第95話 皇帝も闇バーにおぼれる ええいっ誰だ! こんな美味しいものを規制したヤツはっ!? あっ、朕の先祖だった!
【ユリアン皇帝視点】
『アヴァロン帝国歴163年 10月25日 夜』
缶詰工場、銃工場、そしてアシュレイ工廠株式会社……。
ハーグに来てからというもの、朕がこれまで築き上げてきた常識というものが、めまぐるしく、そして心地よく破壊されていった。
だが、全てが合理的。無駄がなく、洗練されている。
(ククク、こんな面白いことはない。あの田舎王は、無自覚なまま、帝国の百年先を行く国を作り上げておるわ)
その日の交渉は、さすがに皆、疲労困憊だった。朕も、二人の侯爵も、そしてライルの仲間たちも、難しい話に頭を使いすぎた。
そんな重い空気を破ったのは、やはり、あの男だった。
「ねえ、みんなお疲れでしょ? 僕、いいお店を知ってるんだ! 一杯飲んで、今日のことは忘れようよ!」
ライルの、気の抜けた誘いに、ユーディルとかいう、いつも影のような男が静かに頷く。
ランベール侯爵とヴェネディクト侯爵は、最初こそ「我々は……」と渋っていたが、朕が「面白い、行ってみるか」と一言告げると、慌ててついてきおった。
連れてこられたのは、薄暗い路地裏。看板もない、古びた扉。いわゆる『闇バー』というやつか。
中に入ると、タバコの煙と、むっとするような熱気、そして、奇妙な自由の匂いが、朕の体を包んだ。
朕の姿を認めた、腕に刺青を入れた荒くれ者たちが、にやりと、不敵な笑みを向けてくる。
「へへっ、こいつは、超珍しい客のおでましじゃねえか」
「おうおう、皇帝陛下と見たぜ。俺は昔、東の戦場で見たことあるんだ。まあ、固いこと言わずに、飲んでけや」
「よう、侯爵様方も。ポーカーでもやるかい? 素寒貧にしてやるぜ」
無礼千万。だが、不思議と、不快ではなかった。むしろ、この、誰にも媚びぬ、ありのままの雰囲気が、凝り固まった朕の心を、ゆっくりと解きほぐしていくようだった。
朕も、二人の侯爵も、いつの間にか、この店の空気に馴染み、安物のエールを呷っていた。
やがて、マスターが、特別なグラスを我らの前に、そっと置いた。
「とっておきだ。まあ、飲んでみな」
夕焼けのような、美しい色合いの液体。一口、口に含む。
なんだ、これは……!
果実の芳醇な甘みと、爽やかな酸味。そして、それらをキリリと引き締める、上質な酒の熱。完璧な調和。あまりの美味さに、朕は言葉を失った。
「う、うまい! マスター、おかわりだ!」
朕も、侯爵たちも、夢中になって、何杯もその『カクテル』とやらを注文した。
すっかり上機嫌になった朕の耳に、周りの客たちの、からかうような声が届いた。
「へへっ、皇帝陛下が、自ら酒造法を破ってやがるぜ」
「ああ、見ものだな。歴史的な瞬間だぜ、こりゃ」
「酒に混ぜ物したやつを、あんなに美味そうに飲みまくってるぜ!」
その言葉に、朕はカッと頭に血が上った。
「ええいっ、無礼者! そもそも、誰だ! これほど美味い飲み物を『混ぜ物』などと称し、法で禁じた、大馬鹿者はっ!?」
朕がそう叫ぶと、側近の一人が、青ざめた顔で、小声で朕に耳打ちした。
「……へ、陛下。その酒造法を布告なされたのは……百年ほど前、当時、税収の安定化を図られた、当時の先々帝陛下にございます……」
「……」
しーん、と、時間が止まった。
(……あっ、朕の先祖だった!)
次の瞬間、朕は、腹の底から、声を上げて笑っていた。
「ぶははははっ! そうか、朕の一族のせいだったか! 馬鹿者は、この朕であったわ!」
朕は、高らかに宣言した。
「この布告は、ただちに改正する! この美味なるカクテルこそ、帝国の新たな文化とするのだ!」
店は、地鳴りのような歓声に包まれた。
その夜、朕は、自分がいろいろと、間違っていたのかもしれんな、と、ぼんやり思った。
フラフラとした足取りで、ライルの肩に腕を回しながら、ハーグの城へと戻る。隣のライルは、ただ、にこにこと笑っていた。
まあ、よい。こんなに愉快な夜は、久しぶりであったわ。
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