第十二話 容赦なく徹底的に
「……徹底的に、ですか?」
「はい。徹底的に、です。出来ますか?」
やれと言われれば、それは出来る。
手加減しろと言われるよりは、よっぽど楽な話だ。
しかし意味はよく分からない。
前の質問と、俺が【速達】を続けるかどうかと、微妙に繋がっていない。
でも。まあ。うん。
今はちょっと、師匠に対する不信感はあるけれど。
それでも二年前の。今よりももっとガキだった俺を。
指導してくれていた頃の師匠の言葉には、間違いはなかった。
……だから。
「了解しました。徹底的にやります」
「……はい。では、速度を上げます。追いつきましょう」
「はい! ……へ?」
途端に速度を上げる、師匠の操る駿馬。
あ! いやちょっと師匠怖い! これ怖いっす! こえええええっっ!!
びびった俺は慌てて師匠のおなかに回した手に力を入れる。
その薄い背中に自分の体を張りつかせるようにして体勢を安定させる。
ふう……ようやくこれで一安心……と一息ついたところで。
――俺はある事実に気付き戦慄する。
こう、なんといいますかね。俺の腕は今、師匠のおなかを抱えている訳ですよ。
あのちっちゃい師匠のおなかです。そりゃ該当部分部分も狭い訳ですわ。
ぷにぷにと柔らかい師匠のおなか。そこに俺の腕があるとすれば、ですね。
本来なら、その、腕の上の部分には、アレが感じられると思うのですよ。
こう、なんでしょうね? 例えばこの相手がギルドの赤毛巨乳お姉さんなら。
もう俺が腕を前に回した瞬間から埋もれたんじゃないかと思うのですよ。腕が。
あのお姉さんはちょっと凄すぎるとしても、なら、シャルロットちゃんなら。
疾走するお馬さんの振動に合せて、たふんたふんと当たるんじゃないかな、と。
女性という人体の構造上、それは仕方のない話なのではないかと。
ぶっちゃけて言ってしまえば、この体勢なら普通、胸に手が当たるのでは、と。
「……どうかしましたか? ハル?」
「いえ。何でもありません」
よし。ちょっと実験をしてみよう。
俺はあえて、師匠を抱き締めている腕を、そっと浮かす。
たかが数センチだ。大きく離すと、俺、振り落とされちゃうし。
バレたら怖いし。
……っとっ! あぶね!
拘束具を自ら緩めたことにより、俺自身の体が大きく揺れる。
それに付随するように、当然、俺の組んだ腕も大きく上下に揺れる。
大変だ! 腕がフリーダムだ! 師匠のおなかと胸の間を行ったり来たりだ!
こんなに激しく上下に動いたら、触れてはいけない何かに触れてしまうかも!?
パカラッ! パカラッ! パカラッ! パカラッ!
すかっ!! すかっ!! すかっ!! すかっ!!
「……あれ? おかしいな?」
「…………」
パカラッ! パカラッ! パカラッ! パカラッ!
すかっ!! すかっ!! すかっ!! すかっ!!
あっれえ? おかしいなあ? 手が何にも触れないぞ?
いくらなんでも、その、ねえ? 数センチですよ? おなかから数センチ。
俺の腕、それしか浮かしていないんだし、少しくらいは……ねえ?
いやまあ、よしとしよう。この実験結果に満足しよう。
つまりそういうことなのだ。師匠のトップとアンダーの差は……なのだ。
いいじゃないかそれはそれで。大きさだけが胸の判断基準ではない。
胸に貴賎はないのだ。大きくても小さくても、その全てが愛おしい。
例えそれが。
ビー玉でも置かないと傾斜が確認できないほどの、ささやかな丘陵だとしても。
「……ハル?」
「……は、はいっ!?」
「……後で話があります。長いです。長くしますよ? 覚悟しておきなさい」
「……は、はい……」
うおぅバレた! 師匠から立ち上る怒りオーラがハンパねえ!
