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第十二話 大人として、男として

「勝手なことをするな! これはミスリルの問題だ!」



 話に割り込んできたミスリル王。

 それを一瞥し、しかし本来は臣下である筈のレオンはさらりと流す。


「いやあ。そういう訳にはいきませんなあ」

「部外者が口を出すなと言っている!」

「部外者。部外者ですか。ではお尋ねしますが王よ」


 飄々とした態度。それを一掃した赤銅色の髪の男。

 王に向け、いっそ殺気すら込め、鋭い言葉で切り返す。



「ならば。王よ。この不始末、どう蹴りをつけるおつもりで?」



 抜かれた大剣は未だ地面に向けられたままなれど。

 その柄を握る公子の腕に力が入る。ぎしりと音が聞こえるほどに。



「このレオン・フォン・カナリア。曲がりなりにもカナリア公国の第一公子であるこの私に、王自ら結婚話を持ちかけておきながらの、この茶番。はっきり言って不愉快ですな。我がカナリア公国は『戦士の国』。武を重んじ面子を何よりも大事に考える。その第一公子たる私が、このまま手ぶらで帰されたとあらば、我が親父殿も我が国の兵も黙ってはおらぬでしょう。……カナリアと正面から戦うお覚悟、ミスリル王よ。貴方にそれはおありか?」



 痛いところを突かれたのであろう。王が口ごもる。

 言葉を返せぬ王に向け、レオン公子は畳みかける。



「しかしそれが、姫を賭けた決闘の果て、その結果であるのなら話は別。我がカナリア公国では、一人の女性を賭けて二人の男が剣を交わすことは、よくあること。私も腕には自信がある。如何に相手が世界を救った英雄であるとはいえ、みすみす後れを取るつもりはございません。が、万が一、私が彼に敗北したのならば、ここは潔く引きましょう。それならば、親父殿もカナリアの兵も何も申すまい。私の評判が下がるだけだ。……さて。王よ。これ以外、この場を丸く収める方法があるのならば、是非この私にご教示願いたい」



 ああ。そうか。なるほどなるほど。


 レオン公子のこの提案。俺のことを救うだけではなく。

 この場にいる全員、そしてミスリルとカナリアのことも考えてのことか。


 確かに。このまま部外者として終われば、カナリア公国も面子が立たない。

 レオン公子は王族なのだ。ミスリルはその王族を結婚相手として招いたのだ。

 それをこんな茶番でぶち壊されたら、外交問題に発展しかねない。


 ましてや相手は「戦士の国」として名高いカナリア公国だ。

 外交問題どころか、下手したら戦争、いやこの場合は内乱か……が起こる。


 だからあえて。あえて公子は決闘という形にしたのだ。

 事態を矮小化し、あくまでも俺と公子の争いという形に。

 問題がこれ以上、大きくならないように。


 やるなあ。この公子。ほんと冴えてる。

 何よりも格好いいわ。このお兄さんは。



「部外者扱いされたついでに言っておくけどな。ハルキ? 正直、お前さんには同情する。いろいろ客観的に見て、お前はやっぱり被害者だよ。でもな? ハルキ? お前さんだって悪いところはあるんだぜ?」


 唐突に話を振られてちょっと慌てる。

 悪いところ? 心当たりが多すぎてどれのことやら……。


「お前、今、幾つよ? 十六? ……ってことは、二年前は十四だろ? もう成人直前じゃねえか。大人なんだからさあ、自分のことを好いてくれている女の扱いくらい、ちゃんとしとけよ。ましてや相手は王族だぜ? ガキの色恋沙汰で済む話じゃねえって、結婚とか、その先だって見据えてかからなきゃいけねえって、ちょっと考えたら分かるだろうに」


