第九話 「再会」ではなく「遭遇」
「全く。寿命が縮んだよ」
一連の流れを黙ってみていたシュミット伯爵が、ぽつりと呟く。
やれやれ……といった表情で首を左右に振る。
あー。すいませんね親父さん。
心配掛けちゃいましたか。
「それにしても、ハルキ君。君は本当に交渉が下手だな」
「そ、そうですか?」
うんうんと頷くシュミットさん。
メイル侯爵が笑いながら後を引き継ぐ。
「ああ。最初に【リリスの腕環】を出せばよかったのだ。その時点で交渉は終了したよ。我々だって女神様に逆らおうとは思わないさ。今の私の立場からすれば、それこそ喉から手が出るほど欲しいものだよ。それは」
いやまあ、そうだろうなとは思ったんだよ。
あのお姉さん女神様の加護だぜ?
誰だって欲しがるよ。そりゃ。
でもね。だからこそ。
「これを見せたら交渉は終わるなと、私もそう思ってはいましたよ。でもですね、それじゃ駄目だな、と。私はビジネスとして侯爵閣下と手を組みたかったのですから。こちらの思惑も私個人がどういう人間かということも、ある程度は曝さないと理解し合うことは出来ない、そう思いました」
そして互いの理解なしの同盟、それは脆いんじゃないか、と。
何を考えているか分からない相手。
それを心から信じることは出来ないんじゃないか、と。
「ですから、【リリスの腕環】に関しては、最後まで黙っていたのです。そこまでの交渉で、自分のやりたいことをきちんと伝えて、それで反応が悪かったらこの件は諦めよう、と。私自身を信じて頂けないのなら、私自身を認めて貰えないのなら、きっと手を組んでも不幸なことになるんじゃないかな、と」
だから、「手土産」なのだ。
だってこれは、自分の実力ではないから。
優しいお姉さんが、俺を心配して持たせてくれたものだから。
でかい口を叩くのなら、せめてその前に意地を見せるべきだと思ったのだ。
「なるほどな。つまり君の方も我々を試していたと、そういう訳か」
「そういうつもりではありませんでしたが、でも」
「でも?」
「侯爵がどういう人物なのか、見極めようと努力はしました」
俺の見込み違いで、侯爵が野心溢れる人物であったら?
野心も実力もある人物に。メイル侯爵という将来の征服者に。
俺は強大な武器を与えようとしているのではないか?
その不安は常に付きまとった。
自分の判断が、大陸全土を巻き込む大戦争に繋がるのかもしれないのだ。
そりゃこっちだって必死に人柄を見極めようとするさ。
まあ、でも。
「結局、まるで見えませんでしたけどね」
「そういうのを『試している』というのだ」
結局のところ、この交渉は俺の負けだ。
俺は俺の言葉だけで、侯爵を味方にすることが出来なかった。
まあいいよ。善戦はした筈だ。
リトルリーグがメジャーリーグに勝負を挑んだ結果なんだし。
コールドゲームじゃなかっただけましとしよう。
最後の最後に審判に全てをひっくり返して貰えた訳だしね。
「よし。ではハルキ君。互いの条件を整理しようか。互いに出来ることと出来ないことがあるだろうが、少しでもお互い満足できるよう、きちんとここで話しあっておかないとな」
× × ×
「……と、いう訳で、ミッテンベルグ家とは同盟を結びました」
「……なんとまあ。なんとまあ。あいた口が塞がらないとはこのことで」
――翌日夕方。
メイル侯爵からの手紙持参で、パロスのミッテンベルグ屋敷を訪れた俺。
一通りの説明を聞いたルーデルさんは、ちょっとだけ茫然としていた。
ふっ。
ようやくこの爺さんから一本取った気分だぜ。
ちなみに手紙を受け取ったカリン様は満面の笑顔で「ありがとうございました! 冒険者様!」とお礼の言葉を残し部屋を出て行った。超可愛かった。ああいう妹が欲しい。どこかで売ってないかな? 売ってないよね。
「とりあえず今後しばらくは、定期的に、具体的には週一ペースでスズ公国に行くことになります。細部をいろいろ詰めないといけないので。本家宛のお手紙があれば事前に言ってください。ついでにお届けしますから」