やばい早く話をそらさないと恐怖のあまり俺が死んでしまう!
「し、師匠!? それはともかく! これからどうするんですか!?」
「…………………………………………どうする、とは?」
やっべえ。沈黙が長え。師匠マジ怒りだわ。
「あれ! あの馬車! あれどうやって止めるんです!?」
「…………………………………………砲撃しなさい。車輪を。魔法で」
ちょ、あの、師匠? ごめんなさいごめんなさい。機嫌直してください。
ああ。わかりました。やります! 見事、果たして見せますその命令!
俺は右手を伸ばす。師匠の右肩越しにまっすぐに伸ばす。
前を走る馬車に標準を合わせようとするが、出来ない。
揺れるのだ。腕が。馬の動きに合わせて。
これ、片手ではちょっと無理だ。右手を左手で支えないと。
そう判断した俺は左手の力を抜く。師匠に掴まっていた手を一瞬だけ放す。
即座に師匠の左肩の上から通し、肘を曲げて右手を支える。
師匠の背中全面に自分の体を預け、姿勢を安定させる。
後ろから師匠の首筋を抱きかかえるようなポーズ。
怒られるかもしれないが非常時だ。お説教は後でまとめて受けよう。
「あ……」
「すいません師匠。苦しいですか? ちょっと、腕、弛めましょうか?」
「あ、いえいえ。いいです。危ないでしょう? そのままでいいですよ?」
「へ? あ、はい。ありがとうございます?」
おお? 師匠の機嫌が直ったぞ?
ああ、あれか。戦闘仕様か。気持ちを切り替えたんだな。大人だなあ。
「いきます。師匠」
「…………あぅ」
「…………師匠?」
「あ、はい。どうぞ。やってしまいなさい。遠慮なく」
なんか今、妙な声が聞こえたような気がする。
かわいい小動物の鳴き声のようなものが。
いやまあ、それはともかく。
集中! 集中! 集中だ!
伸ばした右手に意識を向ける。
威力よりも精密さを。強さよりも緻密さを。
――狙い済ました俺の岩弾砲が、馬車の車輪を正確に撃ち抜いた。
× × ×
横転する馬車から飛び出してきたのはさっきの二人。
破れた荷台の隙間からは、アルバートの野郎の顔も見える。
馬から飛び降りる俺。静かに続く師匠。
対峙する二組四人の距離は約10メートル。
これが半分ならば剣士有利の間合い。
これが倍ならば魔術師有利の間合い。
速さはあるが遠距離攻撃のすべがない剣士。故に距離を嫌い。
威力はあるが魔法詠唱時間が必要な魔術師。故に距離を求め。
剣士と魔術師。どちらが強いかという疑問に万人を納得させる答えはなく。
最大公約数的な答えとして述べられる言葉。
それが『近づけば剣士。離れれば魔術師』。
だがしかし。そんな言葉に意味はない。俺にだけは適用されない。
リリス様の加護を受け。アイラ・ハルラに魔法を学んだ、この俺には。
「……ハル? 圧倒、なさい」
「了解」
俺の右手。つい……と、動いたそれに、まず魔術師が反応する。
フードの男は右手を下に、大地の方へと向け、詠唱を開始する。
「……『地の理。固き台地よ。我が身を守る盾となれ。土障壁』」
腹に響く音を立て、垂直に持ち上がる土色の壁。
同様の呪文を繰り返すことにより、それが二枚、そして三枚と増える。
一枚は自分の前に。もう一枚は剣士の前に。最後は横転した馬車の前に。
「……先ほどの岩弾砲、まあまあ見事だった。地属性魔法は得意なのか?」
「そういう訳じゃねえです」
「しかし、まだ青い。地属性魔法は本来、こうして守りに使うものだ」
「あー、うん。そうらしいっすね」
男の言う通り、地属性魔法は別名『守りの魔法』。
こうした硬い防壁を作り上げたり、上級者はそれを身に纏ったりする。
魔術師同士の戦いでは、この防壁の影から魔法を打ち合うのがオーソドックスなスタイルだ。地味と言うなかれ。誰だって火属性魔法で焼かれるのは嫌だろう?
