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第一話 けじめと責任

 けじめはつけなくてはいけない。

 責任は取らなくてはいけない。



 ――スズ公国リボンの街、南門前にて。



 強い意志を固め終えた俺は、その堅固な扉を見上げる。



 今日まで何度も通った、この街。

 明日からは堂々と通ることは出来ないかもしれない、この門。


 魔法大国、ミスリル王国。

 この世界における、人族の最大勢力。

 それを敵に回す覚悟は、決めた。


 師匠を助ける。

 姫と話をする。


 思えばシンプルな俺の行動理由。

 お金でもなく、地位でもなく。

 ただただ、人の為に、縁の為に、動く。


 その第一歩となるのが、この街。


 昨日までの自分にけじめをつける行為。

 昨日までの自分に責任を取る行為。


 俺がまだ、王国の正式な敵になる前に。

 どうしてもしておかなければいけないこと。



 ――不退転の意思を持ち、俺は、その第一歩目を……。



「あっれー? ハルキ君じゃん? 久し振りー」

「…………っ!?」



 その能天気な声が耳に入った瞬間。反射的に上げられる右腕。

 籠められる魔力。魔法の弾丸が発射される直前。


「ちょっちょっちょっ!? ハルキ君ちょっとストーップッ!!」


 慌ててわたわたと手を動かし。それを揃えて頭上高く掲げ。

 降参のポーズで叫ぶ、銀色の髪の少年。


「え? ちょっとハルキ君酷くない? 声かけただけで攻撃してくるとか?」

「いやだってお前だし。俺、襲撃されたことあるし。油断できねえし」

「あれは依頼だったって言ったじゃん! 僕自身は君に敵意なんてないよ!」

「信じられ……いや。ま、いっか」



 ……ようやく警戒態勢を解いて、改めて奴の姿を目に入れる。



 くすんだ銀髪は、前に会った時よりも少し伸びていて。

 前から華奢だった体は、なんかさらに細くなったような気がして。

 でも、愛嬌のあるその表情に変化はなくて。


 ボロボロの、穴だらけのマント姿。

 なんだお前。それ買い直してないの?

 いやまあ、その穴を開けた俺自身が言うことじゃないのかもしれないけど。


「で? なに? 何の用? 俺、忙しいんだけど?」

「うっわー。久しぶりに会ったというのに冷たい対応だねえ……」

「自分を攻撃してきた人間に優しく対応できるほど、俺は人間が出来ていない」

「それ言ったら僕なんか君に殺されかけたんだけどなあ……。ま、いっか」


 何やら複雑そうな顔でぶつぶつ呟いていた銀髪の少年は。

 そんな諸々の思いにあっさり蹴りをつけたように、明るい声で言う。



「とりあえず、ハルキ君。ご飯奢ってよ」

「……へ?」


「『……へ?』じゃないよ。前に約束したでしょ?」

「約束ってお前……。俺にだって予定ってもんが」


「いやお願い。いや頼みます! もう何日もまともに食ってないんですよ僕!」

「まともに食ってない……? え? 何してんのお前?」


「いいからいいから! そういうのも全部説明するから! だから、ね!」

「あ、ちょ、お前! ローブ引っ張るな伸びるだろこれ高いんだからな!?」



 ――こうして俺は。数分前の固い決意を蔑にされ。



 銀髪の少年、カル・ベルンに無理やり引っ張られ。

 冒険者ギルドの中へと連れ込まれたのである。



    ×   ×   ×



「……ふぅ~。お腹いっぱいだ。ご馳走さん。ハルキ君」

「……人の金で、よくそこまで遠慮なく食えるな。お前……」


 君に言われたくないよ、と。食後の茶をすすりつつ言うカル。

 目の前には山のように積まれた、空っぽの皿多数。

 本当に何の遠慮も加減もなく、好きなだけ食いやがったぞこいつ。

 人の金で。


 いくら冒険者ギルドの安い飯とはいえ、ちょっとお前これはさあ……?

