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第七話 若き魔術師の悩み

「や、ハルキ君を見かけたからさ、今日こそは二人でどこか行こうと思って。でも声かけようと思って近づいたら何かぼーっとしてるし、食欲もな……くはなさそうだね。うん。それは僕の勘違いだったみたいだ」



 カルは食堂のカウンターに積まれた二枚の空皿を見て言った。

 失礼な。これだけ悩んでるんだ。食欲だって失くすわ。

 よく見ろ。今日はまだ三皿目だ。この前よりも一皿少ないわ。


「ピラフ三皿も食べる人を見て、食欲がなさそうだとは誰も思うわないよ」

「それは自分を基準にした思い込みだ。俺は悩みで飯も喉を通らない状態なんだ」

「……それだけ食べておいて?」

「普通だったらあと一皿、いや二皿はいける」


 驚愕の表情で俺を見るカル。

 おい何だその目は。

 だってこれ米なんだぞ? 日本人のソウルフードなんだぞ?

 日本人なら米をおかずにしてご飯を食うのなんて当たり前なんだぞ?


「……うん。まあ、ハルキ君の驚異の食欲については置いといて」

「驚異の食欲って言うな」

「とりあえず悩み事があるんだ? 今のハルキ君には」

「……まあな」


 仕事の面でもプライベートでも悩み事が山盛りだぜ。

 ミッテンベルグ家からの提案、どうしようかなーとか。

 シャルが可愛すぎて生きていくのが辛いなーとか。


「よし。じゃあ僕が話を聞いてあげよう」

「……お前がぁ? 聞いたら答えをくれるのかよ?」


 あれだぜ? 俺の悩みは結構深いぜ?

 好奇心でそんなことを言うのならお断りなんだぜ?


「あーいやいや。違う違う。解決策を授けられるかどうかは分からないけど」

「……それなのに話す意味あるの?」

「話すだけでも気が楽になるってこともあるでしょ?」

「……む」


 にっこりと微笑みつつ、カルはそう言う。

 うん。まあその、悪意はなさそうだし、言ってることの意味も分かる。


 悩みなんていうものは本来、自分で解決するものだ。

 それを理解しているにもかかわらず、人は人に悩みを打ち明ける。


 なぜか?


 要はそれは、心理上の息抜きなんだと思う。

 ひとりで悩むことによる、閉塞感。

 それを少しでも解消する行為なのだ。


 だから「話すだけでも楽になる」というのは、ある意味真理だ。

 ちょうどいいことにカルは最近知り合ったばかり。

 親しい友人に悩みを打ち明けるのは、どこか気恥しいものが付きまとう。


 全くの他人でもなければ、それほど親しくもない。

 カルの立ち位置は、悩みを打ち明ける相手としては最適なのかもしれない。



「……実はちょっと、最近、気になってる女の子がいて、さ」

「ほう。ほうほう。恋バナですか」


 さすがの俺も、よく知らない相手に向け仕事の悩みは相談できない。

 そもそもあれには【速達】の秘密も絡むからな。


 相談できる相手なんて、片手で数えるくらいしか存在しない。

 だからカルには、シャルの話を聞いて貰おう。


「前に助けたことがある女の子なんだけど」

「ほうほう」


「それ以来、何かと俺の世話を焼きたがるようになってさ」

「ほう」


「仕事でもプライベートでも献身的に俺を助けてくれて」

「……ほう」


「『仕事のない日は構って欲しい』なんて可愛いこと言ってくれて」

「……へー」


「贈り物をしたら大喜びで抱きついてきたりしちゃって」

「……ほー」


「俺が他の女の子を見てると、ちょっと拗ねちゃったりもするという……」

「……ふーん」



「そんな女の子のことなんだけどさあ。これってやっぱり……ってお前! 人の話を聞いておくといいながらなんだそのやる気のない返事と態度は!」


「だって僕は本気で悩みを聞くつもりだったのに! 出てきたのは惚気だよ惚気! なんだよそれ!? バカにしてんの!? 真剣に聞いて損したよ!」



 いつの間にか、ギルドのお仕事依頼掲示板から適当に何枚かの依頼用紙を剥がして目を通しつつ、俺の話を聞き流して適当な返事を返していたカル。


 お前ね? こっちはね? これでも真剣に悩んでいるんだよ? それを聞くといっておきながらその態度はねーだろ? 温厚な俺だって怒るよ。そりゃあ怒るってもんだよ。大魔術師怒るだよ。……あ、いやいや、それより。



