第四話 【速達】、盗賊に出会い歓喜する
――翌日。昼下がり。【ヤマミズ郵便局】の前にて。
「お、お待たせしました!」
「…………どうも」
約束の時間に遅れることなく、一人で店を訪れたシャルロットさんの姿を見て、俺は少しばかり頭を抱えた。
「あの、えーっと。シャルロットさん?」
「はい! 何でしょう!?」
「俺は確か、旅支度をして……と、伝えたと思うのですが……?」
「え? ですからこうして、しっかりと荷物持参で来ましたよ?」
少女が指さしたのは大きな黒いトランク。シャルロットさんの体の半分くらいの大きさのそれには、ご丁寧に車輪まで付いている。
「な、何か、おかしかったでしょうか……?」
「えーっと……」
俺は昨日と全く同じメイド服を着用した、旅支度というには何もかもがおかしいシャルロットさんに対し、どうすれば傷つけずにそれを説明できるかを考える。
何というか、これは多分、俺のミスである。十歳になるまで貴族のお屋敷で何不自由なく暮らし、その後はこの街でメイドの修業をして生きてきたある意味箱入り娘の彼女が、本当の意味での『旅』を知っている訳はないのである。
彼女にとって『旅』とは、恐らくこういう服装で、そして馬車で移動するものなのだ。これはもう、きちんと説明しなかった俺が悪い。全面的に。
「まずカチェーシャはやめましょう。直射日光が当たりますから帽子がいいかと」
「あ、そうですね。わかりました」
「それから靴。その靴で長旅は無理かと。靴ずれができますよ?」
「い、言われてみれば!」
「それから服。今から着替えるのもなんなので、せめてマントを着ましょう」
「この服は動きやすくていいんですけど、駄目ですか?」
「それはいいことですが、ブラウスの白が目立ちます。そうすると……」
「あ! そうですね! 魔物が寄ってくるかもしれませんね!」
「最後に鞄。その鞄は却下です。肩下げ鞄に変えましょう」
「これ、車輪が付いてて移動に便利だと思うのですが、これも駄目ですか?」
「街道の道は悪いですから。その車輪、きっと五分も持ちませんよ?」
「あ、そっか……」
「ついでに言うと、魔物や盗賊に襲われた時、大きい鞄だと大変ですしね」
「な、なるほど。その通りです……」
俺は何となく、背後から迫る魔物に脅えながら、トランクをカラコロカラコロ押して逃げる彼女の姿を想像してみる。……うん。シュールだ。とってもシュールだ。マンガだこれ。
「す、すいません……。その、いろいろとご迷惑をおかけして……」
「いえいえ。その辺もサービスの一端ですから。マントと鞄は俺の予備がありますからお貸しします。靴と帽子は、街を出る前に市場で買いましょう」
「はい。何から何まで……」
「お礼よりも、まずは準備を。とりあえず、鞄の中身を移し替えましょう」
「注意することはありますか?」
「荷物は極力減らしたほうがいいです。予備の服とかは置いていってください」
多分、あの巨大な鞄の中身の大半は、きれいなお着替えなのではないかと予想する。年頃の娘さんだものね。そりゃ普通、服は毎日替えるものだと思うよね。毎日同じ服を着て、川を見かけたらいい機会とばかりに洗濯する、それが旅だとは思ってないだろうしね。
「し、質問があります!」
「はい。シャルロットさん。どうぞ」
真っ赤な顔で手を上げた彼女は、そのまま手を下さずに、恐る恐るといった感じで、俺に質問を投げかけてきた。
「し、下着も、予備は持たないほうがいいですか!?」
「下着……」
下着。
下着と言えばパンツのことである。
パンツと言えば、あのパンツである。
パンティーとかスキャンティーとか、おぱんつ様だとか呼ばれるアレである。
ふと見ると、シャルロット嬢の上げられていないほうの手。
その手に握りしめられている水色の布のアレは、アレの正体はまさか……。
そ、そうか……。お洋服の上下はシンプルに白黒で固められたシャルロットさんも、実は下着はカラフルだったりするんですね! そういうの、いいと思います!
「……ハ、ハルキさん?」
「え!? あ、はい! 下着は最低限のものを! 数枚は持参してください!」
「はい! わかりました! ありがとうございます!」
ええい! 去れよ煩悩!
彼女によこしまな気持ちを抱いてはイカン!
リリス様との約束を反故にするつもりか山水晴樹!
嫌われるぞ? 嫌われちゃうんだぞ!? あのお姉さん属性の女神様に!
