第八話 頭の上がらないお師匠様
……魔術師にも、当然ながらランクがある。
初級、中級、上級、特級。ここまでは聖職者のランクと変わらない。
認定するのは魔術師ギルド。資格試験があるのも同じだ。
違うのはそこから上。称号と呼ばれるランクのほう。
戦術級、戦略級、王級と名前が違っている。
ま、読んで字の如く。
戦術級は、戦場における勝敗を左右するほどの実力
戦略級は、戦局そのものを動かすくらいの実力。
王級は、国そのものを建国出来ちゃうレベルなんだとか。
もっとも、王級なんてこの数百年、現われてないらしいけどね。
いやまあ、それはともかく。
――ミスリル王国所属戦術級魔術師 アイラ・ハルラ。
魔王城攻略パーティーの火力担当にして、俺の魔法の師匠。
出会った当時が十七歳だって言ってたから、今は二十歳前くらいか?
まあでも、見た目はあの頃と全く変わってないけど。
身長、全然伸びてないなあ。150cmくらいか?
風の噂で、今はアイリス姫の教育係に復帰したと聞いた。
そして俺はこの世界にいる限り、一生この人に頭が上がらない。
二年前、この世界に飛ばされた俺の家庭教師を務めてくれ。
旅の途中では、何度もヘマした俺のことを助けてくれ。
今の俺の強さの元になっている、【無詠唱】を解析してくれ。
それを元として、俺に新たな魔法を授けてくれ。
そして、俺が若さゆえの過ちで、姫に迫ろうとした時。
それを予想し、きちんと理由を説明した上で止めてくれた俺の恩人。
……でも、覗きは良くないと思うんですよね! 師匠!
「……師匠? いつから見てました?」
「最初からですよ? 部屋に入ったのは、ハルが姫様を眠らせた辺りですが」
「……ってことは、その、あの、俺が、姫の、あの、む、胸とか……」
「はい。全部見てました。ついに一線越えるのかーと。興奮しました」
少女は少しも興奮の色を見せず、淡々とそう言った。
ほんと、相変わらず表情が読めない人だよなあ……。
いやこの無表情が魔女っぽいっちゃっぽいけどさ。
涼しい顔して『興奮しました』とか言われると、逆にすげー萌える。
「しかし、ハルは本当に変わりませんね。最後の最後でヘタレるところとか」
「ちゃんと成長してます。あと俺は別にヘタレじゃねーです」
「じゃあ、今の。私が現れなかったら、姫を抱きましたか?」
「…………抱きません。気絶させてから抱くなんて、そんなことしませんよ」
師匠はコクンと首を傾け、よしよしと優しく頭を撫でてくれた。
「ヘタレでも、ハルのそういうところ、私は好きですよ?」
「……ありがとう、ございます」
「それにしても、ハルは体は本当に成長しましね。頭に手が届きません」
……精一杯背伸びをし(爪先がプルプル震えていて大変可愛らしい)俺の頭へと手を伸ばす師匠の姿を、改めて見てみる。
肌の色は昔と変わらず、透き通るような白で。
全身黒ずくめの体も昔と変わらず華奢で。触れただけで壊れそうで。
女性らしいというよりも、少女っぽい小柄な体型も相変わらずで。
なのに顔だけは、無表情なのも手伝ってか妙に大人っぽく儚げで。
涼しげな目元も長い睫も。薄い唇もシャープなラインを描く頬も。
透明な氷で作られた冷たい彫像を思わせるほどに美しくて。
そのアンバランスさが、逆に妙な色気すら漂わせている。
妖精を象った精巧なビスクドール。そんな雰囲気のある少女。
「師匠は……相変わらず、お変わりがないようで……」
「今、どこを見て言いましたか? 場合によっては怒りますよ?」
別に胸なんか見てないっすよ。被害妄想強すぎっすよ。
相変わらず気にしてるんですね。幼児体型のこと。
でも、師匠のその慎ましげな胸も俺は大好きですよ。
しかし、こうして並んでみると、俺、結構身長伸びたんだな。
出会った頃はほとんど同じだった師匠との視線が、今ではすっかり見下ろすようになっている。だいたい20cmくらいの差か? いいねこの身長差!