「の、惚気? やっぱり惚気に聞こえちゃう? これ?」

「惚気だよ。誰が聞いても惚気だよ。100%完全に完璧に惚気だったよ今のは」


 そ、そうか。誰が聞いても惚気か。

 ……ってことは。うん。それってつまり。


「みゃ、脈あり、ってことでいいのかな?」

「脈ありどころの話じゃないよ。もうさっさと押し倒してきちゃいなよ」

「お、おしっ、おしっ、押し倒しちゃうだなんてそんなハレンチな!」

「それ、100%OKサイン出てるよ? そのうち家に押しかけてくるよその子」


 あの、すいません。大変申し訳ないお話なのですが。カルさん。

 うちのシャルさんはですね、そんな段階、とっくに通過済みなんですけど。


「……実はもう、その、ど、同居を始めて一ヶ月になります……」

「え? それなのに、ナニもして、ないの……?」

「……はい。その。ちょっと事情がありまして」

「事情。事情。事情か。その事情っていうのは……?」


 カルの視線が俺の顔に向けられる。

 それがずーっと下に下がっていき、腰のあたりに固定される。

 しばしソコを見つめた後、再び視線が顔の位置まで戻ってきて。

 そして、一言。



「ハルキ君もしかして、君のアレってたたな」

「勃つよ! 超勃つよ毎朝毎晩! 俺のぱおーんはいつもいつでも元気だよ!」



 …………。



「なるほどね。明らかに自分に好意を抱いている女の子との同居生活。そしてハルキ君自身もその子を憎からず思っている。だけど、事情があって手を出すことが出来ない。……その事情ってやつを教えて貰うことは出来ないのかな?」



 説明することしばし。

 ようやく事態を理解してくれたカルは、情報を整理しつつそう言った。


「ああ。うん。それは申し訳ないけど」

「もう一度だけ聞くけど、体の問題じゃないんだよね?」

「それは絶対ない。俺の体は極めて健康だ」

「うーん。確かにそれは生殺しだねえ……」


 ようやく分かってくれたか。

 俺もギルドのど真ん中で「勃つよ!」なんて叫んだ甲斐があったよ。

 すっげー注目されて恥ずかしかったよ。死ぬかと思ったよ。

 あっちの魔術師の女の子とか、俺のこと指さして笑ってやがったからな……。



「よし! わかったハルキ君! 色街へ行こう!」



 今後、しばらくここにはこれねえな……なんてことを考えている俺に向け。

 カルは爽やかな笑顔でそんなゲスいことを言い出した。


「い、色街? 色街ってあれだよな? 娼婦のお姉さんがいる……」

「そうそう。まだ時間は早いけど、それでもやってる店はあるしね」


 色街。色街である。

 存在は知っていた。前に「一緒に行くか?」と誘われたこともあった。

 

 そうだよそりゃそうだよ。十六歳の健全な男の子だもんボク。

 そういうお店にだって本当は興味津々ですよ当たり前じゃないですか。


 でも、でもですよ?

 ちょっと。それは。その、ねえ? うん。えーっと。


「ハルキ君のその生活。体に良くないと思うよ? と、いうか抑圧されすぎてそのうちとんでもないことしかねないよ? その大事な意中の彼女に対して酷いことしちゃうとか。それどころか通行人に無差別に……しちゃうとか」


 事案発生だよそれじゃ。事件レベルだよそれじゃ。

 しませんよそんなこと。

 カルお前俺のことなんだと思ってるの?


「いやまあそれは冗談としても。適度に発散するのは必要だよ。うん」

「そ、それはそうかもしれないけどさ……」


 確かにそれは説得力のある言葉だ。

 健全な男子たるもの、欲求不満をためすぎてはいけない。

 だからそれを発散すればいいというカルの言葉に間違いはない。


 ……あれ? いやちょっと待って。俺のことより……。


「あの、カルさん?」

「か、カル、さん? え? なんだいハルキ君。そんなに改まって?」

「そういう提案をするということは、その、カルさんはそういう経験が……」

「え? ハルキ君。僕、こう見えても十六だよ? 当たり前じゃん」


 あ、ああ、あああ当たり前なんですかそうですか!