 ……ああ。そうか。ここにも誤解はあったのだ。


 誤解? いや違うのかもしれない。問題の根源なのかもしれない。

 この物語は、もしかしたらここから間違え始めたのかもしれない。



「……ガキの色恋沙汰だったんですよ。俺にとっては」

「はあ? お前さあ、十四にもなってそれは」


「俺の世界では、レオン公子。成人というのは二十歳からなんですよ」

「……あ? お、おお? 成人が、二十歳?」


 この世界での成人は十五から。

 言葉だけではなく。儀式的なものでもなく。

 普通に。当たり前に。常識として。十五になれば大人と考えられる。


 結婚する平均年齢だって低い。十五歳での結婚なんて当たり前である。

 一刻も早く結婚して、一人でも多くの子を生むのが推奨される世界だ。


 精神年齢が違ったのだ。この世界の十四歳と、当時の俺は。


 環境が違えば。文明が違えば。当然考え方も常識も変わる。

 この世界での十五歳前後の恋愛。それは将来を考えてのものになりうる。

 翻って、二十歳でようやく成人と成れる世界から来た俺。

 クラスメイトに恋をしちゃう感覚で、姫に接してしまった俺。



 ……最初から、考え方の大前提が違っていたのだ。



「だから。はい。今だから言えますけど、俺のあれは、姫への想いは。多分、この世界の十五歳の平均的な考え方よりもずっと幼くて、未熟で、浮ついてフワフワしたものだったんじゃないかなって。本当に、二年経った今だからそう思えます」



 王宮を飛び出して。パロスに住むようになって。冒険者になって。

 二年間。大人に紛れて。大人として扱って貰って。大人として生きてきて。


 そうして少しでも経験を重ねた今だから言えること。

 当時の俺は子供で。そしてきっと周りが見えていなかった。

 元の世界の常識を持ち込んだまま、それで済むと考えていた。


 だから俺は深く考えることもなく姫と親しくなっていき。

 そして俺は重く考えることもなく姫と離れようとしたのだろう。


 勿論、それはきっと罪とは言えないのかもしれない。

 しいて言えばそれは、「無知の罪」とでも称するべきか?


 だが、結果としてそれが、姫を傷つけたことに変わりはないのだ。



「……なるほどなあ。世界が違えば常識も違う。当たり前のことか」

「はい。……だからきっと、俺はまだ未熟なんです」


 ふむふむと頷きながら、そんなことを言っていたレオン公子。

 彼はやがてぽんと手を打ち、何かを納得したように口を開く。


「ああ。それであの顔だったのか。納得したわ」

「顔? ですか? 俺の顔がどうかしました?」


 何だろう? 虫でもついてたかしら?

 ぺたぺたと頬を触る俺に向け、レオン公子は笑いながら続ける。



「いやな? 俺ずっとお前さんの顔を見てたんだが。いやあ、笑いを堪えるのが大変だったぜ。王が何か言うたびに。リリス様が、アイリス姫が口を開くたびに、お前さん、一瞬怒るんだよ。むっとした表情浮かべるんだよ。ま、あの方々は怒られて当然のことをしてるだから当たり前だけどな。……でも、お前さんはすぐにそれを飲み込んじまう。怒らない理由を探してるようにも見えたな、自分の中で。結果として、ずっと一人で百面相してたんだよ。ハルキ」



 ……えーっと。はい。恥ずかしいので指摘しないで貰えますかね?


 怒らない理由を考えていたんじゃないんです。

 怒ってもいいかどうかを考えていたんです。


 だって。二年前の自分は自分の気持ちだけで動いちゃったから。

 だから。今の俺はいろいろ考えてから行動しようって。

 我慢できることならば我慢もしようって。

 そう思って。そう考えて。だってそれが――。



「怒るべき時に怒らないのは、それはハルキ。大人じゃないぜ?」



 断言された。一刀両断に断言された。

 すぱっと。切れ味のいい刀で切り捨てられた気分。



「勿論、大人ってやつは我慢も必要だ。我儘は抑えなきゃならねえ。だけどな、ハルキ? だからといって何でもかんでも我慢すらいいってもんでもねえ。理不尽なことをされたら、明らかに相手の方がおかしいと感じたら、何よりも自分自身が心から怒りを覚えたのなら、その時はきちんと口に出すべきだ。誤解すんなよ? 感情のままに暴れればいいって意味じゃねえぞ? きちんと。理路整然と。相手の悪いところを指摘してやるのも、それも大人の役目ってやつだ」



