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第十三話 囚われの姫君

 ――その声を合図として、両者は動く。



 剣士であるレオンさんは自然体で剣を構え。

 魔術師である俺は後方に向け大きく跳ねる。



 自らの背よりも長く、胴よりも幅のある大剣。それを構えた剣士。

 レオンさんは叫ぶ。俺に向けてではなく、水色の髪の女神に向けて。


「リリス様! 結界を! 巻き込まれぬよう!」


 小さく頷き、リリス様が何事か呟く。

 その声に呼び出された半球状の透明な膜。

 五人を包み込んだそれは、まるで巨大なシャボン玉のよう。


「貴様らも下がれ! とばっちりで死にたくはないだろう!?」


 今度は後方に控えるミスリルの兵に。

 首を回し、手を振り兵を下げさせる。



「……ふむ。これでいいかな?」



 破壊されたシュターデン城、城門前。

 結界に守られた五人を除けば、この場に立つ人物は二人。

 半径数十メートルに及ぶ無人の戦場を作り上げた剣士は小さく頷く。


「随分とまあ、広い戦場を作り上げたものですねえ?」

「仕方ねえだろ? 俺の技は大技ばかりでなあ。加減も利かねえし」


 剣士と魔術師の戦い。その優位を決するのは距離だ。

 接近戦に強い剣士と、遠距離攻撃能力の高い魔術師。


 故に剣士は少しでも距離を詰めようとする。

 故に魔術師は少しでも距離を取ろうとする。



 ――現在の両者の位置。「魔術師の距離」である二十メートルを大きく超え。



 それは即ち俺優位の立ち位置。魔術師有利の位置関係。

 だから俺にはまだ余裕があった。話しかけられる余裕があった。


「それにしても、さすがに大袈裟なような?」

「大袈裟かどうか、早速試してみるか?」


 ぐんっと持ち上げられた大剣。それを片手で真横に構え。

 空いた左手で剣の腹に触れたレオンさんは、吼える。



「刮目せよ……。【焔ノ剣】!」



 轟……という音をたて瞬時に燃え上がる大剣。

 火を纏わせた剣というよりは、炎自体が剣となったようなその光景。


 少しずつ差し込んでくる朝日にも負けず輝くそれは。

 数十メートルの間合いを取った俺にまでその熱気を届かせ。


 初めて見る火剣流剣士の奥義。それに思わず目を奪われた俺が。

 一呼吸。ほんの一呼吸の隙を見せたその瞬間。



「……【火竜ノ礫】!」



 高々と。天にも届けと。真っすぐにその大剣を構えた剣士は。

 一瞬の“ため”を作りそのまま全力でそれを振り下ろす。


 その勢いに。その鋭さに。その速さに。

 千切り飛ばされたように、剣に纏っていた火が飛ぶ。


 空気を焼き、風を切り、真っすぐ飛んでくる炎の塊。

 それが目の前まで迫り。その熱気が肌を焼き。


 そこでようやく。ようやく俺は体の自由を取り戻す。



「うおおおっっっ!!」



 恥も外聞も何もない全力回避。

 魔法で迎撃するという思考すら働かず。

 ただただ。反射神経に任せて。炎を恐れる動物の本能に従い。

 大地に伏せ草を噛む。両手で頭を覆い“それ”から目を逸らす。


 轟音と共に俺の頭上を抜け、後方のシュターデン城外壁に着弾した“それ”。

 爆音と共に城壁を撃ち砕き、石を焼き尚燻り続ける“それ”。



 ――茫然と、茫然とそれを。その光景を見詰める。



「どうだい? なかなかの威力だろ?」



 その声。悪戯を成功させたガキ大将のような口調。

 この隙に距離を縮めようとはせず。俺に止めを刺すでもなく。

 炎の大剣を構えたまま、剣士は楽しげに笑う。



「な、なん、なん、なん……」



 対する俺。『何なんですか今のは!?』という言葉すら発せられない俺。

 あわあわパクパクと。乾き切った口を空しく開閉させるのみ。


 思い出されるのは今の瞬間。脳裏に焼き付けられた今の瞬間。

