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第三話 二度目の弟子入り

「……姫の結婚が決まったのが、今から三ヶ月くらい前のことでした」



 ……あれからしばらくの時間が流れて。



 いろいろと気持ちの整理をつけたらしい師匠は。

 俺の隣にちょこんと腰かけて、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 しっかりとこう、前置きをした上で。



 ――『私に話せることは、けして多くはありませんが』、と。



「三ヶ月前、というと」

「ハルと再会する少し前、ですね」

「……そう、ですか」

「はい。……やっぱり、面白くないですか? ハルは? それを聞いて」


 面白くない、というか、なんかモヤモヤしますね。

 なんだろう? こう、ですね。

 あの時点で、再会した時点で結婚は決まっていたんですよね?

 だったらやっぱり、せめて一言、欲しかったなあ、と。


「せめて一言……。はい。そうですよね。私もそう思いますよ」

「すいません。器の小さい弟子で」

「そんなことはないです。普通の感情だと思います。でも今はそれは置いといて」

「ああ。はい。お話を進めてください」


 コクリと小さく頷く師匠。

 長い黒髪がサラサラと流れる。


「姫は、それを黙って受け入れました」

「え? 受け入れたのですか? 文句も言わず?」

「はい。えっと、ハル? 不思議ですか? これが」

「不思議というかなんというか……えっと」


 いくらなんでもそれはちょっとアレじゃないですか?

 だって。……ってことは、ですよ?

 俺にあれだけ露骨に出していたスキスキビーム、あれは何だったのですかね?


 演技だとしたら俺に対して失礼だし。

 本気だとしたら結婚相手に対して失礼じゃないですか。


「ハル? 前に私が話したこと、憶えていますか?」

「えっと、どの件でしょう?」

「『王族である姫を抱くという行為の意味は重い』という話です」

「ああ。それはちゃんと憶えていますよ」


 そうですか、と師匠。

 そのまま指を立てた、得意の先生のポーズ。



「王族の結婚。それは気持ちだけではままならないものです。好きとか嫌いとか、そういう感情で結婚を選べる立場ではないのですよ、王族は。王族の結婚、それにはほぼ間違いなく政治が絡んできます。恋愛から結婚に至れることなんて、ほとんどないと言っていいでしょう。繰り返します。王族の結婚は恋愛ではなく、政治の結果なのです」



 王族の結婚は政治の結果であり、恋愛の成果では、ない。

 ああ、はい。そうですね。そういうものですよね。


 すいません。改めて説明して頂くほどのことでもありませんでした。

 冷静になって考えれば、そんなの当たり前ですよね?

 つまりこの姫の結婚も、政略結婚なんですね?


「ですが、まあ。一言だけ言わせて貰うとすれば。二年前なら。すぐ近くにハル、君がいた状態なら。きっと姫はハル以外の人との結婚なんて蹴ったでしょうね。それが多分、彼女にとっての生まれて初めての我儘になったでしょう」


 ああ。はい。そう、ですか。

 二年前なら、俺を選んでくれましたか。

 そこは。はい。光栄だと思いますよ。俺も。


「『ハルキ様でないのなら、相手は誰でも一緒です』……姫の言葉です」

「…………」

「そして姫はもう既に、ハル? 君と結ばれることは諦めています」

「…………そう、ですか」


 あれで姫は、真剣に俺のことを想ってくれていたのですね。

 それだけは、はい。分かりました。

 続きを、お願いします。


「姫が受け入れたことを、私がとやかく言う筋合いはありませんので」

「まあ、そうですね」

「私も積極的に反対はしませんでした。ただ、ひとつだけ王に願い出ました」

「……ミスリル王に、ですか?」


 はい、と師匠。


「せめてもう一度。一目だけでも。姫をハル、君と会わせてあげたかったのです」

「……ああ。それで、あの三ヶ月前の」

「はい。辞表を手に王に迫った甲斐がありまして、それは何とか承諾を得ました」

「辞表、ですか。首を賭けたんですか。すごいっすね師匠」


 弟子である姫の為ですから、当然です、と師匠。

 さすがです。さすが弟子思いの師匠です。カッコいいです。


 しかし、そりゃミスリル王も困ったろうなあ。

 本心で言えば、姫を俺に会わせたくはなかったのだろうけど。


 だからと言って師匠の願いを無碍に断るわけにもいかない。

 こんな偉大な魔術師に逃げられたら責任問題だもんなあ。


 あれ? じゃああれは?