 目の前で、何かがパリンと音を立てて割れたような、そんな気がした。

 自分を抑えていた固い殻が一気に砕け散ったような、そんな気分だった。



「十六ってことは、俺の五つ下か。あれだろ? やっぱり悔やんでるんだろ? 二年前の自分のことを。幼かった自分のことを。だから今、急いで大人になろうとしてるんだろ? その意気やよし。心掛けはいい。立派なもんだ。だけどな? 今の道は多分間違ってるぞ? 何を言われても怒らないのは、それは大人じゃねえ。ただの木偶人形だ。何をされても許すのは、それは男じゃねえ。ただの根性無しだ。ハルキ。召喚された勇者。お前は木偶人形か? 根性無しか? どうだ?」



 ああ。そうだ。そうだよ。

 何をぐちぐち悩んでいたんだ。みっともない。


 言っちゃっていいですか? じゃなく言ってやるべきだったんだ。

 怒れない理由を探すんじゃなく、怒っている理由を伝えるべきだったのだ。


 優しさも。寛容さも。度を過ぎればそれは有害だ。

 俺は器を大きくしようとして、器の底が抜けていたのに気付けなかった。


 木偶人形と。根性無しと言われても仕方がない。今はしょうがない。

 だけど今からでも。ここからでも。今この瞬間からでも。


 なあなあで終わらせるのではなく。しっかりと最後まで。

 二年前、王宮から逃げ出したように、目を背けるのではなく。



 ――しっかりと。しっかりと自分の意思で。この二年に蹴りをつけよう。



 それにしても。それにしても、だ。



「あの。何て言っていいか分かりませんけど。レオン様?」

「様、はいらねえよ。そっちだって勇者様だろ?」

「じゃあレオンさん。御助言ありがとうございます! 目が覚めました!」

「別に大したことはしてねえよ。年長者の役目を果たしただけだ」


 笑って手を振るレオン公子……ではなく、レオンさん。

 ああもう。兄貴と呼ばせて頂きたい!


「それにしても、随分親切にしてくれるんですね?」

「うん? ああ。それはな……」


 レオンさんは声を潜め、にやりと笑う。

 親指でこっそり、アイリス姫を指さしつつ囁く。


「ほら。将来の嫁さんの前だし、格好つけたくなっただけだ」

「……まだそう決まった訳じゃありませんよ?」

「上等だ。お前さんも精々、かっこいいとこ見せろよ? 負けないけどな」

「はいっ!」


 そうだよな。女の子の前では格好つけないとな。

 今の俺はカッコ悪い。これを見たらあのシャルですら幻滅するだろう。


 ならばここから。大人として。男として。胸を張って堂々と。

 相手が王だろうが女神様だろうが、年の差も身分の違いも忘れて。

 正しいことは正しいと。正々堂々、言ってやろうか。



 ……まずは。



「……ミスリル王。ひとつ聞かせてください」

「……なんだ?」


 この数時間ですっかり老けこんだ王は、投げやり気味な声を返す。

 まあ。うん。気持ちは分かる。でも追及はやめない。


「何故、姫との約束を破り、今回の結婚を強行しようとしたのです?」

「…………」

「王? 黙秘は認めませんよ?」


 弁護士もいなければ黙秘権を認める気もねえぜ?

 さあ。ちゃきちゃき吐いて貰おうか?


「……見ていられなかったのだ」

「何を、です?」


 その言葉をきっかけとして、王は一気に話し始める。



「アイリスを、だ。若い娘が。輝かしい未来が待っていた筈の娘が。誰と接することもなく、一人で。一人きりで。壊れた【召喚魔法陣】を組み立てている姿を、余はもうこれ以上見ていられなかったのだ。自分を捨てた男を思い、一人黙々と地下に籠る娘の姿を見る余の気持ち。父親の気持ちが貴様に分かるか?」



 まあね? 多分、そんなことじゃないかと思ってはいたんだ。

 まあ。はい。言いたいことは分かります。分かるつもりですよ?