 確かに前にこいつの奢りだった時は、俺も死ぬほど食ったけどさあ。


 いやまあ、それはともかく。


「何でお前こんなことになってんの? 金、無いの?」

「……君がそれを言うかなあ……」


 じとーっと。湿り気のある目で俺を睨むカル。

 あれ? 俺こいつに恨まれるようなことはしてない筈だぞ?


 逆に命を助けてやった恩がある筈。

 こんな目で睨まれる覚えはないぞ?


「あれですよハルキ君」

「なんだよカル・ベルン」

「僕は君に負けたんですよ」

「ああ。うん。それで?」



「『それで?』じゃないっすよ。水剣流【戦術級】剣士カル・ベルンはですね、無名の配達人兼魔術師の某少年に完膚なきまでに叩きのめされちゃったわけですよ。もう名声は地に墜ちちゃった訳ですよ。食客として世話になっていたオスカー家からも見捨てられちゃった訳ですよ。どうしてくれるんですかこれ?」



 いやどうするって言われてもお前さあ。

 だからって黙って殺されてやる訳にもいかねえだろうが。


「悪いことは重なるものでさ。僕、ちょうど貯金はたいて高い買い物した直後で」

「あらま」

「ほぼ一文無しで着のみ着のまま、この街に放り出されちゃったって訳ですよ」

「そりゃ少しは同情するけど。でも、ミッテンベルグ家に勧誘されたんだろ?」


 それ受けてればこんなことにはならなかったんじゃねえの?

 少なくとも、毎日の食事に不自由するような身分にはならなかった筈じゃ?


「んー。さすがにねえ。投降した相手に食わせて貰うのも、ねえ?」

「『武士は食わねど高楊枝』……ってやつか」

「なにそれ?」

「俺の故郷での諺だよ。気にするな」


 まあ、確かにな。

 仮にも【戦術級】の称号を持つ男だ。

 その辺、譲れないところもあるんだろう。きっと。


「ま、だからさ? 当分の間は、フリーでやっていこうかな、ってね」

「ふーん。いいんじゃないの?」

「ちょうどいいタイミングで、高額の賞金首も現れたしね」

「ああ。そりゃ運がよかっ……うん? 賞金首?」


 これこれ、と。カルが差し出してきたその紙。

 一目見て分かった。

 だってこれは。俺が。俺自身が。何度も何度も、穴が開くほど。

 見た、見せつけられたものと、同じ名前が書かれていたから。


「五千万コルだってさ。賞金」

「…………」

「やー。さすがは【戦術級】魔術師だねえ。賞金も桁違いだよ。うん」

「…………カル」

「これをやれれば、当分はお金に困らないよね」

「…………カル、あのさ」



「ああ。そうだハルキ君? どうせなら僕と一緒にさ、これ」

「カルっ!!」



 カウンターに叩きつけられる拳。踊る木製の皿。

 笑顔のまま固まる少年の顔。血の気を失った俺の顔。



「……えっと。どうしたの? ハルキ君?」

「……その賞金首を追うのは、やめろ」


「うん? どうして?」

「…………」


「ハルキ君が狙っているから?」

「……いや。違う」


「ならば、何故?」

「…………」


 ふう……と。溜息をひとつついて。カルは続ける。

 俺を責めるのではなく、諭すような口調で。


「あのねハルキ君? 『その賞金首は狙うな』。君がそう言いたいのは分かった。でも、その理由は教えてくれない。それじゃ僕だって納得できない。君の言葉に従うにしろ何にしろ、このままじゃ気持ちが悪い」


