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序章

僅かに開けたカーテンから、これまた僅かな光が差し込む。ハトが鳴き、郵便配達の原付の音が聞こえる。夜明けだ・・・。


 部屋のなかはまだ暗いがトリチウム蓄光の文字盤の付いた腕時計が怪しい光で5時を知らせる。朝倉隆史はアラームを設定したスマホが耳障りな音を出す前に切り、畳の上で一晩包まっていた毛布をよけた。その音で相棒は彼に気が付いて一瞬こちらを見たが、何も言わずすぐに一晩中覗き続けた単眼鏡に目を戻した。

 警察権を持つ機関に属する身として多くの規則に縛られて生きているが、変わり者の仲間たちと家族以上に長い時間を過ごしていると一種の慣習ができる。ここ数日で相棒は寝起きの隆史に話しかけてはいけないという慣習を作ったのだ。


 隆史は洗面所で顔を洗い、髭を剃り、ソフトモヒカンの頭にワックスを塗りつけ、用を足し、スーツに着替ると、牛革でできたショルダーホルスターにベレッタM92FS自動拳銃を入れた。そして一晩中そこに座っていた相棒の隣に腰を降ろす。

 「動きは?」まだ眠り足りない不機嫌を何とか隠してそれだけ聞いた。

 「何も・・・。」相棒の仲田由紀はそれだけ言うと、彼女も眠たいのかあくびをして目をこすった。

 隆史のささやかな自慢は相棒が女であることだ。しかもただの女ではない、かつて自衛隊の特殊部隊に在籍し、研修でアメリカ海兵隊の前哨狙撃兵養成課程に参加した。最強の女スナイパーで、最高の捜査官だ。しかし隆史は、長年スコープを覗き続けたせいで不幸にも20代で目元に皺ができたこの女を好きになれなかった。


 隆史は由紀の肩を押して椅子を奪うと、三脚で固定された単眼鏡を覗きこんだ。最大100倍ズームまでできる、赤外線画像、レーザー測距義付きの100万円もする単眼鏡では視界もクリアで、数百メートル先の監視目標のマンションもきれいに見える。しかも赤外線画像なのでカーテンの向こうもお見通しだ。

 「よし、引き続き頼む。」

 隆史は椅子を譲り、今度は台所に立った。警官出身の彼は厳つい風貌をしているが、見かけによらず料理が得意だ。今日も簡単な朝食を手早く二人分作った。他の班がコンビニ弁当とカップ麺のオンパレードなのに比べれば恵まれた待遇だ。

 単眼鏡の横に朝食を運び、監視の引き継ぎをしながら二人仲良く並んで朝食を食べる。由紀は時々単眼鏡を覗きこんでは、無言でトーストを頬張った。


 隆史はそんな相棒を好きになれない理由について考えてみた事がある。口数が異常に少ないこと、感情を全く出さないこと、時々神経質なこと、そもそも性格が合わないこと、その他諸々。

 このままでは仲が悪くなると思い、今度は好感のもてるところを思い浮かべた。優秀なこと、まじめでプロ意識が高いこと、あとは・・・美人なこと。相棒としてよくやっていられるのは恐らく最後の点が大きい。

 隆史が仲間に由紀の話をするときに決まって言うのが「恋人にはしたくないが、抱きたい」もちろん冗談だが、彼のなかではその表現はあながち間違った評価では無かった。


 「標的に動き!」

 相棒の声で隆史はあわてて皿を置くと横に置いてあったM24狙撃銃をとって構えた。由紀の銃で、隆史に狙撃手の資格は無いから発砲はできないがスコープを望遠鏡変わりにはできる。

 「部屋に男、3名まで確認・・・」

 「見えた。」

 隆史はスコープのパワーリングを調節して倍率を上げた。

 「女が1名」

 由紀は手元のノートにメモを取った。

 「写真を撮れ」

 隆史が指示する前に由紀は単眼鏡にセットされたカメラ機能を使った。ライフルのスコープよりも高倍率な写真がタブレットに送信されてきた。薄手のカーテン越しに3人の男は中国系、女は東南アジア系なのがわかる。