 多分、まだ結婚もしていない俺にその正確な気持ちは分かりかねますけど。

 そりゃ親父さんとしては見てられなかったでしょうね。でも。



「だから、この結婚。レオンさんの元へと嫁ぐ計画を、ですか?」

「……ミスリルから引き離せば、いずれ忘れる。忘れられる時が来る」

「いや。忘れないでしょう。多分。だって、あの姫ですよ?」

「忘れられるよう、余の知る限り最高の相手を用意したつもりだった」


 それは認めましょう。

 確かにレオンさんはいい男ですよ。ええ。

 俺が嫁に行ってもいいくらいです。貰ってはくれないでしょうけど。


 あとレオンさん? 隣で「いやあ……」みたいな顔で照れないでください。

 ちょっとウザったいです。恩義はあるけれど。

 いやまあ、それはともかく。



「違うでしょう? それは間違っているでしょう? あなたは罪を犯した。あなたがすべきなのは娘の将来を考えることではなく、俺に対して、その罪を償うことでしょう? いろいろ問題はありますが、少なくとも姫は。アイリス姫は。自らの罪を償おうと努力はしてきた。それを親であるあなたが、責任もあるあなたが、勝手に無理やりやめさせてどうするのです?」



 まずはそこからだろう?

 起こしてしまった事件、罪に関してもうどうこう言いはしない。

 それを責めたところで、時間は巻き戻らないんだから。


 でも。王よ。おっさん。あんたまだ償ってないだろう?

 そもそも謝罪すらしてないだろう?


 ますはそこからだろう? 

 王と姫が罪を償って。償おうという姿勢を見せて。

 そこから始めるのが筋というものじゃないか。


「確かに、俺の曖昧な態度が姫を惑わせた。それは認めます」

「…………」

「そして当時の俺の行動は配慮が足りなかった。それもあるでしょう」


 そこは。うん。俺も認める。認めなきゃいけない。

 十代半ばなら、大人として振る舞うこと。

 それがこの世界の常識なのだから。


「ですが、ならば逆に問いますが。王よ、あなたの行動は如何でしたか?」

「…………」

「俺に大人としての対応を求めた王、そのあなた自身の対応は大人でしたか?」

「…………」

「ただ娘可愛さに、俺を蔑にした王、あなたの態度。それは」

「…………」

「俺から言わせれば、それは親の愛じゃない。ただの馬鹿親ってやつですよ」

「…………馬鹿親、か」



 恨みはしたのだろう。俺のことを。

 娘を不幸にした存在と、呪いたくもなったのだろう。

 そんな俺のことは忘れろと、娘にそう言いたかったのだろう。


 でも、だからといってこの対応はない。

 少なくとも俺は、ミスリルとの契約はきちんと果たした。

 恩を着せるつもりはないけど、ここまで扱いを受ける謂れもない。



「ですからまずは俺に謝罪……は、さっき受けましたね。あれでいいです」



 多分。多分なのだが。これは希望的観測なのかもしれないのだけれども。

 王は王なりに、姫のことを抜きにすれば。

 俺に対して「申し訳ない」という思いが、少しはあったのだろう。


 そうでなければ「首を獲れ」なんてことは言わない筈。

 未だ圧倒的有利な状態にあるのは、王の側なのだから。

 俺を殺して終わらせようとせず、自分が死んで終わらせようとしたこと。

 そこにはきっと、少なからず、怒り憎しみ以外の感情が込められていた筈。


 それに。王は王だ。ミスリルに君臨する王なのだ。

 それが、その立場にいる人間が、膝をつき深々と頭を下げたのだ。

 それを「もう一回やり直し!」なんて言うほど、俺は鬼じゃない。

 これは、ま、武士の情けというやつである。


「ただし、これからいくつかの償いをして頂きます」

「……余の首では満足できぬという訳か」


 自嘲する王に向け、俺は大きく頷く。

 そんなもんで片付ける気は、今の俺にはさらさらない。



「あのですね。俺、今、かなり怒っていますけど。でもミスリル王。あなたの首を取ろうなんて考えてはいません。まず何より、そのメリットが俺には一切ありませんしね。ここで怒りに任せて首を頂戴したとしても、姫には恨まれるでしょうし、下手したら逆賊としてミスリルに追われるでしょうし。ほんと、いいことなんて何にもないんです。それよりも」



 王の首を獲ったところで俺が王になれる訳でもないだろうし。

 そもそも王族になんかなりたくねえし。願い下げですよ。

 俺は自由に。そして最速の配達人を目指すんです。


「生きて償ってください。死んで楽になるのではなくね」

「……余に生き恥を晒せと、そう申すか?」

「罪を償うことが恥だと思うのであれば、そうなのかもしれませんね」

「…………」


 悪いことをしたら謝る。罪は償う。

 当たり前のことを、当たり前のように要求しただけです。俺は。



「具体的にはまず、この一件、顛末をしっかりと公にすること。この世界を救ったハルキ・ヤマミズという人物がまだこの世界に存在していること。帰れなくなった理由……に関しては、詳しく言わなくてもいいです。いろいろあるでしょうし。ミスリル王宮の不手際であると、その一言があればいいです」