 あの書置きの話は?


「ああ。あれですか。冗談ですよ。冗談に決まってるじゃないですか」

「冗談……」

「『旅に出ます』なんて書置き残して姫が失踪なんてしたら大問題ですよ?」

「いやまあ、そうですけどね。確かにそうなんですけどね」


 師匠、表情が変わらないから本気か嘘か分かりにくいんですよ!

 俺、結構本気でそれ信じてましたからね!?


 師匠ならそれくらいやりかねないし。

 意外とヤンチャだからな。うちの師匠は。


「ハル? 君は私のことをどんな目で見ていたのですか?」

「どんな目といわれましても……。まあいいです。それより続きを」


 む、と。そんな目で一瞬だけ俺を睨んで。

 でも師匠は俺を責めるではなく、また話を元に戻す。


「パロスの町で可愛いメイドさんの手を取ってヘラヘラしているハルを見たり、転移魔法陣のある地下室で、可愛いメイドさん相手にいかがわしいことをしているハルを見たりしながら、私たちはようやくリボンの街でハルに追いつきました」


「ちょっと待ってくださいね師匠。誤解ですからね? あの当時、シャルとはそういう関係じゃありませんでしたからね? 言葉にすごく悪意を感じます。その辺ははっきり言っておきたいです」



「…………シャル?」

「…………」

「…………あの当時?」

「…………」


 やべ。墓穴を掘ったかもしれない。

 いやでもしかし。


 俺はヘラヘラしてないし!

 いかがわしいことだってしてないし!

 そこはきちんと言っておかないとね! うん!


「ハル?」

「いやまあ。俺のことはどうでもいいので。早く続きを!」


 どうでもよくはないですよ、と。

 あとできっちり説明してもらいますからね、と。

 そんな風にしっかり釘を刺してから、師匠は続ける。



「……ハル。君の泊まる宿に近づくにつれ、姫の挙動がおかしくなってきました」

「姫の挙動がおかしいのは、今に始まったことではないかと」

「前も言いましたが、姫がおかしくなるのは、いつもハル絡みなのですが」

「……はい。えっと、続きを」


 そう言われてもさあ。

 俺は思いっきりぶっ飛んだ姫様を見ちゃったしなあ。

 あれがデフォルトだと思っちゃうじゃん。



「……姫は言っていました。ハル? 君にどう接すればいいか分からない。何を話したらいいのか分からない。謝ることも出来ない。自分の結婚のことを話すことも出来ない。どうすればいいのか、と」



 謝ることも出来ない?

 結婚の話も出来ない?

 それはどういう意味ですか?



「ハル? あの当時の君に、姫が『結婚が決まりましたー! わたくし、これから幸せになりますねっ!』……と、満面の笑顔で告げてきたらどう思いました?」


「とりあえず頭から水でもぶっ掛けて追い返したと思いますよ? 問答無用で。もう二度と顔も見たくなくなったでしょうね」


 いやでもそれは師匠の言い方だって悪いよ。

 なんだそのむかつく口調。

 師匠の無表情で言われると尚更腹が立つわ。

 


「そうでしょうね。では質問を変えます。『申し訳ございません。わたくし、結婚が決まってしまいました。ハルキ様には本当に何とお詫びすればよいか……』……こんな感じで泣かれたら、ハルはどうしますか?」


「……うーん。正直、泣かれるのは困りますよね。もしかしたら同情してしまうかもしれません。そんな殊勝な態度に出られたら」


 そこまで下手に出られたら、俺だって鬼じゃない。

 許す……ことは出来なくても、うん。

 姫の犯した罪を忘れてやろう、くらいの気持ちにはなったかもしれない。

 さすがに「てんと○虫のサンバ」を歌って祝福する気にはならないだろうけど。



「……姫は、あれで不器用な子です。ハルに嫌われる為に、結婚の話を嬉しそうに報告するなんて演技は、彼女には出来なかったのですよ。だってそれを誰よりも悲しんでいるのは、他でもない姫なのですから。だから、ハルにはすぐにばれてしまうだろう。そして、姫が望まない結婚を強いられていることに気付いてしまうだろう。……だからこそ、姫は結婚の報告が出来なかった」



 えっと、嫌われる為の演技? ですか?

