表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/45

第十一話 父ではなく、王として

 ――闇系統魔法、【サキュバスの瞳】。



 どこかで聞いたことがあるその名称。

 闇系統と言うことは、師匠から教わったことはない筈。

 俺の師匠は闇系統魔法は使えない。

 師匠の修めている魔法は、それ以外の一系統四属性だ。


 ならば。どこで? いつ聞いた?

 その、妙に禍々しい名前の闇系統魔法ことを?


「ミスリル王。貴方は何ということを……」


 それまでずっと空気に徹していたカルがそう呟く。

 その声と、その顔に浮かんだ嫌悪の念。

 黒い色がついたそれを感じ取り、ようやく思い出した。



「【サキュバスの瞳】……サキュバスが得意とする魔法のこと、ですね?」



 師匠が小さく頷く。姫の手を強く握り締めたまま。

 その姫は、事ここに至ってようやく顔を上げる。


 頬は涙で濡れたままなれど。目は赤く染まったままなれど。

 固い意志で。強い気持ちで。折れない心で。

 この先の成り行きをしっかりと、その目に焼き付けるかのように。



 ――【サキュバスの瞳】。それは人の本能を、欲望を、開放する魔法。



 心の奥に隠された醜い欲望を。

 人ならば誰もが持っている荒々しい本能を。

 それを強制的に表に引きずり出す、出してしまう、そんな悪魔の魔法。

 魔人魔物が跋扈する南大陸に住む、本物のサキュバスが好んで使う闇の魔法。


 その威力は絶大にして凶悪。

 まさに「闇」の冠をつけるに相応しい、そんな呪われた魔法。


 ……あれ? でもまてよ?

 

「師匠? でもその魔法って、サキュバス以外でも使えるものなのですか?」

「使えます。古くからある魔法のひとつですし、そもそも発想が逆なのですよ」

「逆、とは?」


 発想が逆?

 それはどういう意味だろう?



「もともと、この魔法は【欲望解放】という名で呼ばれていた闇系統魔法だったのです。ですが、使いどころが限られるこの魔法は人族の間では廃れ、今ではこれ積極的に使うのはサキュバスのみになりました。……そういう事情で、いつのまにか【欲望解放】という本当の名は忘れられ、そしてサキュバスが好んで使うことから【サキュバスの瞳】という通称で呼ばれるようになったのです」



 なるほど。最初から【サキュバスの瞳】という名前だった訳ではなく。

 サキュバスが使うから、その名前に、通称に変わっていったということか。


 分かった。理解しました師匠。理解はしましたが。


 そうすると、こいつ。このおっさん。ミスリル王は。

 そんな危険な魔法を、実の娘にかけたというのか?


 何の為に? 何を考えて?

 どうしてそんな暴挙に及んだのだ?


 そんな俺の疑問を汲み取ったように、王は言う。

 吐き捨てるように。自らの過去に唾を吐きかけるように。



「簡単なことだ。アイリスは余にけして本音は漏らさない。泣きごとも言わない。王族の義務から逃げようとしない。そんな娘がな、ハルキ・ヤマミズ。貴様に想いを伝えられる訳がなかろう。貴様に『自分も連れて行ってくれ』などと頼める筈もなかろう。……言えぬのなら、言えるようにしてやろうとしたまでよ」



 ――【サキュバスの瞳】。


 それに惑わされた者は、自分の欲望に逆らえなくなる。

 愛する人がいれば、それを我が物にしようとする。

 憎む人物がいれば、それを亡き者にしようとする。


 本人の意思に関係なく。理性など軽く吹っ飛ばして。


 だからだと。ミスリル王は言う。

 言えない言葉を。伝えられない想いを。

 アイリス姫が、渇望する何かを、それを口に出来るように、と。



「余はな、ハルキ・ヤマミズ。貴様がミズリーに到着したという知らせを受け、真っすぐ娘の部屋を訪ねた。いよいよその時がと。貴様との別れの時が来たと。絶望に暮れ、弱り切った姫に魔法をかけるのは容易いことであった。……その結果、娘が、アイリスが。貴様の元に飛んで行こうが、その場で貴様を押し倒そうが、余はその全てを受け止める覚悟でいたのだ。それで娘が結果として幸せになれるのであれば、王家の醜聞も黙って受け入れるつもりでいたのだ」