「次に、今後はミスリルの全力を挙げて、【召喚魔法陣】の復旧、そして捜索に当たること。捜索には可能ならば三公国にも協力を求めてください。勿論、ミスリルの王宮にある破壊されたあれの復旧は継続すること」



「そして先程のレオンさんの提案。ここで姫を賭けて俺とレオンさんの一対一の決闘を認めること。勿論、俺が勝ったら姫は頂きます。正直言って、ミスリル王。あなたの下にいたら、きっと姫は幸せにはなれない。本人が償うと言っているのですから、償って貰いましょう。それが今の姫の望みだと、どうして分かってあげられないのです? それが正しいことだとどうして認めてやらないのです? もう、あなたには任せておけません。姫は俺が貰います」



 アイリス姫が。俺の好きだった、あの明るい姫が。

 今のようになってしまった原因、それは確かに俺にもある、が。

 多分、本人のネガティブ思考とミスリル王の歪んだ愛情。

 これが。このふたつが何より大きいのではないかと、俺はそう思う。


 だったら。やっぱり姫は王には任せておけない。

 俺の方がうまく姫を扱えるだなんて、そんなことを言うつもりはない。

 そこまで自信過剰にはなれない。


 でも。少なくとも俺ならば、姫の謝罪の気持ちを受け取ることは出来る。

 それすら出来なくて歪んでしまった姫を、元に戻すことが出来る。


 昔のように好きになれるかどうかは分からない。出来ないと思う。

 でも。それでも。やっぱり俺は。

 昔、本当に好きだった姫の、あんな歪んだ姿は、もう見たくないのだ。


 俺が今、今まさに。正直な自分自身を取り返せたように。

 姫にももう一度。あの頃の笑顔を取り戻して貰いたいのだ。



「他にも細かい条件はいろいろあります。師匠の今後のこととか。俺の今の仕事のこととか。それは後ほど、しっかりと文章にしたいと考えています。ですから、大筋ではこんなところで。……そして、どうしてもこれだけは。最後に王に言いたいことが、ひとつ」



 王に罪を認めさせ。

 今後は【召喚魔法陣】の復旧、捜索に全力を尽くして貰い。

 アイリス姫の身柄も頂戴する。


 今すぐ要求すべきことは言った。

 あとはもう、要求ではなく、言葉を。これを。この事実を。



「……王がアイリス姫可愛さにいろいろなことを考え、実行したことはよく分かりました。親にとって子とは、それほどまでに大事なものなのでしょう。……ですが王よ? 私も人の子です。山水家の長男で一人息子です。その長男が遠い地に連れ去られ、そして陰謀により帰ってこれなくなった。あなたも人の親というのであれば、それを強調するのであれば、俺の両親のことも考えてください。その気持ちも汲んでください。……俺が言いたいのは、それだけです」



 黙ってその言葉を聞いていた王は。やがて。

 深々と。地に髪が付くほど深く、その頭を下げる。



   ×   ×   ×



「さて。もういいのか?」

「ああ。すいません。レオンさん。もうちょっとだけ」


 ミスリル王との長い話を終えたタイミングで声をかけてきたレオンさん。

 その彼にもう少しだけ待って貰い、俺はリリス様の方を向く。


「リリス様」

「は、はい」


 話の展開についていけなかったのか、目を白黒させている女神様。

 突然呼びかけられて、やや上ずった声で返事を返す。


「すいません。さっき許すようなことを言ったばかりなのに、やっぱり言いたいことがあるんです。聞いて貰えますか?」


「……はい。何なりと。覚悟は出来ています。あれで許される訳はないと、私も思っていました」


 そんなに身構える必要はないんですけどね。

 そんな無茶なことを言うつもりもないですし。


 ただ。やっぱりこれだけは。

 どうしても納得がいかないことだから。



「ミスリルの親子に同情してしまって、罰を下せなかった、と。リリス様はそう仰いましたよね? それはいいんです。俺ももしかしたら、同じ状況に置かれたら、同じようにしてしまったかもしれません」



