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EP38:フレームの中の決意。少年は、かつての盾を翼に変える

中央魔導書庫ちゅうおうまどうしょこの奥。


海は、閲覧机の前でしばらく動けずにいた。


先ほど開いた魔素視まそしの余韻が、まだ瞳の奥に残っている。


本の波動。


封印の揺らぎ。


文字列が持つ意味の密度。


世界が、ただの景色ではなく、読み解ける構造として立ち上がった感覚。


それは驚きであり、同時に恐怖でもあった。


「……見えすぎるのも、怖いな」


海は小さく呟いた。


そして視線を、机の上へ落とす。


そこには、外したままの分厚い眼鏡が置かれていた。


黒縁。


牛乳瓶の底みたいなレンズ。


かつての世界で、ずっと彼の顔にあったもの。


「……もう、いらないのかもしれないな。これ」


その声は、自分でも驚くほど小さかった。


ただの視力補助具。


そう言ってしまえば、それだけのものだ。


けれど、海にとっては違った。


赤い髪をからかわれた幼い日。


分厚いレンズ越しに、教室の視線をぼやかした。


誰かの笑い声を、少し遠くにした。


机に伏せた顔を隠した。


涙を見られないようにした。


それは、外界との境界線だった。


盾だった。


「これがなかったら、僕……とっくに折れてたかもしれない」


そっと手を伸ばし、眼鏡を持ち上げる。


フレームの感触は、懐かしい。


少しだけ重い。


そして、少しだけ優しい。


記憶が押し寄せる。


夜の部屋。


机の上の小さな画面。


何度も再生した、ベルトの変身ヒーローの変身シーン。


傷ついても、倒れても、最後には立ち上がる背中。


幼い頃、自分を救った白銀の少女の声。


――ヒーローって泣くの?


その言葉がなければ。


あの一言がなければ。


海は、ヒーローという言葉をここまで信じなかったかもしれない。


そして、今の自分はいなかったかもしれない。


「……でも」


海は眼鏡を握りしめる。


「この世界で、守られてばかりの僕でいいはずがない」


隣で、フィリアが静かに見守っていた。


彼女は、急かさなかった。


笑わなかった。


ただ、海が自分の過去と向き合う時間を、そっと守るように立っていた。


「海様」


やわらかな声が届く。


「無理に手放す必要はありません」


海が顔を上げる。


フィリアは、穏やかに微笑んでいた。


「それが海様にとって特別なものなら、捨てる必要はないと思います」


「でも、これは」


「盾だったのですよね」


海は言葉を失った。


フィリアは続ける。


「なら、盾であったことを恥じる必要はありません。人は、何かに守られなければ立てない時があります」


その声は、静かだった。


「けれど、今の海様が望むなら」


フィリアは眼鏡を見つめる。


「盾だったものを、別の形にしてもいいのではありませんか」


「別の、形」


「はい」


彼女は微笑む。


「盾でも、翼でも。意味は、海様が決めてよいのです」


その言葉が、海の胸に落ちた。


盾だったものを、翼にする。


守られるためのものを、前に進むためのものにする。


眼鏡は、過去の自分を隠す殻だった。


でも。


それを捨てるのではなく、変えることならできる。


「……そうか」


海の声が、少しだけ変わった。


怯えではなく、熱を帯びる。


「今度は、僕がこの子を変える番だ」


フィリアが目を瞬かせる。


「この子?」


「はい」


海は眼鏡を机の上に置いた。


その横に、Ωコード(オメガ・コード)を開く。


漆黒の端末に青紫の線が走り、空中に簡易設計画面が展開された。


《OMEGA CODE:READY》


《対象構造:眼鏡フレーム》


《改修案を作成しますか?》


海の口元が、わずかに上がった。


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(来た)


(旧装備の強化イベント)


(初期装備を捨てずに、専用強化フォームへ改修する回)


(しかも眼鏡)


(解析ゴーグル)


(視界HUD)


(変身ギア補助デバイス)


(これは熱い)


(めちゃくちゃ熱い)