 そ、そうですね! 十六歳ですものね! 俺と同い年ですものね!

 俺のいた世界でも、『童○が許されるのは小学生まで』ってAAあるしね!

 いやまああれはただの煽りだったとしてもさ!


 そうだよ。そうだった。この世界では十五歳で成人扱いだ。

 医療は未発達だし。生まれた幼児が成人まで生きられる確率も低い。

 産めよ育てよが基本的な方針である。


 元の世界だって、ほんの数百年前まではそうだったじゃないか。

 江戸時代なんて十代前半での結婚出産が当たり前だったんだぜ?


「ち、ちなみに初体験は……?」

「うん? 十三の時。剣術道場の先輩のお姉さんとだったよ」


 おいふざけんなよカル・ベルン。

 なんだその全ての童○中学生の理想のシチュエーションは。

 これだから顔のいいやつは嫌いだ。大っ嫌いだ敵だ敵。お前は敵だよ。


 道場の先輩お姉さんと、だあ?

 それってつまり、俺と立場を変えたら……?

 ああ。あれだ。師匠だ。師匠の家庭教師の最中に。


『ハル? 今日は特別な実習をしますからね……?』


 いつもの無表情で!

 あのドールを思わせる精緻な美貌で!

 そんなこと言われてあんなことされちゃって!


 なんだよもう本当に最高のシチュエーションじゃねえか!

 どうして俺の人生はこうならなかった!? 何故だ!?


 ぐぬぬ……と、唇をかみしめ悔しがる俺。

 それを見て、カルの野郎が一言。



「……え? もしかして、ハルキ君って、まだ?」

「~~~~~っ!!」



 やめろ。おいやめろその目は。

 あっ……(察し)の顔で俺を見るのはやめてください。お願いします。

 心が壊れてしまいますから。泣くよここで? ワンワンと乙女みたいに。


「そ、そっか! うん! ごめんハルキ君! 色街はやめておこうか!」

「……そうして頂けると、はい。助かります……」


 初めてなのだ。初体験なのだ。

 夜景のきれいなバーで、二人きりで少しだけお酒を嗜んで。

 やがて静かに俺が言うのだ。「部屋は取ってあるから」と。

 そして二人は寄り添うようにしてエレベーターの中に……と。


 そこまでとはいわない。そこまで高望みはしない。

 でも。でもですよ? 初体験なんですもの。童○なんですもの。

 もうちょっとだけでいいから、雰囲気というものを大事にしたいんです。


 お金で買った女性で済ませるのは、ちょっとだけ嫌なんです。

 こんな乙女心、分かって貰えるでしょうか?


