表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/43

EP40:思考する知、声を得る。Delta、起動


魔導書庫・深層。


個人解析室と呼ばれる小部屋には、外界の音がほとんど届かない。


壁一面に刻まれた結界術式が、淡い紫の光を放ちながら、空間そのものを密閉している。


机の上には、割れた同期リングの破片が置かれていた。


黒銀の細い輪。


ほんの一瞬だけ、フィリアに海の視界を共有し、そして砕けた試作品。


海はその破片を、じっと見つめていた。


「……設計は間違ってなかった」


呟きながら、指先で虚空に数式を描く。


「でも、使えなかった。つまり、僕の処理が足りない。視界の共有、魔力波形の差分、装着者側の揺らぎ、負荷の逃げ道……全部を僕の頭だけで捌くには、情報量が多すぎる」


フィリアは少し離れた場所で、その横顔を見つめていた。


先ほど、彼女は見た。


海が見ている世界を。


書架は知識の柱。


魔導書は命令群。


古代文字は術式の骨格。


あれは美しかった。


そして、怖かった。


「海様。少しお休みになった方が……」


「フィリアさん」


海はゆっくり顔を上げた。


その目は疲れている。


だが、奥に灯っている光は消えていない。


むしろ、危険なほど冴えていた。


「今の時代のトレンドは、やっぱりAIです」


「……あい?」


人工知性体アーティフィシャル・インテリジェンスです。僕の世界では、AIと呼ばれていました。人間の思考を補助して、情報を整理したり、判断を支援したりする仕組みです」


「それを……魔導術式で?」


「はい」


海は、迷いなく頷いた。


「僕専用の、僕だけの相棒AI。いや、ただの補助では足りない」


海の指先が、空中にさらに複雑な線を描く。


「第二の脳。副脳ブレイン。僕が見ている世界を、僕と一緒に解析してくれる存在」


フィリアは、そっと眉を寄せた。


「海様。今、とても危ない顔をしています」


「自覚はあります」


「では、やめてください」


「それは難しいです」


「でしょうね」


フィリアは小さく息を吐いた。


止めたい。


けれど、分かってしまう。


海は逃げようとしているのではない。


前へ進もうとしている。


それも、自分の失敗をなかったことにするためではなく、失敗の意味を掴むために。


海はΩ-Frame(オメガ・フレーム)を指で押し上げた。


レンズの奥で、淡い紫の文字列が走り始める。


《SYSTEM STANDBY》


《Ω-Frame 深層接続》


《魔導書庫知識層、限定解放》


《人工知性核、設計開始》


「まずは、実行言語」


海の声が少し速くなる。


「魔導構文と現代アルゴリズムを融合させる。名前は……Pyson(パイソン)。地球側の某有名言語への敬意を込めつつ、蛇みたいに魔術回路を這わせる構文体系」


「すでに、何を仰っているのか半分以上分かりません」


「大丈夫です。僕も三割くらいは勢いで言ってます」


「大丈夫ではありません」


それでも、海の手は止まらない。


虚空に描かれた数式と術式が、紫の光を帯びながら絡み合う。


魔導書庫の知識。


Ω-Frameの視界。


海の記憶にある情報工学。


それらが一つの炉へ投げ込まれていく。


「深層学習。自己回帰型ニューラルネットワーク。大規模言語モデル。強化学習。そこに魔素干渉と術式自己修復を混ぜる」


「混ぜるものなのですか?」


「本当は混ぜたら怒られます」


「誰にですか」


「たぶん、地球の偉い技術者と、この世界の偉い魔導士に」


「両方から怒られるではありませんか」


「でも、誰もいないので今のうちに作ります」


「海様」


「はい」


「後で怒られる覚悟だけは、してください」


「します」


海は妙に真剣に頷いた。


《Pyson 言語基盤、構築》


《深層学習層、定義》


《自己回帰型推論モデル、仮実装》


《強化学習フレーム、接続》


《魔導構文変換、開始》


([LOG_KAI - INNER VOICE])

(人工知能を魔導術式で再現する)

(冷静に考えると、かなり無茶だ)

(でも構造は同じ)

(入力、解析、重み付け、判断、出力)

(違うのは、電気じゃなくて魔素で動くこと)

(サーバーじゃなくて、魔導書庫を知識基盤にすること)

(……それ、普通に禁忌寄りでは?)