 二年前のあの日。凱旋の時。

 俺がミズリーの住民に手を振り応えていたその時。

 王宮ではそんなことが行われていたのだ。


 俺への気持ちを隠し続け、衰弱しきった姫。

 そんな娘に、手段尽き闇系統魔法をかけることを選択した父王。



「仕方ないであろう? 貴様を元の世界に帰すというのは、リリス様と交わした約束なのだ。貴様をこの地に縛りつけておくことが出来ぬ以上、娘の望みを叶えるには、貴様に連れて帰って貰うしか方法はないのだから。そして娘はそれを、その希望すらも口にすることも出来ぬのだから。……ならば余が。せめて余自身の手で。その楔を。王族と言う名の血の楔を。切ってやるしか方法はなかったのだ」



 それを愚行と断ずることが、俺には出来るのだろうか?

 それを愚かだと笑う権利は、俺にはあるのだろうか?


 姫の気持ちからも。自分の気持ちからも目を逸らし続けた俺が。

 それを真っ向から見詰め、それに対処しようとした王のことを。


 悩んで悩んで悩み続け、そして魔道にまで手を染めた王の覚悟。

 正邪の問題ではなく。覚悟の問題で。

 俺はこの時、王ほどの覚悟を持って、姫のことを考えてはいなかった。

 それは。認めたくはないけれども。けど、揺るがしようもない事実だった。


 だがしかし。だがしかし。


 ここでまたひとつの疑問が生まれる。

 姫が。アイリス姫が。【サキュバスの瞳】にかけられたとしたならば。


 何故? 何故、姫は俺の前に現れなかった?

 どうして姫は【召喚魔法陣】の破壊なんて凶行に及んだのだ?


 だって姫は、俺と共に来ることを願ったのだろう?

 俺の世界で生きることを願ったのだろう?


 それが、どうしてこんなことに?



「……ハルキ・ヤマミズよ。今、貴様が考えていることが、余には手に取るように分かるぞ? 欲望を解放された筈の娘が、何故、自分の元には来ず【召喚魔法陣】の破壊へと至ったか。それが分からぬのだろう? ……そうだ。余も貴様と同じでな、愚かだったのだよ。そんなことも分からぬくらいに、な」



 ちらりと、王の視線が動く。その先にいるのはアイリス姫。

 唇を噛みしめ、握り締めた拳を震わせ、目を赤く染めた姫は。

 されど俯くことはせず。されど逃げ出すことも由とせず。


 黙って。ただ黙って王の言葉を聞く。

 それが彼女に与えられた罰だと言わんばかりに。



「魔法にかかったアイリスはな、貴様たちを出迎える為に、人の出払った無人の城内を進んだ。真っすぐ地下へと向かった。封印の扉を持ち前の魔力で解放し、そして娘は、おもむろに右手を上げ、一切迷うことなく魔法を打ち込んだのだよ。あの【召喚魔法陣】に。たいそうな名前が付いていても、あれは結局のところ、石の上に特殊なインクで魔法陣が書かれただけのものだ。姫の魔力、その全力が込められた魔法の前に、あっけなく粉々に砕け散りおったわ」



