第三話 再びリボンへ
2015年8月26日早朝
第二章第二話を一部改稿しました。
前話を更新直後に読まれた方は、お手数ですがご一読くださいませ。
――翌日。夕暮れ時。ノアの街南居住区。
今日も元気に配達の仕事を終えた俺。
店を出る時にはパンパンだった鞄の中身は、今はもうすっかり空っぽ。
代わりに手に入れたのは、お客様から頂いた感謝の言葉と、充足感。
お客様からの『またよろしく!』という言葉。
それは商売人にとって、何よりもありがたい一言だ。
その一言が「明日も頑張ろう!」という原動力になるのだ。
その思いをかみしめつつ、俺は【ヤマミズ郵便局】の扉を開ける。
「ただいまー。シャル。配達終わったよー」
「お帰りなさいませ! ご主人様! 今日は早かったですね?」
受付の席から素早く立ち上がり、俺の差し出す鞄と上着を受け取る彼女。
今日も彼女は清楚で可憐。そして何より働き者だ。
「シャルのおかげだよ。配送ルートの地図、わかりやすかった」
「そう言って貰えれば幸いです。お役に立てて良かった」
えへへ……と小さくはにかむ彼女。超可愛い。
思わず抱きしめたくなるが、今はそれは置いといて。
……配送ルートの地図。
これも彼女のアイデアからなる、そして彼女担当の仕事だ。
突然増えた手紙の配達。
当初、俺は、この事態についていけなかった。
広いノアの街を非効率的に右往左往して、ヘトヘトになったものだ。
この事態を改善したのは、やっぱり彼女。シャルロット局員である。
彼女は受け取った手紙を、事前に配達地域ごとに小分けにまとめた。
そしてそれをどのルートで配達すれば効率がいいか、地図を作成。
配達前の俺に、手紙の詰まった鞄と一緒に渡して来たのだ。
……こうして聞くと、いかにも簡単なことのように思えるかもしれない。
だがしかし。我が【ヤマミズ郵便局】は新興企業である。
新興、かつ個人経営であったが故に、ノウハウもマニュアルも、まだない。
配達ルートなんて、配送業にとって当たり前のものも存在しなかったのだ。
それをひとつひとつ作り上げていく彼女の力量には、素直に脱帽だ。
やはり彼女には経営者としての才覚があるのだろうなと、強くそう思う。
「あ。そうだ。ご主人様?」
「へいへい。なんでしょう?」
「お疲れのところ申し訳ありませんが、ちょっと受付を変わってもらえますか?」
「そりゃ構わないけど。なんで?」
そろそろ日が沈もうというこの時間。夕食時も近い。
こんな時間に訪ねてくるお客様はあんまりいないのだ。
だから受付と言われても、結果として座っているだけになるだろう。
これがシャルなら翌日の配送ルートを作る仕事とかもあるのだろうけど。
残念ながら配達専門の俺にその技術はない。
「ちょっと、夕方の市場に行ってみようかと」
「ほうほう」
「値引きされてたりするんですよ。閉店前は。お買い得なのです」
「なるほどね。じゃあもういっそ、店を閉めちゃえばいいんじゃない?」
そんな経営者失格の発言をした俺を、彼女は優しく窘める。
笑顔を無理やり引き締めて。わざとらしく怒ったような顔を作って。
「だめですよー。まだ営業時間内じゃないですか」
「もうあとほんの少しだけじゃん?」
「こらー。そういうこと言っちゃダメです。信用第一、ですよ!」
「はいはい。じゃあ大人しく留守番してるから、いってらっしゃーい」
……小さく手を振りながら「いってきます」と出て行った彼女。
シャルを見送りつつ、俺は考える。
昨日のことを。女神様から頂いた助言のことを。
彼女を大事にしよう。そして仕事も大切にしよう。
今の俺が、出来ることを精一杯やろう。
恋はまだ、今はいい。
彼女への気持ちが「好きかも?」から「好きだ」に変わり。
そしてそれが「大好きだ!」になり「……愛してる」になる。
自分の気持ちがそう変わっていくのなら、それはそれでいい。
その時にもう一度、真剣に考えればいい。自分と、彼女のことを。
だから今は。仕事を頑張ろう。
