花火大会
1
十月十六日。横須賀花火大会が幕を開いた。
俺は神社の境内で、焼きそばを食べながら大竹を待っていた。
「おまたせ」
「おう、って、ええ?」
なんと現れたのは菊の浴衣姿の大竹だった。
「どう、俊くん? 可愛い?」
俺は口元を押さえながら、「すっげー可愛い」と本音を漏らしてしまった。
「そう言ってもらえてなにより。すっごく嬉しいよ」
じゃあ行こうか、と俺たちは自然に手をつなぎ出店のほうへと歩いていく。
大竹はりんご飴を購入して、舌でちろちろとゆっくり舐める。
その姿もどうも官能的だった。俺の男の部分がうずいてくる。
そこに気付いているのか、大竹は時折挑むような目を投げてきた。
「どうする? このあと」
「とりあえず、花火を見てそのあとは……」
そしたら背後で一輪の花火が咲いた。俺はそれを見て、「綺麗だな」と言った。
「俊くんがいいんだったら、ホテルでも行く?」
「そ、それは……ちょっと」
すると大竹は苦笑した。「まだ私たちには早いって? 旅館でシタじゃない」
「そうなんだけど……。まだちょっと怖いっていうか」
「なにが?」
「君を傷つけることが」
そしたら大竹は大笑いした。「バッカじゃないの」
「おい、そんな言い草はないだろ」
俺は少々怒った。そしたら彼女は俺の胸に顔をうずめてきて、
「私はあなたにどれだけ穢されてもいい。そんな覚悟も汲み取ってよ」
「大竹……」
「あと、その呼び方」
「ん?」
「そろそろ希美って名前で呼んでよ」
「分かった。希美」
そしたら自然と笑いが込み上げてきた。俺と希美は笑いあう。
「もうちょっと躊躇してよお」
「そんなこと言われてもだなあ」
背後ではたくさんの花火が散っていっている。俺は、希美を抱きしめて、口付けをした。
そこには、普遍的な愛があった。
2
十一月。専門学校の入試のために、俺は勉強をしていた。
すると自宅のインターホンが鳴った。誰が来たのだろうか。
玄関を開けると、秋月が立っていた。
「どう、ゲームは完成した?」
「あっ。そういえば連絡まだだったな。もうすでに完成してあるよ」
「ふーん。で、妹さんはどうしているの?」
「通信制高校に通うために日々、受験勉強中」
秋月は笑ってくれた。「前進しているのね。それだったらよかった」
「だったらこれからは竹達くんって呼ばせてもらうわね」
「ん? どうした急に」
秋月は、俺のしていたネックチョーカーを外した。
「普通の人間として、生きなさい」
俺は苦笑した。「もともと、そのつもりなんだがな」
「でさ、本当に結婚するの? 希美ちゃんと」
「ああ、そのつもりだ」
「……彼女の病気のこと、聞いてないの?」
「病気って、精神病のことか?」
すると彼女は目を伏せて、
「彼女は……」
そして聞かされた大竹の病名に俺は驚かされた。
◇
俺は希美と新宿109でデートしていた。
彼女は黒のライダースジャケットを華麗に着こなし、とても美人だった。
俺は彼女と再会したとき、そんな姿を見て俺は「麗しい」と言うと、「あんたは貴人か」とツッコまれた。
ファッションコーナーで服を見繕っていた。どんな服が彼女に似合うだろうか、と。
すると、彼女は唐突に口元を押さえてトイレへと駆け込んでいった。
そうして帰ってきたとき、彼女は少し暗い目で「良い話と悪い話があるけど、どっちから聞きたい?」と訊ねてきた。
まるでこの世の不幸の詰め合わせのような、そんなふうな顔を見たくなかった。
それは夏至から冬至に移り変わる、そんな淋しさのようなものみたく感じたからだ。
◇
「妊娠してるの。もう三か月」
フードコートの店内で、俺はカフェラテを飲みながらそう言われ、やはりか、と思った。