「……よし。わかったこうしよう。ハルキ君」

「……はい?」


 しばし考え込んでいたカルは、妙案があるようでこう続けた。



「亜人サキュバスのお店に行こう。それならハルキ君でも平気な筈だから」



   ×   ×   ×



 亜人サキュバス。

 その名の通り、人とサキュバスの混血である。


 正真正銘の魔族であるサキュバスほどの力は、当然持っておらず。

 その姿形は限りなく人に近く、そして誰も彼もが美しく。



 ――そして人の精気を啜らねば生きられぬ種族。



「……つまりね、亜人サキュバスはスペシャリストな訳だよ」

「テ、テクニックが凄いという訳でしょうか? カル先生?」

「カ、カル、先生? あ、いや、それも勿論なんだけど、それ以外にもさ」



 ……カルの案内でやってきたこの店。


 色街の隅の方にある、目立たないこのお店。

 外装は目立たないものの、内装はしっかりピンクで染められたこの店。

 カルお勧めの、亜人サキュバスの働く店である。


「要はね、彼女たちは実際に手に触れることなく、そういうことが出来る」

「……と、言いますと?」

「【魅力】の魔法や、【幻覚】の魔法も使える。闇系統魔法の、ね」

「闇系統魔法……」


 今の俺たちは受付で代金を支払い、順番待ちの状態である。

 俺たち以外にも客はチラホラ。

 誰も彼もが、他人の視線を避けて静かにしている。

 その気持ち、よく分かりますよ。お仲間さん。



「だからさ、ハルキ君はその、初めてはやっぱり好きな人とがいいんでしょ? でもそれはそれとして、欲求不満は解消したい。ならばこの店だよ。この店の亜人サキュバスのお姉さんは、そういう夢も幻覚も見せることが出来る。実際に“する”ことなく、現実と変わらない体験が出来る。ほら、あれだよ? ハルキ君だって経験あるでしょ? やらしい夢を見て起きたらパンツが……ってあれ。あれを魔法で発生させるって訳だよ。これならばまだ、喪失扱いにはならないでしょ?」



 Oh。なんて完璧なシステムだ。

 それならOKだよな。うん。

 夢なんだし。夢ならしょうがないし。


 実は色街といわれて、まず心に浮かんだのがシャルへの罪悪感。

 あんないい子に好かれてるのに、そんな店に行っていいのか、と。

 この店ならば。このシステムなら。その罪悪感は大幅に消える。

 だって夢なんだしね!


 でも、闇系統魔法かあ……。

 そんなのかけられて平気なんでしょうか? カル先生?


「平気だよ。本物のサキュバスのものならともかく、亜人のならね」

「そういうものなの?」

「そういうものだよ。強い意志があれば、いつでも解けちゃうくらいだし」

「ほうほう」


 自分の意思で解けちゃうくらいの魔法なのか。

 だったら平気かも。うん。まだちょっと不安だけど。


「これが本物のサキュバスの闇系統魔法だと、とんでもないことになるけどね」

「やっぱり本物は凄いのか? 【魅力】の力も」

「いやいや。サキュバスはそもそも【魅力】なんて魔法、使わないよ?」

「え? マジで?」


 軽く頷くカル先生。

 へー。意外だわ。

 サキュバス=【魅力】の魔法くらいに思ってたよ。



「サキュバスの使うのはね、【サキュバスの眼】っていう上級の闇系統魔法でね。この効果がエグいんだよ。それをかけられると、自分の本能とか欲望に逆らえなくなる。理性なんか簡単に吹っ飛ぶよ」


 ほー……。ってあれ? それ【魅了】とどう違うのかしら?


「かけられた本人以外には、その違いが見分け難いからねえ。ハルキ君? 例えばの話だけど、今、君の目の前に衣装の表面積が極端に狭い、すっごい絶世の美人が現れたとしよう。君はそれを見てどう思う?」


 そんなの決まってんじゃん。


「むしゃぶりつきたいと思います」

「むしゃ……いやまあ、その表現はともかく、そういうことだよ」

「どういうこと?」


 いや、むしゃぶりつくだろう普通。

 そのお胸に顔を埋めてクンカクンカくらいするよな? 普通?


「目の前に絶世の美人がいる。そして本能が解放される。そしたら、やっぱり飛びついちゃうよね? そのお姉さんが魔族、サキュバスだとしても。そう理解していても理性のほうは働かないんだから。だから、魔法をかけられた人間以外からは、サキュバス=【魅了】の魔法って、そう思われちゃう」


 ああ、なるほどねえ。

 サキュバスを目の前にして、真っ先に解放されちゃうのが性欲という訳か。

 他人から見たらそう見えるわな。


「だから例えばさ、パーティーでサキュバスに遭遇したとする。そのパーティーのA男さんはB子さんに好意を抱いていた。そこでA男さんが【サキュバスの眼】を受けると、目の前のサキュバスではなくまっすぐB子さんに向かっていくんだ。欲望の赴くままにね。これで隠している感情が憎しみだったりすると悲惨だよ? サキュバスなんかほっといて、互いに殺し合い始めるからね」


 うっわー。エグいなあそれは。

 南大陸、魔族の住まう地を旅してる最中に会わなくて良かった。

 そんなんと戦いたくないもん。俺。負けそうだし。


「ま、亜人サキュバスにはそんな力ないから。楽しんできてよ」

「お、おう……」


 い、いかん。何だかそわそわしてきた。

 落ち着け。落ち着け山水晴樹。

 お前はクールな魔術師だろう?

