第五話 【速達】の秘密
……むくり、と夜具代わりに体にかけていたマントの中から抜け出す。
夜空に浮かぶ月の位置を確認。
正確な時間は分からないけど、夜明けはまだ遠い。
周囲の様子を窺う。
不寝番の見張りが何名かいるけど、ばれずに抜け出すことは十分可能。
……よし。
「シャルロットさん。起きてください。シャルロットさん」
「…………む、うぅん」
ちょっとだけ艶めかしい声を上げて、彼女が目を開ける。「う~ん。もう食べられないよう~」とかいう可愛らしい寝言を期待したが、残念ながらそんな声を聞くことはなく。二、三度瞬きを繰り返した彼女は、すぐにはっきりと意識を取り戻す。
「……なんでしょう? ハルキさん?」
「今から動きます。荷物をまとめてください」
「はい? えっと、今から、ですか? まだ暗いですよ?」
シャルロットさんの疑問は当然のことだ。
夜の旅は危ないと、彼女に伝えたのは俺のほうだし。
だがしかし。そうではないのだ。
ここから先は、旅ではない。
「暗いほうがいいので」
「え……。あ……」
何かに感づいたように、シャルロットさんが声を上げる。
「人に見られたくないんですよ」
「……それは、はい。そうですね」
うむ。こっちの意図を察してくれたようだ。
「約束は、守るべきですよね」
「……はい。そうです……。約束、ですもの、ね……」
俺は彼女を三日でリボンに届けると約束した。
一度約束を交わした以上、それは絶対に守るべきなのだ。
俺の信仰する神は「契約と約束を司る女神リリス様」だしな。
素早く荷物をまとめ、静かに立ち上がる。
何やら決意を固めた顔をしている彼女を立たせる。
「……ついてきてください。静かに。周囲にばれないように」
「……はい」
……腰を低くし、物陰に隠れつつ移動する。このキャラバンに正式に所属している訳ではないので、こうして夜間抜け出しても何かの罪に問われるといったことはないけど、今から俺がしようとしていること、つまり【速達】のことを考えると、やはり不自然な行動で目立ちたくはない。
「あ、あの……。ハルキさん。ど、どこへ……?」
「ちょっと歩きます。二十分くらい」
なんだろう。シャルロットさんの動きが妙に鈍い。
慣れない旅の疲れが残っているのかな?
「ず、ずいぶん遠くまで行くんですね?」
「そうですね。でも、離れているほうが音が聞こえなくて好都合ですし」
「はあ、なるほど……音。……おとぉっ!?」
「おおう? 音。はい。音です。音がどうかしましたか?」
「……お、音がするほど、激しい、んですか……」
「激しくするつもりはないですが、予想外に激しくなる場合もあるので」
「そ、そうです、か……。音が、するほど、激しい、ですか……」
シャルロットさんの歩みがますます遅くなる。
あれだな。回復魔法でもかけたほうがいいかもしれないな。
「それにほら。声。声も聞かれたくないですしね」
「……はい……。お気づかい、感謝、します……」
やばい彼女死にそうだ。
ほんと、どうしちゃったんだろうこのコ……?
……いやまあ、それはともかく。
「つきました。ここです」
……街道から逸れて、しばらく歩いた場所。そこには古い遺跡があった。
遺跡といっても、観光名所になれるほどのものではなく、ところどころが欠けた石板が、等間隔に円状に並べられているだけの場所である。
太陽さんさんと降り注ぐ昼間なら、お弁当持参でピクニックに訪れるのも悪くはないのかもしれないが、真夜中、月の光を浴びて静かに佇む石板群は、ただただ不気味なだけである。
「ここ、ですか……。ここで、その……」
「はい。ようやく約束を果たせます」
「……わかりました。わたしも、覚悟は決めました」
「そうですか。それはよかった……覚悟?」
……しゅるり、と。彼女の細い指が胸元のリボンを解く。震える手がブラウスのボタンにかけられる。それがひとつ、ふたつと、上から順に外されていき、やがてその、まだまだ成熟過程の、それでもきちんと存在を主張する双球が露に……。
「ちょちょちょちょおーーっ!! 何してるんですかシャルロットさん!」
「な、何って……。す、すいません。こういうことは、慣れていないので……」
「こ、こういうことって!?」
「だ、だから、その、や、約束を……」
約束?