 それってどういう意味なんでしょう?


 そんな俺の質問を受けて、何故か師匠は顔を伏せてしまう。

 しばしの沈黙の後、ようやく口を開いた師匠。その声が、重い。



「……ハル? 姫が望まない結婚を強いられてるとしたら、同情しましたか?」

「……そうですね。同情くらいはしたんじゃないかな。そう思います。今なら」

「だから、ですよ」

「だから、とは?」



「姫の言葉を、そのまま伝えます。……『わたくしは、ハルキ様にとって憎まれる存在、疎まれる存在なのです。これからも。この先も。ずっとそうあるべきなのです。それ以外の感情、同情なんてして貰える立場ではないのです。そんなことが許される訳がないのです。ですからわたくしは、結婚の話はしません。今、ここでわたくしの口から話してしまったら、わたくしはきっと泣いてしまいます。そしてそれを見たハルキ様は、あの方はお優しい人ですから、こんなわたくしに同情してしまうかもしれません。許されてしまうかもしれません。そんなことは、あってはならないのです』……と」



 …………。



「『そして今、ここで話さなければ、いつかはわたくしの結婚がハルキ様の耳に届くことでしょう。その時には、あの方はまた、わたくしへの憎しみを思い出してくれる。ここで話さなかったわたくしを許せないと、そう思ってくださる。許されない身であるわたくしにきちんと罰を与えてくださる。だから、わたくしは、わたくしの結婚に関しては、今日は何も話さないつもりです』……。正直、もう、何と言っていいのか。何と言えばいいのか。私にはかける言葉も見つかりませんでした」



 それは、そう、でしょう、ね。


 なんだよ? なんだよその思考回路?

 同情なんてして貰える立場じゃない?


 するよ。同情ぐらいは。

 いいだろう? 同情するくらいは?

 何が彼女を。誰が彼女を。姫を。そこまで追い詰めたんだよ?


 召喚魔法陣を破壊された直後。確かにあの時は許せないと思ったけど。

 俺も頭に血が昇って、酷いことも言ったりしたけど。


 もう、あれから二年近くたってるんだぞ?

 少しは怒りだって冷めるし。

 少しは姫の立場だって考えられるようになってるんだぜ?

 どうしてそこまで……。



「そして、謝ることも出来ない姫は」

「ちょっと待ってください。師匠。そこでストップ」

「はい。何でしょうか?」

「その、『謝ることも出来ない』というのは……?」


 そこまで。そこまで反省しておきながら。

 そこまで自分を貶めておきながら。

 それで謝れないというのはどういう意味だ?


 混乱する俺を、師匠はじっと見つめる。

 あの澄んだ、冬の夜空色の瞳で。



「試みに問いますが、ハル?」

「はい」

「あの時、三ヶ月前のあの時。姫は一言でも、君に謝りましたか?」

「……えっと」



 思い出してみる。あの日のことを。

 いきなり往復ビンタを食らって。

 ベッドに押し倒されて。

 身の危険を感じて、ドレインタッチで気を失わせて。


 そしてその後。シャルの実家についてきて貰って。

 シュミットさんの病気……というか毒の正体も暴いてくれて。


 ……で、結局。その間。最後まで。確かに姫は最後まで。



「謝られていませんね。確かに。一言も」

「そうでしょうね」

「どういう意味なんです? 師匠?」

「…………」


 黙らないで下さいよ師匠。

 俺、さっきので結構びびってます。

 これ以上、姫の覚悟の凄さなんて見せつけられたくないんですから。


「……姫は、謝罪には“お詫びの品”が必要だと、そう考えています」

「お詫びの品、ですか?」


 なんだ結構まともなセリフが出たな。

 さすがの姫も「それはわたくしの命です」とまでは言うまい。


 ……言わないよな?


