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アンタレス

作者: 神楽健治

宮野雫は、静かな夜空のような人だ。

見上げれば確かにそこにあるのに、手を伸ばせば届かない。

その距離が、僕を狂わせる。

同じ天文部。放課後の屋上で望遠鏡を覗く横顔を、僕は何度も見てきた。

冬の星座の中、赤く輝くアンタレスの光を反射して、彼女の瞳が揺れる。

それを見るたび、胸の奥で何かがざわつく。


……僕と雫が交わす言葉は、最低限だけだ。

けれど、それでいい。

彼女は誰とも深く話さない。僕もその一人でいられる。それが誇らしい。


雫の帰り道を、僕は何度も歩いた。

彼女が振り返ることは一度もない。

護衛のつもりだ――そう思っていた。

でも、本当は違う。あの背中を、最後まで見失いたくないだけだ。


ある晩、雫は途中の細い路地に入り、立ち止まった。

暗闇の中、ポケットから小さな紙片を取り出し、壁の隙間に差し込んだ。

彼女が去ったあと、僕はそれを抜き取った。


――日付と時刻、そして名前。「たなべ」


胸が熱くなった。

彼女は僕を見てくれている。記録してくれている。

それは、ただの観測日誌じゃない。僕を残すための、大切な記録だ。


次の日、屋上で話しかけた。

「……昨日、あの路地で」

雫は望遠鏡から顔を上げ、まっすぐ僕を見た。

夜空よりも冷たい瞳。


「……見たの?」

「うん。でも、嬉しかった」

「……嬉しい?」

「僕を見てくれてたんだろ」


雫は小さく首を振った。

「……あれは“順番”なの」

「順番?」

「天文部の人が……消えていく順番」


その言葉は、予想よりもずっと甘く響いた。

僕は笑ってしまった。

消えるなんて、冗談だろう?

でも、もしそうなら――僕は一番最後なんか嫌だ。


「じゃあ、僕は君の一番にしてくれ」

「……意味、わかってるの?」

「わかってる。君に選ばれたい」


雫の瞳がわずかに揺れた。

僕はその瞬間、悟った。

この人は、選ばれることを拒めない。


夜。

雫は再びあの路地で立ち止まり、空を見上げた。

アンタレスが赤く滲んでいる。

「今夜は……」

振り返ったその唇が、僕の名を呼びかけたとき、僕は歩み寄った。


「もういい。順番なんて関係ない」

ポケットの中の冷たい感触を握りしめる。

「僕が、君を連れていく」


驚いたように見開かれた瞳も、閉じられる口元も、全部焼き付ける。

アンタレスの色は、星の光か、それとも――。


雫の体温が腕の中で薄れていくとき、僕は確信した。

これで、僕たちはずっと一緒だ。

夜空が消えても、僕は君を離さない。

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