閑話 師匠の手紙
最近の感想欄を見て、即興で書き上げたものです。
本来の私のプロットにはなかったお話になります。
ですのでクオリティーに関しては、その、はい。
あくまでも「オマケ」程度のものだと思って頂ければ幸いです。
――さて。ここで時間をちょっと巻き戻して。
カルに会いに行く前の話を。
リボンの街に行く前の話を、少しだけ。
俺の顔がにやけたままで戻らない理由を、少しだけ話そうか。
× × ×
「カル・ベルンですか。すごい人と知り合いになりましたね。ハルは」
「すごい人……? 師匠は知っているんですか? カルのことを?」
――ノアの街近郊。転移魔法陣が設置された遺跡の地下。
師匠の話を一通り聞き終えた俺は、カルのことを話題に乗せる。
俺への助力を約束してくれている、【戦術級】剣士の友人のことを。
「弱冠十五歳で【戦術級】の称号を得た剣士を、知らない筈がありません」
「確かにそうですけど。でも師匠? 師匠だってそれは同じなのでは?」
「……まあ、そうですけど。私のことはいいのです」
「はあ……」
なんだろ?
師匠、自分のことを褒められるのが苦手なのかな?
十七歳で【戦術級】魔術師になれたのだって十分すごいと思うけどなあ。
その二歳の差は、俺が思うよりもずっと大きいのだろうか?
あ。いやいや。それはともかく。
「今から会って話をつけてきます。師匠はここで待っていてください」
「……一緒に行きます」
うん。まあ。そう言うような気がしてたんだよね。
うちの師匠、昨日からややポンコツ気味だからさ。
だからその対策も考えている。
対策というか、妥協案ではあるけれども。
「師匠? さすがに変装しても、リボンの街まで行くのは危険です」
「それは……はい。確かにそうですけど」
何しろ指名手配犯だ。
門番の目をごまかすことが出来るかどうか、それは分の悪い賭けになる。
今の段階で、無意味にそんな危険を冒す必要はない。
そこで、この代案ですよ。
「ですから師匠。スズまでは一緒に行きましょう」
「スズまで、ですか?」
「はい。そして街道沿いの小さな町に宿でもとりましょう」
「宿……」
指名手配されたとはいっても、写真すら存在しないこの世界である。
当然、通信機器なんて便利なものも存在しない。
手配書の師匠の絵はお世辞にも似ているとは言えないし。
そもそも街道沿いの町全てに、その手配書が配布されたとは限らない。
各公国の首都にさえ、最近届いたばかりなのだ。
近隣の町に手配書が届くまでには、さすがに幾分かのタイムラグがある筈。
「俺がカルをその宿まで連れてきますから。顔合わせはその時で」
「……そう、ですね。それは名案かもしれません」
でしょう? 我ながら名案だと思いましたよ。ええ。
まあ、師匠がついてくるとか言い出さなければいい話でもありますけどね。
でも、そんなことは言いませんよ。ええ。言いません。俺は。
今の師匠もとても可愛らしくて好きですからね。大好きですからね。
もっと私に甘えてくれてもいいのよ!
「……宿。宿ですか。いいですね。久しぶりに湯浴みも出来ます」
「ああ。そうですよ。たまにはゆっくりしてくださいよ。師匠も」
元いた世界の中世では、お風呂は高級品だったらしいけど。
この世界は魔法があるからな。水も出せれば、火も焚ける。
風呂を沸かすこと自体には、大した労力はいらないのだ。
だから、そこそこの宿にはどこも風呂場、公衆浴場がある。
まあさすがに、個室の中に浴室がある部屋は高いけどね。
「お言葉に甘えましょう。何しろここ数ヶ月、湯浴みどころか水浴びも……」
ぴしっと。そんな幻聴が聞こえるくらいに。
そこまで機嫌よく話していた師匠の言葉が、いきなり途切れた。
さかさかさか、と。全身をくまなく走りまわる師匠のおてて。
そしてそれが。その手が。師匠の長い黒髪を一房掴み取る。
サラサラのそれを顔の前に持って行き、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「あ、あの? 師匠? どうかされましたか?」
「……臭くなかった、ですか?」
「……はい?」
「ですから。私。私ですよ。私、臭くありませんでした?」