そうなのだ。
俺とメイル様の会談は、一応昨日、最低限のガイドラインの同意には至った。
俺の要望は、リボンの街に郵便局を開局する、その後ろ盾をして貰うこと。
メイル侯爵の要求は、ミッテンベルグ家とカリン様の身の安全。
具体的に俺がすることは、まず本家とパロス屋敷の定期便維持。
スズ王宮にて大規模な政争が勃発した際の協力。
それには勿論【リリスの腕環】が必須である。
使えるものは使え、の心構えで行こうと思う。
ついでにパロス屋敷でカリン様の身に何らかの危機が迫った際には、ボディーガード……とまではいかないけど、その防衛に力を貸すことにしている。ちなみにこれは俺の方から申し出た。カリン様はメイル様にとっても大事な姪っ子ちゃんだけど、俺は彼女のファンですからね。喜んでお助けしますとも。
逆にメイル様にして貰っているのが、まずは物件探し。
そして郵便局員の確保である。
とはいえメイル様は曲がりなりにもスズ公国の大貴族。
地位には責任が伴うのだ。
俺の要望を叶える為に、実際に自らが不動産巡りなんてする時間はない。
そういう訳で専属の人材をつけてもらうことになっている
ミッテンベルグ家から一名。アルフォンス家から一名の合計二名である。
来週、顔合わせだ。
願わくば話の分かる、そして可愛い女の子でありますように。
……ああそうだ。それで思い出した。
「ルーデルさんにもお願いがあったのですよ」
「お願い、でございますか?」
「はい。そのメイル様からの手紙にも書いてありますけど」
「ほうほう」
そのお願いというのは、パロス屋敷からの人材提供依頼である。
現在、俺は週二回ある定休日を利用して【速達】をしている。
その理由はシャルの言ったとおりで、【速達】が一日仕事だからだ。
ノアの街から【転移魔法陣】がある遺跡まで半日。
リボンの街から【転移魔法陣】がある遺跡まで、やはり半日。
移動だけでほぼ丸一日潰れてしまうのだ。
これではメイル侯爵との交渉の時間もまともにとれやしない。
そこで「お願い」である。
パロス屋敷から、週一回、配達員を派遣してもらうことにしたのだ。
手紙の配達は、俺のライフワークである。
だからこれを、人を雇って全面委託する気は、今はない。
この先、本格的に経営の方に忙しくなったら、それも考えるのだろうけどね。
現在のノアの街中だけの配達なら、俺一人で十分。
朝早く出発して、夕方には配達が終わる。
ただこれに加えて、毎週【速達】が実施されるとなると、ちょっとキツい。
例えば無曜日に【速達】をするとしよう。
前日の夜出発して、リボンの街に着くのは翌日早朝。
そして向こうで一日を過ごしたとしよう。
そうするとノアの街に帰ってこれるのは、翌日闇曜日の明け方前である。
俺はそのまま碌に寝る暇もなく通常業務の配達につくことになる。
さすがにそれが毎週では、ちょっと厳しいのだ。
上記の事情を顧みて、週一回。定期便実施の翌日に。
二名の配達員をパロス屋敷から出して貰うことになったのだ。
「成程。理解しました。来週までに人選を済ませておきます」
「宜しくお願いします。あ、事前研修があるそうですので、なるべくお早めに」
「事前研修、で、ございますか?」
「はい。シャルがやる気満々で待ち構えています」
『わたしに任せてください! 徹底的に鍛えて立派な配達員にして見せます!』
我が【ヤマミズ郵便局】の、某局員の力強いお言葉である。
彼女はどんなスパルタメニューを用意しているのだろう?
想像するとちょっと怖くなる。
この屋敷から派遣される人に、ちょっと同情すら憶える俺である。
あんまり無茶しないといいけど……。
「了解しました。ハルキ……殿?」
「はい。お願いします。……あの、何か?」
「いえいえ。御当主様と対等の同盟を結ばれた、というなら」
「なら?」
にやりと笑うルーデルさん。
何だろう。とても嫌な予感がするよ?