 理路整然と。数学者が簡単な数式を展開するように。

 自分の気持ちと俺の理不尽さを指摘する少年。


「せめて、聞かせてよ? 君がそれを止める理由を、さ」

「…………」

「話してくれないなら、僕はやるよ? お金に困ってるのは事実だし」

「…………」


 そうだ。そうなのだ。無理を言っているのは俺の方なのだ。

 俺にカルを止める権利など、どこを探しても、ない。


 だったら。ならば。


「……なあ。カル? お前に聞きたいことがある」

「なにかな?」

「お前さ? 今は本当にフリー? どこかの貴族についてるってことはない?」

「ないよ。ないから困ってるってさっき言ったじゃん」


「『契約と約束の女神 リリス様に誓えるか?』」

「『リリス様の蒼い瞳と髪にかけて』」


 水剣流の別名は「リリス様の剣士」。

 だったらカルが。水剣流の剣士が。

 リリス様の髪と瞳に誓うのなら。その言葉は信じられる筈。

 今のこいつには、貴族との繋がりは、ない。


「……今から話すことは、他言無用だ」

「はいよ。了解した。約束する」



「……その人は、偉大なる魔術師アイラ・ハルラは、俺の師匠なんだよ」



 俺はまず、その言葉から始め。

 自分と、自分にまつわる、この二年間の話を、全部打ち明けた。



   ×   ×   ×



「……なるほどねえ。うん。そっか。そういうことか」

「ああ」



 長い話が終わり、頼んだお代わりの茶の数が三杯目になった頃。

 カルは驚きの色は隠さずに、でも、俺の言葉自体を否定はしなかった。


「そういう事情なら仕方ない。この件は諦めるよ」

「……そいつはありがたいけどさ、また随分素直に信じるもんだな。俺の話を」


 自分で言うのもなんだけど、結構荒唐無稽な話だと思うぞ?

 特に俺が異世界から召喚された勇者だって辺りとか。


「信じるよ? 信じるに決まってるじゃん」

「根拠は?」


 簡単なことだよ、と。

 本当に何でもないことのように、カルは続ける。



「僕はね、ハルキ君? お伽話は信じないけど、自分の剣は信じる。この剣と共に生きてきた今日までの自分は信じられる。自分の強さは信じられる。だからさ、そんな僕を完膚なきまでに負かしたハルキ君がさ、ただの魔術師だったってほうが信じられなかったんだよね。勇者だったって言われたほうがしっくりくるよ」



