第一話 あるS級冒険者の日常
――人族の住まう、北大陸の中原。
魚人族が支配するルーン内海を南に臨む、その実り豊かな大地には、人族最大の都市国家群、通称【ミスリルの一王家三公国】が存在する。
中央に位置する、ミスリル王国。
東を守る、スズ公国。
西を抑える、カナリア公国。
そして北の要、パロス公国。
元々は、ミスリル王国における有力貴族の一領地に過ぎなかった各公国であったが、ある程度の自治権を手に入れた領主たちは実に勤勉に働き、スズ公国は東に、カナリア公国は西に、パロス公国は北にと、その領土を独自にどんどん押し広げ、いつしか主筋であるミスリル王国に匹敵する、ひとつの独立した国家として活動を始めた。
一応、形式の上では今でも、三公国はミスリル王家の一貴族に過ぎず、勝手に王を名乗ることはできない。故に「王国」ではなく「公国」と称される訳なのだが、賢明な公国領主たちは「王」の名には拘らず、表面上はミスリル王を立てて、着々と国力を充実させている。名より実を取ることを選んだのだ。
――そんな北の大国。パロス公国の、ほぼ中央に位置する、首都ノアの街。
巨大な街を囲う、灰色の石壁の厚さには定評がある。石造りの町並みは、ミスリル王国首都ミズリー程の洗練さはないが、ここを拠点とする冒険者の数が多いせいか、活気という点では逆にミズリーを大きく上回り、人口、広さに関してはこの世界で二番目と噂される大都市。それがパロス公国首都、ノアの街。
その片隅の、一般庶民の住まう、南居住区にひっそりと存在する小さなお店。
店舗正面の出入り口の上には、大きく【ヤマミズ郵便局】と書かれた看板。
局長を名乗る、怪しい少年店主以外、誰も従業員がいない零細商店。
それが彼の。山水晴樹の。
異世界転移者であり、元勇者であり。
凄腕の魔術師兼冒険者として活躍中でもあり。
実は二年前にこの世界を救った英雄である、そんな彼の。
現在の住居兼店舗であった。
× × ×
「ありがとね! お兄ちゃん! ありがとねー!」
笑顔でぶんぶん手を振る可愛らしいシルフィちゃん。
隣に立つシルフィママが、優しい笑顔でそれを見ている。
あんなきれいな奥様と可愛い娘さんがいるなんて、アレク小隊長殿が羨ましい。
嫉妬でどうにかなりそうだ。助けなきゃよかった……とか思ってしまう。
ああ。いかんいかん。シルフィ嬢は俺の大事なお客様である。
今回のことをきっかけとして、お得意様になってくれるかもしれない。
愛想は良くしておかないとな。そもそもシルフィちゃんに罪はないし。
「おー。またねー。またお手紙書けたら、【ヤマミズ郵便局】をよろしくー」
こちらも笑顔で手を振る。一礼し、娘を連れ家に入るシルフィママ。きっとこれから夕食なのだろう。そう言えばハラ減った。今日は忙しくて昼飯食べ損ねたし、俺もどこかで軽く食って……ああ。そうだ。ギルドに顔を出しておこう。あそこなら飯も食えるし、ついでにちょっとした用事もあるしな。
自宅兼店舗への直帰をキャンセルした俺は、夕日に染まるノアの街をゆっくりと歩き始める。
店じまいの準備に追われる行商人や、城門を抜け、街に戻ってくる冒険者たち、今日の宿を探す旅人などを横目に見つつ、俺は石畳の大通り沿いにある、頑丈そうな、そして比較的大きな石造りの建物の中に入る。
――【パロス王国冒険者ギルド南支部】、それがこの建物の名前。
俺が一年以上、足繁く通った場所。
冒険者に仕事を斡旋したり、冒険で得た収集品の買い取りなどもしてくれる、この世界におけるハローワークのような存在である。実際、運営には国も関与しているらしいから、その例えはあながち間違ってはいないと思う。
「ちわーっす」
「おう。【速達】か。久しぶりだな。景気はどうだ?」
「まあまあですかねえ。そっちはどうです?」
「イマイチだなあ。最近、大物の討伐依頼が減ってるし」
木製の、巨大なスイングドアを開けて中に入ると、顔馴染みの冒険者たちが親しげに声をかけてくる。この一年、自分なりに必死に頑張った成果だ。二十代以上が大半を占めるこのギルドでも、若干十六歳の俺の名前はきちんと通用する。年下だからと侮られることは、今はもうない。それだけの実績を積み上げてきたからだ。
「おお。【速達】じゃねーか。なんだ? 冒険者復活か?」