「ハル? 姫から君への“お詫びの品”って、何だと思いますか?」

「え? うーん。仮にも王家ですしねえ。高額な宝物、とかですか?」

「外れです。金額的な価値では測れないものですよ」

「……と、いいますと?」



「それはですね。ハル。君を元の世界に帰すこと、ですよ」



 …………。


 いや。いやいや。ちょっと待ってほしい。

 あるの? そんな手段?


 召喚魔法陣は、木っ端微塵に破壊されたよね?

 あれ以外にも帰れる方法があるってことなの?

 姫はその秘密を握っているの?

 どうなんです師匠? 本当のところは?



「……王宮の書物庫にも、召喚魔法陣のことを書いた本は、ありませんでした」

「……そりゃそうでしょう。そんなものがあったらきっとリリス様が」

「そうですね。リリス様が改めて召喚魔法陣を書いてくれたことでしょう」

「なら、姫はどうやって俺を元の世界に帰そうと?」



 師匠は唇を噛む。表情は変わらない。

 だけどその雰囲気が。握り締められた手が。震える肩が。

 師匠の心情を。内心の動揺を。それを雄弁に語っていて。



「……組み立てているんですよ。壊された魔法陣を。その土台から」



 組み立てて、いる?

 えっと。それはつまり。


「バラバラに破壊された魔法陣、その土台を、その破片を、一個一個」

「師匠。ちょっと待ってください。それって、あの瓦礫の山を、ですか?」

「そうです。数千の瓦礫の山。それを。その欠片を、ひとつひとつ手にとって」


 

 ……いやまさか。そんなことが可能なのか?

 


 俺は目の前にある転移魔法陣に視線を向ける。

 一辺が10m程の、正方形の巨大な石板。


 床から少し、10cmくらいだろうか? 段差が作ってあるそれ。

 まるで演劇に使う舞台のようにも見える、転移魔法陣の土台。


 その中央に描かれる、こちらの直径は8mといったところか?

 真円の中に描かれた複雑な文字。紋章。マーク。その他いろいろ。


 これが転移魔法陣であり。

 基本的な構造は召喚魔法もこれと変わりはない。

 描かれている魔法陣の複雑さや大きさが変わるだけである。


 つまりは転移魔法陣も召喚魔法陣も、巨大な石板の上に書かれていた訳であり。

 そしてそれは、土属性魔法の【岩弾砲】でもぶちこめば、簡単に壊れる。



 ……そうして壊された直後の召喚魔法陣を、俺はこの目で見ている。



 建築現場というよりは、解体現場のように。

 ただ何千もの瓦礫の山と化した、“元”召喚魔法陣の姿を。



「……組み立てられるもの、なんですか? あんなバラバラになって」

「物理的には、あるいは。可能性は零ではないかも知れませんね」

「仮に、仮にですよ? 組みあがったとして、魔法は作動するのですか?」

「しないでしょうね。組み立てたとしても線自体は切れてしまってますから」


 だったらその行動に何の意味が。

 姫の行動にはどんな意味があるのですか?



「作動は無理でも、書かれていた魔法陣を読み取ることはできるかもしれません」

「……あ」


「完璧な状態ではないでしょうが、でも、それでも大部分は複写できるでしょう」

「……なる、ほど」


「その不足部分を解明できれば、召喚魔法陣を書くことが出来るかもしれません」

「……でも、ですが」


「勿論それには長い時間がかかるでしょう。かけても無理なことかも知れません」

「……です、よね?」


「でもそれは、姫に残された、姫自身で出来る、たった一つの手段なのですよ」

「…………」



 それはまるで、完成見本のないジグソーパズル。

 いや。あれは平面だからな。こっちは立体だ。

 その分、難易度も跳ね上がる。


 それが、何千。下手すれば万というパーツに分かれている。

 そんなもの、誰が組み立てようと考えるのだ。


 どれほど長い時間、気の遠くなるような時間をかければ。かけても。

 それが完成することはないのではなかろうか?