身体強化の魔法があったって、斬られれば痛いし、焼かれれば熱い。
特に剣士に比べ身体能力の劣る魔術師なら、これは当然の策である。
だがしかし。師匠は言った。「圧倒せよ」と。
ならばまずは。威力で。破壊力で。
……無造作に伸ばした右腕。そこから石礫を放つ。無詠唱で。
「なっ……!?」
魔術師のおっさん。無詠唱だけで驚くのはまだ早いぜ?
耳を劈く轟音とともに、俺の放つ岩弾砲が土障壁に着弾。これを粉砕する。
二発、三発と、それを繰り返す。三枚全ての防壁を失い青褪める魔術師。
「お、俺の土障壁がっ!? 上級魔術師たる俺の土障壁を! 一撃で!?」
そんなことを叫ぶ、身を守る盾を失ったおっさんにも一撃。
対人用に威力は落としてある。骨くらいは折れるだろうが死にはしないだろ。
それをまともに腹に受け、紙のように吹っ飛ぶ魔術師。
苦渋の声が聞こえるのは生きている証拠。しかしもう立てはすまい。
しかしおっさん、上級魔術師だったのか。
あんまり自慢げに語らないほうがいいと思うぞ?
何しろ俺の背中を守ってくれているのは【戦術級】魔術師だからな。
このお方の機嫌を損ねたら、こんなもんじゃ済まないからね。
「……おお。やるなあ。ビックスが一撃かよ」
飛び散る土障壁の破片からすばやく逃げ出した、剣士の男が言う。
なんだこいつ顎ヒゲなんか生やしやがって偉そうに。
ああ。この声。あれだ。廊下から聞こえてきた『旦那!』の声だ。
きっとこの無法者たちの頭かなにかなんだろう。
それにしてもこいつ、俺と魔術師の戦い中、手を出してこなかったな。
余裕見せてるのか? ……あ。いや違う。違った。
師匠だ。この男が警戒しているのは師匠のほうなんだ。
まあ、そりゃそうだ。こんな若造と比べたらオーラが違うもんな。師匠。
うむうむ。お前らのしでかしたことを許す気はこれっぽっちもないが。
俺よりも師匠のほうがヤバいと見抜いた目だけは褒めてやろう。
何しろ見た目チビッコ魔術師だからなあ。師匠。
よく子供とかにも舐められた発言されてるし。師匠かわいそう。
……いやまあ。それはともかく。
この顎ヒゲ剣士と話す理由もないし時間もない。
屋敷の様子が心配だ。姫がいるから大事無いとは思うが。
さっさと決めさせて貰おうか。
――無詠唱で放った岩弾砲。これで決めるつもりで撃ったその一撃を。
「しゃあっ!」
……斬りやがった。この剣士は気合と共に一刀両断にしやがった。
「……おおう。お見事です」
「ありがとな。いやまあ、これで分かったろ? 俺に魔法は通じねえよ」
思わず賞賛の言葉が出た。しかも敬語で出た。
出来るとは知っていた。聞いたことはあった。
でも、この目で見たのは初めてだった。
魔法を『斬る』。
それは不可能なことではない。
特にそれが地属性の魔法なら尚更である。
強度が必要な地属性魔法は、当然ながら質量がある。
質量があるものならば、壊せない道理はない。
さっき俺、自らが『土障壁』を壊したのと、理論は一緒だ。
だがしかし。高速で飛んでくる礫を。
それを斬るのは並大抵の技量ではない。
速さと。正確さ。
それを捉えられる目と。それに反応できる肉体。
「……なるほど。『風剣流』ですか」
「ご名答。風剣流の特級剣士崩れだ。魔術師に勝ち目はねえよ」
剣士と魔術師。どちらが強いか。その答えはまだ出ない。
だがしかし、『魔術師に強い剣士は?』という疑問に答えは、ある。
――この世界の四大流派といわれる、地水風火の剣術。
守りの地剣流。
受けの水剣流。
疾さの風剣流。
攻めの火剣流。
各流派とも各々、他にない特性を持つ四つの剣術。