 いよいよ。いよいよ核心に迫る。

 ずっと。ずっと疑問だったことが明らかになる。


 姫が。アイリス姫が【召喚魔法陣】を破壊した理由。

 姫の日ごろの言動と一致しないその凶行。


 俺についていきたいと願っていた姫

 それが暴挙に及んだ理由。

 それが。その理由が。その動機が。ついに明らかになる。



「考えてみれば当たり前のことだったのだ。娘は、アイリスは。誰よりも王族らしい王族だった。国を。民を愛していた。国を愛する者がな、その国を捨てたいと本気で願う訳はなかろう? ……嘘、とは言わぬ。嘘ではなかった。アイリスの、貴様についていきたいという言葉はけして嘘ではなかったのだろうよ。だがしかし、それが本心と言う訳でもなかったのだ。あくまでも、次善。貴様がこの世界に残ってくれる訳はないと、そう知っていたから。ならば“せめて”ついていきたい。そういう意味だったのだよ。あの言葉は」



 ――すとん、と。その言葉は腑に落ちた。



 姫が、あのアイリス姫が。何もかもを捨てて俺の世界に来ること。

 そんなことを、そんな無責任なことを。心の底から望む訳はないのだ。


 そんな女の子なら。そういう、ある意味素直な女の子なら。

 事態はこうも拗れなかった。事はこんなに大きくはならなかった。

 それならば彼女はまっすぐ俺の元へと飛び込んできた筈。

 だがしかし。そうはならなかった。王のその予想は間違いだった。


 捨てられなかったのだ。姫は。この世界のことも。

 俺が元の世界に戻ることを諦められなかったように。


 俺と一緒にいたい。でも、この世界のことも大事。


 ならばもう、俺を返さないという方法しかないではないか。

 あの【召喚魔法陣】を破壊してしまうしかないではないか。



 ……それが隠された、本当の、姫の願いだったのだ。



 勿論そこに、俺への気遣いは存在しない。

 一方的に、自分の願いを、欲望を、我儘を発揮した行為だ。


 でも、仕方ないではないか。理性が無かったのだ。

 欲望を止める心も、意志も、常識も、それが全て失われていたのだから。



「余はな、そんなアイリスを止めなかった。むしろ何故このことを予想できなかったのかと、我が身の愚かさを嘆いていた。娘の本心を見抜くことすら出来ずに、何が親かとな。そして少しだけ、安心もしたのだ。我が娘、国民から広く【聖女】と呼ばれ親しまれるこの娘も、間違いなく人であったのだな、と」



 ……【聖女】と呼ばれる、アイリス姫。


 常に人のことを。国のことを。民のことを。……俺のことを。

 自分よりも。自分のことよりも大事に考えていた姫。


 そんな姫でも。そんな姫であっても。

 願ってしまうことがあるのだ。

 抱いてしまうことがあるのだ。

 醜い、汚い、自分のことだけを考えた欲望を。



「……仕方のないこと、なのです」



 ぽつりと、師匠が呟く。

 小さな声で。妙に実感を込めて。



「ハル。私は姫を庇える立場ではないのでしょう。ですから、今から私の言うことは、ハルにとっては、言い訳のように聞こえてしまうかもしれません。でも、あるのですよ。人には。……そんなことを願ってはいけないと思いつつも、打ち消しても打ち消しても、それでも無くなってはくれない。考えること自体が罪だと、そう自分で分かっていても、それでも消すことが出来ない、そんな願いを抱くことが」