「ハルキ殿、ではなく、ハルキ様とお呼びしなくてはいけないのかと」
「やめてくださいやめてください。ルーデルさんから様扱いとか」
「よろしいではありませんか。ハルキ様」
「やですよ。背中がゾワゾワしますよ。むしろ呼び捨てでお願いします」
そうだよそもそもすっかり「殿」つきに慣れちゃっていたけど。
この人は自分より遙かに年上で、しかも元【戦術級】剣士。
俺なんかに「殿」だの「様」だのつけて接する人じゃないんだよ。
もう呼び捨てにしてくださいよお願いしますよ。
「いやいや。そういう訳にはいきませぬぞ? ミッテンベルグ家と対等の同盟を結んだとなれば、ハルキ殿……いやハルキ様は、我が主人と同格。それを呼び捨てになぞ出来る訳はないではありませんか。はっはっは。……では、改めまして、ハルキ様? 今後とも、主人共々宜しくお願い致しますぞ」
最後の最後に俺に一矢報いて。
老紳士は楽しそうに、からからと笑うのである。
……やっぱりこの人には敵わねえ……。
× × ×
――その後の二ヶ月は、瞬く間に過ぎた。
俺は週に一回の【速達】と、週に四回の通常配達業務を精力的にこなして。
我が【ヤマミズ郵便局】には臨時雇いの配達人が二人増えて。
彼らからルーデルさんの凄まじい伝説とかを聞いて。
スズ公国では、自分の足で不動産巡りなんかもして。
俺専属として派遣された人たちと顔合わせなんかもして。
ミッテンベルグ家から派遣されたのは、あの門番さんで。
アルフォンス家から派遣されたのが、あの「絶倫……?」のメイドさんで。
まずはその誤解を解くのに一騒動あったりして。
ようやくこっちの条件に合う店を見つけて契約なんかもして。
けど、そこを訪れたメイル侯爵が「気に入らない」とか言い出して。
急遽、内装を全面的に改装することになったりして。
その図面を引くのに、素人ながら意見を求められたりして。
毎週会うことになったカリン姫と少しずつ仲良くなったりして。
それを見たシャルがまたやきもちを焼いたりして。
それをなだめる為に、休日にちょっと豪華な外食なんかもして。
――そんな風に、忙しくも平和な日々を過ごしていたから。
俺はすっかり失念していたのである。
国家というものが。
権力者というものが。
どれほど醜悪で。
どれほど悪辣かということを。
この身に染みて知っていたはずなのに。
二年前に、散々苦汁を飲まされた経験があるというのに。
……それは、月の奇麗な夜のことだった。
× × ×
見上げた空には、満天の星空。
銀色に輝く、真ん丸なお月様。
この世界の夜は、元の世界の夜より、暗くて、明るい。
人工の光のない夜は、その闇を一層濃くもするけれども。
汚れのない空気は、星の輝きを、月の光を、真っすぐ大地に届ける。
……夕方にリボンの街のミッテンベルグ家を辞して、早数時間。
すっかり日の落ちた街道に人影はなく。
視線の先に、他のキャラバンが灯す光はなく。
こうして一人、石畳の道を歩いている俺は。
それでも盗賊の出現に備えて油断することはなく。
――だからその人影の出現に。出現自体には、驚くことはなかった。
驚いたのは、その人影に見覚えがあったから。
こんなところで会うとは、思ってもみなかったから。
街道脇に生える、一本の大木。
それに背中を預けて、静かに立つ少年。
その髪はくすんだ銀色。
穏やかな表情。中性的な顔。
そして腰には大小二本の剣を差す。
俺はそいつのことを、この少年のことを、彼の名前を、知っている。
「……やあ。ハルキ君。久しぶりだね」
「……おう。カル・ベルン。妙なところで会うな」
初めて会ったのは、リボンの冒険者ギルド。
最後に会ったのは、二人で亜人サキュバスの店に行った時。
割と気が合うやつだと思っていた。
割といいやつだとは感じていた。
だがしかし。だがしかし。
この状況。この空気。この場面。
こういう雰囲気で会う筈はなかった、俺の新しい友人。
何故だ? 何故そんな目で俺を見るカル?
どうしてそんな殺気を身に纏っている?
