯えながら火照る私は一体何度、許して、と懇願しただろう。



「怖いの? ナツメ」


 貴方は問う。哀しげに、悶えながら。



「僕も怖い。こうしてると、僕が僕じゃないみたいで……まるで、君を、苛めたがってる、みたい……」



 わかってる。


 もう、わかってるから。そんな顔をしないで。



 駄目、なんてつくづく無意味な戒めだった。あれから数日ばかりで再びここへ舞い戻ってしまった私たちに、天の恋人もさすがに呆れているではなかろうか。


 甘い罪の吐息を漏らす夏の夜に。虚ろな意識の私は、ここからでは遠い場所の、遠い日へ想いを馳せるのだ。




 “ナツメ”の母上よ、貴女の魔法は確かだった。私は再び出逢うことが出来たのだから。


 だけどどうも話が違うんだ。


 彼は何故かこちらに居る。どういう、ことなのだろう?



 性が転じた。それは、偏見に遭うことも無く心置きなく通じ合う為に、天が与えてくれた情けだと思いたかった。



 それでも未だ許されぬのだよ。


 何故なのだろうか、母上。



 何故なのですか?



――天よ。



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