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第九話 車中にて

 翌日。


 ……ガタゴトと揺れる馬車の中。



 三人で乗るにはちょっと狭い小型馬車ではあるが、その三人のうちの一人が体積の非常に小さい師匠だったこともあり、それなりに余裕を持って座れる。必要とあらばちっちゃい師匠を俺の膝の上に乗せるという手段もあったのだが、むしろそれを少し期待していたまであるが、多分、それを実行したらいつもの冷たい目で淡々と諭すように説教されたであろう。


 そんな師匠は『馬車酔いをするので』という理由で、奥の窓際の席を確保し、眠そうな目でぼーっと風景を見ている。



 反対の窓際に位置するのが俺だ。俺も師匠同様、馬車に弱い。元の世界にいた頃は乗り物酔いとは無縁だったのだが、しかしここは異世界である。馬車が走るのはアスファルトできれいに塗り固められた道路ではない。古くなり、ところどころ欠けている石畳の上である。揺れるんだこれが。いやもうほんとに。



 ……さて。そんな俺たち二人に挟まれているのが、『乗り物酔いなんて言葉は知りませんよ』とばかりに満面の笑顔を浮かべるアイリス姫。たまに「でへへへ……」とかいう不気味な声も漏れてくる。怖いのでやめてほしい。



「姫。変な声を出さないでください。気持ち悪いです」

「あ、はい。すいませんハルキ様。……うへへへ……」



 安物のフード付き黒マントにくるまった姫に、俺の言葉は届かない。滑らかとはお世辞にも言えない生地をさすさすとさすり、満足げに微笑み、軽く引っ張って強度を確かめ、そしてまたウフフフ……と含み笑いを漏らす。



「……姫」

「す、すいません! でも、その嬉しくて……」

「……ああ。はい。そうですか。喜んで頂けて幸いです」

「はい! 大事にしますね! これ!」



 ……心底うれしそうに、姫は、俺の買ってあげた黒マントを抱き締めた。



   ×   ×   ×



 昨晩から今朝にかけての話である。



 姫に回復魔法を施し、その意識を取り戻させた俺は、率直に今現在の自分がしている仕事や今回の依頼について話し、協力を求めた。



 ……正直、忸怩たる思いがなかったと言えば嘘になる。



 彼女のしたことを許せるかと問われれば、やはり否だ。

 この怒りを不当なものだとは、誰も言わないだろう。


 では彼女のことが、顔も見たくないほど嫌いかと問われれば、これも否だ。

 少なくとも俺は、あの事件が起こるまでは、彼女に好意を抱いていた。

 たった半年足らずの付き合いではあったが、その気持ちに嘘はなかった。


 好きだったというプラスの気持ち。

 裏切られたというマイナスの気持ち。


 その両方が存在し、打ち消しあって0になるのではなく。

 プラスの気持ちもマイナスの気持ちも、そのままで存在している。



 ……この感情に白黒つけるのには、一年という月日は、まだ短すぎたのだ。



 だから俺は、過去のことには触れずに彼女に依頼した。

 されど姫は、過去のことをもち出すようにこう答えた。



『あの日から。ハルキ様の人生を狂わせたあの日から、わたくしの残りの一生は、ハルキ様への贖罪の為にあると思っております。どうかハルキ様。お願いなどなさらないでください。命じてください。わたくしはハルキ様の命ならば、何でも致します。どんなことでも致します。ですからどうか、ご命令ください。……「俺の為に働け」と』



 彼女の態度は、偽善だろうか?

 彼女の言葉は、欺瞞だろうか?


 自己酔狂だと断じる、冷めた俺がいる。

 いい加減、許してやれよと、甘すぎることを言う俺もいる。


 だから俺は、そのどちらにも耳を貸さず、翌日の約束だけを取り付けた。

 そしてそのまま、姫も師匠も部屋から出し、一人、宿で夜を明かした。



 ……と、まあ。シリアスだったのはここまでで。



 一夜明け、今朝。


 二人と合流し、宿を出たところで気付く。

 アイリス姫が目立ちすぎるということに。


 俺は見るからに「庶民!」といった感じだし。

 師匠はどこからどう見てもチビッコ魔術師だし。


 この二人なら、街中を歩いていても通行人の目を集めることはない。

 強いて言えば師匠の美貌の問題があるが、帽子を目深に被ればそれは隠せる。


 どうしようもなかったのは姫である。

 何て言うか、こう、オーラが違うのだ。


 姫は今日はドレス姿ではなく、女性プリーストの正装だ。

 黒を基調としたシンプルなロングドレス。

 そこに目立つ要素はない。同じ恰好のプリーストはあちこちで見かける。



 だがしかし、格が違うとでもいうべきか。



 別に威張っているとか「ヲーッホッホ! おどきなさい! この庶民!」とか言いつつ高笑いを上げている訳でもないのに、とにかく存在感が違う。これが高貴な血の成す業かと、関心すらしたもんだ。


 と、いう訳で。


 目立ちたくない俺たちは、姫用に黒マントを購入。フード付きで顔もしっかり隠せるものだ。防刃とか対魔法とか、そういった機能は求めない。とにかく姫の存在感を少しでも消せればいいと適当に買った安物だ。



 ……ところが、これを受け取ったアイリス姫のテンションの上がりっぷりったらもうホント凄まじいもので、なんだろう? 元の世界の千葉にあった某巨大テーマパークを初めて訪れた小学生のようなはしゃぎようで。『お前昨日の殊勝な態度は一体どこに行ったんだよ?』と、正直、そう突っ込みたくなるほどだった。



