EP4: 「私は高円寺の正統なる後継者よ!それは、紛れも無い事実。疑う余地ある?」
「私は高円寺の正統なる後継者ですけれど! 慈愛の兄と、忌まわしき赤髪の残像」
# [LOG_RIN]
西暦2025年、現世界・日本・東京。 凛はその朝──不思議な夢を見て目を覚ました。 ……そして、この物語はここから始まる。
東京都心の中心、高層ビルが立ち並ぶ中でも、ひときわ異彩を放つ荘厳な屋敷がある。それが、高円寺家の本邸だ。 重厚な門をくぐれば、都会の喧騒は一瞬で遮断され、そこには季節の花々が狂いなく整然と並ぶ広大な庭園が広がっている。
その最奥に、白亜の石造りの邸宅が堂々と佇み、訪れる者を圧倒する存在感を放っていた。この一族の並外れた財力と権威が、その建物の一片一片、あるいは磨き抜かれた大理石の床からさえも窺い知れる。
高円寺凛。この家の次期後継者候補。 鏡に映る私は、世間が羨むほどの美貌と知性を、完璧なバランスで兼ね備えていた。
絹のように滑らかで、月光を溶かし込んだような白銀の髪。深い青を湛えた瞳は、冷徹な宝石のように鋭く世界を射貫く。
名家の令嬢として純粋培養されたゆえの、絶対的な自信。それは時に、周囲から「傲慢で高飛車」と揶揄されるほどだったが、私はそれを誇りこそすれ、恥じたことなど一度もない。
「高円寺の名に泥を塗ることだけは許されないわ」
ドレッサーの上に置かれた、特注のサファイアが輝く髪留めを手に取る。 それは、お兄様《凌雅》が贈ってくださったものだ。
私が大きなプロジェクトを成功させた時、「凛の瞳と同じ色だね」と微笑んで私の髪に添えてくれた、世界に一つだけの宝物。 お兄様《凌雅》は、高円寺財閥の次期当主にして、現在は私の直属の上司。
私を無条件に認め、愛してくれる唯一の陽だまりだった。この髪留めに触れるたび、私の背筋は鋼のように伸びる。
凛が育った家庭は、華やかでありながら、複雑な影を孕んでいた。 父・高円寺崇一は財閥の当主として経済界に名を轟かせる覇者だが、家庭では理想的な父親だった。
「凛、君が何を望んでも、父さんは応援するよ。それが君の幸せに繋がるならね」
穏やかな笑顔を絶やさぬ父は、母を亡くした私にとって唯一無二の支えだった。
しかし、祖父・高円寺玄道との関係は、まるで正反対の氷点下だ。 玄道は厳格で冷徹。家名に恥じる行動を取れば、容赦のない叱責が飛ぶ。
「凛、お前は高円寺家の娘だ。その意味を忘れるな。家名を守ることは、お前の責務だ」
当時の私は、その言葉に隠された愛情を知る由もなく、ただただ冷たい視線に反感を募らせていた。 ある日、社交の場で些細な失敗をした私を、玄道は激しく突き放した。
『お前がこの程度のことで動揺するようでは、高円寺の名を背負う資格などない!』
泣きそうになりながらも、庭の片隅で一人震えていた私を、父がそっと慰めてくれた。
『愛し方が違うだけなんだよ。君を信じているからこそ、厳しくするんだ』
その頃、玄道が書斎で一人、私が幼い頃に描いた絵を険しい表情で見つめ、その瞳に深い哀愁を漂わせていたことなど、私は気づきもしなかった。
――そして、この物語のもう一人の主人公、音無海は、下町で全く異なる環境の中にいた。 裕福ながらも派手さとは無縁な家庭。
彼は内気な性格で、特徴的な赤髪と分厚い眼鏡を「盾」にして、周囲からの視線を遮る少年だった。 おでこには、何かの予兆のような薄い文字のアザ。
それが何を意味するのか知らずに育った彼は、赤髪のせいで学校ではいじめの対象となることが多かった。
『お前、なんだよその赤髪? ヒーロー気取りかよ、ダサっ』
泣いていた彼を助けたのは、幼い頃の私だった。
『ちょっと、やめなさいよ! ほら、泣いてばかりじゃ何も解決なんてしないわ。泣くのがヒーローなの? ――それなら、私にはいらないわ』
