第98話 新しき天才! クララちゃんだよ! 港町アイゼンポルトに工場を作るといいんじゃないかな?
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴164年 9月5日 昼』
シトラリちゃんからの手紙が、僕の国に、七人目の世継ぎという衝撃……しかも時系列を考えると、生まれたのは結構前? ……と、新しい紙という革命の種をもたらしてから、数週間が過ぎた。
アシュレイの工房は、今や、僕の知っている工房ではなくなっていた。金属と火薬の匂いはどこへやら、そこは、水浸しの床と、木の皮や草を煮詰める、青臭い匂いに満ちた、奇妙な実験室へと姿を変えていた。
「うーん、ダメっス……! どうしても、繊維がうまく絡み合わない……!」
僕の妻であり、この国一番の天才発明家であるはずのアシュレイが、珍しく、泥のついた髪をかきむしりながら、頭を抱えていた。彼女の前には、分厚くて、すぐに破れてしまう、紙とは呼べないような失敗作の山が築かれている。
その時だった。工房の隅で、黙々と作業を続けていた一人の少女が、おずおずと、一枚の白いシートを差し出した。新大陸への遠征に、書記官として同行してくれた、クララちゃんだ。
「あ、あの……アシュレイ師匠、ライル様……。できました。おそらく、これかと……」
彼女が差し出したそれは、シトラリちゃんの手紙で使われていたものと、寸分違わぬ、雪のように白く、そして驚くほど滑らかな、完璧な『紙』だった。
「原料は、木の皮を細かく、本当に細かく砕いて、特別な薬で煮詰めて、繊維だけを取り出したものです。それを、薄く、均一に漉いて、圧力をかけて乾かせば……」
アシュレイは、その紙を手に取ると、光に透かし、指でその感触を確かめ、そして、ゆっくりと、その場に膝から崩れ落ちた。
「完敗っス……」
彼女は、心の底から、悔しそうに、でも、どこか嬉しそうに呟いた。
「私は、金属と火薬の専門家……。植物の繊維を、これほど繊細に扱う天性の才能は、なかったみたいっス……。クララちゃん、あんた、すごいよ……!」
こうして、ヴィンターグリュン王国は、クララちゃんという、新しい天才の力によって、紙の再発明に、見事成功したのだった。
だが、問題は、ここからだった。
会議室に、僕とアシュレイ、クララちゃん、そしてヴァレリアやビアンカが集まる。
「この紙の量産は、可能っス。ですが……」
アシュレイが、難しい顔で腕を組んだ。
「これを安定して作り続けるには、とんでもない量の木材が必要になります。ハーグ周辺の森を全部切り拓いたって、とてもじゃありませんが、追いつきません」
皆が、うーん、と頭を悩ませる。どうすれば、製紙に必要な、大量の木材を確保できるのか。
そんな重い沈黙の中、僕は、ふと、あることを思いついた。
「あっ、そうだ!」
僕が、ぽん、と手を打つと、全員の視線が、僕に集まった。
「この前、皇帝陛下からもらった、東の港町アイゼンポルト! あそこに、紙の工場を作ればいいんじゃないかな?」
「え?」
アシュレイたちが、きょとんとした顔で僕を見る。
「だって、アイゼンポルトは、昔から、大きな船をたくさん作ってる港町なんでしょ? 船を作るには、木がたくさん必要じゃない。だから、きっと、街の近くには、木を切るための大きな森とか、切った木材を運んでくるための仕組みが、もう、全部そろってるはずだよ!」
僕の、あまりに単純な、しかし、誰も思いつかなかった一言。
会議室が、一瞬の静寂の後、わっと、歓声に包まれた。
「そ、その手があったかー! 私は、新しい資源をどう確保するかばっかり考えてた! さすがライルっス!」
「なるほど……! 既存の産業基盤を、全く新しい産業に転用する……。陛下、恐るべき発想力ですわ!」
ビアンカが、商人の目で、きらりと目を輝かせた。
こうして、僕の、ただの思いつきから、港町アイゼンポルトの復興と、ヴィンターグリュン王国の新たな産業の育成が、同時に始まることになった。
僕は、新しくできた真っ白な紙に、子供たちの似顔絵でも描いてあげようかな、と、そんなことだけを、考えていた。
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