あなたをリボンの街に届けるという約束と。
あなたがリボンを解くという行動に一体どんな因果関係が?
「か、体でお支払すると……。何をされても文句は言わないと……」
「…………」
おい。おいちょっと待て。何でそういう思考に辿り着く?
俺、「じゃあ代金代わりにお前の体を頂くぜうへへへ!」とか言ったか?
言ってないよな?
どうしたらそんな誤解が……あ。
深夜、寝ているところを、シャルロットさんは男に起こされました。
彼女はその男に、高額の代金未納という弱みがあります。
彼女はその代金を、体で支払うと宣言してしまいました。
そしてその男が、以下のような発言をしました。
『暗いほうがいいので』
『人に見られたくないんですよ』
『約束は、守るべきですよね』
『そうですね。でも、離れているほうが音が聞こえなくて好都合ですし』
『激しくするつもりはないですが、予想外に激しくなる場合もあるので』
『それにほら。声。声も聞かれたくないですしね』
――わーい。やっちまったー。
いやでもね。確かにね。確かにそうとも聞こえるかもしれないけどね? でもシャルロットさんも深読みし過ぎだと思うの。『音がするほど激しい』って。そりゃ、そういうことしたらそういう、その、えっと、具体的には『パンパン!』なんて音がするかもしれないけどさ! 『あぁん……』とか『らめぇ……』とかいう声も出ちゃうかもしれないけどさ! もう! シャルロットさんのえっち!
「しません! そんなことしません! 約束を果たすのは俺のほうです!」
「やく、そく……?」
とりあえずシャルロットさん。早く胸元どうにかしてください。リリス様に誓っているとはいえ、俺も男なんで、そういう格好で涙目上目づかいで見つめられちゃうと、俺の「ぱおーん」が凶暴なマンモスに進化してしまいかねないので。
……いやまあ。それはともかく。
「今からあなたを、約束通りスズ公国に送り届けます」
× × ×
「まず最初に、誓ってください」
俺は彼女の眼をまっすぐに見つめて言う。
当然、その胸元は、今はしっかりリボンでガードされている。
「今から聞くこと、見ること、その全てを絶対に口外しないと」
「わかりました」
「『契約と約束の女神 リリス様に誓えますか?』」
「『はい。リリス様の蒼い瞳と髪にかけて』」
この『リリス様に~』の言葉は、人族に広く信仰されているリリス教においての決め台詞みたいなものである。嘘はつかないという意味の宣誓だ。裁判の前にも、参加者全員でこの言葉を唱える習慣があるらしい。
まあ、もっとも。この言葉を言おうが言うまいが、嘘を吐くやつは吐くんだけどね。罰が当たればいいのに。あの素敵なお姉さん属性持ちの女神様に対して捧げた宣誓を反故にするなんて、その罪、万死に値する。
「シャルロットさん。『ミスリル戦争』って知っていますか?」
「三年前に起きた戦争のことですよね? 勇者様を異世界から召喚したという」
「その、異世界から召喚された勇者というのが、俺です」
「…………はい?」
はい。そのポカーンとしたお顔。想像どおりです。
そうだよ。そりゃそうだよ。
知り合いが自分のこと勇者だなんて言い出したら困るよな。
俺だって自分の知り合いが「俺の正体って実は○トの勇者なんだ!」とか言い出したら付き合い方を考える。とりあえず「証拠としてロ○の剣もってこい」くらいは言うかな。盾は壊れちゃってないらしいからね。竜王強いよなあ。
「俺の正体に関する真偽はあとで。ミスリル戦争の続きをどうぞ」
「え? あ、はい。勇者に率いられた戦士たちは三日で魔王城に辿り着き……」
「三日は大げさですね。噂に尾ひれがついてます。一ヶ月かかりましたから」
きっとこの噂の出所はミスリル王家だろう。
自分たちの国が成した偉業を、更に大きく見せようとしている。
あの嘘吐き王様がやりそうなことだぜ。
「堂々たる決戦にて、勇者は魔王の首を獲り」
「俺は魔王の首を獲ったりなんかしてません。サポートに徹していました」
何しろ戦闘経験が圧倒的に足りなかったからな。
下手に手を出して、逆に邪魔にでもなったら目も当てられないし。