せっかくの再会なのに。
俺はまた、お前とバカやって騒ぎたいと思っていたのに。
――本来なら、共に再会の喜びを分かち合いたかった、そんな人物。
「……なにしてんだ? こんなところで? こんな時間に?」
「……人をね。待ってたんだ」
「へえ。そうかい。でももう遅い時間だぜ? 今日は帰ったらどうだ?」
「そういう訳にもいかないんだよねえ。これから仕事があるから」
「今から仕事? そいつは大変だなあ」
「うん、大変。大変な仕事なんだ。出来ることなら放り投げたいよ」
「投げちまえばいいじゃん。やりたくない仕事ならさ」
「そうはいかないんだよね。残念ながら」
――しゃらんと。そんな涼しげな音を立てて。カルは剣を抜く。
「実はね。僕の本業は冒険者じゃないんだ。隠しててごめんね」
「そうか。いや実は俺も冒険者は半分引退してるんだよ。お互い様だな」
じり……っと。少しづつ少しづつ。距離と詰めてくる剣士。
じり……っと。少しずつ少しずつ。距離を取ろうと動く俺。
「僕の本業は剣客なんだよね」
「へえ。剣士冥利に尽きるってやつだな。それは」
「まあね。でさ、僕の雇い主のところにね、昨日、早馬が届いたんだ」
「早馬? なんだお前の雇い主って身分高いんだな。早馬が使えるなんて」
まあね。と。もう一度そう呟いたカルの手が、ゆっくりと上がっていく。
上段の構え。受けではなく攻めの構え。
きらりと。その細い剣が月光を反射して鈍く光る。
「うちの雇い主の手の者がね? パロスでさ、ちょっとした騒動を起こしたらしいんだよね。具体的には、某国の公女様を襲撃したんだって」
「物騒な話だこと。そういう血生臭い話は苦手なんだよ俺。もっと楽しい話をしようぜ? 色街の話とか。また聞きたいなあ」
俺の返した軽口に、ちょっとだけ笑う少年。
だがしかし。その笑顔はすぐに消える。
変わって現われたのは、それは後悔の色。
「ああ。あれは楽しかったなあ。本当に楽しかった。……でも、その話は今は置いておこうか。……襲撃は失敗したらしい。まあ、僕は予想していたけどね? あの屋敷には水剣流の伝説の翁がいる。雑魚が何人束になったところで、あの人には絶対敵わないって、僕は知っていたからさ」
「ああ。その噂なら俺も聞いたよ。あの爺さん、強そうだしな」
「へえ? 随分親しげだね。あの人と」
「……噂を聞いただけだってば」
「ふうん。まあ、そういうことにしておこうか」
彼の足が一歩前に出る。
俺の足が一歩後ろに下がる。
変わらない距離。
これをいつまで維持できるか?
「でさあ。その早馬。それは襲撃の失敗を伝えるものだったんだけどさ。でもそのあとに、ちょっと面白い報告が付いてたんだ」
「ほうほう。……いや、カル? それって重要機密だろ? 俺なんかに話しちゃいけないだろうそれは。聞かなかったことにしておくよ」
今ならまだ。何もなかったことに出来る。
だから。カル。頼むから。その手を下せ。
「いや。聞いてくれ。聞いてほしいんだ。君には。……襲撃後、パロスのその屋敷には定期的に変な少年が訪れるようになったそうでね? 黒髪で黒い瞳の、僕と同い年くらいの少年なんだそうだ。配達業を営んでいるその少年の名前は」
よしそこまでだ。カル。
それ以上踏み込んでくるな。
言葉でも。足でも。
「……ハルキ・ヤマミズっていうらしいんだよね」
ずいっと深く、少年は踏み込んできた。
俺の願いは虚しく裏切られた。
言葉でも。足でも。
「……へえ? 俺と同姓同名か。ま、珍しい名前でもないしな」
「そう? 少なくとも僕は、ヤマミズもハルキも君しか知らないけどな」
「信じられない偶然ってあるものだぜ? だからカル。その手を」
――「下せ」という言葉を、俺は発することが出来なかった。
剣を振り上げ、まっすぐ突っ込んでくるカルの姿。
それを目に捉えた俺の反射神経が、両の足を動かす。
一歩分の距離稼ぎつつ、右手を地面に向ける。
――突如として、人の背丈の高さまで伸び上がる、土色の壁。
無詠唱で呼び出した魔法の防壁。【土障壁】。
それが斬り裂かれる未来を予想し、次の手を考える。が。
「……ああ。そうか。やっぱりか」
聞こえてきたのは、斬撃の音ではなく。どこか悲しそうな声。
土壁の向こう側で、カルはポツリと呟く。小さな声で。
「……今の一撃は、フェイクだったんだけどな」
「……ああそうかい。俺には十分、殺気が篭ってるように見えたぞ?」
「そういう風に見せたのは事実だけどね? いやそれより、さ」
「それより、なんだよ?」
「今ので証明されちゃったじゃないか。ハルキ君」
「証明? 何が? 誰が何を証明したってんだ?」
――キン!
そんな金属的な音を立てて、土壁が両断される。
横一文字に斬られた壁の向こうに立つ少年は、静かに続ける。
「……その配達人はさ、凄腕の魔術師でさ、魔法を無詠唱で使えるらしい」
彼の声を聞き。その視線を受け。その殺気を受け。
俺は自分の勘違いに気付く。
ようやく。ようやく。本当に遅まきながら。
命を失う恐怖と共に、その事実を突きつけられる。
「……そんな人、何人もいる訳ないよね?」
――俺は自分の見知った友人、カルと「再会」したのではなく。
「……だからごめん。僕は雇い主の命で、君を斬らなきゃいけないんだ」
――自分の命を狙う見知らぬ剣客、カル・ベルンと「遭遇」したのだと。