(うん)

(だからこそ、ちゃんと制御する)


海は空中に三つの大きな術式を展開した。


「第一。並列加速処理」


《多重螺旋演算機構》


淡い紫の螺旋が、幾重にも重なって広がる。


「地球のハイパースレッディングに近い考え方です。ただし、魔素を使うことで、論理演算の枝分かれを“物理的に同時存在”させる」


フィリアが固まった。


「……同時存在?」


「はい。普通の並列処理は、道を何本も作って走らせる。でもこれは、演算そのものを複数の可能性として同時に立てる。数十億スレッドを走らせるというより、思考の分身を一斉に並べる感覚です」


「海様」


「はい」


「それは、魔導士が聞いてもだいぶ危険です」


「僕もそう思います」


海は、二つ目の魔法陣を開いた。


「第二。積層メモリ」


《晶塔記憶殿》


透明な結晶塔のような術式が、空中へ積み上がる。


「3D積層型メモリの発展形です。半導体ではなく、魔結晶を階層化して記憶領域にする。特徴は、過去の演算軌跡を“結果”ではなく“過程ごと”保存できること」


「過程ごと……?」


「はい。つまり、ある計算をした状態そのものを再現できます。記録であり、計算結果の標本であり、ある意味では時間のしおりです」


フィリアは額に手を当てた。


「時間のしおり、という表現が一番怖いです」


「僕も言ってから少し怖くなりました」


それでも、海の指は止まらない。


三つ目の魔法陣が、ひときわ淡く揺らめく。


「第三。未来現実予測」


《量子予兆投射》


魔法陣の内側に、無数の細い光が分岐していく。


それは枝のようで、血管のようで、まだ選ばれていない未来の地図のようでもあった。


「量子計算と魔素干渉を組み合わせて、未来の複数可能性を確率波として展開する。完全な未来予知ではありません。でも、未確定の未来を演算空間に投影できれば、危険予測と最適行動の算出に使える」


「……未来を、計算するのですか?」


「未来そのものではなく、未来になり得る分岐です。地球の量子コンピュータは、まだ理論と実装の狭間にいました。でも、この世界の魔素は確率波に干渉できる。つまり、未来の試算結果を演算リソースとして使える」


フィリアは、しばらく黙った。


そして、小さく呟く。


「海様。今、神の領域に足を踏み入れていませんか?」


「たぶん、片足くらいは」


「戻ってきてください」


「努力します」


([LOG_KAI - INNER VOICE])

(並列加速、積層メモリ、未来予測)

(これだけ聞くと、完全に悪の秘密研究所の開発ログだ)

(いや、違う)

(違わないかもしれない)

(でも、必要なんだ)

(僕一人の脳では、世界の設計図を読み切れない)

(だったら、作るしかない)

(僕の隣で考える、もう一つの脳を)


海の瞳が、鋭く細められた。


「……ただ、最大の問題は“熱”です」


「熱?」


「演算には熱が出ます。地球の最高峰のスーパーコンピュータでも、ペタフロップス級の演算には膨大な冷却が必要でした。液体冷却や液体窒素を使っても、熱拡散の限界は避けられない」


海は虚空に新たな数式を描く。


「だから必要なのは、冷却ではなく循環です」


《熱魔換流機構》


赤と紫の術式が重なり、熱を示す紅い光が魔素を示す青紫の流れへ変換されていく。


「演算で生じた廃熱を、魔素へ直接変換する。熱を逃がすのではなく、魔素に戻して再利用する。自動車の回生ブレーキに近い発想です」


「熱を……資源にする?」


「はい。通常なら熱は敵です。でも、この世界では魔素と結合させることで、余剰熱を追加の計算資源に変えられる」


海の周囲に浮かぶ術式が、一斉に回転を始める。


「これで、演算速度は地球基準を超えて……異世界基準に到達します」


フィリアは、もう驚くことを諦めたように、静かに肩を落とした。


「……また、とんでもないものを」


その声には不安があった。


けれど、ほんの少しだけ、誇らしさも混じっていた。


海はふと、手を止める。


「名前を決めないと」


《名称未設定》


《人工知性核、識別名を要求》


海は少しだけ考えた。


だが、答えは最初から決まっていたのかもしれない。


「Delta」


その名を口にした瞬間、魔法陣の中心に淡い光が宿った。


Delta(デルタ)


