複雑な裏切り者
目を覚ますと、ベッドの上だった。
隣では、どうしてか眞衣が寝ている。こちらへ抱き寄せていて、はっきり言って重たい。
「おい、どいてくれ……」
「あっ、お兄ちゃん、起きたんですね」
起き上がった眞衣は俺の上に跨った。
「あれ、おかしいですね。朝なのに反応してない」
「そりゃあ、妹に反応するやつのほうがおかしいからな」
むう、と頬を膨らませて、
「まあいいです。私、将来本気でお兄ちゃんと結婚するんで」
「バカな話はよしてくれ」
「なにがバカなんですか! 怒りますよ」
俺は起き上がって、眞衣の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。
「結婚なんかしなくても、俺たちはずっと一緒だ」
「そ、それはプロポーズですかあ」
俺はベッドからずり落ちそうになった。「どこをどう勘違いしたらそうなるんだ」
「だって……」
「だってもくそもあるか。ほら、朝飯食うぞ」
そう言って俺たちはリビングへと向かい、コンロの火を付けた。
そしてフライパンに卵を落とし、目玉焼きを作る。
その間に、トースターに食パンを入れてトーストを作る。俺はトーストの焼けた香ばしい匂いが好きだったりする。
そうしたら朝飯の準備も整い、ふたりで合掌する。「いただきます」
眞衣は目玉焼きをトーストにはさんで、半分に折りたたんでから食べるのがこだわりだ。一度、それって美味いのか? と訊ねたことがあるが「別にふつうですよ」と変哲もない答えが返ってきたことがある。ならなぜしているのだろうか。
朝食も食べ終わり、俺は制服に着替えた。その様子を見ていた眞衣が、「学校に行くんですか? 冬休みですよ」と言ってくる。
そう、今日は冬休みだ。それなのになぜ制服に着替えたのかと言うと、相手のご両親に失礼が無いようにだ。
その相手とは、大竹希美だ。
今から、希美の入院先の病院に行くのだ。
「出来ちゃった婚、謝らないとなあ」
「えっ、お兄ちゃんいまなんか言いましたか?」
「いやあ。言ってないぞ」
妹の眞衣には、「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるんです」なんて思っていてほしいからな。あれっ、ちょっとキモイかな。
「じゃあ、いってくるなあ」
「いってらっしゃい」
笑顔で見送ってくれた眞衣。その笑顔で緊張が半減した。
◇
病院に着くと、待合室にいたご両親に挨拶する。
「どうも、大竹希美さんとお付き合いさせてもらっております、竹達俊と申します」
「君が例の」
強面のお義父さんが俺の顔を鋭く見つめた。かと思えばにんまりと笑って、
「おめでとう。我が家としても嬉しいよ。孫が出来るなんてさ」
ねえ義母さんとお義父さんが話しかける。しかし、やはりかお義母さんは複雑な心境なのか含みを持った肯定を伝えた。
「さあ、病室に行こうか」
「彼女の容態は?」
歩きながらそう問いかける。それだけが気がかりだった。
「今朝から嘔吐を繰り返している。食事も喉を通らないって」
そして、君に伝えておかなければならないことがあるんだ。
そうお義父さんから言われた。その不穏な雰囲気に、俺は正直怖かった。
「もう、彼女の余命は半年もない——」
「そ、そんなっ」
エレベーターに乗り込んだ。彼女の待つ病室へと目指す。
「君が、そんな娘のことを愛してくれたことが、なによりも娘の財産だと思うよ」
「そうですかね」
そう言われても、自信が無かった。
「ひとつ、約束してくれるかね」
「なんでしょう」
「娘にずっと付き添ってほしいんだ。支えてくれなんておこがましいことは言えない。でも、頼むから希美にこの世に未練を残してほしくないんだ」
「分かっています」
◇
病室を開けると、彼女はずっと窓のほうを見つめていた。
「よお、希美」
「俊くん?」
彼女は、こちらを振り向いた。そして車椅子に乗り込んでせっせとタイヤを転がし、俺に抱き付いてきた。
「淋しかった……。本当に淋しかった」
「ああ」
俺も抱き返した。
いま、この場に俺と希美しかいないような、そんな錯覚を抱いた。
「これが、君が自分の力で作ったゲームなの?」
「ああ。出来損ないのノベルPCゲームだけどな」
病室のベッドデスクに、俺はPCを置いた。
お義父さんとお義母さんは医者のもとへ行っている。
「主人公は、斜に構えているような俺様タイプ。そんな主人公がある孤島へ訪れたところから物語が始まる、か」
我ながらすごくテンプレだと思う。それでも、シナリオを書いたことのない俺には、テンプレートを踏襲することしか出来なかった。先人の作り上げた、「泣かせるゲームのシナリオの基本形」
「じゃあ、入院中にじっくり遊ばせてもらうね」
「おう」
そしたら布団で隠していた、赤ん坊が腹の中に入っている、膨らんだおなかを見せてきた。「触ってみる?」
緊張しながらも触ってみると、ポコッ、と蹴ってきた。
ああ、ちゃんと俺たちの子供が生きているんだな。そう実感すると、どうしてか泣いてしまいそうになる。