 火の礫が頭上を抜ける感覚。空気を通してその熱を感じた肌。


 魔術師が有利なはずのこの距離で。

 剣士が魔術師を圧倒したその瞬間。


 恐る恐る、背後を振り返る。破壊された城壁を見る。

 魔法の威力で破壊されただけでは無く、未だ火を上げ続けるそれ。

 石を焼き全てを黒く焦がしていくそれ。


 ……思わず唾を飲み込む。


 あれが。あんなものが。

 あんなものの直撃を受けたら……。


 その恐怖が。恐れが。脅えが。俺の足を動かす。

 後ろへ。後ろへと。あの剣士から少しでも遠ざかるように、と。



「馬鹿っ! 火剣流相手に距離とったって有利になんかなんないよ!」



 そんな俺を諌めるように、大声を上げる者。



「つったってお前! カルっ! んじゃどうしろってんだよ!?」



 水剣流の剣士が。俺との友誼にてここまで付いてきてくれた少年が。

 結界の中から。大声で。らしくもない必死な顔で叫ぶ。


「どうしろもこうしろもないっ! 言ったじゃん! レオン公子は強いって! 僕だって絶対敵わないって! そんな人とどうしてホイホイ簡単に決闘なんてしちゃうかなあ!? バカなの? ねえハルキ君って実はバカなの!?」


「お前このカル・ベルン! あの状況で! あの場面で! 『やっぱりレオンの兄貴はお強いので決闘の話は無しでゲヘヘヘ……』とか言えるか!? 言えねえだろう男だったら普通!? それよりどうすればいい!? 火剣流とはどう戦えばいいんだ!? 教えてくれ水剣流の【戦術級】!?」



 決闘の最中堂々と。恥も外聞もなくいっそ堂々と。

 仲間に助言を求める俺のことを、レオンの兄貴が面白そうに見ている。


 その視線は俺だけではなく、結界に守られたカルの方にも向けられ。

 そして公子は。火剣流の剣士は。水剣流の剣士に向け口を開く。



「少年。お前、水剣流のカル・ベルンか。名前は知っている。いいぞいいぞ。教えてやれ。このまま逃げ回る魔術師を焼いて回っても面白くはない。ただし、助太刀は無しだ。これはあくまでも、俺とハルキの決闘だからな。それが終わった後でなら、相手をしてやってもいい」



「ご免蒙ります。先程は虚勢で大きな口を叩きましたが、今の僕ではレオン公子。あなたには勝てない。五年。いやあと三年で追いつく自信はあります。ですが、それは今ではない。今あなたと戦っても、何も分からぬままに瞬殺され、僕にとっては経験どころか記憶にすら残らないでしょう。……素直にここで、ハルキ君の応援役に回りますよ」



 赤銅色の髪を持つ男がにやりと笑う。挑発するように。火のように。

 銀色の髪を持つ少年がにこりと笑う。受け流すように。水のように。


「今の言葉、憶えたぞ? カル・ベルン。三年後が楽しみだ」

「『ミスリル最強の剣士』。その称号、三年後には頂戴致しますので」



 …………。



 いやその。あのですね?

 格好良く盛り上がっているところ申し訳ありませんけどお二人さん?


 今現在戦っているのは俺ですからね?

 今まさに焼き殺されようとしているのは俺ですからね?


 カル? お前は三年後の話をするよりもさ?

 何をおいても今はまず、俺が勝つように助言をくれるべきだと思うの。


「……ハルキ君。一応、一応ね? 火剣流の対策を授けるよ?」

「……一応? いやとりあえず何でもいい。頼む!」


 この際掴めるなら藁の一本でもいい。

 攻略の糸口になるものなら何でもいい。


「火剣流は、『攻めの火剣流』。攻撃一辺倒の、守りの形を持たない剣だ。ただひたすら、攻めてくるだけ。自らの剣技に魔法を加え、一撃一撃全てに必殺の意思を込めてくる。……それだけに、技は全て大技。だから他流派の剣士が火剣流と対決する時は、技の出し終わり、その一瞬の隙を突く。魔法を放ち、剣を振りきり無防備な状態になったところに肉薄する。……それが火剣流の対策なんだ」


 おお! なんだなんだ一応どころじゃない。

 しっかりとした対策を授けてくれたじゃねえか!


