色恋
帰路の電車の中で俺は腕を組んで黙考していた。
「ねえ、竹達くん」
「ん?」
「あとで私の家に寄っていく?」
「はあ⁉」
そんなことを言い出したのは大竹だった。彼女はしぃと唇に指をあて、静かにするように指示してくる。彼女の横では秋月が呑気に眠っているのだ。
「そもそも、なんで?」
「今日、本物のプロを見たような気がする。自分の創作物のためなら、性別なんて超越して、上司にも食って掛かるような、そんな本物。私はそれを見たあと、自分に自信がなくなって……」
俺はため息を吐いた。「全員が全員、女を使えばホイホイついていくと思ったら大違いだぞ。いいか、ギブアンドテイクだ。俺もプロというものが分からない。お前もそれが分からなくなっている。お互いに見つけ合うために、俺はお前の家に行く」
彼女は笑みを零した。「ありがとう」そんな表情を見て、全部策略済みか、と自戒する。
車内に秋月を残して、俺たちはホームへ降りた。
◇
彼女の家はアパートの一室だった。机に転がっていた薬を拾って、彼女は箪笥の中に隠した。
メンヘラちゃんな家だった。地雷系ファッションの服が転がっていて、こんな服も着るんだなとか思ったり、トー横キッズみたいな危険性をはらんでいるような、そんな感じだった。ひとえに言えば。
「適当にくつろいで」そう言われて座るとちょうど視線の先にゴミ箱の中が見えて、ティッシュに包まれた血痕が覗いた。もしかしたらだけど、先ほどの薬は精神安定剤のようなものだったのかもしれない。
「お前って、苦労しているんだな」
「まあね。プロになれれば楽になるのに、なんて幾億回思ったわよ。それでも自分には才能がないから、こういう愚直な方法しか知らないから、私はしがみつくのよ」
「そりゃあ、アイデンティティも見失うわな。どうも、お前はアーティスティックな一面が見え隠れしている。リスカも、愛撫も、根源は同じだが派生は違うのと同じで、最終的な行きつく先も違う」
「説教しに来たの? 違うでしょ」大竹は半笑いした。
俺は大竹の頭を触ろうとした。すると、彼女はビクッ、と反射的に手を払いのけようとした。俺は大丈夫だから、と諭しながら彼女を撫でた。
「なにが目的?」
「どうも俺はヘタレらしい。今でさえ胸の鼓動が鳴りやまないんだ。でも、君という存在に興味が湧いてきたよ」
「この童貞」
「勝手に言えよ」
彼女は急にすすり泣き始めた。俺は彼女を抱きしめる力を持ってはいなかった。その資格なんて持ち合わせてはいない、というわけだ。
◇
彼女と朝まで映画を見た。何も彼女に期待することなく。童貞の俺は何も捧げることもなく。
「なにか、掴めたような気がする……」
「なにを?」
彼女は笑って見せた。「普遍的な、イメージっていうのかな。もう私、立ち止まっていたら駄目な気がする」
「そこまで回復できれば十分だな」
俺も笑顔を見せて、「俺も、お前らに協力をお願いすることに躊躇いを持たなくなったよ」と喋って、「だから、俺がいつかめそめそうじうじしていたら、背中を叩いてくれ」と立ちあがった。
彼女の家から出た。階段を下りて、彼女の家を見上げた。
「頑張れよ。夢見る少女。それは違うか……」
正直、俺は実像をつかめていなかった。その実像とは、ゲーム制作にあたり、どのようスプリクトを組むのか。言語性プログラミングの組み方というのは、タワーのようなものだ。下組が甘いとすぐに瓦解する。
やはり、プロとはなんたるか、を理解できていなかったのか。
ゲーミングチェアにもたれかかる。疲れた。
すると、連絡がかかってきた。秋月とある。俺は「なんだ」と少々怒気交じりに言った。なぜなら深夜二時だったからだ。
「あんた、希美ちゃんの家に泊まったの?」
「そうだけど。それがなんだよ」
「希美ちゃん……対人恐怖症なのに……あんた、希美ちゃんのこと好きなの?」
「好きか、嫌いか、そのどちらでないといけないのか?」
「そりゃあ、男と女の間柄ではね」
俺は溜め息をついた。そして少し真面目に考えてみる。
「好き、かもしれないな。いや、どうだろう」
「ちゃんと考えて。彼女のために」
「ちょっと危なっかしくて、危険を孕んでいて、彼女自身、痛々しくてそれが惚れた、ああ、そっか俺、彼女のことが好きなんだ」
「……真面目に、彼女のことを考えて」
連絡が切れた。俺は溜め息をもう一度ついて、この連絡が何かを意図しているのではないか、なんて勘ぐってみる。すると彼女がリスカや精神薬を服用していたのを思い出して、心配になってきた。大竹に連絡を掛けてみるも繋がらない。俺は舌打ちして、「あの自傷癖」とジャケットを羽織りながら叫んだ。
俺は、玄関のカギを開けて出ていこうとする。と、思わぬ声が聞こえた。
「お兄ちゃん?」
俺は、まさか……と思い、振り返るとパンダのパーカー姿の妹——眞衣の姿があった。
「眞衣……」
すると、パーカーのフードを目深にかぶり、また部屋に籠った。
「待って——」
ガチャン。ガキ、と鍵が掛かる。俺は、空を切った手を見る。
「俺はさ、眞衣。お前にまた笑ってもらえるように、頑張るから」
その言葉を残して、俺は外に出ていった。
◇
俺は何度も大竹に連絡を掛けていた。
「頼むって。電話に出てくれ‼」
俺はまさかと思い、警察に連絡を掛けた。彼女の家の住所と関係性を伝え、家に向かってもらうよう手配した。
それから三十分後。大竹が自宅で練炭自殺を図ろうとしていた、ということが警察の連絡で判明した。俺は事態を了承し、都内の救急病院に向かった。
彼女の病室に入ると、大竹は布団を被っていた。
「なにやっているんだよ」
「……」
「一緒にゲーム作るんじゃなかったのかよ」
「うるさい」
「うるさいって……」
怒りが沸々と湧き上がる。でもそれを俺は押し止めた。俺は丸椅子に座って彼女の体を撫でた。
「しんどかったんだな。なあ、お前が辛いとき、俺に支えさせてもらえないか」
彼女は真っ直ぐ俺を見てくる。「どうしてそんなに優しくするの」
「ダウナー、だったんだろ。その、精神的なしんどさってよく分かんないけどさ。理解しようって思う気持ちはあるんだ」
すると、彼女は泣き始めた。嗚咽を漏らすなか、俺はそんな彼女を励ました。「大丈夫だから」と。
「俺、君のことたぶん好きなんだと思う」
「私の、何が好きなの?」
「痛々しいところとか、でも可愛いところとか、挙げだしたらきりがない」
彼女は俺の手を掴んできた。その手は冷たく、彼女の心の奥底を表しているようにも思えた。だからこそ、俺はその手を自分の温度で温めようとした。
「ありがとう。私を救ってくれようとして」
「え?」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ワンコ君」
俺は笑った。「まだそれ言うか。俺はいつになったら人間になれるんだ?」




