5.
リエルはゼフを引き戻した。幽霊の少女は後ずさる。
「……に、人間……?」
「どうした、リエル。何がそんな――」
「幽霊だよ、あれ! しかも今、誰か殺してた! 次は俺らだ!」
少女の手には、奇妙な形のものが握られている。
「……待て。それ、俺の護符か?」
「俺の……何だって? よし、リエル! スーツケース取れ! こいつを祓う!」
「ち、違――待って!」少女が慌てて声を上げる。
ゼフが幽霊へ飛びかかる。
少女は両手を上げて身を縮めた――その瞬間。
さっきの風とは違う、別の“風”がゼフを真正面から叩いた。
「ゼフ!」
ゼフは浴室を弾き飛ばされ、廊下へ転がった。風はそのまま彼を階段へ運び、突き落とす。
「……くそ、家め。今の、何だ……?」
怒った足音が近づく。ゆっくりした呼吸。
(巻きつく蛇……まずい。護符が要る)
「誰……? あんた、“あいつら”の仲間?」
女の声が耳を刺した。痛いほど大きく響き、ゼフは膝をつく。
「……うるせ……」
ゼフは体を押し上げた。
「お前の“妹”が俺の物を持ってる! その護符は親父のだ! 返せ、悪魔!」
足音が、ゼフの周りをゆっくり回る。
「父……? 父……」
「そうだ。俺の父親だ」ゼフが言い切る。「お前らが殺したのか? あの浴室の死体、次の獲物か?」
「……分からない」
「分かるね。祓ってやる、霊!」
ゼフは足音を追い、気配を掴んだ瞬間に拳を振る。
だが、拳は止められた。閉じた手で受け止められた感触。
「父……思い出す……あなたの父」
次の瞬間、強烈な一撃。
ゼフはテレビへ叩きつけられ、床に崩れた。
「……で、お前はどっちだ。殺した側か? そいつの共犯か?」
「……グルル……」
――二階。
リエルは浴室の扉の前で硬直していた。
幽霊の少女が必死に手を伸ばす。
「待って、お願い――!」
「うわっ、近づくな!」リエルは後ずさる。「ゼフ! 待ってろ! 今行く!」
浴室を飛び出し、階段へ向かう。
そこにいたのは、もう一人の少女だった。背が高く、体格も大きい。
彼女はゼフのシャツの襟元を掴み、持ち上げている。
「離せ! 魔女!」
少女が振り向く。
赤く光る目が、リエルを貫いた。
「……また侵入者」
次の瞬間、彼女の腕が伸びた。
信じられない速度で――リエルは平手で壁へ叩き飛ばされる。
「リエル……?」ゼフが呻く。
少女の意識はゼフへ戻る。顔がねじれるように変わる音がした。
「なぜ……ここに……?」
ゼフは掴まれたまま、息を絞り出す。
「……親父を殺したのが何で……か……知る……! そのために……護符が必要だ……!」
少女は唸り、ゼフを放り投げた。
「妹……傷つけるな……妹、無罪……」
「へえ。じゃあ死体は何なんだよ」
「あなたに関係ない」少女が言い捨てる。
「随分、攻撃的だな」ゼフが言った。「何を隠してる?」
少女は彼の周りを歩き回る。
「この家……危険……出て行け……まだ間に合ううちに……」
「ご親切にどうも、悪魔」
少女の目が細くなる。
「……そう呼ぶな」
リエルは背中を押さえながら起き上がり、目を開けた。
「……ゼフ?」
その瞬間、リエルの頭上――天井から、もう一人がぶら下がっていた。
興味深そうに、じっと覗き込んでくる。
「……人間……?」
少女はふわりと床へ降り、ゆっくり近づいた。
動くたびに、顔の笑みが不気味にちらつく。
「こんにちは、人間!」
「近づくな! 祈りで幽霊を祓えるんだぞ!」
「幽霊? 祓う? 違う!」少女は首を振る。「遊ぼう! お願い……遊んで……!」
少女が飛びついた。
リエルの悲鳴を、ゼフが聞き取る。
「リエル! 何してやがる!」
「……リエル……?」別の声が呟く。「その名前……聞いた……よく話してた……もう一人の……ゼフも……」
(……親父だ)
ゼフは気配を探るが、足音が消えている。
「リエル! 無事か!?」
「捕まった! お前は逃げ――!」
声も消えた。
「くそ……くそ!」ゼフは歯を食いしばる。「お前ら、何が目的だ。なんでここに取り憑いてる!」
その瞬間、まるでスイッチが切り替わったように――気配が、すぐ隣に現れた。
「……目的……? 私たちは……帰りたいだけ……」
「ここは、お前らの家じゃないってことか」
「違う!」少女は唸る。「閉じ込められた……長い……自由じゃない……ずっと……」
「長いって、どれくらいだ」
「……数十年……」
ゼフは息を吸い込んだ。
「じゃあ……親父を殺したわけじゃないのか。なら、あの死体は何だ?」
「……体……」
「誰の体だ」
少女は長い沈黙ののち、答えた。
「……私の」
「は?」ゼフは息を呑む。「なんで自分の死体を持ち歩いてんだよ」
「……自由に……なると思った……でも……他を見つけられない……私のだけ……」
「じゃあ、お前はどうやって死んだ」
「分からない。……自由が……欲しい」
ゼフはため息をついた。
「俺はオカルトストだ。もし俺がお前らに自由をやれるって言ったら、取り憑くのをやめて、事件の協力をするか? 親父に何が起きたのか――それを」
隣にある冷たさが、じっと待つ。
「……嘘じゃない?」
「嘘なわけない。俺はプロだ」
少女の足音が、またゆっくり動く。
「……うん。誓うなら……取引」
「よし。じゃあ手下に俺の弟を離させろ」
「手下じゃない。……妹」
「はいはい」ゼフは言い直す。「何人いる。姉妹は」
「四人。……飢呑。慈凪。玲離」
「お前の名前は?」ゼフが聞く。
「護里」
「いい名前だな。俺はオゼファリオン・オード。世間じゃゼフって呼ばれてる」
「……世間?」
「気にすんな。で、残りの……姉妹はどこだ?」
「呼ぶ」
護里が指を鳴らすと、三人が現れた。
浴室にいた少女。天井からぶら下がっていた少女。そして、もう一人――虚ろな目で天井を見つめている少女。
天井の少女がリエルを放した。
「いてっ!」
「早いな」ゼフが言う。
リエルは転がるようにゼフのもとへ戻った。
「な、何が起きてんだよ……?」
「幽霊と取引した」ゼフが言う。「守るかどうかは知らんがな」
護里が一歩前へ出る。
「どうやって……自由にする?」
「えっと……俺には方法がある」
リエルがゼフの耳元へ寄る。
「お前、幽霊に嘘ついてないよな?」
「しっ」
ゼフは護里へ向き直る。
「ところで。さっき俺たちを襲ったのは、お前らか?」
四人は首を振った。
「なら、この家には他にもいるのか」
「……多い」護里が答える。「霊。穢れ。悪しきもの。みんな……苦しい。みんな……怒ってる」
「誰に?」
「……オードに。ここでオードの名は……呪われている」
護里は廊下の家族写真を指さした。
赤い×が、家族全員を横切っている。
そして赤い文字が、正面に殴り書きされていた。
「……『All Ōdo’s must die…』」
リエルが喉を鳴らす。
「……歓迎されてねえってことだな」
「うん」護里は静かに言った。「あなたたちは……歓迎されない」
――