「……それにしても」
「はい。なんですか? 師匠?」
ぽすんと。小さな音を立てて、姫の眠るベッドへと腰を下したアイラ師匠は、ちょっと納得がいかないといった風にボソボソと呟く。
「不思議ですね。ハルは、セクハラ行為がばれたこと自体には驚いたみたいですが私がここにいることに関しては、あんまり驚いてません。少し、残念です」
「あー。それはですね。姫がここにいる以上、その教育係兼護衛役の師匠も必ずいるだろうな、と。ついでにいえば、ノアの街で気配は察してましたし」
気配……と。小さく首を傾ける師匠。そういう仕草がほんと似合うし可愛いしでもう大変である。でも、年上なんだよなあ……。
「ノアの街の冒険者ギルドのあれ。あの襲撃です。襲われた理由は、俺にはさっぱり分かりませんけど、あれほど正確に魔法の威力をコントロールして、中にいる人には怪我ひとつ負わせず、壁だけを破壊するなんて技、師匠しか出来ません」
おお、と。小さく手を打つ師匠。その仕草も……って、これはもういいか。
「なるほど。そんなところから足がつくとは。今度襲撃する時は、そういうのは一切考えずに、手を抜かず全力で当たるとしましょう」
「やめてください師匠。師匠の全力とか、ノアの街の半分が吹っ飛びますよ。いやそれより、そもそも、何で俺、襲撃されたんです?」
俺の返した質問に、師匠は無言を返す。
そしてそのまま、じっと静かに見つめてくる。
いかん。これ、師匠が機嫌が悪くなる時の前兆だ。
俺はきっとこのあと怒られる。静かに。淡々と。無表情で。諭すように。
「わかりませんか? ハル?」
「……はい。すいません」
「やっぱりハルは、体は大きくなったけど、中身はまだまだ子供ですね」
ふう……とため息一つこぼし、師匠は続ける。
「……魔王討伐の後。ハルと別れてからの姫は、毎日泣いて過ごしていました。どうしてあんなことをしてしまったのだろう、と。もう二度とハルキ様とお会いすることは出来ないのでしょうか、と」
……ちょっとだけ、胸がチクリと痛んだ。
それはまあ、うん。あの姫なら、そうなるのかもしれない。
「ですが、一年の時を経て姫は立ち直りました。謝るんだ、と。君に誠心誠意謝るんだ、と。許しを求めたりはせず、ただ君の為に、君の言うことだったら何でもする覚悟だ、と。私はその言葉に心をうたれ、姫を王宮の外へと連れ出しました」
……姫。重いです。重すぎますよ。その覚悟は。
いやまあ、それはともかく。
なるほど。つまり姫が王宮を脱出できたのは、師匠のおかげだったのか。
……って、あれ? それ結構まずくね? 師匠、姫の誘拐犯とかにされてね?
「……ようやくノアの街までたどり着き、ずっと想い続けていたあなたに会おうとギルドを訪れた姫の目に映ったものは、うれしそうに、そしていやらしい笑顔で可愛いメイドさんの手を取るハルの姿……。すいません。姫の気持ちを思い、魔法を放ったのは私です。ちょっと大人気なかったですね」
うん。いや、まあ。うん。
気持ちは、わからなくもない、かな? うう、ん……。
ただ俺の顔はそんなにいやらしくはないと思うのですよ師匠。
ついでに、師匠が姫を妹のように大事に思っているのは重々承知してますが。
姫の気持ちを代行しての行動だとは思いますけどね?
それだけでギルドの壁ぶっ壊すのはどうかと思うのですよ。
あれ損害賠償とか請求されても俺は知りませんからね?
いやまあ、それはともかく。
「俺を追いかけたり、襲撃をした理由は分かりました。でも、もうひとつ」
「……本当にわかってます? ハル? 女心というのはですね」
「その話はまたあとで。……それより師匠? どうやってここに?」
そう。
姫と師匠がここにいる動機は分かった。
微妙に納得しきれない部分はあるが、まあ分かった。
でもその方法が分からない。
師匠の話が本当なら、師匠たちは二日前まではノアにいた筈なのだ。
師匠は本当にすごい魔術師ではあるが、残念ながら転移魔法陣は使えない。
いや待てよ?