 そうかそうか。確かにあの魔法は強力だ。直撃したら怪我じゃ済まない。

 だだそれだけに。だからこそ。きっと連発は出来ない。出来ない筈。

 ならばこちらから。魔法の撃ち終わりを狙って。一気に間合いを詰めて……。



 ――間合いを詰めて、どうする?



「……理解した? ハルキ君? 間合いを詰めたそこは。その場所は。君の、魔術師の場所じゃない。『剣士の距離』だ。接近戦で魔術師が剣士に勝てる訳がない。君に出来ることは何もない。……じゃあ離れて魔法を連発するか? 本来なら。レオン公子以外の火剣流が相手ならそれでいい。魔法を使うとはいえ、どこまでいっても火剣流は剣士の業。魔法の撃ち合いなら本来魔術師に軍配が上がるのが道理だ。……だけどね。ハルキ君? そのお人、レオン公子は規格外なんだよ」



 言葉を切ったカルはレオンさんに視線を送る。

 長さニメートルを超える大剣を、軽々と片手で振る回す男を。

 石造りの城壁すら、一撃で破壊する魔法を放つ男を。



「カロン要塞包囲戦の際にはね、ハルキ君。レオン公子は一昼夜に渡って最前線から一歩も退かずに戦い続けた。指揮官としてじゃないよ? 文字通り、戦場の一番前。自分の前には敵しかいないその空間。そこを縦横無尽に走り回り、敵を焼き味方を助け、前に出ようとする魔族を退け続けたのは、レオン公子だ。……僕もね? その戦に参加していてからよく知っている。この目で見ている。そしてこう感じたよ。『この剣士の魔力は、体力は、尽きることがないのか?』……と、ね」



 二年前のあの戦役。ミスリル戦争。

 戦っていたのは俺だけ、俺たちのパーティーだけじゃない。


 結果として戦は、俺たちが魔王の首を獲ったことで終わった。

 だがしかし。そこに。その奇襲が成功するまでの間に。

 ミスリル本国が滅んでしまうという結末も、十分有り得たのだ。


 ノルン要塞を占拠したカロラン将軍率いる魔王軍。

 それを押さえ続けた軍だっていたのだ。

 半年以上の長きに渡り、敵の進行を妨げた続けた軍が存在したのだ。



 ――【爆炎公子】の率いる、カナリア公国正規軍。



 彼らがいなければ、この戦は負けであったと、多くの兵がそう言った。

 その鬼神のような強さに何度も助けられたと、多くの兵がそう褒め称えた。


 ……ああ。そうか。そういうことか。


 この男。赤銅色の髪を持つこの男。レオン・フォン・カナリアは。

 最高の魔術師になれる素質、つまり莫大な魔力総量を持ちながら。

 剣士としてその身を、体を、技を徹底的に鍛え上げたこの男は。



 ――最強の“魔法剣士”なのだ。



「適度な距離を取って、魔法の撃ち合い。そして隙を見て、ハルキ君。君のアレ。あの秘密兵器。アレを使うしか勝機はない……んだろうけど、それすら望み薄だと僕はそう思う。だって、ほら。レオン公子をよく見て」



 悠々と立ち塞がるカナリアの公子。

 カルの言う“アレ”とは、あれのことだろう。


 俺にしか使えない魔法。無属性魔法。【見えない弾丸】。

 いっそ試してみるかと右手を上げ……たところで気が付く。


 レオンさんの大剣。尋常ではない大きさを誇るその大剣。

 その腹を見せて剣を構える【爆炎公子】。


 ……見えない。見えないのだ。


 人の胴ほどに幅のある、燃え盛る剣が、公子の姿を隠す。

 足や肩など、隠れきれていない場所もある。

 が、しかし。そこはとても急所とは言えない。呼べない。


 そんな場所を魔法で切り裂いても、きっとあの公子は止まらない。

 こっちの魔法の撃ち終わりを狙い、一気に間合いを詰められるに違いない。


 ……【魔術師の間合い】から【剣士の間合い】へと。


 あの大剣は、攻防一体なのだ。

 普通に構えるだけで、頑強な砦へと変わるものなのだ。


 ……どうする? どうすればいい?