 ……積んでは崩される、賽ノ河原。無間地獄。



 俺の頭に浮かんだそのイメージは。

 あながち間違ってはいないと、そう思う。



「ハル? 君が出て行ってしまった後の姫は。確かにしばらくの間は、ただただ子供のように泣くばかりでした。ですが彼女は立ち上がった。立ち直った。ハルに、君に心から謝りたいと。誠心誠意謝罪したいと。そう言いました」



 それは、はい。

 確かに前にも聞きました。師匠から。



「しかし姫は、こうも言ったのですよ。『謝るだけでは、それは本当の意味での謝罪ではありません。罪を償ってこそ、初めて謝ることが出来るのです。わたくしはそう思います。ですからわたくしは、ハルキ様を元の世界に戻す、その手段を見つけるまでは、あの方に謝ることすら許されない。ハルキ様に謝罪する為には、最低でもそれくらいしてからでないとその立場になれません。そこまでして初めて、わたくしは謝罪することが出来る、そういう立場になれるのだと、わたくしはそう思います』……姫が何故、こんな風に考えてしまったか、考えてしまうようになったか。ハル、君には分かりますか?」



 わかりません。

 どう考えたらそういう思考になるのか、俺には全く分かりません。


「ハルは優しいから。姫が謝ったら許してしまうかもしれないから、ですよ」

「……素直に謝られたら、そうですね。そうかもしれませんよね」


 悪いことしたら謝る。

 謝られたら許す。


 勿論程度の問題はあるのだろうが。

 それは当り前のことなんじゃないだろうか?



「それを姫は、自分自身で許せなかったのですよ。ハルに許されることを。ハルに対しての贖罪を果たす前に、自分だけが無条件で許されてしまうことを。それを姫は恐れたのです。だから、姫はあの日、謝ることが出来なかったのです」



 ああ。姫様。アイリス姫よ。

 お前は本当に、本当にさあ。

 もう、何て言っていいのか、俺にも分かんねえよ。



「……だから、姫は困ってしまったのですよ。ハル、君と会う時に」

「そうでしたか……」


 謝れない。

 結婚の話も出来ない。

 なら一体どうすればいいのか、と。


「いっそ、会わないという選択もあったのでしょうが、それは私が止めました」

「師匠が、ですか?」

「だってそこまで思い詰めているのです。せめて一度くらい会わせてあげたいと」

「……そうですね。はい。俺が師匠でも、そうしたと思いますよ」


 もういいだろう、と。

 それだけ悩んで苦しんだのなら、もういいだろう、と。


 俺なら多分、言ってしまう。きっと。

 本人の。そして当事者たちの気持ちも考えずに。きっと。


「その結果があれです。勢いだけ。勢いだけの行動で。肝心な話は一切せずに」

「……つまりあれは、演技だったってこと、でしょうか?」


 頭のおかしい聖女様の。

 頭のおかしい行動全ては。



「正直に言いますね。最初のビンタ。あれくらいは姫の本心であってほしいと、私はそう思っています。嫉妬ぐらいはしてほしいと。それくらいの、あの年頃の女の子の当たり前の感情くらいは見せてほしいと。……でも、どうでしょう? あれも演技だったのかも知れませんし、そうじゃないのかもしれません。私にも分かりません。……もしかしたら、本人にも分かっていないのかも知れません。あるいは全部が全部、演技でも何でもなく、動揺して混乱してしまった故の行動なのかもしれません。私には分かりません」



 ああ。うん。そうか。そうですか師匠。

 師匠が理解できないほど、姫はテンパっていたのですね。

 そりゃ頭がおかしくも見えるよ。うん。

 何も知らない俺からしたらさ。


「ですが。ハル? ハルだって相当鈍いと思いますよ?」

「へ? そ、そうですか?」


 師匠はそこで、また指先を立てた先生のポーズ。

 腰に手まで当てちゃって、お怒りのご様子である。


「だって。おかしいと思いませんでしたか? あれだけ、その、は、破廉恥な言動を繰り返した女の子が、ですね。いざ男がその気になったら。そんな雰囲気になったら。『肌を見せるのが恥ずかしい……』……ですよ? 言いませんよそんなこと。最初から本当に抱かれる……というか、抱く覚悟があったら」


 ああ。はい。そう言えばそうですよね?