事前に秋月から聞いていた。希美は妊娠していると。そして……。
「それから私、大腸がんなの」
そうか……俺は黙ってカフェラテをもう一度飲んだ。そうして自分の心が灰色に染まっていくのを体感していた。
「治る見込みはあるのか?」
希美は首を振った。そして悲観的に彼女は、潤んだ目で喋った。
「もう末期なの。実は君が前に家に来たときに隠した薬には、精神薬に大腸がんの薬も混じっていたの」
俺は俯いた。どうしてこんなに不幸なことばかり俺のもとへ訪れるんだろう。
「なあ希美。俺は、どうしたらいいんだろう。絶対にお前を失いたくないんだ」
そうすると俺の手を掴んできた。その手は冷たくて、まるでずっと海の深海に浸っていたような、そんなありえないほどの温度だった。
それがいまの彼女の心境を表していると、俺は感じ取っていた。
ぽたっ、ぽたっ、と俺は涙が零れ始めた。
どうして、どうして希美なんだ。
「もう来週には入院しないといけないの。でも安心して。病気の進行スピードと赤ちゃんの成長の速度は比例しないから。赤ちゃんは出産できる」
「そんなのっ、そんなのっ、あんまりじゃないか」
俺はお前と子供を育てたいんだ。そう言おうと思っても、どこか無責任なような気がして、言えなかった。だからこそ口をつぐむ。そんな俺の動揺など歯牙にもかけず、彼女は席を立った。「ほら、もう帰ろう。家に眞衣ちゃん待っているんでしょ」
「おう……」
俺はふらふらと立ち上がり、歩調を速めている彼女の背を目指した。
3
「お兄ちゃん、今日は料理を作りました。関西風お好み焼きです!」
自宅のリビングで、眞衣がどこから持ってきたのかホットプレートをテーブルの上に置いて生地を流し込んでいる。
「お兄ちゃんがなぜか元気がなさそうなので、ファイト一発、元気を出してもらおうと頑張りました!」
「いらねえ」
「えっ」
俺は冷蔵庫の中から麦茶を取り出し、それを一気飲みし、それからパーカーを羽織って、外に出た。
しばらく、独りになりたかった。
山手線に乗って、それから東部中央線に乗り換えて、適当な駅で降りる。
すべてから目を逸らしたかった。妹の存在からも。不甲斐ない自分からも。どうすることもできない現実からも。
漫喫でチェックインを済ませて、部屋に入る。
ネットでNextの動画を観ていても、心が動かない。
それから三日後。俺は満喫での生活に飽きて、外に出ることにした。
深夜の外を歩く。黒紫のグラデーションの空が俺を見下ろす。
すると俯いて歩いていたからか、誰かと肩がぶつかった。
「ん? てめえなにぶつかってんだよ」
「ああ。すみません……」
俺の胸倉を掴んでくる金髪の不良。
「なんだ」
路地裏で、三人組の不良たちが俺たちを取り囲む。
俺の大腿に蹴りを入れてくる。
俺は痛みで歯を食いしばる、そして殴られて地面に倒れる。
「こいつ、弱すぎるだろ」
けらけらと大笑いしている不良たち。俺はむくっと立ち上がって、不良に一発こぶしを入れる。そこでひるんだ不良。俺は流れるように殴っていった。そして殲滅してから上がった息を整える。
舌打ちをして、踵を返した。
それから不良と喧嘩をする毎日だった。噂が噂を呼び、「調子に乗っている餓鬼がいる」と路上で伝説になった。
俺は、喧嘩に明け暮れる日々で、何かを失い、なにかを手に入れたように思えた。
よふかしの日々で、満月の陰りに隠れて生きていた。
妹のことなど、希美のことなど忘れようとして、必死にあがいた。
でも出来なかった。
俺は電信柱にもたれかかって涙を流した。
どうして……。なぜなんだ。
「お兄ちゃん——」
えっ、眞衣の声か?