 超クールな深呼吸で気持ちを落ち着かせるんだ!



「七番のお客様ー。お待たせしました。こちらへどうぞー」



 びくんと体が反応した。

 七番のお客様。それはつまり俺だ。

 俺の番が来たのだ。


「いってらっしゃい。ハルキ君」

「お、おおお、お先に失礼!」


 緊張の余り、カチンコチンに体を強張らせつつ。

 俺は係員の男に従って、待合室を出る。

 案内された部屋の扉を開ける。



「いらっしゃいませ。お客様」



 ――部屋の中の、ベッドに腰かけていたのは奇麗なお姉さん。



 美人美少女を見慣れてきた俺の目にも、十分綺麗と映る彼女。

 歳は二十代半ばくらいだろうか?

 いやそもそも亜人族と人族の寿命は違う。

 だから二十代半ばというのが正しい表現なのかどうかは不明だけれども。


 街を歩いていたら十人中九人は振り返りそう。そんな美人さんが。

 体のラインがうっすらと浮き上がる、薄い衣装一枚で待っていた。


「よ、よよよよっ!」

「よよよ?」


「よろしくお願いします!」

「あらあら。緊張なさらないで。気を楽にしてくださいな」


 にっこりと微笑んでくれるお姉さん。

 ああ。いいなあ。優しいお姉さんは大好きなんです大好物です。はい。


「お客様? このお店は、初めてですか?」

「ひゃい! このお店というか! こういうお店自体が初めてです!」

「あら。それは光栄ですわ。いっぱい、サービスしちゃいますね」


 ふふふ……と静かに笑って。お姉さんが近付いてくる。

 すっごいいい匂いがした。くらくらしてきたぞ?


「さあ……私の目を見てください。気を安らかにして」

「はい」

「そして思い浮かべてください。あなたの理想の女性を……」

「……はい」

「さあ、だんだん気持ちがふわふわしてきました。そのまま身を委ねて……」

「…………は、い」



 …………。



 気がつくと目の前には、最近見慣れてきたメイドさんがいた。

 茶色い髪と、優しい笑顔と、年相応に育ったお体。

 いつもの、お気に入りの、メイド服姿で。



「シャ、シャル?」

「はい。ご主人様。あなたのシャルですよ?」


 声! 声までも再現されていて!

 シャルだこれ! 間違いない! 本物だよこれは!


「触れてみれば、もっとよく分かりますよ?」

「え? ええっ? あ、ちょっとシャ、シャル!」


 優しく俺の手を取ったシャルが、それを自分の胸に押し当てる。

 ふよん、って。ふよん、ってしました!

 とっても柔らかいです! 最高です!


「分かってもらえましたか? ご主人様?」

「はい。君はシャルです……。シャルロットさんです……」


 すげえ! すげえよこれ! 本当に幻なのかこれ!?

 元の世界の3Dアニメなんて問題じゃねえ!

 理想郷はここにあったのだ!


「ご主人様……」

「シャル……」


 するり、と。彼女の細い腕が俺の首に伸びてくる。

 優しく俺の頭を包み込み、胸を押し付け、そして。



 ――そっと彼女は、俺の耳元で囁いた。



「ご主人様の(ピーッ)をわたしが(ピーッ)して(ピーッ)してあげます。それだけじゃありませんよ? (ピーッ)も(ピーッ)して(ピーッ)だってしてあげちゃいます。えへへ……。それともご主人様が(ピーッ)しますか? わたしは何でも受け入れてあげますよ? (ピーッ)だって。(ピーッ)でも」



