小さな赤子
四月。春の訪れで温暖な気候になっている頃。
眞衣は、制服に着替えて化粧水を塗っていた。
「今日から初登校だからね。舐められないようにしなくちゃ」
無事、通信制高校に合格して、一年遅れで一年生となった。
「お前は元から可愛いんだから、化粧水なんかいらないだろ」
そしたら眞衣は腰元に手を置いて、笑みを零した。
「お兄ちゃん。女子はね、男子と違って肌のお手入れをしなかったらすぐにニキビができるのです」
「そうなのか」
自分の容姿が原因で不登校になった経緯があったのに、それでも自分の容姿を磨こうとするだなんて、どういうことだろう。
多分、妹なりにコンプレックスを乗り越えたのだろう。
「お兄ちゃんも今日から出勤なんでしょ。Spinsに」
「ああ。そうだ」
ゲーム賞で入選を果たした俺は、NEXTの親会社から働かないかとスカウトが来た。
それを快諾した俺は、新卒採用として本日から、入社を果たす。
どうやら最初の頃はメンターが付き、手取り足取り教えてくれるそうだ。
貯金も八百万円あるし(二百万円ほどは水穂に渡している)、しばらくは家計も安泰かな。
「眞衣、高校から帰ってきたら実家に戻るんだぞ」
「うん……分かってる」
「お前はまだ、親元にいたほうがいいんだから。母さんには話を付けているから」
「はいはい。じゃあ行ってくるね」
眞衣はスクールバッグを持って、玄関を飛び出していった。
「本当に分かっているのかな?」
すると赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
「はーい。今行くよ」
俺はベビーベッドに横になっている、希美との子供を抱いた。
この子の名前は蛍だ。俺が、俺たちが作り上げたエロゲーのヒロインの名前。
「蛍。可愛いねえ」
思わずデレデレとしてしまう。
「じゃあ保育園に行きましょうか」
蛍がにんまりと笑った。
車に乗せて、保育園へと目指す。
学校側にお願いして、在学中に免許を取らせてもらった。
そして三〇分。保育園に着くと先生に蛍を預ける。
「よお、今日からか」
「お前もだろ」
エプロン姿が洒落な橘がいた。
蛍を慣れたように抱きかかえる橘。
「じゃあ、時間通りにな」
「ブラックな会社だったら難しいけど、まあ大丈夫だろ」
「まあ、そのときは相談してくれ」
俺は橘と別れて、また運転席に乗り込んだ。
◇
「竹達俊です。よろしくお願いします」
俺は他の新卒採用者とおなじく、自己紹介をする。
拍手が俺のときだけ大きかった。
「期待してるぞー」と歓声があがる。どうやら俺がゲーム賞で入選を果たしたことは噂になっているらしい。
「どうも、メンターの梶紗理奈です」
二年目の社員の梶さんという方が俺たち新卒採用者のメンターとなってくれた。俺たちは改めて挨拶をする。
「じゃあ、ゲームクリエイター志望の竹達さん、詳しいデバックとかの作り方教えるからこっちに来て」
「あっ、はい」
それから流れるような日々だった。俺が担当することになったゲームは、ゲーム賞で入選した俺の作品、「ANSER」だった。
それはかなり異例なことらしく、才能を買われてのことだった。
そして、俺がなによりもそのことで嬉しかったのは、希美の描いた絵が世に出ることだった。
ヒットすればもしかしたらアニメになるかもしれない。
さすれば、彼女はこの世で生きていた証が永遠に残ることになるのだ。
◇
夜の九時。残業して、くたくたになった体のまま運転する。
そして保育園に着いたら蛍を引き取り、帰宅する。
車から降りると、玄関先に秋月がいるのが見えた。
「おう、秋月」
秋月は、眠っている蛍の頬っぺたを触る。
「可愛い」
「そうだろう」
「やっぱり希美ちゃんに似ているわね」
「それはどういう意味かな」