 それは多分、積み重ねてきた修練が漏らした言葉。

 自分の強さを。剣を。それだけを信じることができる者だけが、言える言葉。

 それを胸を張って言えるのが、この剣士の強さの所以、なのかもしれない。



「……そうか。まあ、うん。信じて貰えるのならありがたい」

「信じるけどね。信じるけどさ。君、馬鹿だよねえ?」

「……馬鹿?」

「馬鹿だよ。大馬鹿だ。国家と喧嘩してどうするのさ?」


 真剣な目で、カルが俺を見つめる。

 そこに冗談や揶揄の色は、一切存在しない。


「勝てると思ってるの?」

「どうだろうなあ?」

「死ぬよ? きっと」

「死ぬか。そうかもしれないよなあ。……やっぱ、馬鹿なのかもな。俺」


 バカで結構。今の俺にとって、それはむしろ褒め言葉だ。

 師匠を見捨てる卑怯者よりは、師匠に殉じて死ぬ馬鹿の方が、何倍もいい。


 そんな達観した気持ちにいる俺のことを、怪訝そうな目で見るカル。

 彼はやがて、何かを思いついたように手を打つ。


「そっか。なるほど。それでこの街へ来たのか」

「うん? なんだカル? 俺の目的、わかってんの?」

「行き先はミッテンベルグ家。要件は同盟の破棄。そんなとこだろう?」

「正解」


 けじめはつけなくてはいけない。

 責任は取らなくてはいけない。


 この俺の私的な戦いに、ミッテンベルグ家を巻き込んではいけない。

 同盟を結んだ早々、一方的に破棄を告げる不義理者の俺。

 メイル侯爵はきっと怒るだろうけど、これしかないんだよな。

 俺は俺を認めてくれたあの貴族様に、これ以上迷惑はかけたくないのだ。


「だったらハルキ君さ、面談は駄目だよ? 手紙にしておきなさい」

「手紙? 直接会わずに同盟の破棄って、そっちのほうが失礼なんじゃ?」


 いやいや、と。カルは首を振る。


「この場合、手紙一択だよ。それ以外の方法はない」

「理由は?」

「ひとつめの理由。屋敷に行ったら、君、確実に止められるよ?」

「いやまあ、それは覚悟の上だけど」


 自分の同盟相手が国家相手に喧嘩を売ろうというんだ。

 メイル侯爵でなくとも止めるよ。そりゃ。

 

「そういう意味じゃない。君は何も分かっていない」

「……なんだよカル。じゃあどういう意味なんだよ?」



「ミスリルを構成する、一王家三公国。この結束は絶対なんだよ。国力とか兵の数とか、三公国は確かに本家である王国に近づいてはいるよ? でも革命でも起きない限りは、やっぱり形式上、三公国はミスリルの一貴族領に過ぎない。その壁は越えられない。だからこそ、三公国の貴族は、ミスリルの敵を許さない。主君であるミスリル王の命に逆らえない。……ミッテンベルグ家のメイル侯爵。あの方は立派な貴族だ。そして立派な貴族であるからこそ、その大原則には絶対逆らえない」



「……ってことは、つまり?」

「ハルキ君の話を聞いた途端、君を拘束するだろうね。間違いなく」

「スズ公国の貴族であっても、ミスリルには逆らえないってことか?」

「力の問題じゃないよ。これは貴族の義務だ。そしてあの方はそれを順守する」


 そうか。なるほどな。

 改めて言われれば納得もする。


 ミスリルの一王家三公国。

 人族最大の都市国家群。


 俺はその全てを敵に回すことになるのか。

 ミスリル一国ではなく。三公家全てを。


 ああ。うん。馬鹿だ。そりゃカルだって馬鹿にするさ。

 俺だってそれが自分のしでかしたことじゃなければ、馬鹿にするだろうさ。


 いやまあ、それはともかく。


「……だから、手紙か」

「そう。そして理由はもうひとつある」

「うん?」


 そのひとつでも十分なんだけどな。

 まあ別に止める理由もないし、聞くけどさ。


「このあと、ハルキ君。君は反乱を起こす訳だよね?」

「反乱って意識はなかったけど、まあ、そうなるかもな」


「ミスリル王国と戦って、そして負ける」

「負けるのが決定なのか」


「そして拘束され処刑されるか、その場で死ぬ」

「死ぬことまで決まってるのか」


 随分とまあ、あっさりと断言してくれるものだ。

 こいつには優しさが足りない。



「その時にね? きっと調べられると思うよ。いろいろ。拷問もされるだろう。ハルキ君が苦しむのは自業自得だとしてもさ、それでミッテンベルグ家との繋がりを指摘されたら? それが発見されたら? メイル様だって窮地に陥るよ? その時にさ、『ハルキなる人物は当家とは関係ない』って証明できるように、きちんと文章で残しておく必要があるんだよ。同盟の破棄をね」



 途中酷いセリフが挟まったような気がするけど。

 うん。まあ。言いたいことは分かった。

 要は証拠を残しておけってことだ。

 俺とミッテンベルグ家が、正式に切れているってことを。


「OK。わかった。手紙にしておくよ」

「そう? じゃあ僕が届けてあげるよ」

「悪いな」

「いや。いいよ。その代わり、僕のほうからも頼みがあるしね」


 頼み? なんだ? 金ならあるけどないぞ?