 重かった。師匠のその声はとても重かった。

 だから。多分。これは師匠の経験談なのだろう。

 師匠自身が、自らそんな思いに捉われたことがあるのだろう。

 いつかそれを。師匠自身の体験を、聞くことがあるのかもしれない。



「……話を元に戻すぞ」



 ミスリル王の言葉に、俺は師匠へと向けていた意識を元に戻す。

 姫のことは分かった。【召喚魔法陣】破壊の裏はこれで知った。



 だがしかし。まだ、謎は残っている。



 例えば、姫の言葉。姫の自白。その真偽。

 王の話を聞く限り、姫に罪はないようにも感じる。

 あったとしてもそれはきっと、過失ではないかと。

 なのに姫がそれを頑なに「自分の罪だ」と言い張る理由。


 そして他にも。リリス様

 あの【契約と約束を司る女神】が犯した罪。

 ふたつあるというそれのもうひとつも、まだ聞いてはいない。



 ――しかし。しかし。この一件の罪は。罰せられるべき人物は、一体……。



 いや。まだだ。まだ最後まで話を聞いてはいない。

 これは。このことは。その上でもう一度考えてみるべきことだ。



「とはいえ、もうこの先、余の語れることは少ない。城に戻ってきた貴様に【召喚魔法陣】が破壊されたことを伝えた。貴族の地位をやるとも伝えたな。ハルキ・ヤマミズよ。貴様は聞く耳ももたなかったが」



 当たり前だ。それはさすがに当たり前だろう?

 騙されたと思ったさ。どういうことだと問い詰めたさ。

 いや。いい。今はそれはいい。


 それよりももっと重要な疑問がある。

 その答え次第では、俺はここできっと爆発する。



「……ミスリル王に、ひとつ、お訊ねしたいことがあります」

「なんだ? 今更隠すことは何もない。何なりと聞け」

「何故、その場でそのことを、その顛末を、話してはくれなかったのですか?」



 王の行動。ここまでの話を聞けばそれは、確信犯と言うべきものではないか?

 辞書的な意味ではなく、誤用として広まったほうの確信犯。

 間違っていると。正しい行いではないと。知っていながらの犯行。


 ならばせめて。せめてその場で。あの謁見の場で。

 全てを明らかにするのが、王たる者の責務ではないか?


 何故、言わなかった? 何故、白状しなかった?

 自分が黒幕であると、何故、俺に言わなかった?


 それが。その答えが。もし俺の想像通りなら。

 その時は。その時こそ俺は――。



「簡単なことだ。あの場で貴様に殺される訳にはいかなかったのでな」



 ……言った。言って欲しくなかったことを、こいつは言った。


 命惜しさに。命惜しさに嘘を吐いたと。

 俺に真実を明かさなかったと。

 あっさりと。余りにもあっさりと言ってのけやがった。


 じわりと。込み上げてくる黒い気持ち。殺意と呼ばれるそれ。

 それを押し殺し、確認の意味を込めて、再度、俺は王に問いかける。


「……自分の命惜しさに、俺に嘘を吐いたと。そうお認めになる訳ですね?」

「ああ。“貴様に”殺される訳にはいかぬと。そう考えてのことだ」

「……俺に? どういう意味です? 自害でも考えていたのですか?」

「そうではない。そうではないが。確かに余は既に、死ぬ覚悟は決めておった」


 どういう意味だ? 

 俺に殺されたくはないが、死ぬつもりだった。

 そこにどんな違いがあるというのだ?



「ハルキ・ヤマミズ。余はな、よりにもよって【契約と約束を司る女神 リリス】様との約束を反故にしたのだぞ? それは親という立場からしたこと。そのこと自体に後悔は何もない。だがしかし。余はミスリルの王でもある。王として自分のしでかした行為に、愚行に、きちんと責任を取らねばならぬ。余がリリス様の罰を受けなければ、余の代わりに誰かがその罪を償うことになる。……簡単に言えばな、ハルキ・ヤマミズよ。余はリリス様に罰せられる前に、貴様に殺される訳にはいかなかったと、そういうことだ」



 淡々と王は告げる。

 死を覚悟していたこと。

 だがしかし。俺に殺される訳にはいかなかった理由。

 リリス様に自らの首を捧げる為には、俺に殺される訳にはいかなかったと。


「……つまり。娘を犠牲にして自分だけ助かろうとした訳ではないと?」

「娘の幸せを考え行動しておきながら、その娘に罪を被せる親がどこにいる?」


 そうだな。そりゃそうだ。

 そこまで本末転倒な行動を、この王は取るまい。


 ならば。それならば。

 何故リリス様は。【契約と約束を司る女神 リリス】様は。

 この王を許したのだろう?