「あんたの不細工な顔面に似なくてよかったね、っていう意味よ」
「おいおい、理不尽だな」
そしたら大笑いした秋月。「そんなこと思ってるわけないじゃない。だって——」
「私が惚れた男なのに」
その言葉に唖然としてしまう。冗談よ、と笑いかける彼女の姿に見惚れている自分がいることは確かだ。
すると両手を差し出してきた。そしてぎゅっと俺を抱きしめてきた。
「三人分、養ってあげる」
「俺はヒモじゃないぞ」
「ベストセラー作家の恩恵、あずかりたくないの?」
「ベストセラー作家といえば、俺が賞を獲った作品の権利印税が入ってくるはずだわ」
「はあ、なんの話」
眉を吊り上げる秋月。それに肩を竦める俺。
「俺のそれの作品が、ゲーム化されることが決まったんだわ。お前の名前もゲームのクレジットに書いてあるから、著作権関係で、収入が入ってくるはず」
「それって相当すごいことじゃないの。やったじゃん」
「ああ、すごいだろ」
もう一度、彼女が俺のことを抱きしめてきた。
「パーパ、誕生日おめでとう!」
「ありがとうな。誕生日ケーキ、ママが買ってくれたんだな」
「私、パパと結婚するもん」
そうかあ、と俺は表情筋が緩んでくる。それになに馬鹿な表情しているのよ、と秋月、いや、竹達菜穂が叱ってくる。
「この親バカ」
「その言葉、聞きなじみがあるよ」
「いったい、誰に言われたの」
「まあ、いいじゃないか」
娘の蛍が五歳になった。俺も妻も二十三歳になり、仕事も順調。俺が作るゲームは完成度が高いと評判がいい。今はアプリゲーム、つまるところソシャゲのデバックを勉強中だ。
「明日、眞衣の結婚式だな」
「ほんとね。まさか眞衣ちゃんが結婚するなんてね」
「本当にほっとしているよ。兄としてな」
◇
スーツに着替えて、白ネクタイを身に付ける。
すると、連絡が掛かってきた。
相手は眞衣だ。スマホを手に取って耳に当てる。「はい、もしもし」
「お兄ちゃんさ、今日予定は九時からだから。ちゃんと来てね」
「ああ、知ってる。だからなんだ」
「それでね……。これだけは言っておきたくて」
「ん?」
「中学に行けなくなって、塞ぎこんでいた私を見捨てないでくれてありがとう。私、ほんとうに死のうかな、なんて考えていたからさ。そんなときにふたりの思い出であるゲームを作って、それで泣かしてくれた。そしたら自殺願望なんて滑稽だな、って思った」
「そうか……」
俺は涙が零れないように目を上げた。
「じゃあ、楽しみに来てね」
「ああ」
◇
チャペルの会場には、眞衣の大学や通信制高校の際の友人たちが多く参列した。
新郎の橘が緊張した面持ちで立っていた。
そして豪奢な扉から新婦の眞衣と父親が立っていた。腕を絡めて。
そのとき、眞衣が「ありがとう、お父さん」と言った。そしたら父親が、「いいんだ。俺も悪かった」と呟いた。
ゆっくりと互いに歩調を合わせて歩いていく。
そして新郎に眞衣の腕を預ける父親。その表情は、どこか悲しそうなものだった。
橘と眞衣が向かい合い、聖職者が言葉を発し、その後ふたりは口付けを交わした。
参列者は拍手をした。
ふたりは幸せそうにはにかんだ。
◇
「よお、お義兄ちゃん」
「その言葉が本当になるだなんてな」
ワイングラスを持った白スーツの橘。俺はリッツをかじりながら、失笑する。
「まったく、義弟よ。眞衣のことをよろしく頼んだぞ」
橘の肩を小突いてやる。それに笑う橘。
「お兄ちゃん。どう、楽しんでいる?」
ドレス姿の眞衣が裾など気にせずぱたぱたと歩いてくる。
「バーカ。アホなプリンセス。足元気を付けろよ」
橘の注意に、はいはいと軽く受け流す。
「ほんと、ふたりは幸せそうだな」
「お兄ちゃんも幸せでしょ。菜穂さんと再婚出来たんだから」
俺は、少し戸惑ってそのあとに、「ああ」と応えた。




