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1.

――奥多摩、日本。八か月前。


 青白い壁が、軋む玄関の開く音を待ち受けていた。

 中年の黒人男性――オトマール・オードが家に入り、コートをソファに放り置く。ため息をつくと、冷蔵庫へ向かった。そこには、ハート形の護符と、ウエディングドレス姿の女性の写真が置かれていた。


「オセフィリン……」


 彼は写真をしばらく見つめ、頬を伝って涙が一粒落ちた。

 そのとき、廊下の奥から物音がする。叫びと呻きが混ざったような、不気味な音。


「地下室だ!」


 オトマールは護符を掴み、地下への階段を駆け下りた。


 そこには七つの扉が並び、それぞれに異なる封印の印が貼りつけられている。彼はハートの印の扉を見つけると、護符を押し当てた。


「――泣き心の願いの室を開け! 泣き心の願いの室を開け!」


 扉が開く。

 中は、中央に机があり、護符や札が散らばっていた。真ん中にはペンと紙。


 オトマールは紙面に目を落とす。書かれていたのは、たった一行。


「オード……殺せ……オード……処刑人……殺人者……怪物……」


 オトマールの目が見開かれる。


「まさか……逃げ出したのか! シ――!」


 次の瞬間、扉が閉まり、鍵が締まる音がした。

 背後では、隣の扉の向こうからの呻き声が、どんどん大きくなっていく。


 オトマールは机の上の道具――護符や遺物をかき集め、出口へ向かう。だが、扉は微動だにしない。


「閉じ込められた……家が……。何年も経って、やっぱり反抗しはじめたか!」


 扉が激しく叩かれ、苦痛の叫びがうねりとなって迫る。

 オトマールは机へ戻り、ペンを取って書き始めた。


「ゼフ、リエルへ。これをお前たちが受け取ることを願う。この家、この忌まわしいものは、お前たちが目にするためのものではなかった――母さんにしたことの後では、なおさらだ。だが残念ながら、お前たちがこの手紙を読む頃には、私はもうこの世にはいないだろう。覚えておけ。誰かがここに残り、この家を見張り、他人の手に渡らないようにしなければならない。過去を葬るために。私はその役目を、お前たち――息子たちに託す。気をつけろ。声に騙されるな――!」


 ドン――。


 蝶番が弾け、扉が吹き飛んだ。

 正体の知れない力の爪が、部屋の壁をガリガリと引っ掻く。一本、また一本。

 闇の奥から、歪んだ声が漏れた。闇がちらつき、やがて人の形を取りはじめる。


「……オード……」


「……オトマール・オード……」


 闇は彼の頭上までそびえ立ち、扉が逆に元の位置へ叩き戻される。


「貴様は――罪の報いを受けろ!」


 最後の絶叫が響き――そして、すべてが静まった。


――現在、日本・東京。


「なあ、子どもたち。気分はどうだ? 引っ越し、楽しみか?」


 リムジンの後部座席。

 運転手のオマルが、二人を東京の外へ連れ出していた。


 オゼファリオン・オードとオジマンドリエル・オードは並んで座る。


「郊外はあんま好きじゃないな」リエルが認めるように言った。「ゼフは?」


「ん? ああ……別に。悪くないんじゃね」


 ゼフはサングラスを直し、音楽を聴いたまま言う。


「着いたら言って」


「あとどれくらい? オマル」リエルが尋ねた。


「あと一時間くらいだな!」オマルが返す。


「うわ、マジか……」


 その後は沈黙のまま走り続け、ようやく奥多摩の町へ入った。

 町外れで、警察の制服姿の男が待っている。


「客だぞ、坊主ども」オマルが小声で言った。「気ィ抜くな」


 リムジンを停めると、男が運転席の窓へ歩み寄る。


「オード兄弟だね?」男が言った。


 オマルが頷く。「兄弟だけだ。妹は仕事の出張で忙しい」


 男は二人を観察し、ふっと息を吐いた。


「君たち、よく似てる。あの二人に」


「誰に?」リエルが聞く。


「両親だろ、バカ」ゼフが遮る。


「へえ、今さら口が回るんだ?」


 男は笑った。


「高橋正義だ。ここの警察で四十年、署長をやってる。君たちの母さんと父さんがここに滞在していた頃からな」


 咳払いをし、表情を少しだけ曇らせる。


「……悔やまれる。ご愁傷さまだ」


 高橋正義はオマルに封書を渡した。「これを」


 リエルが封書を受け取り、読み上げる。


「『オゼファリオンおよびオジマンドリエルへ――オトマール・オードの資産一億五千万ドル相当の不動産を継承する後継者として選ばれた。即時発効』……だってさ」


「墓に案内しろ」ゼフが命じた。


「そ、それが……家にある」高橋正義が言いづらそうに答える。


「じゃあ家だ。行くぞ。運転しろ、スチュワード。運転!」


「それ、飛行機だろ」リエルが突っ込む。


「俺は見えねえんだ。何が違う」


 リエルは警察署長に手を振った。


「またな、署長!」


「同じく。気をつけろ、子どもたち」


 オマルは町の道を抜け、他の区域から隔てられるように建つ屋敷へ向かった。

 巨大な門が進路を塞いでいる。中央には鍵穴。


「鍵、持ってないよな?」リエルがオマルを見る。


「ねえな。封筒の中、見ろ!」


 リエルが封筒を振ると、小さな灰色の鍵が落ちた。


「……都合いいな」


 オマルは車を停めた。


「悪いが、俺はここまでだ。あの家の近くまで車で行くのは、さすがに怖い」


「情けねえスチュワード」ゼフが吐き捨てる。「臆病者」


 リエルとゼフは車を降りた。


「じゃあな、オマル!」


 オマルが険しい声で呼び止める。


「リエル。俺は見た。あの家が、お前らの親父の頭をどう壊したか。夜にふらつくな。情報を探ろうとするな。二人ともだ。いいな、オゼファリオン?」


「え? うん。はいはい」


 オマルはゼフを指さした。「弟を見てろ、リエル」


「わかった」


 オマルが走り去ると、リエルは門の鍵を開け、ゼフの手を引くようにして中へ入った。


「裏庭はどっち?」ゼフが聞く。


「えっと……」リエルは辺りを見回す。「あっち」


「連れてけ」


「いいけど、なんで?」


「見たいものがある」


 リエルはゼフを裏庭へ案内した。

 そこには墓が二つ。オトマール・オードと、オセフィリン・オード。


「二つある」リエルが言う。「ママとパパ」


「……ふん」ゼフが返す。「もっと近く」


 墓石の前まで来ると、ゼフは膝をつき、指で石の文字をなぞった。


「何て書いてある? 死因とか」


「いや。『愛をこめて』みたいなやつだけ。いつものやつ」


 ゼフは顔を上げないまま言った。


「さっきの警察の口ぶり、気づいたか? 怪しい。親父は事故で死んだんじゃない。母さんもな」


「お、おい……?」


「事件ファイルを取ってこい」ゼフが命じる。「この家が親に何をしたのか、俺が突き止める」


 リエルはため息をついた。


「はいはい。オカルトの話、また始まったな。こんなとこ、幽霊なんて――」


 ふと、二階の窓を見上げる。

 そこに、ちらつく影があった。人に近い輪郭。じっと、こちらを見下ろしている。


 リエルの体が固まった。


「……な、なんだよ、あれ」


「何だ?」ゼフが聞く。「何が見えた?」


「窓に……何かいる!」


 その“何か”は、すっと背を向けた。階段を降りていくみたいに、影が移動する。


「やべえ! 行くぞ! 走れ!」


――

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