 迷う時間はなかった。

 迷っている時間は与えられなかった。



「話は終わったみたいだな。じゃ、続きと行くか」



 言葉が尽きたカルを見て。

 言葉も出ない俺を見て。


 レオン公子は再び、剣を高く掲げる。

 獰猛な笑みを浮かべ、獣の意思を見せる。



「心配すんな。そっちには女神様も聖女様もいる。手足の一本くらい取れようが、頭から下が真っ黒焦げになろうが、多分、死にはしねえだろ。……だから俺も、遠慮なくいかせて貰おうか。――【火竜ノ礫】!」



 その言葉そのまま。火竜の吐くブレスのように熱い塊が。

 未だ方針を定められない俺に襲いかかる。空気を焼きつつ。


 だから。俺がその時取った行動は考えてのものではなく、ただの反射。

 魔術師の本能とも言うべき行動。魔術師らしい迎撃方法。



「……【水障壁】!」



 右手を上げ、魔力を集中する為に叫ぶ。

 火属性魔法に対して圧倒的な優位を誇るその防御魔法。水の障壁。

 如何に魔法の成せる業とはいえ、水をかければ火は消える。

 単純に。それだけを思って。よく考えもしないで使ったその魔法。



 ――そしてそれは、実は、考えうる限り最悪の手段でもあった。



 激突する炎と水の魔法。

 それは込められた魔力の大きさというよりも、相性でその勝敗を決し。

 レオン公子自慢の一撃は、俺の防御魔法により消滅する。


  ……が、しかし。


 水をかければ火が消えるのが道理であるのなら。

 火で炙れば水が蒸発していくのもまた道理。

 両者の中間地点。

 魔法が激突したその場所が、大量の水蒸気で曇る。


 霧の範囲魔法をかけられたかのように白く燻る世界。

 昇る太陽も。守るべき仲間の姿も。そして警戒すべき敵の姿も。

 その全て一切合財を視界から失った俺が、自らの失敗を呪う最中。



「……痛えぞ? 歯ぁ、喰いしばっとけよ?」



 突如として至近距離。左側から囁かれたその声。

 辛うじて。辛うじてその声に反応した俺の防衛本能が。

 左手に魔法の盾を生成させる。


 地属性魔法、【地亀の甲羅】。

 それに魔力を。強度を上げる為の魔力を注ぐ暇もなく。

 その瞬間が訪れる。風を切って迫りくる巨大な質量。それが。



 ――俺の体を、まるで風に舞う木の葉のように軽々と吹っ飛ばした。



 激突の瞬間。【爆炎公子】の大剣が俺の盾を一瞬で粉砕し。

 構えていた腕の骨をへし折り、それでも勢いを殺すことすら出来ず。


 猛スピードで走るダンプカー。

 それに正面から跳ねられたらこうなるのだろうな、と。

 宙を舞いながらそんなことを考えつつ。



 ――やがて俺は。俺の体は。その辺に生えていた大木に叩きつけられる。