 ……いやまあ、いいんだけどね。捨てられるよりは、喜ばれたほうが、さ。



   ×   ×   ×



「ところで、ハル?」

「はい。なんでしょう? 師匠」

「うふふふふ……」



「魔法の修業は続けてますか?」

「あー。はい。一応。主に、実戦で」

「えへへへへ……」



「……実戦で、とは? 座学はしていないということですか?」

「……うーん。してない訳でもないですが師匠に習っていた時よりかは……」

「にゅふふふふ……」



「…………魔法は、その仕組みを理解して使うものですよ?」

「…………わかってはいるのですが、仕事のほうもなかなか忙しくて……」

「おほほほほ……」



「………………」

「………………」

「えへえへえへへ……」



「………………ハル」

「………………はい。師匠。了解しました」

「くくくくく……って、あ、ハルキ様何を……あっ、ああああっ! きゅぅ……」



 俺と師匠の間で、黒マントを撫で上げながらおぞましい笑い声を上げ続ける化物姫の魔力を吸収し、強制的にフリーズさせる。ふう。ようやく静かになったぜ。もうこのまま屋敷につくまで眠らせておこう。ウザったくてかなわん。



 ……それにしても。



「師匠? このポンコツ姫にどういう教育をしてるんです?」

「どういう、とは?」

「こんなんじゃ王宮でも扱いに困るでしょ? もっと厳しくですね」


 こんなのが放置されてたら、ミスリル王国の威厳も何もあったもんじゃない。

 ああ、あれか。普段は王宮のどこか奥深くに幽閉でもされているのか。

 人目につかないように。正しい判断だと思います。


「あ、いえいえ。ハル? それは違いますよ?」

「へ? 違う、とは?」

「姫は普段はきちんと王族としての義務を全うし、礼儀作法も完璧ですよ」

「……マジですか?」


 うそだろこのロイヤルビッチが礼儀正しいとか。

 昨日からのこいつの言動を見てきた身としては、これっぽっちも信じられん。


「今、姫がおかしいのは、ハル? 君に会えたからだと思います」

「……そっすか」

「よほど嬉しかったのでしょうね。姫の笑顔なんて、久しぶりに見ます」



 …………。



「でもほら。突然ベッドに押し倒してきたりとか。さすがに問題があるのでは?」

「ハル以外の人にすることはないと思いますが」

「そ、そうですか……。でも駄目でしょうそんなの。どこであんな知識を……」

「あれですか? あれは私が教えたことですね」

「……はい?」

「『男をモノにするには、胃袋と下半身をがっちり掴むこと』だと教えました」

「ちょっとぉ!?」

「『会うと同時に押し倒してしまえばこっちのもの』だとも教えましたね」

「ししょおぅ!?」



 おいちょっと師匠待ってください黒幕はあんたでしたか!?

 もともと少しおかしかった姫があんなに悪化したのあんたのせいですか!



「『殿方の気持ちをつかむにはどうすればいいのでしょう?』、と、姫に相談されましたので。はい。過去の経験も踏まえ、そう教えておきました」

「……その『過去の経験』というのは、あれでしょう? 旅の時に、あの人が言ってたことそのままでしょう? あれは駄目な意見だと思いますよ?」



 そういうことを言いそうな人に心当たりがある。

 直接的で肉欲的で、いろいろになことに縛られないあの人。


 まったく。ほんと碌なこと言わねえなあの人は。

 姫だけならともかく、師匠まで汚すのはやめてほしい。



「で? どうですハル? 姫に対して、こう、そういう気持ちになりましたか?」

「……なりませんよ。なる訳ないじゃないですか」

「……昔は、姫に夜這いをかけようとしたくせに……」

「それを止めたのが師匠じゃないですか」



 今でも覚えている。

 若かりし過ちで、姫の部屋へと突入しようとした俺を止めた師匠の言葉。



『ハル? 君が姫に好意を抱いているのは知っています。姫も、君をとても好いています。求めれば、拒まれることはないでしょう。ですから、今から言うことは余計な御世話かもしれません。でも聞いてください。……姫は、王族です。王家の一員です。その姫を抱くというのは、君が思っている以上にずっとずっと重いことです。ハル? 君には、その重責を背負う覚悟がありますか?』



 十四歳当時の俺は、その言葉の意味を正しく理解できた訳じゃないけど。

 二年たって、十六歳になった今でも、正確に理解したとは言い難いけど。


 その時の師匠の表情と声が。

 いつもと変わらぬ無表情で抑揚のない声が。


 それでも、大事な何かを教えてくれているようで。

 俺はその夜、姫の顔を見ることなく自分の部屋へ戻ったというのに。



「……師匠のいうことは、していることは、支離滅裂です。何で今さら、俺と姫をくっつけようとしてるんです? 何か隠していませんか?」



 ……思わずポロリと。本音が漏れた。



「……そう、ですね。確かに支離滅裂ですよね。二年前の件といい、昨日のことといい。私はハルにとっても、姫にとっても、よい師匠ではないのでしょう。……忘れてください。ハル。君は、君の思うままに生きてください」



 ――そう言って再び窓の外へと視線を向けた師匠は、それっきり、屋敷への到着まで一度も口を開くことはなかった。





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