「へ?」
「昨日、一緒に、あわわ、一緒に、ね、寝たじゃ、あ、あ、ありませんか」
ああ。なるほど。ようやく話が見えてきた。
体臭を気にしているのか。師匠は。
そういえば昨日は抱きあって寝たようなものだしな。
女の子としちゃ、そこは気になるよな。やっぱり。
「いえ別に。全然。全く。いい匂いでしたよ?」
「嘘です。ハルは嘘をついています。だって最後に水浴びしたのは三日前……」
そこまで言うと、がっくりと床に膝をついてしまう師匠。
相変わらず表情は変わらないけど、その体勢が心情を雄弁に語っている。
「いや本当ですってば。それに俺、師匠の汗の匂い、好きですしね」
「汗……。汗の匂い……。汗臭かったのですね。やっぱり。私は」
「いやだからそんなことはですね……うおおっっ!!」
ぐわっと。そんな勢いで顔を上げた師匠は俺の手を握り締める。
そのままぐんぐんと有無を言わさぬ歩調でスズ行きの魔法陣に乗る。
「行きますよハル。早くいきますよ。お風呂ですお風呂。さあいざお風呂へ」
× × ×
……どうしてこうなった……。
座り込んだ俺は、そう自問しつつ頭を抱える。
――ここはリボン周辺の街道街。その宿屋の一室である。
一泊するのに目ん玉が飛び出るくらいの支払いが発生する高級宿である。
高級であるが故に、その設備は非常に充実している。
例えば。
……ちゃぽん。
俺のすぐ側。少しだけ開けられた扉から聞こえるその水音。
かすかに漏れてくる湯気が、部屋の中まで流れてくる。
そう。お風呂。お風呂である。この宿には個室に専用風呂が付いている。
そりゃお高い訳である。こんな宿に泊まった経験は、俺にはない。
師匠は何でもないようにあっさりと支払ったけど。
さすが元王宮付け魔術師である。高給取りだったんだろうなあ……。
いやいや。そんなことよりも。
これ。この状況である。
『ハル? ちゃんとそこにいますか?』
「はい。います……。いますよ。師匠」
薄く開けられた扉の向こう。そこは浴室であり。
今まさに俺の大事な師匠が湯浴みを堪能している最中であり。
……そして何故か俺は、ここで、扉のすぐ側で、待機を命じられており。
『ハル?』
「はい……なんですか? 師匠」
『とても気持ちがいいですよ』
「それは……何よりです」
『ハルもあとで入るといいです』
「えーっと。はい。そうさせて頂きます」
……これで状況は、粗方分かって頂けると思う。
転移魔法陣からこの宿屋まで、一度も俺のローブを手放さなかった師匠は。
宿の個室に入った後も、俺を解放することはなかった。
かといって一緒にお風呂に入るという訳にもいかなかった。
さすがに、ねえ? さすがの師匠もそこまでは言わなかったよ。
一応お互い、嫁入り前で婿入り前だしね。
そこまでハレンチなことは言いだしませんでしたよ師匠も。
ざ、残念だなんて思ってないんだからねっ!
……だがしかし。そこで師匠は俺の想像を超える発言をした。
『ハル? 浴室の前にいてください。お話し相手になってください』……と。
師匠あなたはあれですか、と。
怖い映画を見て一人でお風呂に入れなくなった小学生ですか、と。
さすがにね? 突っ込もうとしたよこれには。でもさ。
表情は変わらなくてもね? 視線で。雰囲気で訴えかけてくるわけですよ。
首をちょっとだけ傾けて。上目づかいで。いたいけな幼女のように。
『……駄目ですか?』って。
聞くしかない訳ですよ。俺としてはさ。
ええもう。だって仕方ないじゃないですか。
可愛いんですもの。今の師匠。
どんな我儘だって聞いてあげたくなりますよ。
でもね! でもさあ!
俺だって思春期真っ最中の男の子なんですよね!
この扉の向こう側で。薄く開いたドアの向こう側で。
師匠が。あのドールのようにお美しい師匠が。
お風呂に! お風呂に入っているんです!
お風呂ってことは全裸なんです!
すっぽんぽんなんです! 生まれたままの姿なんです!
持て余しますよそりゃ! いろいろと!
想像だってしちゃいますよ! あれこれと!
ああもう! あああああっっ!! もうもうっ!!
可愛いって。可愛いってそれだけでもう立派な罪だよなあっ!!