 貯金は全てこの革袋に詰めてきたからな。宝石とか魔石に代えて。

 これはいろいろと手をかけてお金もかけてくれた侯爵への賠償金だからな。

 残念ながら、カル。貴様に渡す分はないんだ。


 そんなことを考える俺に向け、奴が放った一言。

 それは完全に俺の想定を超えていた。



「その戦い、僕も連れて行ってくれないかな?」

「……え? お前馬鹿なの? 国家相手に喧嘩を売るんだぜ俺は?」



 何ら気負うことなく。まるで今日の晩飯の内容を決めるような口調で。

 目の前の少年剣士は、そんな物騒な言葉を吐く。



「そのセリフ、ハルキ君。君にだけは言われたくなかったなあ」

「いやだってそいうだろうお前? 散々人のこと馬鹿だ馬鹿だと言っておいて」

「今でもそう思っているよ?」

「だったら何故?」


 少年は笑う。発言内容とは裏腹に、すっきりとした笑顔で。

 自殺願望があると取られかねない、そんな発言の後で。


「ハルキ君。今の僕は、剣士としては終わっている状態なんだよ。【戦術級】の称号すら取り上げられかねない。君に負けたからね。無名の魔術師の、君に。そんな噂が広まった後では、剣で飯を食っていくことなんてできない。そして僕には剣しかない。つまりこのままじゃ野垂れ死にしかない訳だ」


 いや別にそんなことはないんじゃないかなあ?

 剣客をやめて冒険者にでもなればいいのに。

 お前の腕ならきっと、どこのパーティーでも受け入れて貰えるぜ?


「言ったでしょ? 僕は剣で食っていきたいんだよ。剣客としてね。でも、そうなるには名声を取り戻さなきゃならない。強大な相手に勝たなくちゃならない。だったらさ、いっそのこと最大の存在に。この大陸最大の国家に。喧嘩を売ってみるのも面白いかな、ってね?」


 いやまてお前。

 そんな理由で決めるなよ。

 死ぬかもしれないんだぞ?

 そこんとこもう一回、よーく考えてみろって。


「だからさ、どっちにしても死ぬんだよ僕は。それが討ち死にか野垂れ死にかの違いがあるだけでさ。その二択なら、なら僕は、剣で死にたい。……まあ、それにこれは。この理由はさ、後付けみたいなものだしね」


 後付け?

 後付けってことは何か?

 本当の理由があるってことか?

 お前もミスリル王家には恨みがあるとか?



「ミスリル王家に思うところなんてないよ。ただ僕はさ、友達の為に、困っている友達の力になりたいだけなんだよ。その友達が自分の命を救ってくれた恩人だとしたら、尚更だよね。……ねえ? ハルキ君? 君は一度、僕の命を救ってくれた。だから僕も、一度だけ、この命を君の為に賭ける。それでチャラだよ。対等だ。僕は君と対等の友人関係でいたいからね。これからも、ずっと、ね」



