7.
リエルは便器に顔を突っ込み、勢いよく吐いた。
死体の露出した胸から、黒い液体がじわじわと漏れ出し――数滴がゼフの手に落ちる。
「……ふむ」ゼフが呟く。「これは何だ?」
「分からない……」慈凪が震える声で言った。「私、自分の体を見つけてからずっと……川みたいに漏れてる……」
ゼフは指先を口元へ持ち上げる。
「……匂いは……炭。けど液体だ」
穴へ触れた瞬間、手が灼けるように熱くなる。
「熱っ!」
「だ、大丈夫!?」慈凪が慌てる。
「なんでこんなに熱いんだ?」
「分からない!」
「体の状態は?」ゼフが続ける。「顔は見えるか。四肢は崩れてるか。皮膚の色は?」
護里の声が鋭く割り込む。
「髪はない。皮膚は黒い」
「なるほど」ゼフが頷く。「焼けた状態と一致する。覚えはあるか?」
慈凪は少し考えた。
「思い出せない……ある日、目が覚めたら……ここにいた……」
「分かった。記録しておく」
【事件詳細#12:慈凪の遺体は焼損の痕跡】
「これからどうする?」護里が尋ねた。
「できれば帰りたい……」リエルが泣きそうに言う。
「帰る」ゼフが即答する。「ここで何が起きたか知るには、全員の遺体が必要だ。あと――俺の護符」
「他の体がどこにあるか分からない」玲離が言う。「それに、あなたが言う護符も、私たちは知らない」
ゼフは立ち上がり、手を差し出した。
「慈凪。さっき手に持ってた。渡せ」
「えっ……だ、だめ!」慈凪が怯えた。「こ、これは私のネックレス……!」
「幽霊がネックレス持つ理由あるか?」
護里が説明する。
「慈凪がここで目覚めたとき、体がそれを持っていた。私たちは聖なる遺物として扱っている」
「……ふむ」ゼフは少し黙る。「声の感じは、確かに嘘っぽくない」
ゼフはため息をついた。
「借りるだけじゃだめか」
「……なんで?」
「もしそれが体と一緒にあったなら、死の手がかりになるかもしれない」
姉妹は顔を見合わせる。
「……本当に?」慈凪が不安そうに言う。
「信じろ。俺はプロだ」
慈凪は恐る恐るネックレスをゼフの手に置いた。
ゼフは手探りで死体の腕へ触れ、ネックレスを近づける。
すると、金属が震えはじめた。
「妙だな……」ゼフが言う。「金属が勝手に震えるか?」
「なあ」リエルも顔をしかめる。「液体に引っ張られてるみたいだぞ……」
ゼフがさらに近づけた瞬間、震えは激しくなり――
頭の奥に、刺すような痛みが走った。
「ぐあっ!」
「ゼフ!」
――――
「ねえ、早くして」
「してる、してるよ。騒がないでくれ」
視界が開けた。
だがゼフの体じゃない。狭く暗い部屋。机に鎖で繋がれている。
遠くで七つの影が見ていた。工具袋をいじっている。
(……ここはどこだ。何だ、これ)
「起きたわね……」
「大丈夫。今日のことは、全部忘れる」
月の仮面をつけた男が闇から出てきた。
その隣には、ハートの仮面の女。
「こんにちは」男が言った。「君は、見すぎたんだよ」
「待って!」ゼフは叫んだ――だが、それは自分の声じゃない。「お願い――!」
男が、奇妙な護符を顔の前に掲げる。
もがく視界の端で、ハートの仮面の奥――女の背後に、赤いものがちらりと見えた。
「いやあああっ!!」
闇が落ちた。
その闇の隅で、火のちらつきが見えた。
――浴室。
ゼフは息を吸い込み、目を見開いた。視界が一瞬ぼやけ、すぐに消える。
「待て……最後まで見せろ……!」
「大丈夫か?」リエルが覗き込む。
「見えた……!」ゼフが荒く言う。「ネックレスが……何か見せた!」
「何かって……」
「たぶん……慈凪の記憶だ。少なくとも一つ」
慈凪が口元を押さえる。
「ほ、本当に……?」
「男がいた。月の仮面。俺の護符に似た護符も持ってた。隣に女がいて……恋人っぽい。で、他の連中が見てる中で……彼女を拷問してた」
「うそだろ……」
慈凪は頭を抱える。
「……ぼんやり……する……火……思い出す……それだけ……」
よろけた慈凪を、護里が支えた。
「大丈夫、妹」
護里はゼフへ向き直る。
「これからどうする。解決策は?」
「ある」ゼフは言った。「この家で起きたことに関わったのは七人だ。そいつらが誰か突き止めて、追う。……悪いな、親父」
ゼフはサングラスを直した。
「事件ファイルを……拡張する」
【事件ファイル1:保留】
【事件ファイル2:七つの仮面】
「それはいいけどさ」リエルが言う。「情報はどこで集めんだよ? こいつら何十年も前に死んでるんだろ。関係者なんて、とっくに死んでるか隠れてるだろ!」
「警察署長が知ってるかもしれない」ゼフが言う。「行くぞ」
飢呑がくすくす笑う。
「わあ! お出かけ? この家に長すぎた!」
リエルは姉妹を指さした。
「こいつら、ついて来れんの?」
「来れない」ゼフが言った。
護里が腕を組む。
「私たちはあなたたちの魂に結ばれている。あなたたちが行くなら、私たちも行く」
「いや、幽霊を外に連れて出せないって意味」リエルが言い直す。
「心配ない」護里が言う。「家の境界を出れば、外の人間には見えない。見えるのは、あなたたちだけ」
「なんで分かる?」
「……試した」
「いい」ゼフが頷く。「遅い。今すぐ出る」
姉妹は息を合わせるように、兄弟の中へ消えた。
二人は浴室を出る。
――外。
二人は門を出て、鍵で施錠し、表通りへ向かった。
リエルはスマホでGPSを開く。
「歩きだな。二十五分くらい」
「時間が惜しい」
頭の中で姉妹の声が響く中、二人は道を歩き、町へ入り――やがて警察署に着いた。
「ここだ」
巡回中の警官が数人、ちらりと二人を睨み、すぐ離れていく。
「避けられてるな」ゼフが言う。
「避けられてる。……でも、なんでだよ」
「中で聞く」
リエルが扉を開け、ゼフを導いて署内へ入る。
受付の警官が気づいたように言った。
「オードの坊ちゃんか。何の用だ」
「高橋正義に会いに来た」ゼフが答える。
「……何で」
「重要な用件だ。あの家に関係――!」
「はいはい、細かい話はいらねえ」警官は遮り、無線を押す。「署長。客だ」
無線の向こうの声。
『奥へ通せ』
警官は頷き、廊下の奥の事務室を指さした。
そこには、高橋正義が待っていた。
「来たか、子どもたち!」彼は迎えた。「どうした?」
ゼフとリエルは腰を下ろす。
「真実が必要だ」ゼフが言う。「親父の家で、何が起きたのか――全部」
――