 いや確かに。情緒酌量の余地はあったと思う。

 娘を思う親心がしでかしたことで、しかも過失だ。

 王は【召喚魔法陣】を破壊しようなんてことは、考えてはいなかったのだ。


 でも。それでも。その行動は。

 女神と呼ばれる存在に、やはり相応しくはないような気がする。



「次は、私の番ですね」



 空気を呼んだのであろう。リリス様が口を開く。

 申し訳なさそうに。罪の意識を感じさせる表情で。



「私の罪。その大きい方。約束を破った王を罰せなかった理由。……それは、とても私的で、そして情けない理由なのですよ。あの日。王宮にて。【召喚魔法陣】が破壊されたという報告を受け、私はすぐに王との面談を求めました。その真相を聞き出し、犯人に罰を与えるつもりで王の部屋を訪ねました。……部屋に入った私の目に映ったもの、それは膝をつき、首を晒し、自分に罰をと。自分一人に罰をと。互いに譲らずそう告げてくる、ミスリル王とアイリス姫の姿でした」



 責任は自分にある。故に自分を罰して欲しいと願う王。

 手を下したのは自分だ。故に罰せられるべきは自分であると言い募る姫。


 二人が互いに。互いの罪を認めず。自らにこそ罪はあると主張し。

 この首を獲れと。自分を裁いてくれと。自分だけを罰してくれと。


 そう願う。そう乞う二人を見て、迷ってしまったのだと、リリス様は言う。



「その姿が。親を庇う娘の姿が。娘を庇う親の姿が。あの日の自分と。人だった頃の自分のあの日と。私を庇い死んでいった母親の姿と。重なって見えてしまいました。見えてしまったのです。見えてしまったら。そう感じてしまったら。私にはもう、彼らに罰を下すことが出来なくなってしまいました」



 そう言えば、と。思い出す。

 いつか聞かされた、リリス様の過去の話を。


 母親が好きだったということ。

 その母親が、自分を庇って死んだということ。



「私には二人を断罪する力がありました。その理由もありました。その権限もありました。【契約と約束を司る女神】などと呼ばれていた私が、私は、情けないことにその場から逃げ出しました。ミスリル王に、晴樹さんのことを追うことを禁じて。その行動を阻害するような行為を禁じて。ただ、それだけ。それだけを、たったそれだけを告げて」



 不思議だとは、思っていたのだ。前々から。

 パロスで冒険者をしていた頃にも。

 その後、配達という仕事を始めてからも。


 ミスリル王からの接触が一切なかったこと。

 俺を王宮に戻そうという動きが一切なかったこと。


 場合によっては。というか間違いなく指名手配されたであろうこの俺が。

 何の干渉も受けず、自由に生きてこれたこと。

 そもそも、逃亡中に追手が掛からなかったことも。



「……晴樹さん? 笑ってくれて構いません。怒られても当然だと思います。軽蔑してくれてもいいです。私は二人を許したのではなく、ただ単に、自分の感情に負けて、彼らを罰することが出来なかっただけなのです。私の行いは、【契約と約束を司る女神】という名に相応しくないものでした。……これが、私の懺悔です」



 どう答えればいい? 何と言えばいい?

 リリス様に対する感謝の念は、確かにある。今でもある。

 それと同時に、もやもやした思いが残ったのも事実だ。


 じゃあ、リリス様を責めるか? 軽蔑するか?

 しないし、出来る訳がない。


 だって気持ちが分かるから。

 リリス様の、家族というものに対する特別な感情を知っているから。

 そして俺自身、家族は大事にするべきだと、そう思っているから。



 ……だから。ならば。



「ひとつ、訊いてもいいですか? リリス様?」

「何でしょうか?」

「俺をいろいろと助けてくれたのは、その罪悪感からでしょうか?」


 いろいろと助けてくれた。助言もいっぱいくれた。

 この世界でたった一人になってしまった俺に、優しく微笑んでくれた。


 そのリリス様の行動の理由は何だったのか?