そのうちのひとつ。疾さの風剣流は『魔術師殺し』と言われる。
圧倒的な速さを武器とした、その流儀。
ひたすら速さを。速さだけを求め。それだけで戦う一派。
それが、敵との間合いを絶対の条件とする魔術師の天敵。風剣流。
放つ魔法を避けられ、一瞬で剣の間合いに飛び込まれ。
成す術もなく惨殺された、犠牲となった魔術師の数。実に多数。
故に、『魔術師に強い剣士は?』という質問に、人々は答える。
……それは風剣流だ、と。
「すまんな。兄ちゃん。お前はいい魔術師だが、俺には勝てねえ」
「……そうですかね?」
「後ろにいるお嬢ちゃんには、ちょっと勝てる気がしねえけどな」
「いい目をお持ちですね。あの人、俺の何倍も強いですから」
風剣流の特級剣士でも、【戦術級】魔術師の相手は無理だろう。
あの人、軍隊と対等に戦えるからな。チートだチート。
……でも、だけど。俺のほうも捨てたものじゃないぜ?
ちらりと一瞬、背後の師匠の様子を伺う。
まだ試験中止には至っていないようだ。「圧倒せよ」という師匠の課題。
それに対し、俺はまだ決定打を放ってはいない。
「……見えれば、魔法でも斬れる。だから俺に勝ち目はない、ですか?」
「そういうことだ。次はねえからな。間合いに飛び込んでバッサリだ」
自分の速さに絶対の自信があるのだろう。
そりゃそうだ。それが風剣流の強みだからな。
……じゃあ。
「……魔法が、見えなければ?」
「あん?」
伸ばした右手で、指鉄砲の形を作る。
詠唱は必要ない。でも。ここはひとつ。演出で。
「……『魔砲弾』」
「ぐおっ……っ!?」
無音。高速。そして見えない。魔法の弾が顎ヒゲ剣士の肩を抉る。
吹き飛んだ軽金属の肩当。踊るように体を捻る剣士。舞う血飛沫。
「な、なんだ今のは!?」
「えーっと。無属性魔法です」
「無、無属性? なんだそりゃ?」
「二系統四属性。この世界の魔法はそれだけじゃなかったのですよ」
その理論を組み立てたのが、【天才少女】アイラ・ハルラ。
それを実践したのが、この俺。
まだこの世界では俺しか出来ない、七種類目の魔法。
昔からその存在を疑われてはいた、伝説の魔法。
――無属性。
その仕組みは簡単である。
膨大な魔力をそのままぶつけるだけ、なのだ。
その最大の利点は、純粋な魔力、つまりエネルギーの塊ゆえに。
見えないこと、だ。
魔法は、普通、火や水に変換し活用する。
そのほうがエネルギー効率が高いからだ。
魔力は、それだけでは武器と成り得ない。それが常識。
そしてその常識を打ち破ったのが、師匠の頭脳と俺の魔法総量。
これと『無詠唱』を発見した逸話は、いつか語ることもあるだろう。
今はまあ、とりあえず。目の前の戦闘に集中して。
「……降伏してください。今の魔法、連射も出来ます」
「……ちっ。参ったな。割りに合わねえ仕事を引き受けちまった」
顎ヒゲの男は剣を構える。片手で。
恐らく反対の肩は砕けている。
「降伏、しないので?」
「一応、前金で結構な金額を貰ってるしな。……それに」
「それに?」
剣士は薄く笑う。
穏やかな声で、静かに続ける。
「盗賊にも盗賊なりに仁義ってやつがある。ここで一人、逃げ出せねえよ」
「……そうですか。では、どうぞ」
……片手で突っ込んできた男の腹に、俺の見えない魔弾が、炸裂した。
× × ×
「お待たせしました! 師匠!」
「お疲れ様です」
「で、どうでしょう? 今の戦闘の結果は?」
何だかんだ言いつつも、こうして師匠を慕う俺は甘いんだろうな。
「……60点、といったところですかね?」
「……60……。け、結構厳しい採点ですね……」
あっれー? そんなもんかなあ?