 ぐしゃりという、人体が立てる音とは思えぬその響き。

 それが俺の神経を。痛覚を目覚めさせる。


 焼かれ折られ、見事に破壊されつくした左手。

 大木への衝突の瞬間、何本か粉砕された肋骨。


 それが。痛めつけられた全身が。脳に危険信号を発する。

 折れた肋骨が内臓を傷つけたのか、喉から吐き出されたどす黒い血の塊。



「ハルキ様っっ!!」



 悲痛な叫びが聞こえる。

 結界から飛び出そうと。俺の元に駆け寄ろうとする姫の声。

 それを背後から羽交い絞めにする師匠の姿。


 俺が負けを認めれば、師匠はあの手を放すのだろう。

 むしろ自らが真っ先に駆けつけたいと考えているのだろう。

 唇を噛み、抑えがたい感情を無理やり抑えるかのようにして震えるあの手。


 ああ。そうだ。約束したんだった。

 師匠をもう一人にはしないと。

 だったらこんなところで、あっさりと一撃でやられる訳にはいかない。

 せめてもう少し。根性を見せないといけない。男を見せないといけない。



 ……大丈夫。まだ大丈夫ですよ師匠。俺はまだやれます。



 魔力を循環させる。治癒魔法を体中にかける。

 俺の修めている治癒魔法は初級。

 こんな大怪我を一瞬で治せるほどのものではない。


 それでも。それでも。

 級は低くとも、でも、俺の魔力。無尽蔵のそれを惜しみなくつぎ込めば。

 少なくとも。少なくとも。もう一度立ち上がることくらいは、出来る。



「……おお。すげえなハルキ。まだ立ち上がるか」

「……半死半生どころか、九死に一生ってところですけどね」



 折れた肋骨が継ぎ合わされる音。

 焼かれた腕の皮膚が、肉が再生する音。


 それを聞きながら。その痛みで意識を繋ぎとめながら。

 震える足に喝を入れ。萎えそうな心に気合を入れ。

 立ち上がった俺は、改めて【爆炎公子】と対峙する。



「やられました。斬られずに済んだのが僥倖です」

「ああ。これな? この剣な? 切れ味は全然ねえからなあ」

「そうなんですか?」

「ああ。これはもう、剣っていうより鈍器だからな」


 見やすいようにする為か、剣に纏いつく炎を消してみせる公子。

 よくよく見ればそれは、鉄製ではない。多分これは、石製だ。



「これで分かりやすいだろ? 下手な剣では俺の腕力に耐えきれねえ。簡単にぽっきりと折れちまう。ついでに俺の魔力だ。【焔ノ剣】を使おうとするとだな、鉄製品では溶けてしまうのだ。……で、俺は考えた。熱にも強く、俺の力にも耐えうる素材はないか、とな。結果生まれたのがこれだ。こいつは凄腕の地属性魔法の使い手に作って貰った逸品だ。石は熱にも強い。魔力を十分注ぎ込んで貰ったから強度は折り紙つきだ。おかげでまあ、剣としての切れ味は一切存在しないがな」