「復活も何も、俺、今でも冒険者兼任でやってるじゃないですか」
「兼任をやめろって意味だよ。お前の店、儲かってないらしいじゃないか」
「大きなお世話です。今に見ていてください。ノアで一番大きな店にしますから」
ちなみに【速達】というのは俺の二つ名。由来は単純。俺が冒険者専門でやっていた頃、S級冒険者にランクアップした後でも難易度の低い手紙の配達依頼を好んで引き受け、しかもそれを全力、且つ最速こなした上に、依頼人や受取人に対して『速達でお届けしました!』と完了報告していたからである。
この世界の郵政において、「手紙や荷物を通常よりも早くお届けすること=速達」という概念は存在しないので、そう言われても依頼人も受取人も困ったろうが、そこはまあ、俺の気分の問題である。最近では、俺自身でこの言葉を世界に浸透させればいいや……なんて考えるようになった。達観というやつだ。
「で? お前さん、今日の仕事は?」
「あだ名の通り、【速達】してきましたよ。五歳の女の子に頼まれて」
「……相変わらず、変な仕事ばかりしてんなあ。ウチにきて討伐やろうぜ?」
「いやいや。手紙の配達は俺のライフワークですからね。討伐はまた今度で」
……『約束だぞ。大物やる時には必ず声かけるから頼むぞ』という、知りあいの声を聞き流しつつ、俺は馴染みの受付嬢の前に立つ。赤毛巨乳のお姉さんだ。冒険者ギルドには何故か巨乳さんが多い。もしかしたら、採用基準に胸囲の項目があるのかもしれない。Dカップ以上でなければ採用できません、みたいな。
「こんにちは。ハルキさん。何かご用ですか?」
「ご用という訳じゃないんですけどね。はいこれ。お土産です」
俺は革袋に突っ込んでおいた風竜の鱗を差し出す。そこそこ高価なものだ。女性に贈るプレゼントとしては、ちょっと色気はないが、これはまあ、口説こうとしての贈り物ではなく、はっきり言うと賄賂なので、金額さえ高ければいいのだ。
「……風竜の鱗じゃないですか。これ、どうしたんです?」
「今日の依頼の最中に、ちょっと」
「今日の依頼って……。あれ? ハルキさんって今は郵送業をしてるんじゃ?」
「そうですよ?」
それはお姉さんが一番よくわかっているでしょうに。冒険者ギルドに依頼のあった郵送の仕事をこっそり俺に横流ししてもらうとか、大きな声じゃ言えないけど、俺の裏の仕事の仲介をしてくれるとか、そういう旨みがあるから、俺もせっせとこうして貢物を贈っているというのに。半分はおっぱい目当てで。
「一年でS級冒険者になったハルキさんのすることですから、今更、多少のことでは私も動じませんけどね? さすがにこれは、ちょっと、詳しく説明して欲しいのですが……?」
いやあ、それ言われると照れるなあ。
もっと褒めてくれてもいいのよ?
……この世界での冒険者ランクはFから始まり、依頼をある一定数こなすたびにE、D、C、B、Aと上がっていく。SはA以上の最高ランクである。当然、S級へのランクアップの難易度は非常に高く、この南支部にS級は、俺を込みでも僅か数人しか存在しない。
この辺は、転移前に読んだ異世界モノの小説としっかり同じで、違いがなさすぎてびっくりしたくらいだ。いわゆるテンプレというやつである。
いやまあ、それはともかく。
「私がハルキさんに回したお仕事は、騎士団勤めの隊長さんにお手紙を届けるお仕事だったはずですよ? それがどうして風竜と戦うはめになったのですか?」
「ああ。そのことですか。ちょうどいい。これ、誰かに話したかったんです。いやもう、これが聞くも涙語るも涙の物語でして……」
× × ×
お姉さんから【手紙配達】の依頼をこっそり回してもらったのが今日の朝。
お手紙配達が大好きな俺は、喜び勇んでその依頼を受領。依頼主であるシルフィ嬢の自宅へ向かった。
笑顔で出迎えてくれたシルフィ嬢は、えくぼとそばかすが可愛い、十年後が非常に楽しみな明るいお嬢ちゃんで、「お仕事でなかなか家に帰ってこない、でも大好きなパパに宛てて、初めて自分で書いた」という、受け取るパパの立場からすれば、間違いなく一生モノの宝物になるであろうお手紙を俺に差し出しつつ、元気な声でこう言った。
「絶対にパパに届けてね! 早くね! 大急ぎでね! 約束だよ!」