師匠のやることだからな。成長して転移を使えるようになったのかも?
見た目は成長してなくても、中身はすごいんだからなこの人は。
「どうやって、とは? ああ。ハルの後をつけてきただけですよ」
「いやでも、転移魔法陣は師匠では使えないんじゃ……?」
「はい。さすがにあれは、私の魔力総量では無理ですね」
「では、どうやって?」
イマイチ要領の得ない会話を繰り返していると、「ああ」と、何かに気がついたらしい師匠が、また手を打つ。師匠は表情が変わらないせいか、逆にこういう感情を表す仕草のほうは豊富だ。
「ハル。君は魔法の習得は早かったのに、魔法の構造自体にはあまり興味がなかったようですね。いいでしょう。説明します。転移魔法陣は、起動に莫大な魔力を消費しますが、それだけに、物体を転移したらすぐに閉じるというものではないのですよ。起動状態はしばらく続き、その間は何度でも、双方向で利用できます」
なるほど。あの魔法陣は、使用すると閉じるのではなく、しばらく起動状態を保つのか。いつもは使ってすぐ外に出ちゃうから気がつかなかった。
……ってことはあれだな。パロス公国の遺跡で感じたあの殺気は……。
「そうです。私たちは、ハルの後をつけ、こっそり遺跡内部に侵入しました。転移魔法陣のほうは動かせなくても、遺跡の石板を動かすのは私の魔力総量でもギリギリ足りますからね。その後、ハルの起動した転移魔法陣に乗ってここまで来たのですよ。理解、できましたか?」
人差し指を立てて先生ポーズを決めたアイラ師匠。
よく分かりました。師匠の授業はいつも分かりやすくて素敵です。
さすが十四歳当時の俺を、魔法習得に夢中にさせただけのことはあります。
まあ、分かりやすかろうがにくかろうが、俺は絶対夢中になったろうけどね。
何しろ三歳年上の美少女魔女っ子による個人授業だ。
夢中にならない訳がないよ。そうだろう? 当たり前だろう?
「では、今度は逆に私からの質問です。ハル? 君はこのリボンの街に可愛いメイドさんを送り届けに来たようですが、それは何故です? そもそも、あの可愛いメイドさんは一体何者なんでしょうか?」
何か不必要に「可愛いメイドさん」に拘っているようですけど、ま、いっか。
ミスリル王国を離れてからの生活は、俺も師匠に話したいし。
あなたの教えのおかげで、今もこうして元気で過ごしてますよ、と。
そんな感謝の念をこめて。
× × ×
「……なるほど。配達のお仕事を始めたのですね。立派なことです」
「そんなことないですよ。まだまだ赤字経営ですし」
王宮を脱出してパロス公国に住んでいること。
そこで冒険者になったこと。
冒険には、師匠に教わった魔法がとても役に立ったこと。
いつの間にか、S級冒険者にまでなれたこと。
でも、個人的には手紙の配達依頼を果たすのが好きなこと。
そこで思い切って、自分で配達専門店を立ち上げたこと。
今でもこっそり【速達】をする際に、転移魔法陣を使っていること。
今回は例外的に、事情を鑑みて、彼女自身を送り届けたこと。
……等々。
結構、長い話になった。
姫は、まだ目覚めていない。
師匠は長い話を黙って聞いていてくれた。
時々頷いたり、相槌を打ったりしながら、最後まで聞いてくれた。
……そして、話し終えた俺に向け、一言。
「では、今回の依頼は無事終わったわけですよね? その割には、何か、ハルの顔色が優れない気がしますよ? 何か気になることでも?」
優しくて、そして鋭いのだ。俺の小さな師匠は。
俺は愚痴を零すような気分で、ついつい話してしまう。
「……実はですね。送り届けた先、シャルロットさんのお父さんがですね、もう先は長くなさそうな感じで……。それが、その、まあどうしようもない話なんですけど、でも、シャルロットさんの気持ちを考えると、『わーい仕事終わったー』なんて喜ぶ気にもなれなくて……」
うん。
あれはもう、きっと、数日中に……。うん。
そんな風にぐじぐじ悩んでいる俺に対し、師匠はさらっと言う。
何でもないことのように。
「ならば、姫にお願いしてはいかがですか?」
「……姫に、ですか?」
「そうです。治癒魔法のエキスパートですよ。彼女は」
「……それは、まあ、そうですが……」
正直、それは俺も考えないでもなかった。
アイリス姫は【聖級】のプリーストだ。
もしかしたら……という期待感もある。
……でも。
それは姫を頼るということ。
自分から縁を切った、姫に頼むということ。
姫はそれを断らないだろう。
むしろ喜ぶかもしれない。
でも。それでいいのだろうか?