 ああ。なるほど。地属性魔法で生み出した石剣なのか。

 地剣流の剣士は自らの魔法で頑強な鎧を作るという。

 その製法を武器に流用したのか。



 ――斬れない? 斬れない剣? 斬れないのか。そうか……。



「……さて。ハルキどうする? 降参するか?」

「……いえ。もう一度。真っ向から挑ませて頂きます」



 俺の声。その俺の言葉に。

 カルが。姫が。師匠が。リリス様が。そして王までもが。

 思わず息を飲んだのが感じられる。その呼吸が聞こえる。


 わかる。気持ちは分かるぜ観客の皆様方。

 どう考えてもこの勝負。俺の負けだ。勝つ方法が見えない。


 でもね? でも? 勝てはしないだろうけど。

 せめて何とか。何とかして。引き分けに持っていく方法。

 それを俺は、思いついたから。



「……【焔ノ剣】」



 距離を取って再び。大剣に炎を纏わせるレオン公子。

 その目が爛々と輝く。俺の言葉を挑戦と受け止め、むしろ喜んでいる。


「……その言葉、高くつくぞ?」

「……お釣りのご用意は、既にしていますよ?」


 レオン公子がにぃ……と笑う。

 俺も全く同じ表情を返す。


「【地亀の甲羅】程度の魔法では、俺の剣は止められない」

「身に染みて知りましたよ。たった今」


「ならば見せてみよ! お前の力を! 【火竜の礫】!」

「【水障壁】!」



 ここまでは。ここまではさっきと変わらない。

 魔法剣士の、【爆炎公子】の生み出した炎の魔法を俺が迎撃する。


 水属性魔法の壁。そこに火の玉が激突する。

 自然現象として発生する、大量の水蒸気。


 視界を奪われた俺。

 その隙を逃さず突っ込んでくるレオン公子。



 ……【魔術師の距離】が【剣士の距離】になり。



 そしてこれも先程と同様、左手から聞こえてくる声。

 どこか。何か。がっかりとしたような声。期待外れと告げるその声。



「……終わりだ。ハルキ。死ぬなよ?」



 空気を切り裂く音。巨大な質量が迫ってくる音。

 空気を焼く炎の大剣。それが左から。左手から迫ってくる。


 魔法の盾。【地亀の甲羅】。さっきよりは大量の魔法を注いだそれ。

 それでも。カルの剣なら防げたそれでも。【爆炎公子】の剣は止められない。


 一瞬よりは長く。さっきよりは長く。少しは持ち堪えた魔法の盾が。

 その炎に焼かれ。その威力にやられ。ついに砕け散る。



 ――さあ。ここだ。覚悟を決めろ! 山水晴樹!



「ぬおおおおおおっっっ!!」



 眼前に迫りくるそれ。俺を吹き飛ばした石製の大剣。

 灼熱の炎に包まれたそれを、俺は、右手で“掴む”。


 魔法で身体強化されている筈の体が、その衝撃にきしむ。悲鳴を上げる。

 それを無理やり押さえつけ、その場に踏み止まる。


 近づくだけで熱気を感じるそれを。荒れ狂う炎の塊であるそれを。

 無理やり掴んだ俺の手が火を上げる。瞬時にして燃え始める。


 だがしかし。俺の右手は魔法の右手。

 無尽の魔力を内包するそれが、瞬時にその機能を発揮する。



「――水属性魔法! 【氷結】!」



 痛みを跳ね返すように。焼かれる痛みを忘れるように。

 己を奮い立たせる為に、あえて、あえて声で唱えたその魔法。


 レオン公子の魔法が高温。物質の運動量を上げる作用なら。

 俺の唱えた魔法は低温。物質の運動を強制的に止める作用。



「ハルキっ!? お前!?」

「凍れええええっっっ!!」



 戦闘経験豊富な【爆炎公子】も。

 さすがに燃え盛る自分の剣を素手で掴まれた経験はないのだろう。


 普通の人はそんなことは考えない。

 普通の人間だったらそんな無謀なことは試みない。


 普通の剣だったらこうはいかない。

 切れ味鋭い剣を素手で掴もうなんて事は思いもしない。


 でもまあ。だって。ほら。

 さっき、レオン公子、言ってたでしょう?