「ただの見るための道具じゃない」


海は、羊皮紙を広げた。


魔導書庫の閲覧机に、ペンを走らせる。


「見ることで、未来を作る道具にする」


線を引く。


円を描く。


フレームの内側に魔導回路。


レンズ周辺に魔素層解析用の微細術式。


鼻当て部分に負荷分散用の安定素子。


右フレームにΩコード(オメガ・コード)との短距離接続術式。


左フレームに視覚情報圧縮用の補助演算層。


オタクらしい集中力が、海の中で一気に燃え上がる。


「フレーム内部に魔導演算素子を組み込む。視力補助じゃなくて、魔素層の構造解析と高速圧縮転送に使う」


フィリアは、隣で目を見開いていた。


海の声が、だんだん早くなる。


「裸眼で全部見ると、情報量が多すぎて脳が熱暴走する。だから、眼鏡側で情報を圧縮する。危険度、文献分類、封印状態、魔素波形、文字構造だけを抽出して、視界に重ねる」


《視覚情報圧縮案:生成中》


《MAGI-VISION補助機構》


《魔素層解析》


《文字認識》


《危険表示》


《Ωコード連携》


「OCRの要領で文字を解析して、即座に異世界文献を翻訳。いや、翻訳だけじゃ足りない。術式記号と魔導陣も読む必要があるから、Magic OCRの上位版にする」


《Magic OCR:拡張候補》


《Arcane Visual Parser:仮登録》


「名前はあとで!」


《保留》


海はさらに書き込む。


「戦場でも使えるようにするなら、対象魔力反応をリアルタイムで読み取って、戦術シミュレーションを表示できるインターフェースが必要だ」


フィリアが小さく呟く。


「戦場で……」


「はい」


海は顔を上げないまま答える。


「凛さんが前に出るなら、僕は後ろで状況を読む。敵の魔力の流れ、地形、障壁の弱点、罠の位置、全部を見て支援する」


ペンが止まらない。


「これなら、凛さんの変身スーツOSとも連動できるかもしれない。彼女の動きに合わせて、危険予測と回避ルートを出す。魔法陣の展開タイミングも、こっちで補助できる」


海の声は、震えていた。


怖さではない。


興奮でもない。


その両方が混じった、前に進むための震えだった。


「僕は凛さんみたいに前線で戦えない。拳でドラゴンを倒すなんて無理です。絶対に無理です。物理的にも精神的にも無理です」


フィリアが、少しだけ笑う。


「でも」


海は眼鏡を見た。


「隣に立つための方法は、きっとある」


その横顔を見つめながら、フィリアは胸元にそっと手を当てた。


海が変わろうとしている。


陰に隠れるのではなく。


守られるだけでもなく。


自分の過去を否定せず、その過去ごと未来へ持っていこうとしている。


それが、嬉しかった。


少しだけ誇らしかった。


そして、胸の奥が静かに熱くなった。


「海様」


「はい」


「本当に、ヒーローのようですね」


海の手が止まった。


「……僕は、ヒーローじゃないです」


その声は、小さかった。


けれど、逃げる声ではなかった。


「僕は怖がりだし、すぐ考えすぎるし、走ると息が切れるし、剣も振れないし、凛さんみたいに誰かの前に堂々と立つことも、まだできません」


彼は、自分の眼鏡を見下ろす。


「でも」


言葉を選ぶ。


ひとつずつ、自分に刻むように。


「ヒーローの隣に立てる人間には、なりたいです」


フィリアは、何も言えなかった。


その言葉は、静かだった。


けれど、まっすぐだった。


海は書き上げたスケッチを見つめる。


眼鏡の図面。


魔導回路。


Ωコード接続。


魔素視補助。


解析HUD。


旧い盾を、未来の翼へ変えるための設計図。


「名称は……」


海は、少しだけ迷った。


Ω-Frame(オメガフレーム)


《名称候補:Ω-Frame》


《登録しますか?》


「ちょっと待って」


海は急に不安になった。


「Ωコードの眼鏡だからΩフレームって、安直すぎますかね?」


フィリアは首をかしげる。


「私は、よいと思います」


「本当ですか?」


「はい。分かりやすくて、海様らしいです」


「僕らしい……」


海は少し考える。


「じゃあ、登録で」


《登録完了》


《装備名称:Ω-Frame(オメガフレーム)


《分類:視覚解析支援フレーム》


《連携対象:Ωコード(オメガ・コード)


《用途:魔素視補助、文献解析、戦術支援、危険予測》


青紫の光が、眼鏡のフレームに薄く走った。


まだ完成ではない。


ただの仮登録だ。


けれど、確かに何かが始まった。


海は眼鏡を両手で持ち上げた。


「これがあれば」


声が、小さく震える。


「きっと僕も、凛さんの隣で戦える」


フィリアは微笑んだまま、その言葉を受け止めた。


嫉妬ではない。


寂しさでもない。


ただ、少しだけ胸が痛んだ。


海が見ている先には、凛がいる。


それは分かっている。


それでも。


その道の途中で、自分が彼の隣にいられるなら。


それだけで、今は十分だと思えた。


「きっと、できます」


フィリアは言った。


「海様なら」


海は、少し照れくさそうに笑った。


「ありがとうございます」


その時。


Ωコード(オメガ・コード)の画面が、ふいに瞬いた。


《自立型知性核との連携候補を検出》


《Ω-Frameを外部視覚入力装置として登録可能》


《知性核学習効率、上昇見込み》


海の目が見開かれる。


「……そうか」


ただの眼鏡強化ではない。


Ω-Frame(オメガフレーム)は、海の視界を補助するだけではない。


Ωコードの奥で眠る、まだ名もない自立型知性核。


その“目”にもなれる。


海が見るものを、知性核も学ぶ。


海が読む世界を、相棒も読む。


つまり。


このフレームは、海だけの装備ではない。


これから生まれる相棒に、この世界を見せるための窓でもある。


「……いい」


海の声に、熱がこもる。


「これ、絶対に必要です」


([LOG_KAI - INNER VOICE])


(解析ゴーグル)


(Ωコード連携)


(自立型知性核の外部視覚入力)


(完全にサポートAI搭載フォームへの布石)


(やばい)


(自分で作ってるのに、玩具展開が見える)


(落ち着け)


(でも、これは売れる)


「海様?」


「すみません。今、頭の中で商品展開まで見えました」


「商品展開?」


「忘れてください」


フィリアは不思議そうにしながらも、微笑んだ。


海はもう一度、眼鏡を見る。


かつての殻。


かつての盾。


自分を隠し、守り、世界との間に置いていたフレーム。


それが今、変わろうとしている。


逃げるためではなく。


見るために。


守られるためではなく。


支えるために。


ひとりで怯えるためではなく。


誰かの隣に立つために。


「完成させます」


海は、はっきりと言った。


「このΩ-Frame(オメガフレーム)を」


青紫の光が、机の上で静かに脈打つ。


中央魔導書庫の奥で。


本が眠る場所で。


少年は、かつての盾を翼に変えようとしていた。


その翼が、やがて世界の仕様を読み解く窓になることを。


そして、まだ名もない自立型知性核に、初めて世界を見せる眼になることを。


この時の海は、まだ知らない。


けれど、確かに一歩を踏み出していた。


泣いていた少年は、もう眼鏡の奥に隠れるだけではない。


そのフレームの内側に、未来を見るための光を宿そうとしていた。

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