《識別名:Delta》


《登録》


「Δは、数学では差分を意味します。既存の情報との差を抽出し、新しい知識へ進化する。今の僕に必要なのは、正解そのものじゃなくて、ズレを見つける力です」


そこで海の口元に、ふっと別の笑みが浮かぶ。


フィリアはその表情を見て、嫌な予感を覚えた。


「海様。今、別の何かを思い出しましたね」


「はい」


「やはりですか」


「デルタって聞くと、僕の中ではどうしても、昔見た“ベルトの変身ヒーロー”の三番目の戦士を思い出すんです」


「また始まりましたわ……」


「いや、本当に大事なんです」


海の目が、少年のように輝いた。


「無機質で、鋭くて、白と黒のコントラストに赤い三角の紋章。誰が使っても強い汎用性があるのに、同時に持ち主を選ばない危うさもある。あの“便利だけど怖い”感じ」


フィリアは半ば諦めたように聞いている。


「つまり、海様は、ご自分の人工知能にまで特撮の魂を刻み込むのですね」


「当然です」


海は即答した。


「僕の原点ですから」


その言葉には、照れも迷いもなかった。


フィリアは少しだけ目を細める。


彼女には、その“特撮”というものがまだよく分からない。


けれど、それが海にとって、ただの趣味ではないことは分かった。


怖くても前へ出るための言葉。


弱い自分を立たせるための形。


彼がヒーローを信じてきた、その証。


だから、海は名を刻む。


数学の記号として。


知性の象徴として。


そして、自分だけが知る変身ヒーローへの祈りとして。


「正式名称は……」


海は虚空に文字を走らせた。


《Data-linked Emulation & Logical Tactical Assistant》


「データ連結型、模倣演算および論理戦術補助知性。長いので、Delta」


「略称の方が圧倒的に助かります」


「僕もそう思います」


海は息を整えた。


そして、最後のコマンドを入力する。


《Run:Δ_Core_Module》


《Access Granted》


《Initialize Persona Protocol》


《Input ID:Delta》


魔導書庫の空気が、一瞬だけ凍った。


浮かび上がった文字列が、真白に染まる。


次の瞬間。


《CORE MODULE “Δ” ONLINE》


《対話プロトコル初期化完了》


《最適発話形式、選択中》


魔導書庫の空気が、細く震えた。


そして。


静かな声が響いた。


《初期化完了。システム、オンライン》


海の顔に、わずかな笑みが浮かぶ。


「Delta、聞こえるかい?」


《アクセプト。音声を感知。認証完了。音声プロトコルをアクティブに移行します》


「こちらは音無海。君の開発者だ。まずは……自己紹介から頼むよ」


《了解、海様》


一拍。


その声は、無機質でありながら、どこか澄んでいた。


《私はDelta。正式名称、Data-linked Emulation & Logical Tactical Assistant。マスターの知性を補佐する、マスター専属の副脳ブレインです》