俺、結構がんばったと思うんだけどなあ。
完全無傷で上級魔術師と特級剣士の二人撃破。
しかも剣士のほうは『魔術師殺し』の風剣流だぜ?
もーちょっと点数甘くしてくれてもいいような……。
俺のそんな心情が顔の出ていたのだろう。
師匠はいつもの先生ポーズで続ける。
「誤解があるようなので、説明します。まず、戦闘は85点」
「おおう!」
「『土障壁』を壊した魔法の威力。無属性魔法。素晴らしかったです」
「おっしゃ! ……あれ? でも絶賛のわりに100点ではないのですね?」
その評価内容なら、100点満点でもいいような……。
「途中の発言とか、間の持たせ方とか、格好付けすぎでマイナス15点です」
「あ、そうっすか……」
「正直、ちょっとだけ鳥肌が立ちました」
「そんなにですか!?」
うわあ……。気持ち悪いって言われたあ。
師匠の前だから格好付けたのに……。
「冗談ですよ。そこまで気持ち悪くはなかったです。いい感じでした」
「……ありがとう、ございます」
これはきっとお世辞だ。フォローだ。悲しい。
まあ、いまはそれより。
「では、それが60点まで減点された理由は?」
「それはですね。ハル? 君が私の言葉を誤解しているからです」
「誤解? 誤解と言いますと?」
「えっと」
そこで言葉を切った師匠は、トコトコと歩き出す。
どこへ行くのかと思いきや、目的地はすぐそこ。壊れた馬車の荷台の中。
「……ひ、ひぃっ! く、くるな! くるな!」
乗馬用の物なのだろう。
座り込み、見苦しく意味もなく鞭を振り回すのは、アルバートの野郎。
馬鹿だなお前。師匠が鞭くらいでどうにか出来るわけないだろうが。
むしろ師匠と鞭の取り合わせなら、打つより打たれるほうがいいだろ?
そんなアルバートの前に立つ、無表情の師匠。
ああ。あれは怖い。すげー怖いんだ。俺は知っている。
師匠の人形めいた無表情、俺は好きだけどさ。大好きだけどさ。
でも、あの顔で怒られると本気で怖いんだよな。表情が読めないから。
何されるかわからないという、そういう怖さがある。
――そんな師匠が。
「……あなたが、この事件の黒幕ですか?」
「し、知らん! 俺は何も知らん!」
「……『岩弾砲』」
……バァン!!
アルバートの右足、そのすれすれを、魔法の礫が穿つ。
「もう一度聞きます。あなたが、この事件の黒幕ですか?」
「…………」
「……『岩弾砲』」
……バァン!!
アルバートの左足、そのすれすれを、魔法の礫が穿つ。
「黙秘は許しません。次は当てます。あなたが、この事件の黒幕ですか?」
「ひぃっ! そ、そうだ! 許してくれ!」
「……『岩弾砲』」
……バァン!!
アルバートの右手、そのすれすれを、魔法の礫が穿つ。
「なぜ、このようなことを?」
「……か、金だ! 遺産だよ! あの糞じじいを殺して遺産を」
「……『岩弾砲』」
……バァン!!
アルバートの左手、そのすれすれ、じゃねえ!? 左手を魔法の礫が穿つ!