俺がいなくなっても、【ヤマミズ郵便局】は無くならない。
勿論、【速達】は出来なくなる。でもそれでもいいのだ。
今のこの店は【速達】の仕事抜きで回っている。
通常業務だけで、十分、商売として成り立っている。
俺がもし、元の世界に戻ることがあっても。
俺の作った、いや、俺とシャルで作った「郵便」という制度は無くならない。
それはこの世界にしっかりと根付いてくれると、そう信じている。
だから。頑張ろう。この仕事にプライドを持とう。親父のように。
それが今の俺に出来る、精一杯なのだから。
――カラン、カラン。
入り口に設置したドアベルが澄んだ音を立てる。
ちなみにこれも、シャルの仕事の一つである。
彼女は店内の清掃に飽き足らず、ついにインテリアにまで手を出し始めた。
たまに自分の立場とその仕事ぶりに疑問を覚える俺である。
いやまあ、それはともかく。
「失礼。【ヤマミズ郵便局】はこちらで間違いございませんか?」
「いらっしゃいませ。【ヤマミズ郵便局】へようこそ」
静かに店内に入って来たのは、一人の老紳士だった。
仕立てのいい燕尾服。頭に乗せられているのはシルクハット。
目尻が垂れた優しそうな右目と、黒い眼帯に隠された左目。
手入れの行きとどいた口髭は雲のように白く。
ご年配であることは一目で分かるのに、しっかりと伸ばされた背筋。
その手に握られているのは、漆黒で、細くまっすぐな一本の杖。
すげえダンディな老紳士だった。
こういう歳の取り方してえよなあ……。かっけえ……。
「遅い時間ですが、まだ受付はされていますかな?」
「はい。大丈夫です。どうぞこちらへ」
シルクハットをとり、優雅に一礼したダンディはテーブルに着く。
あー、参ったな。お茶とか出したほうがいいよな?
でも、このお爺ちゃん、どう見ても上流階級の人だよな?
シャルの分析によると、うちの顧客にならないレベルの人だよな?
ウチでお客様用に出してる安いお茶とか出したら怒られないかな?
いやまあ、でも。もてなしは心だ。価格じゃねえ。そうだよな。
お客様に一言断り、キッチンに入る。火属性魔法でお湯を沸かす。
慣れない手つきでお茶を淹れてみる。ああ。シャルがいればなあ……。
「お待たせいたしました。こちら、どうぞ。安物ですが」
「これはこれは。どうぞお構いなく。有り難く頂戴致します」
一度だけカップに口をつけ、笑顔でそれをソーサーに戻すダンディ。
きっとこれは礼儀なんだろうなあ。出されたものには口をつけるという。
その証拠に二口目がないもの。でもまあ、あれだ。
某料亭のオヤジのように『このお茶を淹れたのは誰だあっ!』と。
そんな失礼なことを叫ばなかっただけましというものだろう。
さて。
「では。お仕事の話を。配達のご依頼でしょうか?」
「左様でございます……が。その前に」
「この【ヤマミズ郵便局】では、なんでも【速達】という業務も行っているとか。他国へ宛てた手紙を数日で配達してくれるという。そんな嘘のような噂を耳にしたのですが、それは真のことでしょうか?」
おっときたぜ。久しぶりの【速達】依頼。
まあ実は、ちょっと予想をしてはいた。
今のウチの、通常業務の【ヤマミズ郵便局】には縁がなさそうだもん。この人。
きっとそっちの。【速達】の話だろうな、とは、ある程度予想していたさ。
「……事実ですよ?」
「ほう? では具体的に、スズ公国リボンまでは何日で配達できますかな?」
スズ公国か。先月行ったばかりだな。シャルの件で。
ここから遺跡まで半日。スズの遺跡からリボンの街までまた半日。
配達自体は丸一日貰えれば行ける。
ただし今日は闇曜日。元の世界での月曜日に当たる日。
次に【速達】が可能な予備日は、三日後の風曜日だ。
前日、水曜日の夜に出発すれば、到着は風曜日。それを計算に入れてと。
「届けるだけならば、三日で」
「信じられませんな」
一刀両断である。
ばっさり! ばっさりですよ! ばっさり斬り捨てられましたよ!