パーカーのフードを目深にかぶりこちらを窺っている眞衣の姿が見えた。
「眞衣……どうして」
「お兄ちゃんのこと、一生懸命探したんだよ。いろんな人に訊いて、怖い人に脅されたりもしたけど……それでも頑張って」
どうしてそこまで……。俺はそう言おうとしたとき眞衣に抱きつかれた。妹は涙を流しながら、「淋しかったんだよ」と言った。
「秋月さんから聞いたよ。お兄ちゃんが私のためにいろんな人の力を借りながら、頑張ってゲームを作ったことも。ほんと、ありがとう」
「そんなの、兄貴だったら当り前だよ。俺はっ、俺がやりたくてやったことなんだから」
お前のために……。たったひとりのかけがえのない妹のために。
「家に帰ろう? 美味しいごはん作るからさ」
自宅に戻ると、眞衣が「座っていてね」と言った。俺は椅子に座って眞衣の料理を作る姿をぼおっと見ていた。
しかしこくん、こくん、とうたたねしてしまう。
「——お兄ちゃん、出来たよ」
俺は目を覚ますと目の前のテーブルにオムライスがあった。ケチャップで「元気出して」と描かれている。
それを俺は一口、食べてみる。甘いピザソースの味がした。それがNextに登場した特製オムライスのようで。すごく泣けてきた。
ああ、俺ずっと泣いてばかりだな。
すると眞衣は笑いかけてきた。
「お兄ちゃん、おいしい?」
「ああ、凄くおいしいよ」
俺はぼろぼろと落涙しながらオムライスをかきこんだ。
甘すぎる味付けのはずなのに、どこか舌に馴染んで離れなかった。
俺は秋月に会う予定を取り付けた。いろいろと世話にもなったし、感謝を言わないとな。
そしてその予定が訪れた。秋月が待っているカフェテラスに来店すると、彼女が沈んだ顔でこちらを見てきた。
「なにやってたの」
席に座り、俺は尖りを帯びた彼女の声音を一身に受けた。
「すまない」
「すまないじゃないわよ。一番希美ちゃんの傍にいてあげなくてはならなかったのに、それから逃げたあなたは非難を受けるべきよ」
俺は項垂れた。「分かっている。俺は、あいつから逃げたんだ。その責任はしっかりと取るつもりだ」
「ならなぜ顔をうつむく? 自信が無いことが明らかでしょ。あなたにはね、言わなくちゃいけないと思っていたのよ」
「なにをだよ」
「あなた、自分に自信が無いから、プロに頼ったんでしょ。ゲームのシナリオから音楽まで。誰も言わなかったから私が言いますけどね、ゲームの賞というのは、アマチュアだったらすべて自分の力で行うべきなのよ」
「……」
「あなたに足りないのは、自分を信じる力。いい? これは私の提案だけど、もう一度ゲームを作りなさい。キャラの立ち絵からシナリオまですべて自分で作るのよ。そうして、今度は希美ちゃんを泣かせてみなさい」
「そんなこと……俺にできるのか」
そしたら、ようやっと笑みを見せてくれた秋月。
「泣きゲーを作るんでしょ。私も小説家だからわかるわ。感動って、人を動かす力になるの。希美ちゃんのがんは末期だけど、でもだからってそのまま死んでいいわけがない」
「そうだよな」
「私も長いこと彼女の友人やっているけど、辛いとき、苦しいときに彼氏が頑張ってくれたら嬉しいはずよ」
その言葉で、俺はどこか吹っ切れたような気がした。
以前、俺の家に初めて来たとき、食事がいらないと言ったのは食道がんの影響だったのだろう。いま思えばすべてつながる。
「で、どれだけのペースでゲームが完成しそうなの?」
それに俺はにやりと笑って答えた。
「一週間時間くれよ。最高のノベルゲームを作ってみせるよ」
その日から俺は一睡もしないでゲームの制作に取り掛かった。
ひたすら言語を書き込み、シナリオは想像力と二分の一の希美への思いで創作した。
音楽なんて作ったことはなかった。それでも挑戦した。
たった一人の女性のために。
大病を患った、死に行く恋人の餞となるように。
三日目。もうフラフラだった。それでも精力剤を飲み、なんとかしてPCの画面とにらめっこした。
五日目。起きているのか、眠っているのかすら分からないなか、ゲームのデモ版が完成した。それをプレイしながらバグがないか調整する。
正直に言って、素人のフラッシュゲーム以下の出来栄えだった。それでも、これにはたくさんの人への思いが詰まっている。
届いてくれ。そう思い、俺は重たくなった瞼に抗えなくなった。