そんなの耐えられる訳はないだろう!
「準備ができたらさっそく出発しましょう。いいですか?」
「はい! よろしくお願いします! ハルキさん!」
× × ×
……ノアの街の南城門を抜ける。
まっすぐ南に延びる石畳の街道、ミスリル王国首都ミズリーを起点とし、パロス公国首都ノアに至るその街道の正式名称は、ミズリー・ノア街道である。捻りも何にもない名前だ。歴代王様の名前とか、英雄の名前とかにすればいいのに。
さてここで、旅の為のワンポイントレッスンその1。
旅をする時は、なるべく多くの人数で固まって動くこと。
これは大原則である。
何しろこの世界、街を一歩でも離れたら、そこから先は自己責任。
街道に警察も王宮騎士団も駐留はしない。ある意味無法地帯である。
魔物に襲われても自分で退治するか、逃げ出さなくてはいけないし。
盗賊に出会っても自ら剣をとって戦うか、いいなりになるしかない。
なので旅人は群れる。数は即ち力である。
大規模な商人パーティーについていくとか、小規模なパーティーならば、いくつかまとまって臨時の集団を形成するとか、そういうことが推奨される。
勿論、街道付近に危険なモンスターが現れたとか、盗賊団が街道を封鎖して好き勝手しているとなれば国は動く。騎士団も派遣されるだろう。
だが逆に、小規模、数名のならず者たちに関しての取り締まりの効果は薄い。彼らは小規模ゆえに逃げ足が早く、また、数も多いからだ。
……まあつまり。何が言いたいかというと。
「おっと。そこの少年少女たち。ちょっと待ちな」
十代半ばの男女二人だけで形成された俺たちのパーティーなんて、盗賊どもから見れば「鴨がネギ背負って、しかもご丁寧に味噌と豆腐まで持って来ました」くらいの、格好の美味しい獲物にしか見えない訳で。
旅を始めて二時間で初遭遇である。
この辺を一人で歩いていると、盗賊に会う確率は非常に高い。
元の世界の繁華街で「よう兄ちゃん。ちょっと金貸してくれない?」のヤンキーさんに遭遇する確率とか、駅前で「あなたの為に祈らせてください!」の目がいっちゃってるお姉さんに捕まる確率くらいには高い。
……だがしかし。相手は冒険者崩れの男たち。それがたったの三人である。
「命が惜しかったら、有り金おいてヘブンッッッ!!」
お決まりの口上を述べるリーダー格の男の顔面に、問答無用で地属性初級魔法、「岩弾砲」をぶち込む。魔法で生成した岩を礫にして飛ばすだけの簡単な魔法ではあるが、火魔法や風魔法に比べると殺傷力を抑えるのが楽なので重宝する。
驚き硬直する仲間の男たちの一人の足を、思いっきり蹴っ飛ばす。魔法で身体強化された俺の蹴りだ。多分、骨くらいは折れてる筈。
蒼い顔で座り込んだ最後の男の顔に指を突き付け、一言。
「俺の名前はハルキ。【速達】のハルキです。……まだやりますか?」
男たちが顔を見合す。小声で話し合う。「おい、【速達】ってあの……」「S級冒険者に一年でなったっていう……」「無詠唱の……」「最近、風竜を一人でやったていう噂の……」「おっぱいマニアで有名な……」。
俺も伊達に二つ名持ちという訳じゃない。まだまだパロス公国以外での知名度は低いけど、それでもノアの街にいる冒険者なら、一度くらいは噂を聞いたことがある筈。その偉業の数々を聞けば……って、おい。最後。最後の。最後になんか変なのが混じってませんかね?