彼女の気持ちに応えられない俺が、彼女を頼っていいのだろうか?
いやそれよりも。俺は俺自身を許せるだろうか?
依頼人の為とはいえ、彼女の力を借りることを俺は由とするだろうか?
「まだ、許せませんか? 姫のことが」
「……そう言う訳じゃ……」
「そうですよね。姫のしたことは、とても許されることではありません」
「……ハルを元の世界に戻す、召喚魔法陣を破壊したのですからね」
そう。そうなのだ。彼女はしでかしたのだ。
俺を元の世界の戻したくなくて。
俺と離れることが嫌で。
煽ったのは、裏で糸を引いていたのは国王だ。
でも実際にそれをしたのは、罪を犯したのは、アイリス姫、だ。
それを知った時は、当然俺も激怒した。
どうしてくれるんだと、泣いている姫に詰め寄りもした。
暴力を振るうことだけは……何とか耐えた。
そのことを許せるかと言われたら、正直、言葉に困る。
気持ちは分かる。少しは、分かるつもりだ。
一年の時を経て。姫側の事情も訊いて。少しは冷静になった。
考えられるようにもなった。
でも……。
「ハル? 私は君の師匠であり、そして姫の教育係でもあります」
――思い悩む俺に、優しく声をかけてくれる人がいた。
「私は、二人がどちらも幸せになってほしいと考えます。可愛い教え子のことですからね。師匠として当然のことです。ですから、姫の肩を一方的に持つつもりはありません。極力、協力したいとは考えますが」
――その人は、俺の師匠。尊敬する、俺の小さな師匠。
「ハルの気持ちも分かります。怒って当然だと思います。ですが……。いえ、筋が通っていないことだと、自分でも理解しつつ、でも、言いますね?」
――俺を導いてくれる人。
「姫に贖罪のチャンスを与えてください。いや、そう考えなくてもいいです。罪に対する報いとして、姫を使ってやってください。彼女はきっと、いえ絶対、君の頼みを断りません。あなたの為に全力を尽くすでしょう」
――俺の行く先を指し示してくれる人。
「ハル? 君は姫を許さなくても構いません。いえ。まだ許すべきではないと、私もそう思います。だから、姫を利用すると考えればいいのです。姫を使ってやるんだ、くらいの気持ちでいればいいのです。許す必要はありません。そして、結果だけ受け取ればいいのです」
――俺の最高の師匠は。
「それすらも我慢できないというのであれば、私の為に。私の一方的な我儘だと思って聞いてください。ええ、そうです。私は師匠ですからね。偉いんです。ハルに命令だってできちゃうんです。……だから、これは、私からの、お願いです」
――俺に行動する言い訳を、与えてくれたのだ。
「……師匠」
「はい。なんですか?」
「俺、師匠に師事できて、本当によかったと、心からそう思いますよ」
俺の言葉に、師匠はにっこりと笑って……は、くれなかった。
いつもどおりの無表情で。抑揚のない声で。ただ、一言。
「……世界を救った勇者様にそう言われるのは、大変光栄ですね。これからも、弟子に愛想を尽かされないように、がんばりますね」
――そう言って、また優しく、俺の頭を撫でてくれた。