第89話 騎士団長としてのヴァレリア、母親としてのヴァレリア
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴163年 10月10日 夕刻』
珈琲を盛大に噴き出し、「えええええええっ!?」と、王とは思えぬ情けない絶叫を上げるライル様。そのお姿を、私は氷点下の視線で見つめていた。
(やれやれ……。また、このお方の、天性の人たらしが、新たな騒動の火種を生んだか)
いつものことながら、後始末をするのは、私の役目らしい。
私は、まだ頭を抱えているライル様を一瞥すると、静かに、しかし有無を言わせぬ響きを込めて告げた。
「閣下。この件は、私が対応いたします。貴方様は、執務室で書類の決裁を」
「う、うん……。ヴァレリア、お願い……」
情けない声で頷く王に背を向け、私は城門へと向かった。
そこには、衛兵に囲まれながらも、少しも臆することなく、ちょこんと座り込んでいる小さな男の子がいた。カール君。その瞳には、子供らしい純粋さと、そして、揺るぎない決意の光が宿っている。
「私が、ヴィンターグリュン王国騎士団長、ヴァレリアだ。騎士になりたいというのは、君か?」
私が声をかけると、カール君はぱっと顔を輝かせ、勢いよく立ち上がった。
「はい! ぼく、カールです! 王様と、未来の騎士になるって、約束しました!」
(……あの朴念仁。また、安請け合いを……)
内心で深いため息をつきながらも、彼のあまりに真っ直ぐな瞳を前にしては、無碍に追い返すことなど、できなかった。自分の息子、フェリクスとどこか重なって見えたのかもしれない。
「……よかろう。ならば、まずは君の剣の腕、この私が見極めてやろう。ついてきなさい」
私は、カール君を城の中庭にある、芝生の訓練場へと連れて行った。そして、その小さな手に、ちょうど良い長さの木の枝を一本、握らせる。
「さあ、構えなさい」
私がそう言った時だった。
どこからか騒ぎを聞きつけたのか、二つの小さな影が、侍女の手を振り払って、こちらへてちてちと走ってくる。我が息子フェリクスと、その兄であるレオ王子だった。
「ヴァレリアままー! なにしてるのー?」
「けんじゅつごっこ! レオもやる!」
二人は、カール君が持つ木の枝を見ると、目を輝かせて、自分たちも落ちている枝を拾い始めた。
私は、額に手を当てた。どうやら、今日の騎士団長としての私の任務は、この三人の小さな騎士たちの、お守り役らしい。
「……仕方ありませんね。良いでしょう。三人まとめて、この私を倒してみせなさい!」
私が、大げさに腰を落として構えてみせると、子供たちの「きゃっきゃっ」という、楽しげな歓声が上がった。
カール君を先頭に、三人の小さな騎士たちが、私に向かって突撃してくる。私は、その拙く、可愛らしい剣(木の枝)の攻撃を、ひらり、ひらりとかわし続けた。
「ぬぅっ、やるな! だが、まだまだ!」
時折、そんな風に声を上げてやると、子供たちはさらに夢中になって、私に打ちかかってくる。
やがて、頃合いを見計らい、私は三人の同時攻撃に合わせて、わざとバランスを崩してみせた。
「ぐはっ! み、見事な連携攻撃……! このヴァレリア、参った……!」
私は、ゆっくりと、芝生の上に倒れ込む。
それを見た子供たちが、「やったー!」「かったー!」と、飛び上がって喜んでいた。その、純真な笑顔と、勝利の歓声。それを見ているだけで、私の胸の奥が、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
(……ふふっ。悪くない。実に、悪くない光景だ)
私が、空を見上げながらそんなことを考えていると、日が落ち始めた空の向こうから、一人の少女が、心配そうな顔で走ってきた。リーナさんだ。
「カール! もう、こんな時間まで! ヴァレリア様にも、ご迷惑をおかけして……!」
「リーナお姉ちゃん! ぼく、騎士ごっこ楽しかった~! おっきい騎士の人、やっつけたんだ!」
カール君が、今日の武勇伝を、興奮気味に姉へと語る。
リーナさんは、弟の服についた芝生を優しく払いながら、私に向かって、深く、深く、頭を下げた。
「騎士団長様。弟が、大変失礼をいたしました。そして……本当に、ありがとうございました」
「気にするな。……良い目を、していた」
私は、それだけを告げると、芝生からゆっくりと立ち上がった。
手を繋いで、今日の出来事を夢中で話す弟と、それを優しく聞く姉。その二人の後ろ姿を、私は、夕暮れの優しい光の中で、いつまでも見送っていた。
騎士団長としてではなく、ただ、一人の母親として。
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