いやまあ、そうなんだけどね。信じられないのが普通なんだよね。
シャルみたいに最初から信じちゃうほうがおかしいんだよ。
「このノアの街から、スズ公国リボンまでは五ヶ月の旅が必要というのが定説でありましょう? 王室御用達の、早馬制度。あれを使っても二ヶ月を切るのは難しいというのに、三日とは。いやはや……」
……早馬制度とは、王族及び一部の上級貴族にしか使えない、郵便制度である。
構造は単純。街道の一定期間置きに配置された兵が、次々と交代しつつ馬で手紙を届けるというもの。普通に旅をするよりは圧倒的に早いが、生き物である馬ばかりではなく、その騎手すら使い潰す勢いで走らせるものだから、さあ大変。
この世界の馬といえば、それは元の世界の自家用車に当たる訳で。けして安いものではない訳で。しかも馬は、ガソリンさえ入れれば休まず走り続けられる自動車とは違う訳で。それを昼夜問わず休まず走り続けさせる訳だから、ね。
ついでに言うとこれ。正確さ、安全性にも欠けるのだ。何しろ一人旅である。しかも夜も休まない。彼らは盗賊さん山賊さん魔物さんの格好の餌である。それなのに使うのには莫大な金がかかるという欠陥商品なのだ。
そこまでしても、ノアからリボンまでは一ヶ月半といったところ。
そして俺の提示した日数が、三日。
そりゃ信じられる訳ないって。
だからまあ、このダンディの言ってることは正しい。
口調に嫌味も見下すような視線もなかったしね。
別に気にしないよ俺は。
「まあ、信じられませんよね」
「はい。失礼ながら、信じるに足る話ではないかと」
うむ。じゃあ話はこれで終わりだ。
顧客に信じて貰えなければ、商売にはならない。
残念だけど、お引き取り願って……。
「ですが、今は。そんな信じ難い話にでも縋りたい状態でしてな」
すっと差し出された二通の封筒。
一通目は見るからに高級そうな、純白の封筒。
二通目はその辺で売ってそうな、普通の封筒。
「……これは?」
「一通は配達して頂きたい手紙で御座います。もう一通は……」
封のされていないそれを、老紳士は手に取る。
袋の口を開け、中身を俺に見せてくる。
「……【速達】には、百万コルかかると伺いました。これはその前金です。三十万コル、御用意致しました。これでお願いできますでしょうか?」
……おおう。このタイプは初めてだ。
信じられないといいつつ、【速達】を依頼してくる。
こういうパターンは、過去に何度かあった。
というか今まで受けた数少ない【速達】の依頼は全てがそうだった。
依頼人は半信半疑……いや一信九疑くらいの気持ちで依頼をかけてくる。
結果を受け取って初めて、【速達】は嘘ではなかったと知ってくれる。
だから、基本的には成功報酬制度だったのだ。【速達】は。
それなのに、この老紳士は前金を渡すという。
信じられないと、しっかりと断言しておきながら。
「……ええ。そうですね。依頼を受けるのは吝かではないのですが」
「何か問題でも?」
「いえ。お客様は先ほど、『信じられない』と仰っていたのでは?」
「はい。今でも信じては御座いません」
飄々として答えるダンディ。
その顔はあくまでも穏やかで、馬鹿にしている雰囲気は、ない。
「なのに、前金を?」
「失礼ながら、はっきり言いますと、これはテストですので」
「テスト?」
「左様でございます。その手紙にはこう書いてあります」
「『この手紙を受け取りましたら、御返信をお願い致します』、と。勿論、あなたのことも書かせて頂きました。ノアからリボンを数日で踏破できると、そう申していることを。その手紙を無事先方にお渡しして頂き、返信を受け取ってこの街まで戻られた際には、今度こそ正式に仕事の依頼をさせて頂く所存で御座います」
なるほど。そういうことか。
手紙を素早く届けたい。しかし【速達】は信じられない。
だったらまず、本来届けたい手紙は後回しにして。
俺の【速達】が本物かどうかを確認するという。
よく考えてるなあ。さすがはダンディ。年の功というやつだろうか?
いやしかし。
「お話は分かりました。つまりこれは事前試験のようなものですね?」
「御気分を害されたのでしたら、申し訳御座いません」
「いえいえ。むしろ感心しました。でも、ひとつだけ疑問が」
「何でございましょう?」
「三十万コルは大金ですよ? それをあっさりと、信じてはいない俺に渡した理由ですよ。これ、俺が依頼を受けるだけ受けて逃亡するとか、そういうことは考えなかったのでしょうか? いや、しませんけどね? そんなことは。でも、そういう不安もあった筈なのではないでしょうか?」
俺の言葉を聞いた老紳士は、枯れた笑い声を立てる。
はっはっは……というその笑い声は、年を重ねた老人によく似合っていた。
「確かに三十万コルは大金ですな。私めがお使いしているミッテンベルグ家の財産からというのならともかく、これは私めの個人的な依頼ですからな」
個人的な依頼? ってことはこの爺さん、自腹を切ったというのか?