「あと二か月で十月十日になるの。その頃には君はパパになるんだよ」
俺は笑った。「そりゃあ、楽しみだ」
「どんなパパになりたい?」
「そうだなあ」
その瞬間、父親の姿がフラッシュバックした。俺は苦虫をかみつぶしたような顔になってしまう。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとな」
俺の父親にも、出来ちゃった婚を話さないとな。少し、憂鬱だ。
病室から出て、自販機でコーラを購入した。
それを飲みながら父親に連絡を掛けた。
「……なんだ。いま仕事中なんだが」
「父さんに話があるんだ」
「……いまじゃああれだ。あとで家に来い」
「分かったよ」
通話を切って一息つく。父親の声にいまでも緊張する。
俺は頬を触った。殴られたりしないだろうか。不安だ。
「竹達くん」
声を掛けられた。その方向を見るとお義母さんが立っていた。俺はすぐに立ち上がって、頭を下げた。
「娘の様子はどうだった?」
「最初は顔色が悪かったんですけど、なんとか調子を取り戻してくれました」
「そう、そりゃあよかった」
お義母さんが自販機でコンポタを購入する。それを取り出し口からとると、缶を振ってコーンを中でかき回した。それを開けて、猫舌なのかゆっくり飲みだした。
「あの子、まだ十八なのよ」
「……はい」
「神様っていないのね、いたとしたらどれだけ無慈悲なのかしら」
暗い顔でそう言ったお義母さん。鼻をすすって、少し涙目になっている。
「あの子を看取ってあげて。それがあの子の願いだと思うから」
「そうですよね」
いまの俺にそこまでの価値があるのだろうか、と不安にもなる。けれど、彼女の恋人としてやれるだけのことはやってあげたい。希美を看取ることが役目なら、忠実にやりたい。それが男として、父親としての義務だろう。
「あなた、シングルファザーになるのはとても大変よ。大学か専門学校には?」
「専門学校に、プログラミングを勉強したくて」
「それは、もう諦めないといけないわね」
俺は小首を傾げた。「諦めなくちゃいけないんですか?」
すると鋭くお義母さんが睨みつけてきた。コンポタを呷ってから、
「そりゃあそうでしょ。高卒でも、働ける場所ならいくらでもあるわよ」
そうだよな、と俺は思った。子供のことを第一に考えるのが親の務めだ。
「俺、ゲームクリエイターになるのが夢だったんですよ。でも、諦めないといけない。そりゃあその通りですよね」
お義母さんが俺の肩を抱いてきた。
「責任は取ろうとしているのは、評価できるわ。ありがとう」
「いえいえ」
コンポタの缶をゴミ箱に投げ入れ、お義母さんは立ちあがった。
「じゃあ、頑張って」
そして去っていった。俺はコーラを飲んだ。もう炭酸は抜けていた。
実家に戻ると、リビングで父親が煙草を吸いながらスマホをいじっていた。
俺はそんな父親に声をかける。「父さん。ただいま」
「帰ってきたか、で話ってなんだ」
父親がこちらを窺ってくる。
「実は、恋人を妊娠させてしまったんだ」
「なんだと!」
父親がこちらに向かってくる。そして頬を殴ってくる。やっぱりか。
俺は誠意を見せるために、土下座する。「お願いします。認知してください」
父親は上がった息で、
「で、相手は? どうしてここに呼ばなかった?」
「末期の大腸がんなんだ。いまも病院に入院している」
「お前、その意味ほんとうに分かっているのか?」
俺はまっすぐ父親を見た。「分かっている」
「分かっていない。どれだけ子供を育てるのが難しいのか。手前八兆でできるんじゃないんだ」
「だから、助けてくれないか——」
「何だと?」
「助けてくれないかって言っているんだ。俺は、どうしても叶えたい夢がある。そのために……」
父親は、嘆息を吐いて「ゲーム会社に入社したいんだろ」
「ああ。そうだ」
「お前が勝手に作った子供のために俺が何をしろと言うんだ」
「すみません」
俺は、その父親の言葉で自分の甘さを知った。
父親は椅子に座ってこちらを見下ろしてきた。
「まず、自分の力でどうにかしてみろ。話はそれからだ」
「はい……」
俺はリビングから出ていく。すると「ちょっと待って!」と母親の声が聞こえた。
振り向くと、「まだ、夕ご飯食べてないの。一緒に食べない?」
「でも、父さんはいいの?」
「あの人は勝手にコンビニで買って食べるわよ」
牛丼店のネギ玉牛丼を掻きこんでいると、母親が「おいしい?」と聞いてくる。
「おいしいよ。久しぶりに牛丼なんか食べたかも」
「そう、よかった」
母親は喜んでくれる。
「バイトとかしているの?」
「ああ。コンビニでね。じゃないと家賃は払えないからね」
「そう。家計がきつくなったらいつでも言ってね」
俺は感謝した。いつだってそうだ。母親は俺の気持ちを第一に考えてくれる。
「で、パパになるんだって?」
「そうなんだよ」
「実はね、お母さんとお父さん、駆け落ちしたのよ」
「は?」
駆け落ちだって?