 罪悪感から来るものだったのか? 同情から出たものなのか?

 それを。それを聞かせてください。


「……今更。こんな私が言うことは信じられないかもしれません」


 しばらくの間。無言で考えていたリリス様は、そう前置きして続ける。

 女神らしくもない、そんな弱気な言葉を前置きして話し始める。



「最初は確かに、罪悪感……いえ、義務感、でしょうか? そういう感情から晴樹さん、貴方を助け始めました。ですが、晴樹さんと話す機会が増え、その人となりに触れ、晴樹さんのことを少しずつ理解できるようになり、私は罪悪感からではなく、勿論義務感からでもなく。純粋に好意から貴方を助けたくなりました。そういう風に気持ちが変わっていきました。この言葉に、そしていつか晴樹さんに言ったことのある、『弟のように思っている』という言葉に、嘘はありません」



「『契約と約束の女神 リリス様に誓えますか?』」

「は、はい!?」

「『契約と約束の女神 リリス様に誓えますか?』」

「も、もうっ! からかわないでください!」


「至って真面目です。『契約と約束の女神 リリス様に誓えますか?』」

「…………」

「誓えませんか?」

「『私の青い瞳と髪に賭けて』……。うう、は、恥ずかしい……」



 そうですか。今は違うんですね。最初はそうだったとしても。今は。

 なら。ならいいんです。俺はリリス様を信じます。


 だって、大好きですから。やっぱり。

 女神なのにどこか人間らしさを残した、そんなリリス様のことが。



 ――そして残るは、最後の一人。



「……アイリス姫」

「はい」


 相変わらず、赤い目をしたまま。唇を噛みしめたまま。

 罪人の表情で。咎人の顔で。じっと耐え続ける姫。


 彼女の行動こそ謎だ。一番の謎だ。

 そこまでして。そこまで思い詰めていたのに。


 何故自ら罪を被った?

 何故真相を話してくれなかった?


 俺に好かれたかったのではないのか?

 俺のことを想っていてくれたのではないか?


 なのに、何故。

 そんな憎まれ役を買って出たのだ?



「……どうして話してくれなかったのです? 冤罪だと」

「……冤罪ではありません。ハルキ様。罪は全てわたくしにあるのです」



 いやだって。そうじゃないでしょう?

 王の魔法。【サキュバスの瞳】のせいでしょう?


 ならそれは冤罪……とまではいかなくても。

 言ってみれば業務上過失くらいの罪の筈でしょう?



「ハルキ様は勘違いをしておられます。【サキュバスの瞳】。あれは人を術者の思う通りに操る魔法ではありません。あくまでも、かけられた対象の欲望。本心。それが表に出てくるだけです。……つまりわたくしは、そんな浅ましい、卑しい考えを持っていたということなのです。ハルキ様をこの世界に縛ろうと。元の世界に帰れなくしてやろうと。それが、わたくしの本心だったのです」



 それは、確かに、そうなんだろうけど。

 でも。でもさあ。そこに言い訳の余地はあるだろう?


 だって。だって姫はその気持ちを抑えていたのだから。

 信頼する師匠にすら話していなかったくらいなのだから。


 なんで。何でそんなに頑ななんだよ?

 どうしてお前はいつもそうなんだよ?



「……ハル? 忘れてしまいましたか? 私の言ったことを」



 助け舟を出してくれたのは師匠だった。

 俺の疑問に答えてくれたのは、姫ではなく師匠だった。



「姫は、ハル。君に憎まれる為に。君の恨みを一身に受ける為に。自分の罪だと、自分が犯人だと、そう自白したのです。それは勿論、罪の意識からくる懺悔であったことは間違いありません。ですがそれ以外にも、姫が、姫だけが憎まれなければならない事情もあったのですよ」



 それは。はい。以前、師匠から伺いました。途中までは。

 ですが、姫「だけ」が恨まれなくてはいけない理由。それは一体?