『ふう……。大分温まりました。そろそろ出ますね』
「……あ。はい。了解です」
ああ。良かった……。
俺の理性の糸が切れる前に、この甘美な拷問は終わりそうだ。
あと五分。この状態が続いたら。
俺自身もこのあと自分がどういう行動をとったか分からない。
いきなり服を脱ぎだしおもむろにこの浴室の扉を開け。
『やあ! 師匠奇遇ですね! こんなところで会うなんて!』
とかなんとか言っちゃったかもしれない。全裸で。爽やかな笑顔で。
それくらい。それくらい追い詰められていたのだ。俺も。
ああ。本当に良かった。これでようやく解放される……。
『……ハル。すいません。大変なことを思い出しました』
「…………」
『ハル?』
「へ? あっ! はい! 何でしょうか?」
『すいません。忘れものをしてしまいました』
「忘れもの、ですか? はあ。なんでしょう?」
『その、替えの服は持ったのですが、下着を出すのを忘れてしまって……』
「ああ。なるほど。いいですよ。鞄の中にあるんですね?」
『はい。申し訳ありませんが、ハル。鞄をとってきてもらえますか?』
「了解です」
取ってきて貰うも何も、鞄は部屋の中である。徒歩で五歩だ。
それくらい、お安い御用ですよん。
……ふむ。下着か。
いや見ませんよ?
鞄を開けてそれを見たりなんかしませんよ?
俺は紳士ですからね。
だから師匠の鞄、それが開いている今この状態でも。
中身を漁ったりはしませんってば。
でもね? ほらね?
鞄を持った時にね?
ちらりと。ちらりと、こう、上から中身が見えてしまってもですね。
それはもう、事故だといっても差支えはないですよね? うんうん。
ちらりと“偶然”見えてしまった師匠の鞄は、結構散らかっていた。
早くお風呂に入りたくて、慌てて服を引っ張り出したせいだろう。
だからそれが見えてしまった。布製の下着ではなく、紙製のそれが。
恐らくいつか手渡すつもりで、大事に保管していたのであろうそれが。
……『ハルキ・ヤマミズ様へ』と、書かれた封筒が。
手にとってしみじみと眺めてみる。
宛名は間違いなく、『ハルキ・ヤマミズ様へ』と、そう書かれている。
これは。うん。さすがに気になる。
だって俺宛てだよ? 俺宛ての手紙なんだよ?
『ハル?』
うーん。どうしよう。
見たい。正直、見たい。
見てもいいかな? いいよね? 俺宛てだもんね?
『……ハル?』
そして俺は配達人だもんね。
はい。ヤマミズさんお手紙です。
はい。御苦労さまです。確かに受け取りました。
ではさっそく。中身の方を拝見……。
『……ハル? どうしました? ハル?』
……なーんてね。
しませんよそんなことは。マナー違反ですからね。
手紙は投函されて初めて「手紙」なのだ。
投函されるまでは書き手のものなのだ。
それを投函前に勝手に読むなんて、そんなことはしませんってば。
「ハル……? あっ」
さ。これは見なかったことにして。
早く師匠におぱんつ様をお届けしなければ……。
「ハル……あっ、あっ、あっ。ハ、ハル? 君は何を。今何を」
「あ、すいません。鞄、今、お持ちしますね……ってえええええっっ!?」
師匠がまっすぐこっちに向かってくる! 超ダッシュで!
あられもないお姿で! タオルで大事なところを隠しただけの姿で!
えっ!? ちょ、ちょっと待ってください師匠!
駄目です駄目です駄目です! 嫁入り前の娘さんがそんなハシタナイ!
そんな風に脳内でストップをかける俺のことなど一切顧みずに。
師匠はほっかほかの肌色成分多めの姿で、迷わず俺に飛びついて来た!
「み、見ましたか? 見たんですか? 見たんですね見ましたね?」
「し、師匠。み、見え、見え、見え……」
見えちゃいます師匠! 師匠の見えちゃいけないところが!
駄目ですそれは! 今の師匠の状態は駄目ですそれはいけない!
地上波アニメなら画面全部にナゾの湯気が発生し何も見えない状態だし!
ちょっとHなDVDだとしたら、一部がモザイクで消されている状態です!
「ややや、やっぱり。やっぱり、み、見ましたね? 見たんですね?」
「みみみ、見て、見て、見て……」
見てません師匠! 師匠の慎ましいお胸とか露な太ももとか!
そんなの全然見てません! 見てませんから!
だから押し付けないでくださいその細くとも柔らかいお体を!
華奢で折れそうな腰を! 艶めかしく濡れた黒髪を!
「あ、あう、あう……。ち、違うのです違うのです誤解です誤解なのです」
そうです誤解です誤解なのです東京都青少年育成条例の関係者の皆様!
師匠はこう見えても二十歳なのです成人なのです問題ないのです!