 「女性が殴られてる」

 由紀が引き続き報告を続け、隆史はタブレットに落としていた目をもう一度スコープに戻した。女が男たちともめている。

 「仲良しグループじゃ無さそうだ」

 「ひどい殴られ方」

 「殺しはしないさ、大事な商品だ。」

 隆史は銃を置くと窓際にセットしてある装置の電源を入れた。

 窓にレーザーを当てることでガラスのわずかな震えを音声にする盗聴器だ。

 「音声を拾った」隆史は事務的に言った。

 「話の内容は?」

 「日本語じゃない、理解できるのはあの娘の悲鳴だけだ」

 「交代して」

 由紀は単眼鏡を隆史に譲ると、狙撃銃用の三脚を展開して座射の姿勢を取った。

 「撃つなよ」

 「・・・うん」

 頷きながらも由紀は来たるべき狙撃の瞬間に向けて心拍数と呼吸を整えた。

 スコープの向こうでは女が反撃に転じていた。床に押し倒されていた女が渾身の力で男の股間を蹴り上げたのだ。盗聴器から男の苦悶の声が聞こえる。

 「わお・・・、あれは痛い」隆史は自分の股間をおさえた。「お前たちが想像する20倍は痛いんだ」

 男は倒れ、女が飛び上がって逃げ出し、そのまま視界から消えた。しかし、部屋に置いてあったあらゆるものが残りの男たちに向かって飛んでいくのを見た限り、女はまだその部屋で男たちと対峙しているようだ。

 

 男たちは初めのうち、女のささやかな抵抗を面白がっている様子だった。しかしあまりにもしつこく抵抗するので彼らも余裕をかましてはいられなくなったようだ。本気を出した男たちに、女はあっという間に捕えられた。

 「彼女、死ぬわ。」

 「くそったれ、バカどもめ。」

 女のあまりにもひどい殴られようを見かねて、隆史はスマホを取った。

 「〇〇マンション502号室に女性が無理やり連れて行かれて、部屋から悲鳴が聞こえる。」

 隆史は110にそれだけ言うと、名前を聞かれる前に切った。

 その時にはもう、盗聴器から女の悲鳴は聞こえなくなっていた。代わりに男たちの上ずった声が聞こえてくる。

 「最悪」由紀がつぶやいた。

 単眼鏡を覗くと、ぐったりして動かない女を、男たちが必死に蘇生を試みている。蘇生とはいっても頬をひっぱたくとか、水をかけるとかその程度の3流の処置だ。

 「撃つなよ・・・。」

 今すぐここを飛び出して助けに行きたい気持ちを冷酷に振り切り、落ち着いた声で由紀に言った。

 隆史は単眼鏡の倍率を上げ、倒れている女を観察した。鼻から泡の混ざった血が流れている。泡が混ざっているのは恐らく呼吸はしているからだ。多分内臓破裂とその他の外傷でショック症状を起こしたのだろう。

 男たちはすぐにあきらめた、そしてリーダーとみられる男がどこかに電話した後、ナイフを抜いて女の首に当てた。証拠隠滅をするつもりだ。

 「ひどいことしやがる」隆史がつぶやいた。

 一人の男がニヤニヤしながらリーダーに話しかけ、リーダーはナイフを戻した。

 そして何を思ったのか、死にかけた女を相手にレイプパティーを始めた。

 もしも隆史がM24を構えたままだったら、男たちを撃ち殺していた。そして、同じことを考えた由紀はたまたま隆史と交代して銃を持っていた。


 M24にはサプレッサーが装着されていた。発射ガスを吸収して火薬の爆発音は低減してくれるが、亜音速弾を使用しない限り、弾丸が空気の壁を突破する衝撃波で大きな音がする。

 突然の発砲に隆史は思わず身を縮めた。由紀は構わず次弾を装填して発砲した。

 「おい、由紀!」

 隆史は抗議しながらも彼女を止めず、単眼鏡を覗きこんで着弾を確認した。

 今まさに女をレイプしようとしていた男の顔が吹き飛んで無くなった。部屋中に男の頭の破片が飛び散り、残された二人が唖然としている。そのうちもう一発が生き残った男の胸に命中して噴水のように血を吹き出しながら倒れた。

 「皆殺しか・・・。」

 スコープから目を離したとき、由紀は三発目を撃つところだった。今更スコープを覗かなくとも、最後の一人がどうなったのか隆史にはわかった。彼は由紀が狙った的を外さないことは知っていた。

 「お前、班長に怒られるぞ」

 「でもあなたは私を止めなかった。同罪よ。」

 由紀はそういうと銃を片付け、撤収の準備を始めた。任務は失敗した。もうここにとどまる必要はないのだ。三日三晩続いたおかしな共同生活はこうして終了した。

 

 

 

 

 

 


       

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