……いやまあ、それはともかく。
慌てて逃げ出した男たちを追いかけはせず、俺の背中に隠れて震えていたシャルロットさんに向け、笑顔で一言。
「さ、行きましょうか」
「は、はい……。お強いんですね……」
「いやまあ。それなりに?」
「でも、強いのはわかりますが、やっぱり二人きりのパーティーは……」
うん。まあ、確かにそうなんだけどね。
どこかの大規模パーティーに参加していれば、今の危機はなかった。たった三人で、何十人もの集団で移動する商人パーティーを襲う筈がない。あっさりと返り討ちになるのが落ちである。冒険者崩れとはいえ、そこまで頭が悪い筈もない。
これは、言わばリスク管理。
大規模パーティーに紛れこんで、こうした盗賊の襲撃や、あるいは魔物の登場から身を守ることと、集団行動の結果、俺の、というか【速達】の秘密がばれてしまうことへのリスクを天秤にかけ……俺は、後者を選んだ。
無意味に「俺Tueeeee!!」したい訳ではない。
だがしかし、そのことを説明するのは……。
――と、そんなことを考える俺の目の前に、またもや男が立ち塞がる。
何だよ畜生。連戦かよ。運が悪いなあ……と。それでも対処しない訳にはいかないので、また魔法でもぶっ放してさっさと倒してしまおうと身構えた俺は――男の姿を見て、固まる。
男は、幅広の刃物を片手に立っていた。
男は、トゲ付きの肩パットを装備していた。
男は、モヒカン刈りであった。
そして、とどめのように、男は、悪い笑顔を浮かべてこう叫んだ。
「ヒャッハー! ここは通さねぇぜっ!」
「うおおおおおおっっっ!!」
興奮の余り、俺も思わず叫んでしまった。
なんだこの完璧な雑魚キャラ!? 雑魚キャラ度100%じゃないか!
え? 何これ? もしかして、彼も異世界転移者?
あり得ないほどの再現率なんですけど!?
「話を! 話をしましょうお兄さん!」
「ああん? 聞こえんなぁ!?」
きゃーーーーっ!!
あの名ゼリフ。「ああん? 聞こえんなぁ!?」まで出ましたー!!
「あ、あの! 俺、ハルキ! 【速達】のハルキって言います!」
「【速達】……? えっ!? お前さんが、あの!?」
「はいっ!」
「ちょ、え、マズった! すまねえ! あんたに手を出す気はなかったんだ!」
名乗りを上げた途端、頭を下げて後ずさりを始めるモヒカンさん。
「ああっ! ちょっと待って! 逃げないで! 怒ってませんから!」
「いや。は? な、何か俺に御用で……?」
「あなた、もしかして異世界転移者ですか? それとも転生者?」
「うん? 異世界? 転移? 転生……?」
モヒカンさんの顔を見る。そこには疑問の色しか写っていない。
これが演技だとしたら大したものである。
「……モヒカンさん、お生まれはどちらで?」
「モ、モヒカン……? 俺は生まれも育ちもノアの貧民街だが……」
「『日本』という言葉に心当たりは? もしくは『北斗』という言葉でも」
「……いや。悪いけど、どっちにも心当たりはねえなあ……」
……申し訳なさそうなモヒカンさんの顔を見て、それ以上の追及は諦めた。
多分、この格好も。
あの登場シーンも。
あのセリフも。
全部偶然の産物なんだろう。
そういうこともあるだろう。
ああ。でも。それでも。
俺はうれしかったよ。モヒカンさん。懐かしいセリフが聞けてさ。
「……あの、モヒカンさん」
「な、なんだ?」
いまだ状況を飲み込めず、目を白黒させているモヒカンさんの目を真剣に見詰め俺は言葉を続ける。彼への心からの忠告の言葉を送る。
「この先、あなたは『世紀末救世主』と呼ばれる男に出会うかもしれません」
「世紀末……なんだって?」
「そいつは胸に七つの傷がある、大変危険な男です」
「胸に七つもの傷を負ったら、大抵の人間ならその場で死ぬんじゃねえかな?」
「シャラップ! これは真面目な話です! もし、モヒカンさんの、この先の人生において、そう名乗る男に出会ってしまったら、即、逃げ出してください」
「お、おう……。なんだかわからねえけど、ああ。うん。わかった。わかったよ。胸に七つの傷がある男には近づかねえ。これでいいんだな?」
……これだけ雑魚そっくりな人が存在するんだ。もしかしたらこの世界には、主人公のほう、ケンシ○ウがいたって不思議じゃないからな。
「ああ、あと。最後にこれを」
「あん? ……って、おいこれ。1万コル金貨じゃねえか!? いいのか!?」
「楽しませて頂きましたから。ささやかなお礼です」
「お礼って……? 俺、何かしたか?」
ええ。最高のエンターテインメントを披露してくれましたよ。
またぜひ、その珠玉のパフォーマンスを俺に見せてください。
「長生きしてくださいね。モヒカンさん。俺、あんたのこと大好きです」
「…………お、おう」