「見事、この世界を救った勇者は、元の世界に帰って行った、と」
「帰ってません。王様に裏切られて、今でも帰れずこの世界にいます」
帰れないようにしたのは自分の癖に。
ほんと、あの王様いけしゃあしゃあとよくぞ言ったもんだぜ。
「…………」
「…………いやまあ。はい。信じられないのは分かります」
そう。
信じられないような話だから、今まで黙っていたのだ。
旅立つ前にこの話をしたら、きっと誇大妄想扱いされただろうから。
でも。
「と、いう訳で、今からその証拠を見せますね」
ここでならば大丈夫。この場所でならば大丈夫。
ここには俺が、この山水晴樹が、その正体が。
勇者であると証明できる“モノ”がある。
相変わらず不信顔のシャルロット嬢から離れ、一枚の石板に近づく。
他の石板がどれもこれも、どこか崩れてたり欠けたりしているのに対し、その一枚だけはきちんとした形でしっかりと残っており、また、よく見ると表面にうっすらと、何かの文字が刻まれたような跡がある。
――その中央に右手を当て。
「『転移の門よ。我の前にその姿を現せ』」
……途端に手に感じられる、強烈な吸収力。
俺の体から、凄まじい勢いで魔力が吸い出されていく。
並の魔術師なら、一瞬で魔力を枯渇させ、干からびてしまいそうな程に。
それと同時に、遺跡のほうにも変化が現れる。
円状に配置された石板群の中央。その場所が薄く光る。
スライドドアを開けたように、地面が“ずれる”。
――そして、ギシギシという音をたて、人一人が通れるほどの階段が現れた。
「……これは……っ!?」
「驚くのはまだ早いですよ? どうぞこちらへ」
片手で彼女の手をとり、反対の手に初級火魔法で火を灯した俺は、ゆっくりと、その堅牢なれど暗くて急な階段を下り始める。
入ってすぐの壁にある、薄く光る石板を押し込むと、頭上の扉が、またギシギシいいながら閉まっていく。
ううむ。だんだん音が大きくなってきたなあ。さっきのキャラバンの野営地までは響かないと思うけど。油でも指したほうがいいのかしら? ク○556って、この世界じゃ売ってないよなあ……。
そんなことを考えつつ、階段を下りる。とは言っても、それほど長い時間じゃない。精々、三階から一階に下りる程度の深さだ。曲がり角がある訳でもない、危険なトラップが仕掛けられている訳でもない、足を滑らすことだけを注意して下りていけば、やがて、その最深部へと辿り着く。
「到着、です」
「…………」
その神秘的な光景に圧倒されたシャルット嬢は、もはや言葉も出ない。
そうだろう。そりゃそうだろう。
俺だって初めてこの部屋に来た時は、そりゃあ驚いたもんだ。
――石造りで出来た、ちょっとした体育館くらいありそうな広い部屋。
――中央、右、左と、等間隔に並んだ、三つの巨大な魔法陣。
――その各々が、薄く青い光を放ち、部屋を頼りなくも照らしている。
「……これが俺の、【速達】の、秘密です」
俺はそのうちのひとつ、右側に位置する魔法陣の前に立つ。
「この魔法陣は、リボンの街のすぐ近くにある、古い遺跡に通じています。中央のはミスリル行き、左のはカナリア公国行きですね」
ここまで説明すれば、誰にでもわかるだろう。
「……これは、かつてこの地に住まう神々が移動に使ったと言われる、今は失われた魔法を起動するための魔法陣です。二年前、俺はこれを使って、三年はかかると言われた魔王城への道程を、一ヶ月で踏破しました。今はこの不思議な力で、世界中、どこへでも素早くお手紙を届けるという仕事、即ち【速達】をやってます」
路線図のように、各都市間を結ぶ魔法の道。
それは人を、物を、そして手紙を。遠く離れた場所へ瞬時に転送する。
――つまりこいつは。この巨大な魔法陣の正体は。
「使用するには、莫大な魔力を消費します。何しろ本来は、神様が使うものですからね。人族の街でも、亜人族の村でも、そして魔族の国でも。何百年もの間、誰にも使用されることなく、静かに眠っていたこの魔法陣の名前は……」
――世界でただ一人、俺にしか使えないこの魔法陣の正体は。
「転移魔法陣、といいます」