当てにならない噂話を信じて。三十万もの大金を?
「先程も申し上げました通り、ミッテンベルグ家は今、大変な事態に見舞われております。一刻も早く、本国と連絡を取る必要があるのです。そこにあなたという一本の藁が現れた。溺れる我らとすれば、嘘かも知れないと疑いつつも、それを掴むしか道はないのですよ。……なに、心配はいりません。これが性質の悪い詐欺であったとしても、この耄碌爺一人が損をすれば済む話でございます」
うわあ……。重い。重いなあその言葉は。
なんかこう、死んでもこの依頼を果たさないといけない気になってきた。
「それに実は、あなたがその前金を受け取ったことで、心配は半減しました」
「……と、いいますと?」
にやりと。実に格好よく老紳士が微笑む。
今までをは逆の、年を感じさせない若々しい表情。
「最近躍進目覚ましい【ヤマミズ郵便局】。その看板に泥を塗ってまで、老人のなけなしの金を騙し取るなんて愚かな真似をあなたはされないだろうと、そう判断しました。噂には聞いておりますので。ここの経営者の辣腕ぶりは」
その経営者というのは、きっと俺のことではなく。
今さっきメイド服でるんるん歌いながら買い物に出かけた彼女のことだろう。
いやまあ、それはともかく。
「お受けします。この依頼」
「おお、有り難う御座います。宜しくお願い致しますぞ」
× × ×
「……スズ公国のミッテンベルグ家といったら、向こうでは誰でも名前を知っている大貴族様ですよ! すごい仕事を受けましたね。ご主人様」
夕飯時。
シャルを相手に先ほどの依頼について話してみた。
彼女の実家はスズ公国だ。
もしかしたら宛先に心当たりはないかと思って問いかけてみたのだが。
結果は大当たりどころか、シャルロットさん大興奮のお相手だったという。
うっわー。そんな大物貴族様のところなんて行きたくねえなあ……。
「でも、パロスにいるということは分家かなんかなんだろ? 依頼人は?」
「あら? ご主人様ご存じではない? 『亡命公女』のお話を」
「『亡命公女』?」
なんだその女性向け小説のタイトルになりそうな単語は。
そもそも俺は王女とか公女っていう単語を聞くと心が落ち着かなくなるんだ。
特にそれの頭に「第十三」とかついちゃうともう駄目だぜ?
「スズ公国の第一王女が、この街に住んでいるのですよ。名目は留学ということで魔法大学にも在籍はしているらしいですが、実際はスズ公国王宮内の政争に巻き込まれたからだとかなんとか。そんな噂を元に付けられたあだ名が『亡命公女』」
ほーう。そんな高貴な方がこの街にはいたのか。
知らなかったし。別に知る必要もない情報ではあるよな。
どっちかといえば女性週刊誌向けの話題だ。
「その『亡命公女』のご実家が、ミッテンベルグ家なんです。分家なんてとんでもない。ご実家の力もさることながら、『亡命公女』は、スズ公国における王位継承権第三位の超重要人物ですよ!」
なんでそんな重要人物が他国で暮らしているのか、それが問題だと思うの。
何かのっぴきならない事情があるから、その公女はここにいるんでしょ?
これ絶対、スズ公国の政争に巻き込まれるパターンなような気がする。
やだよ? やだからね? そういうドロドロしたの、俺嫌いなんだよ。
「ああ。そうだ。そうですよご主人様。先日の、ご主人様の出張中。光曜日の深夜にですね、その公女様の屋敷に泥棒が忍び込んだとか! きっとその件の報告なんじゃないでしょうか? 大事なものを盗まれちゃったとか!?」
あなたの心とか、かな? その大事なものって。
盗んだのはきっとお洒落な三代目大泥棒。
そりゃ王位継承権第三位の公女の心を盗まれたら困るだろうけどね。
ICPOと埼玉県警に依頼をかけて逮捕してもらわないといけない。
いやまあ、そんなこの世界では通じない冗談はともかく。
でも盗難の被害報告程度で、わざわざ【速達】を使うかなあ?
うーん。裏に何があるのか。気になるなあ。
でも。考えても仕方ないか。
俺は俺の仕事、手紙の配達をしっかりとこなすだけだ。
「とにかく。水曜日からまた出張だから。留守、よろしくね」
「はい! お任せください! ご主人様!」
――こうして俺は、再び、リボンの街を訪ねることとなった。