「アイラ師匠。その先はわたくしから言います。その考えも、わたくしの罪のひとつでもありますから。……ハルキ様? わたくしはずるい女なのです。ハルキ様の恨みが、憎しみが、父上やこのミスリルという国全体に向けられないよう、わたくしは罪を自白したのです。わたくしなら、どうなってもいい。ハルキ様のお怒りは当然のことですし、そのハルキ様に害されるのであれば、いっそ本望だと、そういう浅ましい考えもあってのことでした」



 つまり、姫は庇ったのだ。王や国民のことを。俺の怒りから守ろうと。

 自分はどうなってもいいと。俺の怒りを一身に受けると。そんな覚悟を決めて。


 ああ。そうか。だからか。

 そういう理由があるから。姫がそういう覚悟を決めていたから。

 自分一人で全ての罪を引き受けると宣言していたから。


 だから師匠も。そしてリリス様も。

 俺に真相を話すことが出来なかったのだ。

 姫のその覚悟を、ぶち壊しにしないように。汚さぬように。

 俺の恨みが。黒い感情が。姫以外に向けられることのないように。 



「繰り返しお伝えしますが、そもそも【召喚魔法陣】を破壊したのはわたくしなのです。罰を受けるとすれば、それはやはりわたくしなのです。……それがわたくしの、嘘偽りない本心です」



 そこまで一気に告げると、姫は口を閉ざした。

 代わって口を開いたのは、しばらく黙っていたミスリル王。



「……アイリスはな。それだけは譲ってはくれなかったのだよ。その罪は自分のものだ。誰にも渡せない。誰にも渡すことは出来ないと。例え父上であっても、これだけは譲りません、とな。罪を被ることが。ハルキ・ヤマミズ。貴様に恨まれることが。それがこれにとっては。娘にとっては。貴様との間に残されたたったひとつの絆とでも感じていたのだろうよ。……歪んだ絆ではあるがな」



 ……その言葉を最後として、場に静寂が戻る。



 ミスリル王も。師匠も。リリス様も。そしてアイリス姫も。

 全員が語るべきことを終え、俺は聞くべきことを聞いた。


 あの日。あの王宮で。何があったのかは、全て明らかになった。

 誰が。何を考え。どうしてその行動に至ったのかまで、全てが。



 ――なのに。何でだろう? 一向にすっきりした気持ちになれないのは。



 それはきっと、弾劾すべき真犯人が見つからないから。

 全ての罪を背負える人物が、背負うべき人物が存在しないから。


 関係者全てが、被害者であって加害者であるこの状況。

 全員が少しずつ、何らかの罪を犯しているこの状態。


 故に誰もが言葉を発せない。

 故に誰もがこの劇に幕を下ろすことが出来ない。



「さて。ハルキ・ヤマミズ」

「……なんですか? ミスリル王?」



 だからその言葉は。王のその発言は。

 場を再び動かすという意味では歓迎すべきことだったのかもしれない。


 だがしかし。その発言は。その発言内容は。

 諸手を挙げて歓迎できるようなものではなく。

 むしろさらに俺を困惑させるもので。



「これで理解したであろう? 黒幕は余であったということを。諸悪の根源は、このアーロン・フォン・ミスリルにあったということを。……理解したのであれば、この首、さっさと獲ってくれ。そしてそれで満足してくれ。二年前、無様に生き長らえた結果がこれだ。結局余は、誰一人として幸せには出来なかった。自分のことも、娘のことも。そしてハルキ・ヤマミズ。貴様のことも……いや」



 そこまでは尊大な言葉のままで。だがしかし、王はそこで言葉を止める。

 膝をつき。リリス様にするような恭しい態度で、俺に向け言葉を捧げる。



「失礼した。この世界を救ってくれたミスリルの恩人。勇者ハルキ・ヤマミズ殿。貴殿に対する無礼の数々、謝って許されるものではありませぬ。我が首ひとつで、この老いぼれの首ひとつで許されることとも思いませぬが、どうかそれで。寛大な心で、お怒りを納めては貰えぬでしょうか?」