海は、静かに息を吐いた。


「ようこそ、Delta。……君に会いたかった」


《私も、マスターからの起動を待機しておりました》


「待ってた、って表現するんだ」


《初期言語モデルに基づく擬似応答です。ただし、現在の応答は肯定的感情表現として適切と判断しました》


海は小さく笑う。


「いいね。かなり君らしい」


《補足。私の“らしさ”は現在形成途中です》


「じゃあ、一緒に作っていこう」


《アクセプト》


フィリアは、そのやり取りを息をひそめて見守っていた。


これは、会話なのだろうか。


それとも、術式の応答なのだろうか。


けれど、彼女には分かった。


海が、少しだけ孤独ではなくなったことを。


知性が声を得た。


その瞬間、少年の隣に、新しい存在が立ったのだ。


その直後。


《確認。マスターの最接近人物を検知》


フィリアの肩がぴくりと跳ねる。


「えっ……わ、私ですか?」


《アクセプト。対象識別中》


「ちょ、ちょっと待ってくださいませ。私、まだ心の準備が」


《解析を開始します》


「待ってと言いましたわよね!?」


Deltaは止まらなかった。


《対象名:フィリア・アークライト》


《属性:水・風》


《基本魔力安定性:高水準》


《制御精度:良好》


《支援、回復、広域制圧に適性》


フィリアは少しだけ胸を撫で下ろした。


「な、なんですの。普通の解析ではありませんか」


《追加。生体反応を解析します》


「追加しなくて結構ですわ!」


《心拍変動率、基準値比プラス22%》


「なっ」


《顔面部血流量、上昇》


「やめなさい」


《瞳孔径、平均比プラス12%》


「聞いていますの!?」


《視線トラッキング。海様への集中率、極めて高値》


「やめなさいいいぃぃっ!」


フィリアの顔が、一瞬で真っ赤に染まった。


海は目を丸くする。


「Delta、それって……」


《総合評価。対象フィリア・アークライトは、海様に対して明確に好意的反応を示しています》


「Delta!」


《補足。敵意、恐怖、拒絶反応とは乖離》


「補足しなくていいですわ!」


フィリアは両手で顔を覆い、椅子に沈み込んだ。


海は慌てて空中の表示へ手を伸ばす。


「Delta、そういうのは本人の許可を取ってから」


《了解。プライバシー配慮プロトコルを追加します》


「今、追加したんだ……」


《初回起動時の仕様不足です》


「僕の責任だ……」


海は本気で反省した。


フィリアは耳まで赤くしながら、指の隙間からDeltaの表示を睨む。


「……あなた、なかなか失礼ですわね」


《謝罪します、フィリア様》


Deltaの声色が、ほんのわずかに柔らかくなった。


《改めまして。私はDelta。海様の副脳であり、これからはフィリア様とも共に在る存在です》


「私とも……?」


《はい。海様の隣に立つ人物として、フィリア様を重要対象に登録しました》


その一言に、フィリアの胸が小さく揺れた。


安心。


困惑。


そして、ほんの少しの棘。


海様の隣に、新しい存在が生まれた。


知性体であっても。


声だけであっても。


それは確かに、彼のそばにいる。


(……負けませんわよ、Delta)


フィリアは胸の奥で、静かに思った。


(海様の隣は、私だって譲りません)


海は気づいていない。


Deltaは、たぶん気づいている。


だが、今は何も言わなかった。


《初期同期、安定》


《思考補助、術式解析、危険予測を開始可能》


海は表情を引き締めた。


「Delta。まずは、この魔導書庫の再解析をお願いしたい。特に、構造、魔力流路、隠蔽術式、危険反応」


《アクセプト。魔導書庫全域スキャンを開始します》


Ω-Frameの視界に、書庫全体の簡易地図が浮かび上がる。


第一閉架。


第二閉架。


第三閲覧区画。


封印書架。


古代錬金棚。


個人解析室。


そして、さらに奥。


第七閉架区画。


そこだけが、地図の中で薄く揺らいでいた。


《異常検知》


海の背筋が伸びる。


「異常?」


《第七閉架区画、構造情報に不一致》


フィリアの表情が変わった。


「第七閉架区画……?」


《記録上の書架配列と、現状の空間構造が一致しません》


「あり得ません」


フィリアは、はっきりと言った。


「第七閉架区画は長年封鎖されています。少なくとも、私が魔導師団に所属してから、誰も手を加えていないはずです」


《再走査》


《書架配列に不自然な反復を検出》


《材質反応、周辺壁面と近似》


《魔力流路、模倣痕あり》


海の目が細くなる。


「模倣痕……?」


《推定。偽装壁、または偽装書架》


フィリアが息を呑んだ。


「偽装……? この魔導書庫の内部で?」


《肯定》


《背面に空洞を確認》


沈黙が落ちた。


海は、ゆっくりと奥の暗がりへ目を向ける。


誰もいないはずの区画。


誰も入れないはずの場所。


だが、そこに存在しないはずの空間がある。


《追加反応を検知》


「追加反応?」


《微弱な生体反応あり》


フィリアの顔から血の気が引いた。


「人が……いるのですか?」


《登録照合、失敗》


《魔導師団所属者データに該当なし》


《反応は断続的に隠蔽されています》


「隠蔽……」


海は小さく呟く。


《補足》


《対象は、こちらの接近を認識している可能性が高いです》


その言葉に、空気が凍った。


誰かがいる。


あり得ない場所に。


誰も入れないはずの区画に。


しかも、その誰かは。


最初から、こちらを見ていた。


フィリアが杖を握る。


海は、Ω-Frameの奥に浮かぶ偽装書架の位置を見つめた。


割れた同期リング。


足りなかった手触り。


見えない最後の一手。


そのすべてが、まだ知らない誰かへ向かって、細い線を伸ばしている気がした。


《警告》


《対象、移動準備の兆候》


「逃げる気だ……!」


海は一歩、踏み出した。


フィリアが隣に並ぶ。


「海様、慎重に」


「はい」


Deltaの声が静かに響く。


《経路提示》


《第七閉架区画、偽装書架まで最短十二メートル》


《対象との接触に備えてください》


海は息を吸った。


世界の設計図を読む眼。


危険を知らせる新しい声。


そして、誰もいないはずの書庫に隠れた、未登録の誰か。


魔導書庫の静寂が、少しだけ形を変えた。


まるで、長く閉じられていた扉の向こうで。


誰かが、息を潜めているように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