『手足の一本くらい取れようが、頭から下が真っ黒焦げになろうが、多分、死にはしねえだろ』……って。



 だったら腕の一本くらい、この際焦がしてもいいかな、と。

 それでこの剣が止められるのなら、やってやろうじゃないか、と。


 だから。レオン公子。炎の魔法戦士、【爆炎公子】よ。

 ここからは我慢比べです。魔力総量の勝負です。


 俺の水属性魔法、【氷結】による冷却効果と。

 レオンさんの【焔ノ剣】、その火力、どちらの方が上なのか。

 真っ向勝負ですよ。



 ……俺の肉を焼く、生々しく痛々しい音は既に聞こえてこず。



 幅、約50cm。長さ約2mのその大剣は。

 その先端の方。俺に掴まれている上半分は銀色の光に包まれ凍結し。

 その柄の方。レオン公子の握り締める下半分は未だ灼熱の炎を上げ続け。



 ――どれくらいの時間が経ったであろう。



 少しずつ。少しずつ。じりじりと。じりじりと。

 銀色の、厚い氷を帯びた部分がその領域を増していき。

 そして。やがてそれは。それが。炎の大剣が。



 ――キン。



 そんな澄んだ音を立てて、完全に氷に覆われた石の大剣は。

 その所持者の手から。レオン公子の手から。静かに滑り落ちた。



「……どう、ですか?」

「……どうもこうもねえよ。ハルキ? お前は阿呆か?」



 心底。心底呆れ切ったように、レオン公子は言う。

 その声に、されど少なからず感嘆の色を表しつつ。



「火剣流の剣。しかも【焔ノ剣】を発動中のそれを素手で掴むだあ? お前、無謀というか無茶というか……もう、本当に何て言ったらいいかわかんねえよ」


「他に方法を思いつかなかったもので……。その剣がある限り、俺に打つ手はなかったもので。ならいっそ、邪魔なそれをどうにかしちゃえ、って」



 離れて戦っても、あの焔の魔法に圧倒される。

 近づいて戦おうとしても、あの焔の大剣に殴り飛ばされる。



 だったら炎そのものを。火炎を。それを纏う剣をどうにかするしかない。



 俺がレオン公子に勝てるのは、きっと魔力総量だけだ。

 魔法の使い方も。戦闘技術も。当然経験も。俺はこの人の足元にも及ばない。

 だから。自分の得意分野で。自分の土俵に。公子を無理やり引きずり込んだ。


「それにしても、レオンさんも付き合いがいいですね?」

「はあ?」

「いや。よくこの勝負に。魔力総量勝負に付き合ってくれたなあ、って」

「馬鹿お前。それは仕方ないだろ」


 ぽりぽりと。照れ隠しのように頭をかきつつ、レオン公子は言う。

 少しだけ悔やむように。すこしだけ悔しそうに。



「明らかに格下の。しかも年下の相手に勝負を挑まれたんだ。自分の得意分野じゃねえって分かってたって……いや。魔力総量には俺も自信があったからな。引けないだろう? そこは。真っ向勝負するしかねえじゃねえか」



 ああ。やっぱりこの人は兄貴気質だわ。

 年下のやんちゃにもちゃんと付き合ってくれる、そんな人なんだ。

 いやまあ、それはともかく。



「……で、どうしますか? まだやりますか?」

「……いや。いい。俺の負けでいい。降参だ」



 いっそ潔いと言っていいほどあっさりと。そう告げた公子は。

 だがしかし。表情を改め、念を押すようにして俺に言う。


「誤解すんなよ? 剣を失ったくらいで戦えなくなる俺じゃねえ。素手での喧嘩にだって、俺はそこそこ自信がある。少なくとも、ハルキ。お前さんには負けねえ」


 そこで一度言葉を切ったレオンさんは、視線を転ずる。

 アイリス姫の方に。眼を瞑り腕を組み、ひたすら何かを祈る姫を見る。


「ここで。剣士にとって命の次に大事な剣を封じられて。その上で見苦しく素手で挑みかかるなんていう格好悪い真似、あの姫さんの前で出来るもんか」


 ああ。そう言えばそうだった。

 レオンさん、本気で姫のこと狙っていたのですよね。

 正直、そのことはすっかり忘れていましたよ。俺は。


「だから、いいよ。今日はお前さんに譲ってやる」

「ありがとうございます」

「なかなか格好良かったぜ?」

「ありがとうございます!」


 勝利を譲って貰えたことよりもその言葉のほうが。

 この兄貴に認めて貰えたことの方が、実は、ずっとずっと嬉しかった。



 ――そして、レオン公子のその言葉を受けて思い出す。



 俺が何の為にこの場にいるのかを。

 俺がここまでして戦った理由を。



「姫。……アイリス姫」



 掠れた声で、その名を呼ぶ。

 昔好きだった、今は好きと胸を張っては言えない彼女の名前を。


 ぴくりと。身を震わせて反応するアイリス姫。

 その青い瞳に映るのは、怯えの色か、はたまた後悔の涙か。


「俺は、レオン公子に勝ちました。……今日から、あなたは俺のものです」

「……いえ。ハルキ様。この身はもう、ずっと前から貴方のものです」


 その言葉は愛情から来るものではない。

 その言葉は深い後悔から、罪の意識から来るものだ。

 俺はそれを知っている。今の俺はその理由も知っている。


 罪を償おうという意思。償いの為に生きようとするその姿勢。

 それをもう、責めはすまい。この子はこういう子なのだ。


 でも。それでは。このままでは駄目なのだ。

 俺は師匠と約束したのだから。「姫を救い出す」と。「助ける」と。

 今のままでは、姫は救われない。いや、まだ救われてはいない。

 だから。だからこそ。すべてを知った今こそ。



「姫? あなたが俺の為に生きるということ、それはもう止めません」

「……はい。ありがとうございます」

「でも。ひとつだけ条件があります」

「……条件、とは?」

 