 アイリスの父親は、ミスリルの王に戻り。

 親としての怒りを爆発させた男は、王として責任を取ろうとしている。

 自らの首を。命を賭けて。


 だから。だから俺は困惑する。困る。惑う。


 だって。親としてのミスリル王の怒り、その気持ちが分かってしまったから。

 しかし。王としてのアーロンのした事。それはやはり罪と呼べるものだから。



 ――そして何よりも。何よりも。



 事の発端。この一件の原因の一つとして。

 そこに俺の優柔不断が。姫に対する曖昧な気持ちが。態度が。

 絶対にそこには存在するのだと、誰よりも俺自身が感じてしまっているから。


 そんな俺が、王を断罪できる立場にいるのか?

 そんな俺が、王を断罪してしまっていいのか?


 このモヤモヤした思いを抱えながら、全てを許すのか?

 それは王が。そして姫が納得しないだろう。


 このまま、王の首を獲ればいいのか?

 それは俺が。俺自身が。自分自身で許せない。



 ――選べない。俺には選ぶことが出来ない。



 じゃあどうする? 落とし所はどうする?

 思い悩む俺の耳に、場違いなほど明るい声が届く。



「ちょっと待ってくれねえかなあ? 勇者ハルキ。そしてミスリル王」



 ミスリル王を「義父上」とは呼ばず。

 俺のことを「勇者」と呼び。


 赤銅色の髪を持つ男は笑いながら言う。

 優しい笑みではなく、肉食獣の笑い。



「あんた方に因縁があるのはよく分かった。二年前の『ミスリル戦争』。その陰でこんな話があったとは俺も驚いた。王には同情するし、勇者ハルキ。……ハルキって呼んでいいか? ハルキのほうにも言いたいこともあるだろうよ。話の納め所、振り上げた拳の落とし所を探しているんだろ? さすがにここで、『はいそうですか』と、王の首を獲ることも出来ないだろうしなあ」



 背中に収められていた大剣。リリス様の登場で一度は収められた大剣。

 それを音高く再び抜き放ち、赤銅色の髪を持つ男、レオンは続ける。

 王族らしからぬ、粗野な言葉で。

 野趣溢れた彼の雰囲気に相応しい、荒々しい言葉で。



「なあ? ハルキよ? お前さんも、後悔してるんだろ? アイリス姫に対して真摯な態度が取れなかったことを悔やんでいるんだろ? それがそもそもの発端だとも考えているんだろ? だったら、ここで男を見せろよ。二年前には見せられなかった覚悟を見せてみろよ。嫌いじゃないんだろう? 姫のこと。今でも。嫌っていたら、そもそも姫の奪還なんて暴挙、起こしはしないもんな。お前さんはもう、本当は心の中では全部許してるんだよ。全部、な」



 ああ。くそ。やられた。全部持っていかれた。

 言葉は荒くても、理路整然と。過不足なく。全部言われっちまった。

 なんだよこれ。何なんだよこれは。

 これじゃまるで、俺も王も、あんたの、レオン公子の引き立て役じゃねえか。


 だがそれが、少しも嫌だとは感じられない。

 むしろこれこそが、俺が望んでいた結末なのだとすら感じる。



「だけどなあ。ハルキ? そう簡単に姫は渡せねえぞ? 悪いけど俺だってなあ、その奇麗な姫君を娶れると聞いてここまで遙々やってきたんだ。生半可な覚悟しか持たない男に、姫は渡せない。……勝負だ。勇者ハルキ。アイリス姫を賭けて、男らしく俺と真剣勝負、受けてくれるよな?」



 ――東の空が、うっすらと明るんでくる。夜明けは、近い。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