二つ返事でそれを受けた俺は、即座に王宮の騎士団本部を訪ねるも、あいにくシルフィ嬢のパパは、前日から魔物討伐の任務で近隣の村まで出かけているという。
ならばと大急ぎで件の村まで向かったところ、一足遅く、騎士団の皆様は、たった今、地竜退治に森へ出向いたばかりだと言われる。
そこで彼らに追いつくために、単身森の中へと突入を果たした俺なのだが、この森、大型昆虫類の魔物がワサワサ湧く名所で、それをバッタバッタカマキリと斬り捨てながら(虫系の魔物だけにね!)進むも、今度はうっかりゴブリンの縄張りに足を踏み入れてしまい、そこでも大乱闘。
挙句の果てに、ようやく追い付いたと思ったら、何と騎士団は隊長さんであるシルフィパパを除いて全滅。しかも対峙しているのは地竜ではなく竜族序列第四位の風竜だったという次第で……。
× × ×
「いや、もう、ほんと大変でしたよ」
「……相変わらず、波乱万丈な人生を送ってますねえ……」
「これはこれで、楽しんでますからいいんですけどね」
退屈な毎日を送るよりは、よほどいいと思うんだ。
多少、危ないことがあっても、まあ大抵は何とかなるし。
何しろ俺には、とんでもないチート能力があるからな。内緒だけど。
「ハルキさん本人が満足しているのなら、私に言うことは何もないですが……。でも、この依頼、結局難易度Fですよね? 報酬って幾らだったのです?」
「報酬って、ほら、そこに書いてあるじゃないですか。依頼書のほうに。俺、ぼったくりはしませんから、その規定金額だけをしっかり頂きましたよ?」
迅速安心がモットーの【速達のハルキ】なのだ。
追加料金の上乗せなんて阿漕な真似はしませんよっと。
「……ってことは、1000コル……。風竜を討伐して、たったの1000コル……」
「あのねえ、お姉さん? 『たった』なんて言わないでくださいよ」
何しろこのお金は、あの可愛い可愛いシルフィちゃんが。
大好きなパパへのお手紙を出すためにせっせとママのお手伝いをして。
その報酬として貰ったお小遣いを貯めて作った、とても尊いお金なのだ。
「だからきっと、このお金で食べる今日の夕飯は、最高にうまいはずです」
「……そう、ですね。ハルキさん。依頼完了、お疲れ様でした」
「こちらこそ。お仕事回してくれて助かりました」
「それにこの鱗も。ありがたく頂きますね」
にこりと笑顔をくれるお姉さん。好感度UP成功。これで次も内緒で仕事を回してくれるだろう。
さ、今日のところはこれで仕事は終わりにして、ギルドの安くて量の多い(味はお察し)定食でも食って帰るか。
「あ、ところでハルキさん。お客様が来てますよ?」
「え? マジですか? どの人です?」
というか、客がいるなら先に言って欲しい。
いやまあ、先に話しかけたのも、長話をしたのも俺のほうなんだけどさ。
「ほらあれ。あの隅っこの黒フードの人。ハルキさんにご用らしいです」
「あ……。あー、はい。知りあい、です」
冒険者ギルドに併設された酒場の隅っこ。目立たないように黒フードを深く被り静かに座っているあの方は、確かに、嘘偽りなく、俺の知り合いではあった。
「ねえねえ。どういう御関係ですかあ? 私が対応したんですけど、彼女、すっごい奇麗な人じゃないですかあ? ちょっとー、教えてくださいよー、ハルキさん。彼女さんですか? 彼女さんなんですかあ? ねえねえ?」
古今東西、女性というものは他人の色恋沙汰が大好きな生き物である。それは異世界でも同じらしかった。お姉さんの目が見たことない程キラキラしていやがる。ちょっと、いやかなりウザイ。
「……あー、あの方はですね、実は女神様です。彼女だなんて恐れ多い話ですよ」
「む。なんかごまかされた気がします。ハルキさんひどいです。つーんだ」
何やらお姉さんのご機嫌を損ねてしまったらしい。
おかしいな。俺、本当のことしか言ってないのに。
それにしても赤毛巨乳お姉さんの「つーんだ」は破壊力が高い。
これからも適度にイジワルしてまた頂くとしよう。
……さて。
「お久し振りです。女神リリス様」
「お久しぶりです。山水晴樹さん」
俺はこっそり、女神のいるテーブルについた。
そういえばこの方と出会って、もう二年になるんだなと。
そんなことを考えつつ……。