――首を傾げつつ、俺たちから離れていくモヒカンの哀愁漂う背中を見つめ、この一幕の最中、ぽかーんと口を開け空気に徹していたシャルロットさんが、呆けたような声で一言。
「……なんだったんですか? 今のは?」
「……気にしないでください。ちょっと、昔を思い出しただけです」
……ちなみにこれ以降、俺に対する数多くの噂話のひとつに「あいつはモヒカンでガチムチの男が何よりも好きな○モ野郎だ」というのが増えたのだが、それはまた別のお話である。
× × ×
その後は盗賊に出会うこともなく、順調に街道を進んで数時間。
夕日が大地を赤く焦がす頃に、俺たちは今日の目的地に到着した。
街道には、一定距離ごとに、野営するポイントが存在する。
誰が決めた訳でもないし、勿論、標識が出ている訳でもない。
野営するのに適している場所というのは決まっているのだ。
まず、見通しがいいこと。
水場が近いこと。
多くの人たちが横になれる平原であること、等である。
ノアの街から半日ほどかかるこの場所は、その条件を十分満たしている。
故に、ミスリルを目指す旅人たちは、ここを一日目の宿泊地にすることが多い。
今日も多くの旅人たちで賑わっている。
その片隅に目立たぬようにそっと潜り込み、俺はシャルロット嬢に告げた。
「今日はここで野営します」
「……はい」
ん? おや? 何か不満気ですね? シャルロットさん。
旅立つ前は、あんなにテンション高かったのに。
ああ。そっか。野営がご不満なのかこの箱入りメイドさんは。
仕方ないけど、そこは我慢して欲しいんだけどなあ……。
「別に野営が不満なわけじゃありません。ただ、まだ日は落ちきっていませんし、もっと先に進んだほうがいいんじゃないかって、そう思って……」
「シャルロットさん。夜の旅は危険ですよ? 近づいてくる盗賊の発見だって遅れるし、魔物だって夜のほうが多く出没するんです。ですから……」
「そんなことは分かってます!」
少女は叫んだ。耐え切れない、というように。
ああ。まずい。まずいなこれ。周囲から何事だって目で見られてる。
「でも! わたしは急いでるんです! 一刻も早くリボンに着かなきゃいけないんです! なのに! なのにハルキさんは普通に旅するだけで何もしてくれないですし! 他のパーティーに混じって進めば避けることができた、盗賊との戦いで無駄に時間をかけてるし! それに何より! この進路! これ、ミズリー・ノア街道ですよね!? リボンに行くには南東に進むノア・リボン街道を行かなきゃいけない筈なのに! それもおかしいですよね!?」
……まあ、そうだよな。そう思うよな。
俺の【速達】がどういうものか、説明してないもんな。
シャルロットさんが疑問に、そして不満に思っても仕方ないよ。うん。
でもね。シャルロットさん。でもね。
口で説明するのは簡単なんだけど、君は多分、それを信じてくれないと思う。
言葉ではなく、自分の目で見ないことには信じてくれないと思う。
実際に自分がそれを体験してみて、初めて信じられるようなことだと思う。
……ああ、でも、どうだろう?
彼女は【速達】の噂を信じて、俺に依頼をかけてくれたんだ。
だったら、信じてくれたのかもしれない。
俺の【速達】の秘密を。あの荒唐無稽な魔法のことを。
だとしたら、不誠実なのは俺のほうだ。
今からでも話すべきなのかもしれない。
うん。話そう。そうしよう。
それで信じてもらえなかったら、その時はその時だ。
「……ごめんなさい。ハルキさん」
「え? へ? あ、いや……」
自らの秘密を暴露しようとした俺の機先を奪うように、シャルロットさんが頭を下げてくる。自らの行いを恥じるかのようにきつく唇を噛み締め、その手はぎゅっとスカートの裾を握り締めている。
「ごめんなさい。ハルキさんを信じなきゃいけないのに、信じるって決めたのに、疑うようなことを言ってしまいました。申し訳ありません……」
「や! いやいや! 悪いのは俺のほうだから! いろいろ隠して内緒にして秘密にしている俺のほうですから! 頭を上げてください!」
俺の言葉に効果はなく、ポロリと彼女は涙を零す。
そうだよ。何やってんだよ俺は。
彼女の立場になってみろよ。お父さんが生死不明なんだぞ?
一刻も早くその安否を確かめたいに決まっているじゃないか。
情緒不安定にもなるさ。ああ。そうだ。それが普通だろ。
「……約束します。明日中に、俺はあなたをリボンに連れて行きます。だから、もう少しだけ、ほんの少しだけ、時間をください。お願いします」
「わかりました。信じます。ハルキさんのこと、もう疑ったりしません。だから、だから、どうかよろしく、お願いします……」
――こうして俺たちの旅の、その一日目は、終わった。