 少年は。水剣流剣士カル・ベルンは。俺の悪友は。

 そんな風に、そこまで言い放った後で。最後にこう付け加えた。

 約束を大事にする、「リリス様の剣士」らしい一言を。



「だから、戦いになる時は言ってね。ちゃんと声をかけてね。約束だよ」



   ×   ×   ×



 ――その日の夜。出発の直前。パロスの自宅にて。



「ご主人様ー? ご主人様ー? 携帯食はどれくらい必要ですかー?」

「携帯食? ああ、それはそんなにいらないよ。無しでもいいくらい」

「そうなんですか? だってアイラ様を探すんじゃ?」

「行き先に心当たりがあるんだ」


 いそいそと。俺の旅準備を整える我が家のメイドさん。

 さっきからこうして、一瞬たりとも立ち止まることがない。


「ほう。心当たり。さすがですねえ、ご主人様は」

「数ヶ月もの長い間、見つからず身を隠しておけるのはあの場所しかないし」

「ふむふむ」

「それに、もし既に見つかっていたとしたら携帯食なんて……なんでもない」


 ミスリル王国とこのノアの街は、時間的距離にして三ヶ月。

 つまり、あの手配書が発行されたのは三ヶ月前。


 三ヶ月もの互い期間、身を隠しておける場所といったら、あそこだ。

 あそこしかない。その確信が俺にはある。


 そして仮に。仮に、だ。

 仮に、既に師匠がミスリル王家に捕まっていたとしたら。


 その時は携帯食どころの話ではない。

 まっすぐ王宮に突っ込むだけだ。

 邪魔するものは全て、力で排除して。


 ただまあ、それは最悪の予想だし。

 それを口に出すのは何やら不吉でもあるし。

 言魂って、本当にあるらしいしね。


「ふむ……。じゃあ代わりに魔力回復の魔石……も、いらないんでしたね」

「そうだね。俺だしね」

「そうするとあまり、用意するものもありませんねえ」

「なるべく軽くしてくれればいいよ。うん」


 わざわざ高価な魔石を使わなくても、俺は自力で魔力を回復できる。

 あんな重くて嵩張る物、俺の旅には不要である。高いんだけどね。


「となると、あとは……。ああ、そうだ」

「うん? なに? シャル?」


 俺愛用の鞄を手にしたシャルがくるりと振り向く。

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて。ちょっとだけ舌も出してみたりして。



「……下着も、予備は持たないほうがいいですか?」

「……下着は、適度に、入れてください」



「えへへ。はい。今回もちゃんと、忘れずに入れておきますね」

「……お願いします」


 それは、ちょっとだけ懐かしいセリフ。

 俺とシャルの、初めての旅の前に交わされた、そのセリフ。

 まだ彼女が俺のメイドではなく、お客様だったころに発せられたセリフ。


 よくもまあ、そんなことまで憶えているものだ。このメイドさんは。

 いや、うん。俺の方も、ちゃんと憶えていたけど、さ。

 やっぱりこの子は、完璧なメイドさんだ。


 あ。そうだ。そういえば。完璧といえば。


「それにしても、よくルーデルさんを説得できたなあ」

「別に説得なんてしていませんよ? わたしは交渉しただけです」

「交渉……ねえ?」

「はい。交渉です」


 その交渉で今まで週一回だったミッテンベルグ家パロス屋敷からの人材派遣を、週五回のフル出勤に変えてきたメイド様はそう仰りましたよ。自然に。


 そう。そうなのだ。俺がスズ公国に行ってる間。

 彼女は遊んではいなかった。

 俺が頼んだでもないのに、自発的に。自ら進んで。

 ミッテンベルグ家のパロス屋敷に、交渉に乗り込んだのだ。


 当方の事情、その全てを話すことと引き換えに。


「ルーデルさん、何か言ってた?」

「えっと。長くても五ヶ月、短ければ三ヶ月限り、だそうです」

「期限、きられたんだ?」

「それはまあ、しかたないかなあ、と」



 ……今回のこの措置、パロス屋敷からの援助は、ルーデルさんの独断である。



 ミッテンベルグ本家の承諾は、当然、受けていない。

 そしてミッテンベング本家は、そんな報告を受けて承諾はしない。

 