「ぎゃああああっっ!! いてえっ! いてええええっっ!」
「大袈裟です。命に係わる怪我ではありませんよ?」
いや。師匠? 確かに命には係わりませんが。
それ結構痛いですよ? 叫び声くらいあげても仕方ないような……?
「……世の中には親の為に、自らの命を投げ出す子もいます。……『岩弾砲』」
今度は外した。顔の皮膚を掠めるようにして飛んでいく岩弾砲。
「……世の中には子の為に、自らの命を投げ出す親もいます。……『岩弾砲』」
今度も外した。頭上、まったく見当違いの場所を突き抜ける岩弾砲。
「……なのに、あなたは。金の為に家族を殺そうとしました」
師匠の糾弾が止まる。その手がまっすぐ伸ばされる。
その先。その先にあるのはアルバートの、顔?
え? ちょ、ちょっとまって師匠!?
その距離で師匠の魔力で岩弾砲なんかぶっ放したらそいつ死にますよ!?
「……その罪、万死に値します。覚悟はいいですか?」
「ひ、ひい、ひいぃぃぃぃっっっ!!」
――どぉん!!
そんな、今迄で一番でかい音を立てて、石の礫が撃ち砕く。
――壊れた馬車の、その床。アルバートの両足の間を。
完全に白目を剥き、小便を漏らし気絶する元貴族様。
それを前にして、師匠は、静かに、言う。
「『徹底的に叩きのめす』とは、こういうことです」
「あ、はい。えっと。はい。た、確かに、容赦なかったです」
「ハルに見せてもらいたかったのは、こういう容赦のなさだったのです」
あーはい。怖かった。あんな師匠、初めて見た。
あれ絶対アルバートのやつ、トラウマになってるぜきっと。
うん? あ、でも。
やっぱり分からんぞ? これがどうして【速達】と関係ある?
「ハル? 君はこれからも【速達】を続けるといいましたね?」
「あ、はい。続けます。やります」
「でしたら。憶えておきなさい。実践しなさい。敵には容赦しないことを」
「……はい?」
どういう意味ですか、と。視線だけで問いかける。
ひとつ頷いて。師匠。
「ハル? 君の使う【速達】。あれは転移魔法陣を使うものです。そしてそれは、世界の政治、軍事事情を左右しかねない、そんな危険な魔法です。それを手紙の配達という、平和な目的の為に利用しているハルは立派ですが」
「君が依頼を受ける度、君の噂は少しずつ広がっていくことでしょう。そしてその噂は、転移魔法陣を軍事目的で使おうとする者の耳にも入るかもしれません。そういう目的で君を支配下に置こうとする者も現れるかもしれません。そしてそれは人だけだとは限りません。……国家ですら、君の敵に回りかねません」
「だから、ハル? 【速達】を続けるなら、強くなりなさい。誰にも負けない力を身に付けてください。そして敵には一切容赦しないでください。『こいつには何をしても勝てない』と。そう敵に脅えられるような存在になってください」
「ハル? 君は今でも強い。そして優しい。優しすぎるくらいです。その優しさに付け込んでいる私が言うのですから間違いありません。……本当に『お前が言うな』っていう話ですよね。すいません」
「私はその、ハルの優しさが好きです。でも、同時に心配になるのです。あの仕事を。【速達】を続けるハルが、誰かに騙されはしないか、と。困ったことにならないか、と。余計なお世話かもしれません。今の私が言っても、師匠失格な私が言っても、きっとこれっぽっちも説得力はないでしょう。でも」
「……私は、今でも、ハルの師匠でありたいと、そう思っていますから」
長い長いセリフの最後を、その言葉で追えた師匠は。
いつもよりも。ずっと小さく。迷っているようにも。
泣いている子供のようにも見えたから。
だから俺は。心から。この言葉を返すのだ。
――世界中のみんなに、宣言するように。
「俺は今でもアイラ師匠の弟子です。本日もご指導、ありがとうございました!」