 ――だって姫は、まだ囚われたままなのだ。



「謝罪の為に生きるのではなく、俺の幸せの為に尽くしてください」

「……ハルキ様の、幸せの、為に?」



 ――だから、開放してあげなくてはいけないのだ。



「はい。この世界に生きることになった俺が、世界一の幸せ者になれるように」

「……世界一の、幸せ者に?」



 ――償いという、後ろ向きの重い鎖に囚われた彼女を。



「俺の仕事を手伝うのでもいい。俺の私生活を充実させてくれてもいい」

「…………」



 ――後悔という、暗い塔の一室に閉じ込められた彼女を。



「どういう形でも結構です。俺が元の世界のことを忘れられるくらい」

「…………」



 ――囚われの姫君を、俺は今、今こそ正しい意味で、助け出す。



「……俺をこの世界で一番幸せな男にする、そういう努力をしてください」

「はい。誓います。絶対に、絶対にハルキ様を幸せにします。して見せます!」



 ああ。そうです。その表情ですよ。アイリス姫。

 後ろではなく前を。後悔ではなく未来を。

 しっかりと見据え。そしてやる気に満ちたそ凛々しいお顔。


 俺が好きだったのは、そういう姫のお顔です。

 泣いている顔。悔やんでいる顔。そんな暗い顔は今日でもう封印です。


 俺をもう一度、昔みたいに、姫に夢中にさせてください。

 明るくて優しくて無邪気で、ちょっと子供っぽいところもある姫に。

 あの頃の、俺が好きになってしまった姫に、また戻ってください。


 そして俺に尽くしてください。俺を幸せにして見せてください。

 この世界に生きることになった俺が。元の世界に帰れなくなった俺が。

 でも。それでも。今際の際には、いい人生だったと。そう思えるように。



 ……がくり、と。腰が抜ける。



 張り詰めていた糸が、ここでついに切れる。

 いいんだ。でも、もういいんだ。

 俺はやるべきことをやり、そしてきちんと結果を出した。


 だから。笑おう。腕は、というか全身余すところなく痛いけど。

 だから。胸を張ろう。とても勝者には見えないくらいボロボロだけど。



 そんな俺の様子を見て、最後にもう一度、にっと笑ったレオン公子は。

 その手を高々と上げ、大声で、天にも聞こえるように宣言する。



「遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! リリス様御照覧の下、アイリス姫の御身を賭けて行われたこの決闘! 見ての通り、勝者はハルキ・ヤマミズ殿である! この結果に異議のある者は剣を取れ! 敗者足るこの私が、直々にお相手をしよう! そしてこの結果を見届け、これを認める者は、勝者への喝采で称えるべきである! 皆の者! どうだ!」



 ……パチ、パチという小さな手を叩く音は、最初はアイリス姫の元から。



 涙を流し、それを拭おうともせず、ただ俺の為に捧げられたその拍手。


 そしてそれは、リリス様に、師匠に、そしてカル・ベルンへと伝わり。

 やがてそれは、この場にいる全ての人間に、立場を超えて伝播し。



 ――ようやく昇った太陽の光と。その喝采の声に包まれた俺は。



「おい。ハルキ。少しは応えて見せろよ? せっかくお前の為に皆……あん?」



 血を失い過ぎたことと。魔力を使い果たしたことと。

 焼かれた腕の痛みからと。全てが終わって気が抜けたことと。


 いろいろ。いろいろな要因が重なり。

 結局。その声に。その拍手に。その喝采に。全く答えることも出来ずに。



 ――眠るようにして、気を失ったのである。



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