 家族を大事に思う人間は、ああいう場面に弱い。

 特にリリス様の場合、過去の経験があるから尚更なのだろう。


 そこは責めない。責められない。責める気もない。

 間違っているのかもしれないけど、俺はそれを責めない。


 この世界の神は万能の神ではない。

 どちらかといえば単に「人の上位種」というべき存在だ。

 間違えることもあるのだろう。感情に流されることもあるのだろう。

 だから、それはもういいのだ。そこは。でも。



「俺が許せないのはですね。そこじゃない。あの二人を見逃したことじゃない。見逃したことはいいんです。でも、どうしてそれをすぐに俺に知らせてくれなかったのですか? 姫の立場を思いやってのことですよね? 姫の『俺に恨まれたい』という言葉を尊重してのことですよね? ……でも、それってちょっとおかしいと思うのですよ」



 自分の名が出たことで、姫が反応する。口を開きかける。

 そんな彼女の手をそっと、だがしっかりと、改めて押さえる師匠。

 言い聞かせるように、ぽんぽんと、その背を叩く。



「この場合、優先されるのって俺の気持ちの方だったのではないでしょうか?」

「……そう、ですね。本当に、その通りです」



 リリス様は、優しい。甘いと言ってもいいくらいに、優しい。

 だからきっと、姫に同情してしまったのだろう。

 異世界に取り残された俺に同情してくれたように。


 でも。そこは。そこだけは。間違えて欲しくはなかった。

 俺にとってはそっちのほうがもっと重要な問題だった。


 だからそこだけ。そこだけは。きちんと伝えようと思う。

 俺が怒っているということを。素直に。理路整然と。



「……申し訳ありませんでした。晴樹さん。私が間違っていました」

「はい。俺が言いたいのはそれだけです」



 うん。これですっきりした。

 そもそもどうやったって嫌いになれないお人だ。リリス様は。

 謝って貰えれば、それでいい。

 お詫びになるものは、もうとっくに、十分すぎるほど頂いている。



「……すいません。お待たせしました。レオンさん」

「もういいのか?」

「はい」

「姫には? アイリス姫に言うことはないのか?」


 特にイラついた様子も見せず、長いこと待ってくれていたレオンさん。

 気を使うように、わざわざそう忠告してくれる。けど。


「いいんです。姫への説教はきっと長くなりますから。また今度で」

「そうか。それならいいんだが。しかしずいぶん寛大なんだな。お前さんは」

「寛大ですかね?」

「ああ。俺ならもっとえげつない要求とかバンバンしてるだろうよ」


 そう言って、赤銅色の髪を揺らして笑う。

 嘘でしょ? きっとレオンさんなら、もっと甘い条件で許すでしょ?

 あなたのアニキ的雰囲気から想像して、きついことは言えなさそうですよ?


 ああ。でも。そうか。そうかもしれない。

 二年前ならきっと、こんな気持ちにはならなかったろうな。

 もしかしたら怒りの余り、勢いで王の首を頂いたかもしれない。

 でも、ですね。



「あれですよ。今の俺って、結構、幸せな生活を送っているんです」



 多分。これがあるから。

 シャル。シャルのおかげで、俺の毎日は楽しくなったから。

 この世界で生きるのも悪くはないなと、そう思えるようになっていたから。


 今の俺は、この世界で一人ぼっちではないから。

 昔の俺と、そこが大きく違っているから。だから。


「だからきっと。昔だったら許せないことも、許せるんでしょうね」

「そうか。なるほどな。羨ましい限りだ」


 ええ。自分でも意外ですし。

 そして何よりも、ちょっとだけ誇らしい気分なんですよ。


「だったら俺が、姫を貰っちまっても、恨みっこなしだぜ?」

「レオンさんに貰われる方が、姫も幸せなのかもしれませんけどね」



 最後にもう一度。にっと笑って。レオンさんは剣を掲げる。

 その言葉を合図として。気持ちを切り替える。



「いざ尋常に――」

「――勝負っ!」



 ――太陽が、その最初の光を、東の空から差し込んでくる。




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