 貴族には貴族の義務がある。それは今日、再確認させられたばかりだ。

 だから俺の所業が、ミスリル王家への反逆が。それが公になったら。


 如何に本家から遠く離れているパロス屋敷のルーデルさんでも。

 罪人である俺のことを庇うことは出来ない。


 だから、『長くても五ヶ月、短ければ三ヶ月限り』なのだ。

 ミスリル王国から手配書が回るとすれば三ヶ月。

 スズ公国の本家から指示が来るとすれば五ヶ月。


 その間は、「知らなかったこと」として、俺を援助できる。

 ルーデルさんはそう言ってらしい。



「……大胆だよね。あの人も」

「『自分は貴族ではありませぬからな』……ですって」

「ああ、なるほどね」

「でも、本家から指示が来れば、さすがに庇えません、とも言ってました」


 そりゃそうだろう。

 ここまでしてくれれば十分だ。


「ついでに万が一に備えて、当面はわたしも、夜はパロス屋敷に御厄介になることにしました。だからご主人様? わたしのことはどうかご心配なく」


 至れり尽くせりだな。

 いつかこの恩を返せる時が来るといいのだけれども。



「……ですから、はい」



 差し出されたものは、俺愛用の鞄と、黒ローブ。

 旅の準備は、もう、全て終了した。



「いってらっしゃい、ませ」

「いって、きます」


「……ご無事を、お、お祈り、申し上げています」

「……えっと」


「……な、なんですかぁ? ご、ご主人、様?」

「……止めないんだね? シャルは?」



 その一言で、決壊。

 目に貯めていた涙が、堪え切れずに流れだす。

 彼女の奇麗な頬を、静かに濡らす。



「止めたら、止まってくれますか?」

「…………」


「わたしがここで泣いて止めたら、ご主人様は止まってくれるのでしょうか?」

「…………」


「止まってくれませんよね? そういう人ですものね。ご主人様は」

「…………」


「誰かの為に。自分以外の誰かの為に。すごく頑張っちゃう人ですものね」

「…………」


「だから、止めません。ご主人様のそんな所、わたしは大好きですから」

「…………ごめん」



 ポスンと。彼女の茶色い髪が。形のいい額が。

 俺の胸に押し当てられる。



「……本当は、一緒についていきたい、です」

「…………ごめん」


「でも、わたしがついていっても、足手まといになるだけ、です」

「…………ごめん」


「だから。頑張るんです。わたしはわたしで。この場所を。この店を」

「…………ごめん」


「わたしとご主人様の店、【ヤマミズ郵便局】を、守るために」

「…………ごめん、じゃない。ありがとう。シャル」



 彼女は、言わなかった。


 俺が自分の過去も、気持ちも、これからどうしたいかも。

 その全てを打ち明けた時にも。


 言わなかったのだ。彼女は。

 自分も連れて行けという、その一言は。その一言だけは。


 本当はついて行きたいのだろう。

 俺を責める気持ちも、きっとあるのだろう。


 でもそんな我儘は一言も言わず。

 俺を責める言葉も、恨む言葉も、口にすることはなく。


 ただ、彼女は選んでくれたのだ。

 俺たちの店を守るということを。



 ――俺の帰る場所を、しっかりと守るという選択を。



「ひとつだけ、約束です」

「うん」



 目を伏せたまま。顔は俺の胸に埋めたまま。

 彼女はそっと。自分の小指を立てる。



「必ず、絶対に、無事でお帰りください。わたしの願いは、それだけです」

「……約束する。シャルのいるこの店に、俺は絶対に帰ってくるから」



   ×   ×   ×



 ミッテンベルグ家との同盟を一方的に破棄し。

 カルには助力の約束を貰い。

 ルーデルさんには留守を守って貰って。

 そしてシャルを泣かせてまで、家を出たのだ。


 俺に失敗は許されない。俺が失敗を許さない。

 これで師匠を見つけることさえできないなんて、そんな無様は晒せない。



 ……だから、俺はその場所に。唯一の心当たりに。まっすぐ向かった。



 そしてその予想は違わず。

 師匠は。俺の大事な師匠は。

 やはりその場所に、この安全な場所に。

 ひとりで、ひとりきりで、眠っていた。


 前よりも少し、瘠せたかもしれない。

 絶対、疲労困憊している。


 だって師匠、目を覚まさない。

 こんなに轟音が響いているのにも拘らず。

 こんなに眩しい光が溢れているにも拘らず。

 澄んだその目を開けない。起きようとしない。



 ただただ、静かな寝息が。

 微かに上下する薄い胸が。

 それだけが師匠の生存を、控え目に訴えかける。



「……師匠」



 ここは、ミスリル王国首都、ミズリーの街から約半日の場所。

 今は誰も訪れることがない、古い遺跡の中の、隠された地下室。


 つまりここは。師匠が潜伏先として選んだのは。



 ――ミスリル王国の、転移魔法陣。




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