その言葉は決して彼を励ましたものではなかった。しかし、海は初めて「凛のように強くなりたい」と、何かに取り憑かれたようにヒーローに心酔していった。
『……あの子、おもちゃ売り場のベルトの前から動こうとしないのよ』
海の母が嬉しそうに語っていたその目覚めが、まさか「ヲタク」という名の狂気の始まりだとは、誰も想像していなかった。
数年の月日が経ち。 私は、お兄様《凌雅》から褒められた仕事ぶりに気分を良くして、オフィスの廊下を颯爽と歩いていた。その時――。
「あっ、ごめんなさい!」
曲がり角でぶつかり、無様に転倒したのは、あの音無海だった。 ガシャン、と資料の束と一緒に、オフィスには不釣り合いな重厚な金属音が響く。 床に転がったのは、無骨な装飾が施された、異様な存在感を放つ玩具の『ベルト』だった。
「……ちょっと、前を見て歩いてくれないかしら?」
私は眉をひそめ、這いつくばって慌ててベルトを隠そうとする彼を、冷たく見下ろした。
「それ……なんですの? あなた、ここをお遊びの場だと思っていらっしゃるの? いい大人が、このような玩具を持ち歩くなんて。恥ずかしくなくて?」
凛の言葉が、鋭利な氷の刃となって、海に突き刺さった。 海は真っ赤な顔で震えながら、大切なものを守るようにベルトを抱え込み、俯いたまま視線を合わせることなくボソボソと呟いた。
「す、すみません……。でも、コレは……コレだけは、遊びじゃ無いんで……ッ!」
彼は耐えきれなくなったように、逃げるようにその場を去ろうとした。 その卑屈な背中に、私の憤慨はさらに燃え上がる。 傍らにいた同僚が、慌てた様子で私の袖を引いて囁いた。
「ちょっと、凛。言い過ぎよ。音無さん、ああ見えて社長特別賞を受けた実績がある、凄腕のエンジニアなのよ?」
(……社長賞? あの、お遊び気分な男が? お兄様《凌雅》の足元にも及ばないでしょうけれど、それなら尚更タチが悪いですわね)
私は立ち去ろうとする彼の背中に、容赦のない声を叩きつけた。
「ちょっと、待ちなさい!」
その声に、海の肩がびくりと跳ね、足が止まる。私はゆっくりと歩み寄り、彼にさらなる正論の刃を突き刺した。
「あなたが社長特別賞をとったからといって、会社に玩具を持ち込んでいい理由にはならないわ。公私の区別もつかない人間が、エンジニアとしての才を語るなんて片腹痛いですわ」
言い返せない海。一瞬の重苦しい無言が廊下を支配する。 海はやっとの思いで、絞り出すような小さな声で呟きながら、今度こそ逃げるように立ち去った。
「コレは決して遊びなんかじゃ無い。僕は、僕は世界を……」
「理解に苦しむわ。スキルと時間の無駄遣いね」
私はその背中を、あっさりと一瞥して切り捨てた。 私の完璧なロジックにおいて、彼の存在は「理解不能なバグ」でしかなかった。
――だが。その日の夜。 残業でオフィスに残っていたのは、私と海だけだった。 激しい雨音がビルの窓を叩きつけ、雷鳴が静まり返った室内に「ゴォォー」と不気味に響く。
「やっと、終わったわ……! 私が残業なんてあり得ないわ」
溜め息をつき、私が立ち上がったその時。 オフィス全体が、この世のものとは思えない白い光に包まれた。
「えっ! な、何……!?」
光と共に、胃の腑を揺さぶる激しい振動――「ズドン!」
「気をつけて!」
海が私を庇うように近づいた瞬間、私たちの体は宙に浮き、視界は真っ白に塗り潰された。
……次に目を開けた時。 そこにあったのは、石畳の道と古風な建物が並ぶ、異世界だった。
「ここ……どこ……?」 呆然とする私たちの前に、銀髪の神官が静かに跪いた。
「ようこそ、アストリア王国へ。あなた方はこの地を救うために召喚されたのです」
こうして、凛と海の物語が動き出した。 光と闇が交錯する運命。
そして、私が「時間の無駄遣い」と切り捨てたあのベルトが、この世界の理を塗り替える唯一の鍵となることも知らずに。