「それほどまでに、私はお父さんのことが好きだったのよ」
「そうなんだ」
「でも浮気されて、ほんと腹が立ったわ。けれど、今では恨んでない」
そう笑いながらチーズ牛丼を食べる母親。「あれ、これ案外おいしいわね」
「まあ、そういうことだから、何とかなるわよ」
「そうかなあ」
「自信を持ちなさい。あなたに足りていないのは自信よ」
それは秋月にも言われた。俺には圧倒的に自信が欠如していると。
「しかしね、親になると変わるよ」
「そうなんだね。俺も変われるかな」
「大丈夫だって。お母さんを信じなさい」
「分かったよ」
そしたらなぜか笑いが込み上げてきて、笑みを零してしまった。
「応援しているから。眞衣にもよろしくね」
「うん」
母親はチーズ牛丼にタバスコを大量にかけた。それをかきこむと、ごほっ、ごほっとむせこんだ。また俺はその様子が可笑しくて笑ってしまった。
◇
その日、秋月が家に来た。
神奈川県に行ってきたということで、お土産を買ってきてくれた。紙袋を渡された。どうやら中身はプリンらしい。
「おめでとう。パパになるんだね。あのワンコ君がねえ」
「もうワンコ君呼びはやめてくれ。妹も聞いているんだ」
眞衣はお土産のプリンを食べながら、首を傾げた。「ワンコってなに?」
「お兄さんの昔の愛称よ」
「変なの」
「変だろ。おい、これが普通の感想だ」
「不思議ねえ」
俺は秋月の頭をはたいた。
「どこが不思議なんだ」
「痛いわね。まあ、あんたは人間になったからね」
人間ねえ。そう感じながら首元を触る。ネックチョーカーが装着されていた部分だ。
すると挑むような目で見つめてきた。
「もう一回付けられたい?」
「バカなこと言うのはよせ」
「じゃあ、私帰るから、送っていきなさい」
「へいへい」
なんとわがままな女なんだろうか。
「じゃあ、眞衣、お留守番頼むな」
「はーい、お兄ちゃんのぶんのプリンも食べておきますね」
「もう、それでもいいよ」
俺はコンバースの靴を履き、秋月と一緒に外に出る。
「ねえ、希美ちゃんが亡くなったら、どうするの?」
「どうするってなにが?」
すると俺の前に向かって、真っ直ぐ対峙してくる。その真剣なまなざしに、俺は少し戸惑ってしまう。
「私、あなたのことが好きだった。どうしようもない、ワンコ君のことがね。でも、同じくらい希美ちゃんのことも大切なの。彼女が亡くなったら、もう、さ。私のものになってよ」
「それは……」
すると秋月は、唐突に泣き始めた。「ごめんなさい。こんなの、ずるいよね。私ごときが恋愛なんておこがましいんだし。あなたはずっと希美ちゃんのものなんだから」
俺はとっさに秋月の体を抱きしめた。そしたら強張っていた秋月の体が、だんだんと緊張がほぐれたように抱き返してきた。
満月が俺らを睨みつけてくる。この浮気者が、と。
それでもよかった。俺は、目の前の少女を救うことだけを考えていたかったからだ。
どうせ、俺はゲームを作ることしか出来ない、人格者ではない男だ。
けど、そんな俺に対して、必要としてくれる人間がいる。それだけが唯一の救いだった。