 ――パリン、と。頭の奥で、そんな音がした。



「シャ……」

「しゃ?」



「シャルはそんな卑猥なこと絶対に言わなーーーいっ!!」



 がばっと。音が付くほどの勢いで。

 俺に抱きついていた彼女を無理やり引きはがす。


 困惑の色を浮かべる彼女の顔は、もうシャルではなくなっていて。

 元の、奇麗なお姉さんのそれになっていて。

 そんな彼女に向け、俺は全力で頭を下げる。


「すいませんでしたお姉さん! 俺にはこの店はまだ早すぎました!」

「お、お客様!?」

「今日はこれで失礼します! ありがとうございました!」

「お客様っ!? お客様お待ちになって! ええっ! あれぇ!?」



 そんなお姉さんの声に振り返ることなく。

 俺はその部屋を、脱兎の勢いで飛び出したのである。



   ×   ×   ×



「ただいまー……」



 パロスの街。南居住区。

 その隅の方にある、自宅兼店舗の扉を開ける。



 ――あの後。店を飛び出した後。



 俺は店の正面入口の側に座りこみ、地面にのの字を書いていた。

 そんな俺を、お店の従業員や通行人が迷惑そうな目で見ていた。


 待つことしばし。妙にツヤツヤした顔をしてカルが出てくる。

 涙目で地面に座り込んだ俺を見て奴は「おわっ!」と声を上げた。

 事情を聞くと、ぽん、と。軽く肩を叩かれた。そして言われた。


『夢を見過ぎだよ女の子に。これだから童○は面倒くさいんだ……』


 その場で殴り合いの喧嘩になった。

 さすがに言い過ぎだろそれは。


 双方いいのを二、三発貰って、そこで引き分けということにした。

 俺の治癒魔法で、自分と、そしてカルの野郎の傷もついでに治した。


 そこでまあ、うん。とりあえず仲直りは、した。

 考えてみればこいつは、それでも俺の為を思っていろいろしてくれたのだ。

 その点だけは認めてやらんでもないからな。俺は器が大きいのだ。

 さっきの一言に関しては一生許すつもりはないけど。


 その後、カルが暴言のお詫びといって飯を奢ってくれて。

 そこで散々愚痴を零しつつ、腹が破けるほど食ってやって。

 支払いの際、カルが青い顔をしているのを見て少しだけ溜飲を下げて。



 ……そんなこんなで時間を食っていたら。



 パルスに戻ってきた時には、時間はもう、日付が変わるまであと僅か。

 予定をはるかに上回って、こんなに遅くなってしまった。


 シャルはもうきっと、寝ているだろう。

 だから彼女を起こさないように。静かに。

 そう思っていたのに。


「あ、おかえりなさい。ご主人様」

「シャル? 起きてたの?」


 テーブルの上で、何か作業をしていた彼女。

 こんな時間なのに、まだ起きていた彼女。



「ご主人様を待っていたのですよ? お帰りの挨拶はメイドの務めですから」



 にっこりと笑って。何でもないことのように。

 それを義務とは感じさせない、嬉しそうな声で。


 ああ。これだよこれ。

 この清楚さこそが彼女の本当の魅力なんだ。

 あの店で見たシャルは、やはり本物に遠く及ばない。


 だって。だから。


 彼女がそんな風に優しく接してくれるから。

 清楚で。可憐で。いつもと変わらないでくれたから。


「……シャルロット、さん」

「へ? はい。なんですか? お食事は召し上がりました? ご用意します?」

「食事はいいです。ちょっとだけ、お願いがあります」

「お願いですか? はあ。構いませんよ? 何でしょう?」



「……ちょっとだけ、ぎゅってしても、いいですか?」

「……えっと。はい。ご主人様がそう望むのなら。してください。是非」



 おずおずと手を差し出し、彼女の背へと回す。

 壊れ物を扱うように。大事な宝石を扱うように。

 それでも。しっかりと。ぎゅ、っと。


 そんな俺の背中を、彼女の手が優しく触れる。

 ぽんぽんと。赤子をあやす時のように。



「どうかしましたか? ご主人様?」

「いえ。シャルは今日も清楚で可愛いな、って」

「……おだてても、明日の朝ご飯が豪華になるだけですよ?」

「それはそれでとても嬉しいですけど。でも、それよりも」



「シャルは、いつまでもそのままでいてくださいね? 清楚なままで」

「……何があったのかは分かりませんけど、はい。了解しました」



 くすりと。耳元に忍び込む彼女の静かな笑い声。

 涼しげなその声で。穏やかな雰囲気のままで。彼女は、言うのだ。



「全ては、ご主人様のお望みのままに」




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