え? なに? 成人でも未成年に見えたら駄目だって? そんな殺生な!
「ど、どこまで? どこまで見ましたか? 見てしまいましたか?」
「どこまでって……あの、その……えっと」
「正直に、正直に言ってください。ハル? お願いです。お願いします」
「……すいません師匠。ばっちり全部。全部見てしまいました……」
でもだって。仕方ないじゃないですか。
師匠、可愛いんですよ? めっちゃ可愛いんですよ?
そんな女の子がタオルだけ巻いた姿で出てきたら、誰だって見ちゃいますよ。
俺のその返答を聞き、がくりと膝を落としてしまう師匠。
あ、駄目。師匠駄目ですそのポーズは。
今まで見えていなかった小さくキュートな、お、おし、おしりまでが露に!
「……違うんです。聞いてください。ハル」
「と、とりあえず。師匠? あの、せめて下着だけでもつけて!」
「だって。仕方ないじゃないですか。寂しかったのです私も」
「いくら寂しいからってほぼ全裸の状態で男に抱きついちゃいけませんよ!?」
「私だって。私だって意外だったのです。自分でもおかしいなって」
「確かにおかしいです。今の師匠の行動はおかしいです。ですから早く服を!」
「だ、だけど。でも。だって。見せるつもりはありませんでしたし」
「見せてます師匠。今まさに全部。余すところなく見せてます師匠!」
「あんな。あんな。あわ、あら、あわ。あわわ、違う露な気持ちを」
「露なのは気持ちではなく師匠のお姿です!」
「でも、会いたかったのです。ハルに。顔を見たかったのです。ハルの」
「俺は今、師匠のどこを見ていいのか心の底から迷っている状態です!」
「だって大事だから。ハルが大事だから。何より大事だから」
「師匠はまず何よりも自分を大事にするべきです! 大事な部分を大事に!」
「ああ。もう駄目です……。私はもう、生きていけません……」
「後悔するくらいなら早く、早くお着替えを! 今ならまだ間に合います!」
「あんな恥ずかしいものを見られてしまっては、もう駄目です……だって」
「恥ずかしいのは分かりますが、俺にとっては実に眼福でした! でも!」
「あんな恥ずかしい手紙を見られてしまうなんて……」
「こんな恥ずかしい姿をいつまで俺に見せつけるおつもりですか!?」
…………へ?
「恥ずかしい、姿?」
「恥ずかしい、手紙?」
何だろう?
相互の言葉が噛みあっているようで噛みあっていない、そんな気がする。
おかしいのはどこからだ? 何がおかしいんだ?
「あの、ハル? ハルはその、その手に持っている手紙を読んで」
「これ? これですか? 読んでませんよ? 当たり前じゃないですか」
これ、というのは、師匠の鞄から頭を出していたお手紙のこと。
読んでもいいなら読みますけどね?
投函前の手紙を勝手に読むなんてこと、俺はしませんよ。
配達人の誇りに賭けてもね。でも。繰り返しますけど。
「……読んでもいいなら今すぐに読みますけど」
「だだだ駄目です駄目ですそれを読んではいけません駄目です駄目なんです」
「はあ。じゃあ読みませんけど。一体、何が書いてあったんです? それ」
「そそそ、それは、その、あの、えっと、あぅ……」
師匠は黙って俯いてしまう。
言葉を返すことなく。そのままタオルに包まってしまう。
巣にこもるリスのように、ちっちゃく丸まってしまう。
だから。師匠が教えてくれないから。俺は想像するしかない。
その手紙に一体何が書いてあったのかを。
そこで蘇ってくるテンパった師匠の発言の数々。
――『寂しかった』とか。
――『露な気持ち』とか。
――『会いたかった』とか。
――『顔が見たかった』とか。
――『ハルが大事だから』とか。『何より大事だから』とか。
「……えっと。あの、師匠?」
「……うー……」
いかん顔がにやけてしまう。
「いやその、えっとですね? 師匠?」
「……ううう……」
でも、仕方ねえだろ。これは。
「あー、でもですね。師匠?」
「……むぅ……」
だって俺、今。今さ。
「……俺も、大事ですよ。師匠のことが」
「……あぅ」
心の底から、嬉しくてしょうがないんだから。さ。
「だから、顔を上げて、そして出来れば、その、服を着て貰えると……」
「……見ないでください。ハル。今の私を、見ちゃダメですからね?」
――多分、俺のこのだらしなくにやけた顔は、当分元には戻らない。
次話から一気に話を進めていきます。