 脱がせようとしたら(振りだけだったけどさ)急に大人しくなりましたものね。

 それは確かにおかしいですよね。

 あんなに散々、肉食系女子の振る舞いを見せておいて。


 ついでに思い出せば、それ以外もおかしなことはあったんだよ。


 アルフォンス家でも、姫は俺の部屋に忍び込んできたりしなかったもんな。

 風呂場に乱入してくることもなかった。


 最初から全部、演技だったという訳か。

 ああ。もう。畜生。すっかり騙されたよ。



「……ここまで話したので。私も最後に」

「はい? えっと、何でしょうか? 師匠?」



 言葉が途切れた一瞬の後。

 師匠はそう言った後、まっすぐ俺を見つめ、そして頭を下げた。



「ハル。……いいえ。ハルキ・ヤマミズさん。私も謝罪致します。私は君の、あなたの優しさに付け込みました。姫に同情していた私は、姫の罪悪感が少しでも薄れるようにと、あなたの気持ちも考えずに、姫を使う、いえ、使って“あげる”ことを提案しました。勿論そこには、ハルキさん。弟子である、弟子であったあなたの役に立ちたいという私自身の希望もありました。ですが、それはあくまでも二次的なものです。本当の理由は勿論、姫の抱えている罪悪感。それがほんの少しでも、鳥の羽一本分でも軽くなることを願ってのことです」



 頭を下げたまま、師匠は続ける。

 俺に言葉を挟む余地のない早さで、彼女は更に続ける。



「申し訳ありませんでした。私は不祥の弟子ならぬ、不祥の師匠です。あなたに師と呼んで貰えるような、そんな人物ではないのです。あなたを騙していました。その優しさに付け込んでしまいました。甘えてしまいました。許してくれ、なんて言葉は言えません。ですが、恥を忍んで、それでもお願いしたいのです」



 ようやく頭を上げてくれた師匠の目の色は。その表情は。

 いつもと変わらず、硝子のように透明で何も読み取ることは出来なかったけど。



「私と共に、戦って、貰えますか? 囚われの姫を助ける為に」



 俺の胸に当てられた師匠の手が。

 その繊細な指先が。

 震える細い肩が。


 それがどんな言葉よりも。どんな表情よりも。

 雄弁に。百万の言葉よりも雄弁に。

 師匠の心情を表していたから。


「……では。ひとつだけ条件があります」

「……なんでも。なんでも言ってください」


 だから俺は、条件を付ける。

 たったひとつだけ。ひとつだけの条件を。

 俺にとっては譲れない、絶対に譲ることが出来ない、たったひとつの条件を。



「……俺を、また弟子と呼んでくれますか? この先、ずっと。死ぬまで」



 一瞬の自失の後。


 俺の師匠は。俺の唯一の師匠は。

 自分の表情を隠すように顔を伏せ。

 俺のローブを掴んだ手に力をこめて。


 そしていつもの声で、ただ一言。

 いつもの感情の乗らない、平坦な声で一言。


 でも、俺にとっては何よりも嬉しく。

 何よりも貴いと思える一言を。



「ハル。私はあなたの師であり続けます。誓います。これから、ずっと。一生」



 そしてその後、更にもう一言。

 囀るようにして、小さく、呟いたのだ。



「もう、離れませんから。あなたが元の世界に帰る、その日が来るまで。絶対に」



 抱き締めたその体は、軽くて、そして少し震えていて。

 俺はきっと、今日という日のことを、一生忘れないだろうと思った。



「元の世界に帰れたとしても、俺の師匠は生涯貴女ただ一人だけです。一生、ね」



 ――敬愛する師匠に、二度目の弟子入りを果たした、今日という日のことを。



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